閑話)フェンリルの回想1
ルキフェル様から俺達に新しい転生者の処遇を伝えられた時、思わず自分の耳を疑った。
――ケイという名の転生者が魔王軍の管理者になる。
糞爺は『今回の転生者は今までの者とは違う』と言って、俺達に水晶玉を見せつけた。
俺たちの頭を悩ませていたクロノス周辺のいざこざを平和的に解決した上に、アリシア様が人間の転生者とトラブルを引き起こしそうになったのを、身を挺して防いだというのである。
映像を見れば、確かにアリシア様の為に身を投げ出しているようには見える。
だが、自分が不老不死で自己再生の肉体を持っているから、何とかなると高を括っていたかもしれないのだ。
とてもじゃないが、それだけでは信頼するには当たらなかった。
――だから俺は一計を案じることにした。
今までの転生者は性格は最悪だったが、一流の武術や魔法の達人ばかりだった。
就任式の時に不意打ちをして思いっきり恥をかかせてやれば、そいつは馬脚を現すに違いない。
そう思って、思いっきり奴に一撃をかましてやったのだ。
だが、まったくと言っていいほど、そいつは弱っちい奴だった。
周りの奴らは、腕試しをしてみたというと納得していたが、アリシア様は非常に激怒され、俺を激しく叱責した。
アリシア様曰く、平和な世界で生きてきたそうで、武術や魔法は全く使えない。
しかも痛覚無効がないから、ダメージをダイレクトに感じてしまうらしい。
――力なきものに俺達をどう管理させるというのだ?
俺はますますルキフェル様のお考えが分からなくなり、混乱した。
アリシア様の怒りも大きかったため、俺は仕方なく転生者に会ってどんな奴かを見極めようとした。
話してみた印象としては、平和な世界でぬくぬくと生きてきた甘ちゃんで、きっとアリシア様が《男殺し》ということをも軽く見て、外面だけ見て惚れているだけだと思った。
俺の容姿をべた褒めするところからして、こいつは軽い奴だと確信してアリシア様のことに触れてみたが、あいつは激昂して俺に殴りかかってきた。
――蚊の鳴くような弱々しい拳だが、なぜか物凄く心に響いた。
俺は、それがなんだか分からぬまま、最初は苛立ちを紛らわせるかのように転生者を嬲った。
だが、奴は痛みがあるはずなのに全くひるむ様子がない。
アリシア様が思わず止めに入ったが、彼女を必死で守ろうとしているのがありありと見えてくる。
思わず俺は気圧されたが、逆にそれが気に食わなかった。
――実力がないものがいくら吠えたところで、負け犬の遠吠えに過ぎない。
俺は完膚なきまでに奴を叩きのめして、心を折ってやろうと思った。
視界を奪い、闇の中で体を切り刻まれる恐怖を与えて、どこまで耐えられるのかが楽しみだった。
だが、奴の心は折れないどころか、想いだけでとんでもない力を引き出した。
形こそ不定形だが、アリシア様をただ護りたいという気持ちが力を通じて痛いほどに伝わってくる。
俺はその時になって、自分の考えが根本から間違っていたことに気付いた。
――あいつはアリシア様のことを本当に愛しているんだと。
そして、それが本当であればアリシア様の《男殺し》の噂が本当であるはずがないということにも気づいてしまった。
あれほどの思いを持っている者が、自分の人生に対して矜持を持っていないはずがない。
もし、道半ばで命を奪われたとすれば、アリシア様のことを激しく憎んていてもしょうがないはずなのだ。
そして、俺は自分の考えが誤っていたことを謝罪して、彼が快くそれを受けた時にこう思った。
――《男殺し》が本当であっても、彼ならば気にせずにあの方を愛するのだろう。
* * *
それからすぐに、ルキフェル様から呼び出しを受け、ケイを鍛えてやってほしいと頼まれた。
今回の件の罪滅ぼしもできると思って俺は受けることにしたが、あいつはいつも俺の予想を超えていった。
――ケイに剣の才能がないことにはすぐに気づいていた。
だが、才能がない時にどう修練に臨むかで、そいつの根性が分かる。
だから、あえてさらに厳しめの修練を積ませていたが、あいつは文句ひとつ言わずにすべてこなしていた。
そして、才能がないなりにしっかりと相手の動きを見て回避と防御をするようにしていたのである。
こいつは面白いと思って、リオンにあえて防御魔法を教えないように指示をした。
こういった武術は痛みを覚えながら、間違いを正すほうが上達が早いからだ。
――そして、最強の斧槍を具現化した時は思わず体が震えた。
俺たちの世界では禁忌とされるものを生み出せた上にとてつもない魔力を有していると知った時、ルキフェル様があいつをどれだけ信頼しているかが分かった。
あの力を悪用すれば、とんでもない災厄を引き起こす。
それが分かっていて、ケイを鍛えるために俺に託したとすれば、俺もルキフェル様に信頼されているのだろうと思い、嬉しい気持ちになった。
斧槍を具現化したケイは想像以上に強かった。
だが、そこで天狗にさせてはいけないと、部下達には本気で殺す気でやれと伝えておいた。
この世界では基本的に殺し合いはご法度だ。
ケイの鼻をへし折るのと部下の実戦教育ができるという一石二鳥の案は、俺にとってはとてもありがたいものだったのだ。
――だが、ケイは際限なく強くなっていく。
死地に追い込まれた戦士は強くなると伝承で聞いていたが、その伝承通りにケイは恐ろしい速さで強くなっていった。
しかも、最初は腕一本飛ばされただけで気絶していたのに、痛みに耐え続けたせいか、明らかに常人が死ぬというところまで痛めつけられなければ気絶しなっていく。
そして、ついにはリオンから一本取るまでの腕前になってしまった。
最初は、ケイが幹部待遇なのを不思議だと言っていた部下達も、彼の成長を見て誰もそんなことを言えなくなった。
最終的にはリオンでも相手がきつくなってきたので、俺が相手をするようになった。
この世界では、俺が本気で技を使えば大概の相手は死んでしまう。
だが、ケイが相手ならば俺も遠慮なく力を出すことができるので、存外に楽しい時間を過ごすことができた。
――そして、ついに本気でケイと立ち合う日がやってきた。
アレトゥーサとの見合いの件は半分本気で、半分建前だった。
実のところを言えば俺自身が、ケイと全力で立ち合ってみたいと考えていたのだ。
実際に戦ってみると、俺の動きについてきたことに舌を巻いた。
さらに、何度も立ち上がってくるところにも驚きを覚えた。
そして、アリシア様の声援をもとにあいつが斧槍を輝かせた時、リオンとの立ち合いですら出したことのない、《黄金の牙》を彼に放つことに決めたのだ。
結局、ケイは期待通りに俺の《黄金の牙》を打ち破って強烈な一撃を俺の腹にぶち当てた。
面にこそは出さなかったが、あの一撃はかなり効いた。
初めに食らった蚊の鳴くような拳がここまで育ったかと思うと、感慨深いものを感じると共にルキフェル様があいつに期待したわけだと妙に納得したのだった。
* * *
そこまで思い出していたところで、俺は傍らで眠るアレトゥーサの顔を見て微笑んだ。
こんな風に幸せな結婚をするだなんて、考えたことはなかった。
俺は、アレトゥーサの頭を優しく撫でながら、親父達のことやケイが解決していった問題について思い出すのだった。