村の視察
俺は駆け寄ってくる村長の様子を見て安心した。
(俺達を怖がってはいないようだな。)
年は結構取っていそうだが、農作業で鍛えられた体を見るからに、まだまだ現役でやっていけそうな感じがする。
ただ、白髪交じりの癖毛のある髪から覗く目は、どことなく苦労を感じさせられた。
村長はアリシアに近づくと、深く頭を下げた。
「アリシア様……来てくださったのですね。高位の従者を連れてきてくださったということは、あのスライムどもを退治してくれるということでよろしいでしょうか?」
アリシアが困った顔しながら俺に助け舟を求めるので、彼に温和な表情をして話しかけた。
「ルキフェル様より、本件の担当をさせていただくことになりましたケイと申します。状況などを一度確認させていただきたいので、現地を案内していただいてもよろしいでしょうか?」
村長は俺を不思議そうな顔で見る中、アリシアがフォローする。
「ケイは前世は人間で、こうした問題を解決し続けた実績があるそうです。一度彼に任せてみてはいかがでしょうか?」
彼は納得したような顔になり、俺に頭を下げた。
「転生者様だったのですか……これは失礼致しました。」
そして、優しげな顔になって俺に握手を求める。
「しかし、その割には随分と丁寧な口調ですね。魔族や人間の転生者は偉ぶったものが多かった為、対等な立場で話してくれたのは貴方が初めてです。わかりました……アリシア様を信じます。本件は貴方にお任せすることにしましょう。」
俺は村長の手を優しく握り返すと、村周辺の案内をしてもらうことにするのだった。
* * *
俺は歩きながら、村長に話しかける。
「この世界には、転生者はたくさん来ているのですか?」
「そんなにたくさんはいませんぞ。ただ、魔王様や王様がこの世界に安定をもたらすために、≪ラクルート≫や≪ドーダ≫から、前世で英雄だった方を呼び寄せるということは皆知っております。あの方々は前世でとてもすごいことをされたそうですが……ここだけの話、転生者はこの世界のことはあまり考えてくれず、前世風に物事を進めようとしているので、困ってます。」
「そうなんですか……でも、俺はしがない町人のようなものだったので、そこまで凄い人たちみたいなことはできないかもしれないですよ。」
「そんなことはありませんぞ。この世界への転生というのは、実質的なこの世界の実力者が認めたものしかできないものとされております。きっと魔王様も、ケイ様に何かの力があると思われたから転生させたに違いありませぬ。」
(ふむ……だが、俺って≪ラクルート≫でも≪ドーダ≫でもなく、≪ナロウワーク≫出身だからなぁ……だけど、期待してくれるならそれに応えなければならないな。)
俺は村長のために少し頑張ろうという気持ちになり、周囲に目を配る。
すると、あるものが目に入って違和感を感じた。
「村長、あの花はいったい何に使うのですか? 畑にあった作物とは何か違う気がするのですが。」
彼は俺の指摘に微笑して答える。
「よく見られていますね。あれは≪満月花≫です。本来であれば、もう少し魔物が多いところで採れるはずの花で、あの花を原料に魔力ポーションが作られるのです。そのため、高値で取引されているのですが……最近森で採れるようになったんですよ。ですから、なおさら森に入りたがるものが多くなり、スライムに襲われやすくなってしまっているということです。」
アリシアが、そこで話に割って入る。
「ちょっと待ってください。ここのスライム達は基本的に草食のはずですが、肉を食べるものも紛れているのですか?」
「いえ……そうではありません。服や麻袋を食べてしまうんです。そのため、若い娘などはあられもない姿で泣きながら逃げ帰る始末で。」
――若い娘のあられもない姿
俺はその状況を想像してしまい、鼻の下を伸ばした。
(なんというパラダイス!? 伝説のポロリ……ポロリは当然あるんだよな。むしろこれは、このまま駆除しないほうが少子化の防止のために良いのではないだろうか)
アリシアが心配そうな顔で俺に問いかける。
「ケイ……大丈夫ですか? なんだか妙な顔をしていますよ。」
俺は慌てて首を振って、妄想を吹き飛ばしながら誤魔化した。
「いや、もしかしたらそのスライムの行動が、今回の暴走とも関係しているかもしれないな。しっかりとそういったところにも気を配らなければならないと思ってね。」
そうこうしている間に、俺達は川にたどり着く。
確かに野菜の端材が結構浮いていて、それがどんどん下流側の森に流れていく。
(この世界は、下水関連の知識がないのか? 排水垂れ流しでやっているとしか思えないじゃないか……あまりにもこれはひどいな)
俺は恐る恐る、村長に問いかける。
「もしかして……この水を飲み水として使ったりはしてないですよね?」
彼は笑いながら答えた。
「儂らが飲むのは井戸水でございます。さすがに川の水は飲めませんな。儂らも腹は丈夫なもんですが、この水を飲んだら調子が悪くなりますので、畑の治水専用として使っております。」
俺が安心した顔になると、村長が不思議そうな顔で俺を見る。
「本当にあなたは不思議な方ですな。儂らのような下々の者のことを心配なさっても、何の得もありますまい。何か理由でもあるのですか?」
「俺の前世は町民みたいなものって言いましたが、だからこそ貴方達のような者の気持ちも分かるっていうことにしておきましょう。ところで、この一番多く流れている端材の野菜ですが、どういったものなのですか?」
村長は少し好意的な目になりながら、俺の問いかけに答えた。
「あれは、≪マジックリーキ≫と呼ぶ野菜で、滋養強壮だけでなく、魔力も回復するとても優れた代物なんです。ただ、葉の部分があまりにも癖のある味なので、基本的には根の白い部分だけ食べて、葉の部分は捨ててしまいますね。」
(なるほど……ネギのようなものなんだな。魔力も回復できるとは便利な野菜だな)
俺は村長の説明に納得すると、森に近い畑を見せてもらうことにするのだった。
* * *
俺達は、森に近い畑に近づいていく。
その結果、森が開発されて小さくなっているのがすぐ見て分かった。
俺はアリシアに耳打ちする。
「あのスライムって草食性で森に棲んでいるって言っていたけど、元々の森の大きさってどれくらいだったのかな?」
アリシアが憂慮した顔をして答える。
「おかしいですね……協定では、あの石碑よりも向こうは開発してはならないということになっていたのですが、それよりもずっと先まで畑が広がっています。」
俺は、村長にその件について尋ねることにした。
「あの石碑の向こうまで畑が開墾されているのには、何か訳があるのですか?」
村長はギクリとした顔で俺の顔を見る。
「そ、それは……その、私達もしたくて協定を破ったわけではなく、王都からの指示でございまして……」
(ああーなるほどね。あの野菜をもっと王都に回せって命令されてるって訳か。それなら村長が無理だって断るわけにもいかないからな)
俺は、なんとなく村長の板ばさみ的な気持ちが理解できたので、できるだけ優しげな表情で話しかけた。
「別に怒っているわけではないんです。ただ、スライムの生息域が少なくなってしまっているために、彼らの食料が不足し始めているのではないかという推測を立てているのですよ。」
その時、絹を引き裂くような悲鳴が辺りに響き渡った。
俺は、一気にその方向に駆け出す。
(役得……ではなく、人助けのためだ! 若い村娘があられもない姿で、野獣のような男達の前に出られては哀れだからな。)
一番の野獣が自分だということに気づかないまま、俺は悲鳴の発生源へと駆けつける。
そこにはアラフィフぐらいのお姉さんが、服を溶かされて立ちすくんでいた。
俺は、すぐに背を向けながら自分の上着を脱いで彼女に渡す。
「お姉さん、大丈夫ですか? とりあえず、これを腰に巻いて使ってください。」
女性は、嬉しそうな声で叫んで俺に抱き着いた。
「こわかったですぅ! 優しい上に紳士なのねぇ……貴方って。」
(くっ……若い子ではなかったか。でも、これも人助けなのだ)
俺は彼女に抱き着かれながら、遠い目をしながら前世のことを少し思い出す。
(思えばお局さんのほうが、こうやって助けると無邪気に喜んでくれたな。あの頃ぐらいだったかな……年上の女性をみな”お姉さん”と呼ぶようになったのは。でも、そうしたらなんだか職場全体の雰囲気が良くなって、仕事がものすごく上手く回っていくようになったんだよね)
村長が自分のシャツを脱いで女性に着せ、俺に感謝した。
「すみません。後であの上着は、洗って返させて頂きます。」
俺は優しく彼に笑いかける。
「お互い様です。こうしてスライムが迷惑をかけてしまった以上、これぐらいはして当然なんですよ。」
俺が女性のほうを振り向くと、彼女の手にしっかりと≪満月花≫が握られているのに気づいた。
「そういえば、それはスライムは食べないんですね。」
アリシアがとても優しげな顔をして俺に教える。
「スライムにとって、魔力は香辛料のようなもので、あれは魔力が強すぎるので激辛の食べ物に近いんです。逆に≪マジックリーキ≫ぐらいであれば、ほど良い刺激になっているのかもしれないですね。」
俺は妙に納得した気分になった。
「なるほど……村長さん。俺とアリシアは一度森の中に入ってみるので、そのお姉さんを村に送ってきてはくれないだろうか?」
村長は頷くと、女性を連れて村へと戻っていく。
女性は名残惜しそうに俺に投げキッスをしていった。
(まあ……感謝されるのは悪い気持ちじゃないな)
俺は色々と残念に思ったが、アリシアと共に森の中へと入っていくのだった。