シャーロットの失墜
俺が提案してから一週間ほど経った日の夕方、俺とアリシアはフォラスの店に招待された。
この前と同様、ボギーが豪華な扉を開いて俺達を店内に案内する。
店内ではインキュバス達が俺達に皆深く頭を下げて歓迎してくれた。
そして、ファウヌスが嬉しそうな顔をして俺に抱きついてくる。
「ケイ殿! 俺達のために色々と考えてくれたんだってな……俺は嬉しいよ。」
(ぎゃあぁぁぁぁぁ!? アレが……アレが当たっているうぅぅぅぅ……)
体に伝わるなんとも気持ちの悪い感触に、俺は若干引きながらもファウヌスに優しく言った。
「そう言っていただけると嬉しいですね。もう、対策は講じたのですか?」
「実は、今日からやることになっているんだよ。俺は思いっきり酒の札を机に積み上げてやるんだ。」
いつもはだらしない顔をしているのに、妙に精悍な顔で闘志を燃やすファウヌスを見て、俺は感心した。
(何だかんだで、ファウヌスはこの仕事にプライドを持っているんだろうな)
奥からフォラスが現れて、俺へニヤリと笑いかけた。
「お主の案を成就させるために、儂も少し準備させて貰ったのじゃよ……一緒にその結果を見てみようではないか。」
ボギーが恭しく俺とアリシアに礼をして、店内全てを見渡せるVIP席に案内する。
それからしばらくして、店が開店をするのだった。
* * *
店に入ってきた客は、前回より綺麗な服を身に纏っていた。
そして、ボギーから店の新しい会計システムを聞いて、興味深げな顔で食いついているようだった。
(おおむね……好評な感じだな)
殆どの客は嬉々として酒の札を買っていくのだが、一つのテーブルだけ揉めているようだ。
「はぁ!? なんでそんな面倒くさいことをしなきゃいけないわけ! 今まで通り、お金払うからさっさとお酒を持ってきなさいよ。」
どうやらシャーロット達がまた難癖をつけているようだ。
ボギーが苦笑しながら、優しく彼女にシステムのメリットを説明していると、周囲のテーブルからヒソヒソと彼女を嘲笑する声が聞こえ始めた。
「みっともないったらありゃしないわね……一割もメリットがあるのに、それすら分からないなんて。」
「あの家は天界に媚びを売るので必死で、娘の教育すら出来ないのかしら?」
「嫌なら出て行けば良いじゃないの……むしろそうして欲しいわ。」
流石に、周囲の視線に居心地の悪さを感じたのか、シャーロットとその取り巻きは、わなわなと震えながら酒の札を買って、ホストを指名する。
そして、乱暴にブロンズの札を放り投げて注文を始めた。
他のテーブルの客達は、そんなシャーロット達を冷ややかな目で見ながら、ホストを指名して談笑を始めるのだった。
しばらくすると、一人の女性が入店してファウヌスが居るテーブルに座る。
周囲のテーブルがざわめく中、彼女はプラチナの札を彼に手渡した。
それを見たボギーが、芝居がかった動作でプラチナのタグがつけられた高級酒をテーブルに置く。
そしてその高級酒の栓をファウヌスが抜くと、見事な動作でデカンタへ移した。
彼女が優美に頷くと、ファウヌスはまるでソムリエのような所作で酒をグラスに注いで手渡した。
「見事なもてなしね……腕は落ちていないっていうところかしら?」
「酒の扱いに関しては、結構頑張ったつもりだからな。旦那とはうまくいってるのか?」
「野暮な質問ね……まあ、悪くないとだけ言っておくわ。」
(アレトゥーサじゃないか!? 所帯持ちがこんなところに来て良いのか?)
思わずフォラスへ振り返ると、彼はニヤリと笑った。
「ファウヌスの仕事ぶりを見てみたいと言っておったのでのう……フェンリルがかなり渋っておったが、儂がケイの案を奴に伝えると承知しおったわ。」
(フェンリル……すまない)
アレトゥーサはテーブルの主へ『兄がお世話になっています』と挨拶をした後に、ボギーに連れられて俺達の元へ来た。
「糞爺から聞いたわよ……また面白いことを考えたそうね。」
「いつも世話になっているんで、ちょっとした恩返しってところですよ。」
「なるほどね……ケイさんは義理堅そうですからね。そういえば、父さんと母さんが『ケイが来なくて夜が寂しい』と言っていたので、たまにはエリシオンにも顔を出してね。」
(夜って……俺にはそういったことに対する記憶が全く無いんだけど!?)
俺が思わずアリシアの方を振り向くと、彼女は必死でかぶりを振った。
「大丈夫です! 私達の部屋に怪しい者が侵入した形跡はなかったですから。」
慌てる俺達を見て、アレトゥーサが笑いながら言った。
「やだ……何を想像しているのよ! 晩酌の相手をして欲しいだけで、やましいことは考えてないと思うわ。」
俺達がほっと胸をなで下ろす中、各テーブルではボトルの注文が殺到していた。
「ファウヌスの妹さんに負けてられないわ。プラチナのボトル入れてちょうだい!」
「むぅ……いつも頑張っているボギー様の為にも、金のボトルを!」
「私はシルバーで……でも、みんなにおごっちゃうわよ。」
各テーブルのホストの前には金銀プラチナの札が積み上がっていき、さらにお礼の白札がテーブルの主達の前に返される。
そして、それが二十枚溜まるとテーブルのホストが高らかに呼び鈴を鳴らして叫ぶのだ。
「お礼の白札二十枚溜まりました! 俺達に対する心遣いへのささやかなお返しに、ボトル一本差し上げます!」
どこからともなくファンファーレが鳴り響き、お礼専用の真っ白なリボンで装飾されたボトルがテーブルに運ばれていく。
ボトルを贈られたテーブルの主は満足そうな笑みを浮かべながら、その光景を眺める。
そして、自分達が積み上げたテーブルの札の数を誇らしげに見つめるのだった。
* * *
一方、シャーロット達のテーブルは微妙な空気を醸し出していた。
周囲がプラチナやゴールドの札をテーブルに積み上げる中、彼女のテーブルにはゴールドの札が多少とシルバーが数枚程度しか出ておらず、白札の数もかなり少ない。
当然のことながらお礼のボトルが来ない為、周りのテーブルの者達の冷ややかな視線が集まっている。
居たたまれなくなったシャーロットは、ホスト達を怒鳴りつけた。
「あんた達、さっさと飲みなさいよ! これじゃ私がケチくさい真似をしているみたいじゃない。ボトルも追加で頼むことにするわ。」
彼女は取り巻き達にも怒りをぶつける。
「ボサッとしてないで、もっと頼みなさいよ! これじゃ私達は笑いものだわ。」
取り巻き達は何か言いたげな顔をしていたが、渋々と注文を始めた。
それを見た周囲のテーブルの女性が、思わず笑い出してしまう。
「ここは、お酒を飲んで楽しく男性と語らう場所なの分かってるのかしら?」
「普段からもてなす側にお酒を飲ませていないのが、明確に分かっちゃたわね。」
「普段偉そうにしているのに、この体たらく……家名に泥を塗って大丈夫?」
不穏な空気になりかけたところで、ボギーがよく響く声で周囲に告げる。
「本日も当店にお越しくださりありがとうございます。当店ナンバー1のファウヌスの妹君であり、今をときめくフェンリル様の御夫人であるアレトゥーサ様から、皆様に贈り物がございます。」
彼がそう言うと、グラスをピラミッドのようにくみ上げたタワーが現れた。
そして、明らかに高級酒と思われるボトルを何本も開けて、その頂上のグラスに注いでいく。
グラスに満たされた酒はその下のグラスへと注がれていき、最後には全てのグラスが高級酒で満たされた。
(おおっ!? シャンパンタワーじゃないか……まさか本当にやるとは思わなかった)
この前の札の件について説明した後に、前世では大金を使ってタワー状に組んだシャンパングラスに酒を注ぐ殿上人の遊びがあると言ったら、もの凄く食いついてきたのだ。
(だが……あれほどの高級酒を開けちゃって、財布は大丈夫なのか?)
俺が心配そうな顔でアレトゥーサを見ると、彼女は微笑した。
「そんな心配しなくても大丈夫よ。私も一枚噛んだけど、あの費用のほとんどはノクターン様が出してくれたの。うちの酒蔵に来て、『師匠の為に少しでも貢献したい』って……あの方って、本当に一途ね。」
「そうだったんですか……ノクターンも味なことをしますね。」
(あれ……一途? えっ、そういうこと!?)
フォラスはしれっとした顔でそっぽを向いた。
一方、各テーブルではシャンパンタワーのあまりの贅沢さに客達が驚いていた。
「あのような高級酒を……まるで水のように振る舞えるなんて……」
「やっぱりファウヌスの妹だけあって、粋な持てなしをしてくれるわね。」
「ああ……私も一夜のために、これほどの振る舞いをしてみたいものだわ。」
各テーブルに、酒が並々とつがれたグラスが運ばれていく。
そして、誰ともなくVIP席に居るアレトゥーサへグラスを掲げて感謝をするのだった。
その様子を見たフォラスが微笑して俺達に告げる。
「ちなみにこの部屋から下はよく見えるのじゃが、下からはこの部屋は見えない仕組みになっておるのじゃよ。貴賓の方は自分の姿を見せずに、下々の者に楽しんで貰いたいと言う方が多いのでな。」
(マジックミラーみたいな感じなのかな?)
それはともかくとして、ボギーがシャーロットのテーブルにグラスを運んだときに事件が起こった。
シャーロットがグラスを手で払ったのだ。
「亜人の嫁から施しを受けるつもりはないわ! 汚らわしい《半端物》と交わった女の酒なんかまずくて飲めたもんじゃない。」
周囲のテーブルから、失笑が広がった。
「シャーロットは知らないのかしら……ペルセポネで最高の酒がどこで造られているのか?」
「貴女のお父様がどこのお酒を接待に使っているか、分かって言ってるのかしら?」
「礼儀知らずな上に無知……救いようがないわね。」
ボギーは申し訳なさそうな顔でシャーロットに告げる。
「当店のお酒につきましては、全てアレトゥーサ様……いえ、フェンリル夫人のご実家で作られた銘柄をお出ししております。その汚らわしいお酒を飲ませてしまったのはこちらの手落ち……本日のお代はお返ししますので、ご退店いただいた方が良いかもしれません。」
シャーロットがわなわなと震える中、周囲のテーブルの主が眉をひそめながら告げる。
「最近の高位の魔族の会合で、誰の酒が出ているかは当然知っているわよね……貴女が言ったことをよく考えると良いわ。」
自分が何を言ったのかを理解し始めたシャーロットが青い顔になり始める中、彼女の取り巻きは急いで運ばれてきたグラスを飲み干して、必死に賞賛し始める。
「私達はこのお酒は美味しいと思いますから!」
「そうです……汚らわしいなんてことはありません! とても素晴らしいお酒です。」
「公式の場で振る舞われる最高の酒の気品が感じられます!」
周囲の冷たい視線が集まる中、シャーロット達は居たたまれなくなって、退店していった。
ボギーは少し憂いを帯びた顔をしながら、周囲のテーブルの主達に深く礼をする。
「私どもは皆様に楽しい時間を過ごして頂くことを生業としておりますが、本日はお見苦しいところをお見せいたしました。お詫びとなりますが、私どもより各テーブルにプラチナボトルをサービスいたしますので、よろしければ心ゆくまで夜をお楽しみくださいませ。」
店中から歓声が沸く中、フォラスは微笑して俺を見た。
「お主のおかげで、あの小娘に一杯食わせてやれたわい。この界隈の店はシレーニの酒を扱っているところばかりじゃからな……実質出入り禁止になるじゃろうて。そして、あの者の父親も酒を出される度に今日の件について聞かれるじゃろうから、会合で肩身の狭い思いをする……実に愉快じゃよ。」
俺は憮然とした顔で静かに首を振る。
「そうかもしれませんが、フェンリルをだしに使うような形で嵌めたのはいかがなものかと思います。」
そして、アレトゥーサに深く頭を下げて謝罪した。
「すまない……結果として、君の最愛の人を利用する形になってしまった。俺の親友は誇り高くて素晴らしい人だ、だからあんな言われ方をする必要は無いと思うんだ。」
彼女は一瞬、呆気にとられたような顔をした後に優しく笑った。
「この糞爺の作戦に私も一枚噛んでいるから大丈夫よ。貴方って本当に人が良い……というか優しいのね。まあ、それが魅力なんでしょうけど……もしそう思うなら、今度アリシア様も連れて、実家の食堂でうちの人と飲んであげてくださいな。あの人も、ケイ達と最近会えないから寂しいって言っていたわ。」
俺が嬉しそうな顔で頷くのをアリシアは若干誇らしげな顔で見た後に、優しく寄り添ってくれるのだった。




