銘酒《糞爺フォラス》
一通りの作業を終えて、俺は宿で資料のまとめにかかった。
全体の工程図については《QC工程図(原料受け入れから出荷までの全体図)》のようなものを作成する。
簡単に言えば、作業全体を工程の流れに沿って書いていく。
そして《原料の選別》、《糖化》、《発酵》などの各工程について管理すべきことと、検査すべきことを書いていくのだ。
次に、その工程ごとに《作業手順書》を作成して、実際の作業でどんなことをするのかを記載していく。
あとは、前世では余計なものだと良く言われたが、作業をする理由についての《ストーリーブック》もついでに作っておくことにした。
(昔はパワーポイントとかで作ってたんだけど、どちらかというと現場よりも技術部や研究所の新人のほうが喜んでたんだよなぁ……)
ちなみに現場の高卒とか高専卒で上に上がっていく奴は、言われたこと以上のことを学びたがるので、俺の《ストーリーブック》を嬉々として持っていく。
そんでもって、色々と書き加えたものを返してくれたりするので、俺的には彼らが偉くなるのを心待ちにしてたんだよなぁ……
少し感慨深い気持ちになりながらも、フォラスと一緒に水晶玉の映像を編集していく。
彼は興味深げに手順書などを見ながら、俺に問いかける。
「この《QC工程図》と《作業手順書》の作り方は、ルキフェル様に報告してよいかの?」
「もちろんです。もし必要であれば、基本的な作成方法について後でまとめておきますので、それも渡しましょうかね。」
「助かるのう……鍛冶などの工房でも、こういったものを使わせてみたいのじゃ。」
「そうですね……《QC工程図》だけ先に作っておいて、少しずつ手順書作るっていうのも手かもしれないですね。」
「む……そうなのか?」
「まったく品質に対して考えてない場所で作業する場合って、個別に手順書作っても現場が混乱する場合があるんです。」
俺はQC工程図すらないような場所での対応について、フォラスに話すことにした。
* * *
《QC工程図》が作業の全体を示しているので、物を作るのに何をしているのかが一目でわかるようになる。
そうすることで、前の工程と後の工程を見ながら、どうしてその作業をするのかを考えることが出来る。
その上で、どの工程で品質を安定化させるかを考えると、作業が捗るのだ。
(どちらかというと……これはどちらかというと設計の人間がやるべきだと思うんだけどね)
例えば、頻繁に原料の産地が変更されるような場合は、原料の受け入れの検査だけでなく、《精製工程(不純物の除去)》が仕込み前にあるのか、製品完成直前にあるのかを考えて、そこをきちんと検査をするようにすれば、問題発生を防ぐことができる。
ちなみに、品質関係の部署が俺の前世のようにヒエラルキー的に低い場合は、大体の場合はこちらに隠して勝手に変更した後、どうしようもなくなってから泣きついてくるんだけどね。
だからこそ、俺みたいに横の繋がりを強めてイレギュラーな方法でパワーバランスを崩すっていう手もあるが、会社に人生かける気がある人だけが出来る手段なので、素人にはお勧めできない。
まあ、俺が確実に言えることは一つだ……
――絶対に外せない要点は守らせて、そこを変える場合は連絡をさせる。
どんなに品質に関する意識がひどい所でも、それくらいならやってくれる場合が多い。
なぜなら、そこに手を出せば不良品ができると分かっていて、それを勝手に変えるのは責任問題になると誰もが分かるからだ。
ついでに、勝手に変えた場合は《自社なら懲戒処分と見せしめの掲示》、《取引先なら賠償契約》といった感じの脅しをしておくと、よっぽどのことがない限りは変更はしない。
余談だが、品管が工場を巡回する場合、現場に不具合を巧妙に隠されていた場合は、巡回した品管が気づかなかったのせいにされるので、気を付けたほうが良いとだけは言っておこう。
* * *
そこまで話した後に、俺はフォラスに忠告する。
「確かに標準化というのは有効な手段ですが、物事の基本を定めたものだと考えて欲しいのです。汎用的に作るものについてはそれでよいのですが、今回のような酒のような場合、原料の質によっていろいろなものが左右されやすいです。それがどのように影響するかの資料を作ることも、品質を維持するための大事な作業だと思います。」
彼が頷く中、俺はもう一つ付け加えた。
「アレトゥーサみたいに才に恵まれた者は、特にそういったものを知ったうえで色々と条件を変えた物を作ると、素晴らしい酒が造れるでしょうね……まあ、世の中にはそんなことを知らなくても出来てしまう天才もいますけどね。」
アリシアが微笑して、俺に話しかけてきた。
「ケイは彼女のことを買っているようですね。」
「シレーニの後継者として考えるなら、あれほどの適任者はいないんじゃないかな。彼の酒に惚れ込んでいて、その良し悪しが分かるからね。」
「そうですね、根は素直で良い方のようですものね。」
そのとき、下からアレトゥーサの怒声が聞こえてきた。
「誰が男なんて好きになるもんですか!? アリシア様の婚約者ぐらいの人を連れてくるならまだしも、こんな奴らに身を捧げるなんて絶対に嫌よ!」
俺とアリシアは顔を見合わせて、フォラスと共に一階へ降りるのだった。
* * *
一階に降りると、アレトゥーサが俺に飛びついて後ろに隠れた。
「ケイさん、助けてください! 私……あの人達に……」
(うおぉぉぉぉ!? 何かよくわからないがものすごい柔らかい感触が!)
だが、その感触に浸る時間は一瞬で終わり、魔物の男達が俺ににじり寄る。
「まさか……おめえがアレトゥーサの結婚相手か?」
「うそだろ……アリシア様がいながら浮気するだなんて!?」
「確かに美貌の持ち主だが、男嫌いのあいつを落とすなんて……」
まったく状況が呑み込めない中、シレーニが俺に近づいてくる。
「ケイ、俺の娘はおめえ以外は嫌だってんだ。妾でもいいから貰ってくれねえか?」
俺は慌てて、首を振って否定する。
「ちょ……意味が分からないですよ! 何がどうなっているんですか!?」
フォラスが笑みを浮かべて俺に告げる。
「あれじゃろ……無意識のうちに、ケイがアレトゥーサを口説いたんじゃろう? 彼女は健気にも、それを本気にしたのかもしれないのう……」
俺は思わずフォラスを叱り飛ばした。
「糞爺が!? 言って良い冗談と悪い冗談がわからないのか!」
アリシアが呆然と立ち尽くし、力なく崩れ落ちてしまう。
俺は慌てて彼女を強く抱きしめて、真摯に話しかける。
「アリシア…俺は君のことを愛している。そして、君自身は気づいていないかもしれないけど、とても良いところが一杯ある。誰よりも純真な心を持っているし、その……なんというか一緒にいて幸せな気持ちになれるんだ。だから、君以外の女性を好きになるだなんてことはあり得ないんだよ。」
アレトゥーサが俺に縋りつきながら、上目遣いで見てくる。
俺は複雑な気持ちで彼女に謝罪した。
「俺が、勘違いさせるようなことを言ってしまったが為に、多大な迷惑をかけてしまって申し訳ない。君はとても良い子だから……きっと良い人が見つかると思う、本当にごめん。」
アレトゥーサが俺の頬にキスをした後、勝ち誇った顔でシレーニに向かって叫んだ。
「やっぱりケイさんは誠実な人ね……賭けは私の勝ちよ!」
周囲の魔族が歓声を上げて、俺とアリシアを称賛する。
アレトゥーサが俺とアリシアに深く頭を下げた。
「ありがとうケイさん……やっぱり貴方は私の思った通りの人だったわ。」
俺は呆けた顔でアレトゥーサに問いかける。
「へっ……何? どういうこと!?」
アレトゥーサがフォラスを指さして、満面の笑みで告げる。
「お父さんとフォラス様がね、私がケイさんに横恋慕するようなそぶりをしたら、間違いなく手を出すという言ったの。私はそんなことはないって反論したんだけど……あまりにしつこいから、街中の人たちを巻き込んで賭けをすることにしたのよ。」
ホッとした俺はアリシアを思いっきり抱きしめた。
だが、彼女は恥じるように目を伏せる。
「ケイがこんなにも私のことを思ってくれているというのに……私は貴方に見せる顔がありません。」
俺は優しくアリシアを見つめながら彼女を諭した。
「俺、思うんだけどさ……付き合うっていうのはあくまで始まりであって、その後の思い出って二人で作っていくものだと思うんだ。あと、過去は現在の鏡みたいなもんでさ……将来二人で幸せになれれば、今の嫌な気持ちだって、きっと素敵な記憶にできるんじゃないかな?」
アリシアが嬉しそうな顔で頷いた後、キッとフォラスとシレーニを睨んだ。
「ですが……私の彼氏を貶めようとしたことについては、責任を取っていただきます。」
ルキフェルのような恐ろしい威圧感を醸し出した彼女は、シレーニに耳打ちをする。
「なるほどな……それはおもしれえ罰だ。アリシア様は、洒落が利いているねぇ。」
シレーニは酒場中に聞こえる声で宣言した。
「ちょうどこれから出そうと思っていた新酒の名前は《糞爺フォラス》と《色欲の獣シレーニ》だ。腕によりを込めて開発した酒だから、てめえら試飲してみてくれよ!」
フォラスが慌ててアリシアに取りすがる。
「お嬢様……それはあまりにもご無体な。儂が一体何をしたというのですじゃ。」
アリシアは冷たい目でフォラスを射抜いた。
「黙りなさい! 私達の愛を試すなんて馬鹿なことをした罰です。」
シレーニが笑みを浮かべてフォラスに告げる。
「しっかりとラベルには、『他人の娘をけしかけて、主人の愛を試そうとする糞爺』と書いておいてやるので楽しみにしてくれよ。」
アリシアが俺に近づいてきて、口づけをした。
「ケイはロマンチックな時とそうでないときの差が激しいですが……そんなところも好きですよ。」
周囲の者が俺達を囃し立てる中、アレトゥーサが笑顔で叫んだ。
「賭けに負けた人たちは、きっちりとケイ様とアリシア様に食事と酒をおごるのよ! 今夜は皆で楽しみましょう。」
結局その日は、いろいろな酒や料理をたらふく頂いて、俺とアリシアは幸せな気持ちで自分の部屋に戻ったのだった。
* * *
アリシアが寝る前に俺にキスをして、嬉しそうな顔でベッドに戻っていく。
「今日、ケイが言ってくれた《付き合いが始まりで二人で思い出を作る》ってお話、ずっと覚えておきますね。私の宝物にします。」
そして酔いが回っていたのか、すぐに彼女は寝息を立ててしまった。
俺は、彼女の頭を優しく撫でてささやく。
「俺にとっては、君とこうして過ごしている時間すべてが宝物だよ。」
なんだか気恥ずかしい気持ちになったけれど、俺は自分のベッドに戻り、騒がしかった今日一日の疲れをいやすことにするのだった。
――余談だが、試飲した新酒の《糞爺フォラス》は素晴らしい味だ。
名前もさることながら絶妙にうまい酒だった為、そう遠くないうちにフォラスの悪行が地上中に広まるだろうと俺は確信している。