酒蔵での作業
次の日から俺とアリシアは酒蔵での作業を手伝い始める。
――まずは原料の選別と糖化からだ。
酒蔵の原料の受け入れでは、焼酎のような蒸留酒は原料の傷み具合を目視で確認していく。
例えば、さつま芋のような原料の場合は、傷んでいるとその部分がコルクみたいなってしまって、酒が思いっきりまずくなる。そういったものを取り分けるのはとても重要だ。
傷んだ原料を取り除いたら、細かく切って蒸してやる。
そうすることで芋のでんぷんが糖に代わるのだ。
また、ウィスキーのような蒸留酒は、麦の発芽を見るのが肝要だ。
大麦とかを原料とする場合は、発芽しているかどうかをしっかりと目視で確認しておく必要がある。
袋全体を一度かき回した後に、コップ一杯ほどの麦を取り出して発芽しているかを見るのだ。
発芽した大麦には酵素が含まれており、それのおかげで水に浸けると大麦のデンプンが糖に変わっていく。
こういった作業をしっかりしておかなければ、酒自体に渋みが出たり、デンプンが糖化せずに次の発酵に移ることができないからだ。
――発酵では温度管理と菌の働き具合を見るのが重要だ。
温度が高すぎても低すぎても、菌は適切に働いてくれない。
糖がアルコールに変わると、炭酸ガスが出てくるので発泡しているところを検査するのもよいかもしれない。
時間的には通常は五日程度だが、若干のずれがあるので四日目ぐらいから検査をするようにすると、スムーズに次の工程に移れるだろう。
ここまで作業をしたところで俺は、今回の工程については標準化できるところと出来ないところがあることを強く感じた。
(《官能検査(五感を使って検査)》が多いから、それ以外を標準化するかな)
原料の選別方法とかは見たほうが早いので、水晶玉に撮った映像と解説用にメモったことをまとめた書面を作成する。
糖化については、原料を蒸す時間や加水の量について手順書を作る。
そして、発酵については、毎日発酵のタンクの発泡状態の確認をするのと、四日目から出来栄えの確認をするような形に手順書を書くようにした。
もちろん、なぜ糖化や発泡するのかを書いておくのも忘れてはいけない。
理由が分からずに《勝手にやらなくてもよいだろう』と判断して、作業を端折ることの防止になるからだ。
* * *
そこまで仕上げたところで、シレーニへ手順をまとめた書面と水晶玉に移した映像を見てもらった。
彼は満足げに頷いて、笑みを浮かべた。
「なるほどな……感覚でやるところは俺がきっちり仕込んで、そうじゃねえところはきっちり守らせるっていうことだな。この、『なんでそうするのか』をまとめてあるのは目から鱗だ。確かに俺にとっては当たり前だが、そうでない奴らは気づけねえのかもしれないがな。」
そして俺の尻を撫でまわして、もう一方の手でハアハア言いながら頭を撫でる。
「おめえはたまらなくいい男だな。今晩、俺の嫁さんと一緒に閨に来ねえか? 何ならアリシア様も一緒でも構わねえぜ。」
(いやぁぁぁぁぁ!? どうあがいても掘られるコースじゃねーか!)
アリシアが強引に俺を引っ張って抱き寄せ、シレーニを鋭く睨んだ。
「シレーニさん……仕事中ですよ! そんなことをしてはいけません。」
シレーニはニタニタ笑いながらアリシアに問いかける。
「仕事中じゃなければいいのですかい?」
「駄目に決まってるじゃないですか!? どうしてそういう破廉恥な考えになるんですか。」
フォラスがアリシアを宥めながら、俺に訊ねる。
「お嬢様、落ち着いて下され……そういえば、どうしてケイはすぐに酒の作り方を理解できるのじゃ? ここで働いているサテュロスよりも数倍速い気がするのじゃが。」
シレーニの興味がそちらに移り、不思議そうな顔で俺を見ている。
「それは、体系的に工程を捉えているからじゃないでしょうか。まず初めにどういう風に作るのかを理解する。その次に実際の作業でどうしているのかを知る。その上で、何が正しくて何が駄目なのかを判別出来るようになる。その時に、なぜその作業をしているのかを考えながら覚えることが肝要なんです。」
(まあ、工場での現場研修ってそういう理由なんだけど……なかなかそれが理解してもらえないっていう点では、俺もシレーニと同じだったのかもしれないけどね)
シレーニは何か納得したような顔をして俺に頭を下げる。
「なるほどな……おめえはそれを理解しているからこそ、さっきみてえな資料を作ることができるってことだな。」
俺は静かに頷くと、彼に笑いかけた。
「とは言っても、シレーニの教え方は上手だと思いますよ。あとは、その理由を理解できるかどうかの問題だと思います。」
「いっそのこと、ケイが俺の酒蔵を継ぐ気はねえか? おめえみたいな奴だったら俺は大歓迎だぜ。何なら俺と嫁さんとの濃密な時間もつけてやるが……」
アリシアが俺の前に立って全力でそれを拒否する。
「駄目です! ケイは魔王軍の管理者として、私と一緒に地上の平和を守るっていう大事な仕事があるんです。」
シレーニは笑みを浮かべて彼女に告げる。
「分かってるよ……ちょっとからかっただけだ。しかし、あれだな……噂なんて言うのは当てにならねえもんだ。《男殺し》なんていう二つ名がどうして生まれたかは知らねえが、実際にこうして一緒に仕事してりゃあ、初心な少女のようにしか見えねえよ。」
その時、醸造所の扉が開いて、如何にも気が強そうな《ナイアス》が入ってきた。
サルマキスに似て、美しい黒髪に抜けるような白い肌だ。
だが、彼女はどことなく異性に対する嫌悪感をもっているように見えた。
シレーニは目を細めながら、彼女に話しかける。
「アレトゥーサ……遅かったじゃないか。こちらは魔王軍の管理者のケイ殿とアリシア様だ。」
アレトゥーサは、アリシアの名前を聞いて少し眉をひそめた。
「父さん……まさか、アリシア様に手を出していないでしょうね?」
「いや……俺はどちらかというと、こっちのケイのほうが好みなんだよなぁ。」
「やめてよ!? そういうのは汚らわしいって、何度も言っているじゃないの。」
「おめえは分かってねえよなぁ……俺とサルマキスの娘がどうしてこんな堅物に育っちまったのか、不思議でしょうがねえぜ。」
(間違いなく、シレーニとサルマキスのせいだと思います)
きっと親の振る舞いを反面教師にしたんだろうと思いながら、遠い目で二人のやり取りを見ていると、シレーニが俺を指さしてアレトゥーサに告げる。
「アレトゥーサ……明日から、おめえはケイとアリシア様と一緒に、ここで働いてもらうからな。」
アレトゥーサは驚いて、必死で反論する。
「なんで私が《黒の下着好きの性欲の塊》と噂される奴なんかと一緒に仕事しなくちゃいけないのよ! 絶対にお断り……というか、父さんと一緒に仕事できる時点で、あのケイって奴はセクハラ好きなんじゃないの?」
(えっ……なんでこんなところまでそんな情報が?)
フォラスが意味ありげな笑いをしながら俺に告げる。
「そりゃあ、《キキーモラ》や《シルキー》はあちこちに出張しておるからのう……そういった醜聞は、ちょっとだけ強調されて地上中に広まるってものじゃよ。」
(うそおぉぉぉん!? 世界規模で俺の性癖が露わに……)
ショックを受けた俺を、アリシアが優しく慰める。
結局、二時間ほどかけてアレトゥーサの誤解を解くことになるのだが、その後も彼女は俺と目をなかなか合わせてくれなかったのだった。




