美人さんとの初仕事
(くそっ、悪夢をみたような気持ちだ……というか、今は現実が悪夢か?)
溶岩に焼き尽くされて、見事に意識を持っていかれた俺は、柔らかいソファーの上に寝かされていた。
ぼんやりとした頭で周囲を見渡すと、藍色のカーテンに立派な栗色の机が見える。
きっちりと整理整頓はされていて、壁に立派な剣や盾が飾られており、映画で見た騎士の部屋のようにも感じた。
そして、椅子にはあの美人さんが、調度品のような美しさで座っている。
白銀色に輝く髪は黒色の髪留めで一本に結わえられ、そして紅色の瞳は宝石のように美しく輝いていた。
鼻筋が通った顔に薄紅色の唇は、水晶玉で見たとおりの美しさだ……ただ、あの時は凛とした顔に見えたのに、実際に見てみると案外可愛らしいお嬢さんのように見える。
(思ったより若く見えるな……十八ぐらいにしか見えないぞ)
服装こそ、漆黒のベストとスラックスといった男装風だが、要所要所で女性らしい見事なカーブを描いているところが何とも煽情的な感じだ。
(しかし、なんというか……箱入りのお嬢様という感じがして、なんか新鮮だなぁ)
彼女がこちらへ振り向いた。
どうやら、俺が目を覚ましたことに気付いたようで、声をかけてくる。
「気が付かれましたね。堕天使とはいえ、溶岩にあれだけ焼かれても無事なんてすごいです。ケイ……と申しましたか? 私はアリシアと申します。これからよろしく頼みますね。」
アリシアが手を差し出してきたので、俺はその手を優しく握る。
(や……柔けえ……工場男子のカッチカッチの手とは全く違うぞ!? これがおなごの手の感触か……)
思えば、イケメンでもない俺は、前世でこんな風に課内にいる女の子の手を触ったら、即セクハラで騒がれるデンジャラスな世知辛い世界にいた……
――ああ、頭の中で劇的●フォー何とかのナレーションが流れてくるようだ。
(なんということでしょう! イケメンにリメイクされた毒男が、普通に美人の手を握れるようになりました)
俺は今更ながらに、異世界に転生したことを実感していた。
アリシアが怪訝な顔で俺を見ながら、深く頭を下げる。
「先ほどはすみませんでした……あの通路は、基本的に侵入者しか通らないんです。だから、不審者が侵入したのかと思って攻撃してしまいました。」
俺は、素直に謝るアリシアに好感を持った。
「いいんです。俺も不用意でした。あのくそじじぃ……いえ、フォラスの言うことを素直に信じた俺が悪かったんです。」
アリシアが一瞬キョトンとした顔をした後に、大笑いした。
「ケイ……貴方ったら、あの悪魔の言うことを真っ正直に信じたんですか? 悪魔は誘惑が上手だから話半分に信じながら、自分でしっかりと判断しないといけませんよ。」
(笑ったら物凄く可愛い……俺、平常心で仕事できるのかな?)
アリシアの笑顔にドギマギしながら、俺は正直に答える。
「そ……そうなんですか? 俺の知識面での教育係と聞いていたので、しっかり話を聞いておかないとと思っていたんです。」
「ええ……確かに、あの悪魔は基本的には人間好きです。でも、ちょっと面白そうなことがあると、自分の探求心中心で物事を進めるから、気を付けておいたほうが良いですよ。あと……」
アリシアが俺の手をじっと見つめて、困ったような顔をしている。
俺は彼女の手をガッチリと握りしめ、全く離していないことに気が付いた。
慌てて俺は手を放して弁明した。
「あわわわ……すみません。余りにも綺麗で柔らかかったもので、離すのを忘れていました。」
アリシアは慌てる俺を微笑ましげに見た後に、真面目な顔で話し始める。
「それでは、仕事の話を始めたいのですが……よろしいでしょうか?」
俺も真面目な顔をして頷くと、彼女は現在の世界の状況を語りだした。
* * *
この世界は天界と地上に分かれおり、天界には神々の僕である天使、地上には魔物達がそれぞれ暮らしていた。
天界の神々は戯れに、地上で暮らすことに適した人間を作ったが、あまりにも良く出来すぎてしまった為、彼らに愛着がわいてしまい、人間の為に国を作りたくなった。
だが、その当時天使長だったルキフェルは、人間の為に地上の魔物を打ち滅ぼすという任務を進める中、魔物にも愛すべき心があることに気づいてしまったのだ。
彼は堕天して魔王となり、身を挺して地上にいる魔物を守ろうとして、人間との協定を結ぶべく、北西の地≪ヘルセポネ≫周辺に強大な力を持つ魔物を集め、自身の管理下に収めていく。
当然のことながら、≪ヘルセポネ≫周辺は危険な魔物が多く住む魔物の楽園となったが、そこから離れれば離れるほど、無害に近い魔物を住まわせるようにルキフェルは腐心した。
最初は、ルキフェルの考え方に懐疑的で、刺客を送っていた天界の者達も、ここに至ってルキフェルが人間の国を尊重しながらも魔物を守りたいという心に気づく。
そのため、天界に残った天使達は、人を≪ヘルセポネ≫から離れた比較的安全な南東の土地に導いて、王都を築かせた。
こうして五百年間の平和が地上に訪れたのだった。
現在は人と魔物のハーフの亜人も生まれ、表面上はとても上手くいっているように見える。
だが、五百年も経てば当初の状況を知っている人間も少なくなり、様々な土地で問題が生じ始めてしまったのだ。
ひどい場合は人間や魔物が犠牲になることもあり、このまま問題を放置すると、天界の者達が人間を守るために天界から天使や戦乙女を派兵する可能性すらある状況に追い込まれている。
そのため、ルキフェルは魔王軍と人間の間に生じている問題を穏便に解決してくれる才を持つ者を至急手に入れるべく、異世界からの転生者を求めたという次第である。
* * *
俺はアリシアの話を聞いて、ルキフェルのことを見直した。
(ルキフェルは魔物の為に、文字通り身を粉にして頑張ってきたんだな)
魔王というと極悪なイメージを持たれやすいが、彼は名実ともに王としてしっかりと自分の部下を守ろうとしていると思うと、俺はこの仕事に少しやる気が出てきた。
俺の顔を見て、アリシアは好ましげな笑顔を見せた後、スライムが引き起こしている問題について話し始めた。
「南東にある人間の王都クロノス、そこから少し離れた村でスライムの被害が続出しているそうです。元々その村では、王都から流れてくる水を使った農作や森で狩りで生計を立てていたそうですが、近年になってスライムに襲われることが増えて、畑や森に入れない状態になっているらしいのです。このままでは生活が成り立たなくなってしまうので、どうにかして欲しいということなのですよ。」
俺は、アリシアに今の話の中で気になったことを聞くことにした。
「ところで、王都から流れてくる水と聞きましたが、何か最近王都で食生活などの生活様式が変わっていませんか?」
「この前、視察に行ったときは、特にそういうことに気を払っていなかったので、気づきませんでした。」
「そうですか……あと、森の大きさは特に変わっていませんか?」
「農地のために少し切り開いたとは聞いています。」
「なるほど……村の作物について、昔と比べて何か変った点とかってないでしょうかね?」
「そういえば、この前、フォラスが教えてくれたんですが、王都のほうでとある野菜が流行っているようで、それを新しい畑で主に作り始めたと聞いています。」
そこまで話し合ったところで、アリシアが不思議そうな顔で俺を見た。
「人間の生活に何か問題があったということなんでしょうか?」
俺は彼女を真っ直ぐ見ながら首を振る。
どうやら気持ちが仕事モードに入ったようで、だんだんと頭が冴えてきた。
「そういう訳じゃないんだ。”いつも通り”にやっているつもりでも、本人が意識しない内に実は少しずつ変わってしまって、状況が変わっているということは往々にあるのさ。」
「具体的にどういう風に変わったと言うのですか? 特に何か変わったようには思えませんが。」
俺はアリシアに書く物を借りると、机に紙を広げて王宮と村、そして森と川をざっくりと書く。
「例えば、王宮からはやりの野菜の端材が川を伝って村へ流れるように変わった。」
「なるほど、食べ物の端材は確かに村へ流れます。」
「そして、森にもその川が流れていると、スライムは当然その端材を食べるよな。」
「その可能性はありますね。」
「さらに森が切り開かれると、森に棲んでいるスライムの食べるものが少なくなる。さらに、その近くの畑で例の野菜を作ったら、スライムはどうすると思う?」
アリシアがポンと自分の手を叩いて、笑顔になった。
「スライムが畑に出没するわけですね。しかも、スライムの生息域が村に近い方向に変わって行っていると言いたいと。」
俺は意を得たような顔で笑った。
「そういうことになるね。だが、これはまだ仮説にすぎないので、実際に見に行きたいんだ。」
アリシアが、訝しげな顔をして俺に聞く。
「これで十分な情報は揃っているではないのですか? 何故、わざわざ見に行かなければならないんでしょう。」
俺は真面目な顔をして彼女を諭した。
「頭で考えて打ち出した仮説は、実際と異なる場合があるんだ。そのまま適用すると、全く見当違いのことをしてしまうこともあるのさ。それに実際に見てみると、予想外の事実が出てきたりするんだよ。」
アリシアが優しい笑顔になって、俺に告げる。
「ケイの説明は分かりやすいですね。そして、それが本来の口調でしょうか。もしお嫌じゃなければ、私と話すときはその口調でお願いします。自然な顔になっていて素敵ですよ。」
俺は今更ながらに、仕事モードに入って熱弁を振るったが故に、アリシアとの距離間が近くなっていたことを思い出して、顔が熱くなってきた。
「そそそ……そうかな? それなら、これからはそうさせて……もらおうかな。」
アリシアは朗らかな笑顔で俺の手を握った。
「私とそうやって対等に話してくれる人がいなかったので、なんだか嬉しいです。それでは、行きましょ。」
(か……可愛い……というか、なんでこんな子が独り身なんだろう?)
顔全体を真っ赤にする俺を尻目に、彼女が気合を入れると空間に穴が開いた。
そしてそのまま引っ張られるように、俺はその空間に放り込まれる。
(おおー、この空間を抜ければ目的につけるのか……って、落ちるぅぅぅ!)
底がなく、どこまでも落ちていきそうな灰色の空間の中を、俺は物凄い勢いで落下していくのだった。