俺の前世での挫折譚
俺達はシレーニの酒を楽しんでいると、サルマキスが料理を持ってきた。
ロランが料理を見て嬉しそうな顔をする。
「燻製肉か……昔、旅の途中でよく食べた干し肉を思い出すなぁ。おお!? 燻した香りと香辛料が合わさって酒が進むぞ。」
アルケインは白磁の皿や銀の食器に興味を示している。
「これほどまでの純白さを表現するのに、どれほどの技術が必要なんでしょうか。それにこの釉薬の塗り具合……全く隙が無いですね。」
ロランが呆れた顔でアルケインを見た。
「またいつもの癖か……そんなにゆっくり眺めていたら料理が冷めてしまうぞ! いらないんだったら俺が貰ってやろうか?」
「全くロランは無粋ですね。料理と食器の組み合わせにより、食欲が変わるというのは昔から言われているのですよ?」
シレーニが微笑ましげな顔で二人を見てつぶやいた。
「まるで十代後半といった感じの掛け合いだな……少年の頃から戦いだけの人生で、他のことを考える余裕なんて無かったんだろうな。」
(そうか……だからこそ、この二人は純粋に自分の正義を信じていたのか)
俺は、単純に彼らの視野を広げた方が、この世界で生きやすくなるのではないかと考えていた。
だけど、彼らの壮絶な人生を考えれば、そんな余裕がなかったのだろうなと改めて思う。
その時、アルケインが興味深げな顔で俺に問いかけてきた。
「そういえば、ケイ殿は前世の経験をこの世界で上手く活かしているようですが……何か秘訣があるのでしょうか?」
「秘訣か……前世での俺ってさ、最初の頃は上手く経験を生かせなくって失敗ばっかりしていたんだよ。そんな話でも良ければ話しても良いかな?」
皆が興味深く俺を注視する中、前世の話を始めるのだった。
* * *
――俺が営業に配属された時、結構大きな挫折をした。
元々俺は人付き合いも苦手で、研究一本の人間だった。
顧客へのコミュニケーションや付き合いが本当に最初は苦手で、よく会社の先輩から『大学院なんて出ても何の役に立たないな』と言われ続けてきた。
そんな俺へ大学の友達が同窓会とかで、自分の仕事のやりがいや将来の夢について語ってくる。
俺は友達の幸せそうな顔を見て、素直に良かったと思う反面、給料や待遇、そして活躍出来ないことに不満を持っている自分が何処となく情けないと思った。
――ただ、俺は負けず嫌いで向上心だけは馬鹿みたいにあった。
俺は自分が情けない姿でいるのが嫌だった。
だから、営業でもしっかりと仕事が出来るように商品知識を必死でつけるべく、必死に勉強した。
世紀の大不況の時は、データをまとめた経験を活かして、自社の値上げの為に金属相場やナフサの相場などをグラフ化して顧客との折衝に使えるようにするだけでなく、新聞を切り抜いたスクラップブックを作って、現在の世情が分かるような資料を作り上げていく。
こういう面倒な作業をする人が他に居なかったので、俺の作った資料は重宝されるようになって、取引先だけでなく社内でも信頼を得られるようになった。
さらに、自分のコミニュケーション能力の低さを補うべく、積極的に飲み会とかに出るようにして、色々な人の話を聞くようにもした。
一度聞いた話をどうやって活かすかを常に考えて、例えばある顧客の出身地の酒の話を聞いたら、それを飲んでみる。
その酒を作っている酒造の他の酒も飲んでみて味や香りの特徴とかも感じるようにしてみた。
そして、次の商談の機会にその話ができるようにして、自分の会話の懐を広げるようにしていくのだった。
結果として、そういった地道なことの積み重ねで、今の俺の立場を作り上げることが出来たのだと思っている。
営業としての職務を務めて三年経つ頃には、同僚や顧客との信頼関係も気づけるようになり、苦手だった他人とのコミニュケーションも大分ましになっていった。
そこそこ新規の売り上げも出せるようになっていき、営業としての仕事が評価されるようになっていったのである。
まあ、研究職への異動をずっと出していたので、会社の上の方からは疎まれていたのかもしれないが、いっぱしの営業は出来るくらいに俺は成長できたと思う。
* * *
俺は営業時代の話をした後、以前フェンリルにも話した品質管理部門時代の話をロラン達にしていく。
工場に異動したての頃の《半端物》としての板挟み、仕事を効率化して少しでも自分が出来ることをしたこと、そして、自分自身の待遇に対する葛藤……
一通り、前世の経験を話し終わった後、俺は気恥ずかしげに頭をかきながらロラン達に言った。
「まあ……そんなわけで、世界を救うなんてスケールに比べれば本当に小さい世界の話なんだけど、自分の経験を活かす為に、その場所でどのようなものを求めているかを常に考えるようにしていったのさ。」
ロランとアルケイン、そしてフェンリルも俺の話を真面目な顔で聞いている。
(うーん……これは俺自身の事情もあったから、言うかどうか悩むところなんだけど、一応付け加えておくか)
俺はちょっとおどけた顔をしてアリシアに話しかけた。
「実のところ、俺は新しいものを生み出すのが好きなんだけどさ……品質管理という仕事は不具合を減らすのが主目的なんで、俺の本質とは根本的に合わなかったんだよね。」
アリシアが驚いたような顔で俺に問いかける。
「えっ!? でも、ケイは品質管理の仕事をしっかりと務めていましたよ! どうして、合わないのに上手くやれるのですか?」
俺は静かに首を振って答えた。
「考え方を変えるようにしたのさ。今不満に思っていることを《どうしたら解決することが出来るのか》を常に考えるようにする。その方法を研究していると思うようにしたんだ。」
皆が不思議そうな顔をしているので、もう少しだけ補足する。
「不具合を出さずに普通に物を作るのは、当たり前のことかもしれない。だけど、その当たり前が出来無い状況を改善する方法を考えることが、俺にとっての研究だと思い込むようにしたのさ。これって、世界の平和を維持するという、今の職務でも結構共通していることだと思っているんだ。」
アルケインが俺の言っていることを理解したようで、すっきりしたような顔で頷いた。
「つまり、この世界の者がどのようなことで困っているかを上手く抽出して、上手く解決する方法を考えるようにしていると言うことですね。」
「いきなりそこまでスケールが大きくなくても良いと思うんだよね。まずは、自分が出来る範囲で解決して信頼を積み重ねていく。そしてその信頼を上手く使って、より大きなことをすれば良いと思うんだ。」
ロランが尊敬するような顔で俺を見ているが、その純粋さにズキリと心が痛んだ。
俺は深く息を吸い込んだ後に、ため息をつきながら彼に告げる。
「実は……ここまでが建前ってところなんだ。実際のところ、そこまでやっても前世の俺は本質的に満足することが出来なかったのさ。だからこそ君たちに伝えておきたいことがあるんだ。」
ロラン達がじっと俺を見る中、俺は優しく彼らに言った。
「《勇者》とか《賢者》は関係なく、貴方達は魅力的な人間だ……だからこそ、それに縛られることなく、自分の才能を活かして幸せにこの世界で暮らして欲しいんだ。俺の勝手な気持ちなんだけどさ……もし魔王軍でやりたいことがあるならば、俺達はいつでも歓迎するよ。もちろん人間の世界でやりたいことがあるならば、それをやりきって欲しいと思ってる。」
ロランがしばらく固まった後、笑顔で俺のグラスに酒を注いできた。
「まったく、ケイ殿は……悪魔なのに、人間よりも人間らしいな。いや……元々魂は人間だったな。」
「そう、俺は人間からの転生者……しかも、英雄でも何でも無い町民からの生まれ変わりさ。」
ロランが笑顔のまま涙を流し始めた。
俺はグラスをテーブルに置いて、優しく彼の手を包んだ。
「こうやって、国が違えど心を通じ合えると言うだけで十分幸せだと俺は思ってるんだ。それに、結構この世界の魔族って人間らしい考え方をしている者が多くてさ……俺達の国について、もっと色々と知ってもらいたいと思っているよ。」
感極まった顔をしているロランの隣で、アルケインも涙を流していた。
そんな二人にシレーニが笑顔で声をかける。
「ケイはああ言っているが、俺の酒蔵で働くという選択肢もあるんだからな? おめえらみたいな気持ちの良い奴らはいつでも歓迎だ。」
フェンリルが笑みを浮かべてシレーニに言い放つ。
「義父の場合は、それに加えて美少年を囲い込みたいという、邪な欲望もあるから気をつけておくんだな。」
アリシアがクスクスと笑いながら、俺を見る。
「そういえば、ケイも何度となく『俺の閨にいつでも来い』って言われてましたね。」
俺は肩をすくめて思わず笑ってしまった。
「まったく……頑張って良い話をしたはずなのに、全部シレーニの性癖に持っていかれちゃった気がするよ。」
テーブルの皆がどっと笑う中、サルマキスが料理をさらに持ってくる。
和やかな雰囲気の中、俺達は夜が更けるまで楽しい時間を過ごすのだった。




