初飛行は柔らかい思い出
急速に落下し続ける俺は、ものすごい力で手を引っ張られた。
俺はあまりの痛みに心の中で叫び声をあげる。
(腕がもげるぅぅぅぅ! これは脱臼コース直撃か!?)
痛みに顔を歪めながら腕の先を見ると、白銀に輝く羽を生やしたアリシアが、必死の形相で俺の腕をつかんでいた。
俺は思わずその姿に見とれながら、ある疑問を抱いた。
(おお……本物の天使のようだ。でも、アリシアって魔物なのになんで天使なんだ? 堕天使って、こういう風な綺麗な羽を生やしているものなのかな。」
そんな俺の疑問はつゆ知らず、アリシアが焦ったような顔で問いかける。
「もしかして……ケイさんってまだ飛べないんですか?」
俺は冷や汗をかきながら申し訳なさそうに答えた。
「なにぶん……転生したばかりの者で……」
「えぇ!? フォラスが、ケイは飛行スキル修得済みと言っていたもので、てっきり……」
(あの糞爺……ボケてるじゃないのか? 俺は一言もそんなことは聞いていないぞ!)
「えーと……その飛行スキルって、どうやったら使えるのかな?」
アリシアは自信満々の顔で説明した。
「なんといいますか、『魔力を込めて……えいっ!』って飛ぶ感じです。」
(全然わからねえぇぇぇ! そもそも魔力ってなんだよ? 俺はそもそも人間だったから、魔力を込めるとか言われても全然わからないぞ)
そして、彼女は意を決した顔をすると、俺の手を放して叫んだ。
「習うより慣れろです。胸の奥にある力を開放する感じで、それを飛ぶイメージに変えるんです!」
俺は急激に落下しながら、アリシアの言葉を実践しようとする。
(胸の奥にある力を開放……そして飛ぶイメージ……って出来るかぁぁぁ!?)
俺の体から力が……出るわけもなくそのまま俺は落下し続けた。
(怖えぇぇぇ! 神様なにとぞお助け……って、今の俺は堕天使か)
俺は、必死でアリシアに言われたことを実践しようとする。
すると、胸の奥から何かの力が湧き上がってきた。
――力がみなぎってくる感覚がする……
心地よい力の衝動が体を駆け巡る中、俺は自然と空に浮かび上がるイメージを浮かべていく。
その瞬間、背中に何かが生えたような感触がして、体が浮かび上がった。
全身に力が満ち溢れて、何とも言えない昂揚感に襲われる。
そして、その状態をとても自然に感じている自分に驚いた。
(まるで、こうやって浮かぶのが当然で、今までの自分が不自然だったようにも感じる……)
不思議な感覚に戸惑っている俺へ、アリシアが歓喜した表情で思いっきり抱き着く。
「やりましたね! フォラスが言っていた通り、やはりケイは本番に強いんですね。」
俺は間の抜けた顔をしながら叫んだ。
「なんですとぉぉぉ!?」
アリシアが笑顔で、俺に告げる。
「フォラスが、もしケイが飛べなかったらそうしろって言っていたんです。先ほどの罠の件も聞きましたが、『ケイは実戦派なんで、多分大丈夫じゃ』と。」
(”多分”って、あの糞爺……なんてことを言いやがる! 俺の命がいくらあっても足りない……って、まさかこうやって遊ぶために不老不死と自己再生つけたんじゃないだろうな?)
そして俺は、重大なことに気付いた。
(ん? なんだかものすごい柔らかい感じが……うおおぉぉぉ!?)
――なんと、アリシアと密着しているのだ。
(俺よりも小柄だから、ちょうど胸がお腹にあたって……結構あるんですねぇ。そして髪もええ香りだなあ……)
あまりに嬉しすぎる状況に、俺が鼻の下を伸ばしながら固まっていると、アリシアが自分の状態に気付いてパニックになった。
「きゃああぁぁぁ!? ケイの不埒者!」
アリシアは顔全体を真っ赤にをして、俺の頬を力一杯叩いた。
バシィ! という良い音があたりに響き渡る。
そして、俺はキリモミしながら勢いよく飛んでいく。
(いや……俺のせいじゃ……だが素晴らしい感触だった)
俺は、まだはっきりと体に残っているあの素晴らしい感触を、しっかり心のメモリーに刻み込みながら、そのまま、灰色の空間の出口まで吹き飛ばされていったのだった。
* * *
キリモミしながら空間の出口を飛び出した俺は、地面に顔面から突っ込んだ。
「ぶべぇぇぇ!?」
何とも情けない声を出しながらも、俺は地獄の異空間から脱出できたことに安堵した。
(首がもげそうな衝撃を受けたが……何よりも地面があることがありがたいよ)
しみじみと、久々の地面に愛おしさを感じていると、アリシアが心配そうな顔で俺の顔を覗く。
「すみません……殿方とこのように密着したことがなかったので、とてもびっくりしてしまって。」
俺は慌てて弁解をしようとした。
(いえ……俺も、アリシアみたいな美人と密着したことがなかったので、嬉し……いや、びっくりしてしまったんです。)
「いやーなんといいますか、これはもう至福の瞬間でしたなぁ……またこんなチャンスがあったら是非お願いしたいと……」
(……って、逆うぅぅぅぅ!?)
俺は、見事に建前ではなく本音を喋ってしまい、アリシアの顔がまた真っ赤になる。
(き……気まずい……)
とりあえずこの状況を変えるために仕事に入ろうと思って、俺は周囲を見渡した。
(どうやら俺達は丁度、村の入り口に転移したようだ。)
周囲には畑と山、そして近くを流れる川が見える。
畑は、あまり多くの種類の作物を作っていないようで、麦のような植物と数種類の野菜を作っているだけのようだった。
村にある木で作られた家々は釘で立付けられていて、屋根は藁ぶきのようだ。
家々には農具が立てかけられており、手入れもしっかりとされている。
(一つだけ、違和感があるとすれば……)
村人が怯えた顔でに俺のほうを見ていることだ。
一人の村人が俺を指さして叫んだ。
「村に凶悪な魔物が来たぞ! 急ぎ城に連絡をして勇者様を呼ぶんだ。」
(ちょ……まだ何もしてないじゃないか!? なんだってこんなことになるんだ。」
俺はなるべく優しげな顔で、村人に話しかける。
「いえ……俺は別に怪しいものではなく、魔王様よりこの……」
村の老女が俺の言葉をさえぎって甲高い悲鳴を上げる。
「ひいぃぃぃ!? 平和になって五百年……このような恐ろしい威圧感を発する魔物が村に現れるなんて……スライムの暴走は、この災厄の前触れだったに違いないわ。」
(人の話を聞かない婆さんだな。俺は、こんなにも無害そうな堕天使なんだけどなぁ……って、俺の翼ってそんなに黒いのかな?)
俺はちらりと自分の背中側を見てみると、見事な漆黒の翼が目に入った。
(おおー中々に格好良いじゃないか! 日の光の角度によっては瑠璃色のような輝きをしている。)
俺が呑気にそんなことを考えていると、アリシアが急いで駆け寄ってくる。
彼女は俺を庇うように前に立った後、凛々しい顔で村人に伝えた。
「我が名はアリシア、魔王ルキフェル様より遣われし使者です。村長に取り次ぎなさい。」
村人が、慌てて村長を呼びに走る中、アリシアは寂しそうな顔で俺に告げる。
「ケイも翼をしまってください。その状態では身に纏う魔力が大きすぎて、人間に威圧感を与えてしまうのです。王都に近いようなところでは強力な魔物自体が少ないため、そのような姿をしていると恐れられてしまうんですよ。」
(確かに……いつの間にか、アリシアの翼は消えている。)
俺は今更ながらに、アリシアの背中に生えていた翼が消えていることに気付いた。
「えーと……申し訳ない。翼ってどうやってしまえばいいのかな?」
「あ……すみません、教えてなかったですね。先ほどの逆で放った魔力を体に戻す感じですね。」
俺はアリシアの言うとおりに、発した魔力を体に取り込むようなイメージをする。
(なんとなく、腹式呼吸みたいな感じに近いな)
すると、体から溢れるように感じていた力が、静かに体に戻っていくように感じた。
俺の姿を見たアリシアが優しく笑いかける。
「ケイは理解が早いですね。」
そして、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい……ケイは、まだ転生したばかりで何も分からないはずなのに、勝手に色々と進めてしまって。」
俺は静かに首を振って優しくアリシアに話しかける。
「俺が実際に村を見に行きたいって頼んだんだ。アリシアは、それに全力で答えてくれているだけのことさ。何も申し訳なさそうな顔をする必要はないんだよ。」
それを聞いたアリシアが、花が開いたような笑顔になって俺の手を取った。
「やはりケイは良い方ですね。お父様が言っていた通りでした。」
俺は悪い予感が脳裏によぎり、記憶の糸をたどっていく。
(お父様って誰だ……アリシアのお父さんとなんて面識がないぞ? フォラスは、お嬢様と呼んでいたから違いそうだし……まさか!?)
アリシアが不思議そうな顔で俺を見つめる中、慌ててこちらに駆け寄ってくる村長によって、俺のその考えは中断させられるのだった。