廊下の罠
再び意識を取り戻した俺は、爺に呆れ顔で見られていた。
フォラスは静かに首を振りながら、俺に話しかけてくる。
「情けないのう……お前の前世にも、腕の一本や二本位飛ばした者がいるだろうて。」
「確かに、回転機のところで作業着ちゃんと着てなかった奴が腕巻き込まれたりとか、メンテの時にブレーカー落とせって言ってるのに、きちんとやらなかったせいで腕がきっちりプレスされたりとか……」
俺はそこまで思い出したところで、はっきりと意識を取り戻した。
「……って、それはダメな奴だ! そういうのをなくすのが俺の仕事であって、それが普通じゃ駄目なんです。」
フォラスは俺を興味深げに観察した後に、手に持っていた杖から刀を抜いて一閃した。
(仕込み杖かよ……)
と、思った後から急激に手首の先が熱くなって痛みを感じ始めた。
俺は痛みの先を見て思わず叫んだ。
――俺の右手が無くなっている。
「俺の手があぁぁぁ!? なんてことをしやがる、爺!」
フォラスは笑みを浮かべて私を見る。
「爺ではない……フォラスという名が儂にはある。どうやらこれくらいでは意識を失わないようだな。」
(あれ? 血が出てこない。どういうことだ)
三十秒しないうちに、俺の右手は元通りに戻っていた。
先ほどまで感じていた痛みも全く無くなっていて、普通に手のひらから指先まで動かせる。
フォラスは私の肩を優しく叩いて、諭した。
「お前さんの痛みっていうのは、前世の常識からきているもんが大きい。だがな……本当は問題ないということが分かれば、そういった痛みはだんだん薄れてくる。最後はそんなのはどうということもないということで、痛みを感じなくなるというわけなのさ。」
俺は、フォラスが言いたいことが分かった。
「なるほど……慣れろっていうのはこういうことなんですね。俺も昔聞いたことがあります。人間が痛みを感じるのは、生命に危機が訪れるのと感じるための危険信号だということを。」
フォラスは満足げに頷くと、優しげな眼で俺を見た。
「魔王様から聞いたが、お前さんの考え方は嫌いじゃない。せいぜい頑張るんだな。」
(案外良い奴じゃないか……爺さん、怒ってすまなかったな)
俺はフォラスのことを少し見直し始める。
――だが、やっぱりフォラスは糞爺だった。
「と、言うことでな……次は腕一本当たりいってみるかの?」
「ウデエェェェェ!?」
俺が必死でフォラスを説得していると、ルキフェルがあの美人さんを連れて部屋に入ってきた。
「ケイ、ちょっといいかな? これがお前と一緒に働く……」
美人さんに目を奪われた俺は、フォラスに見事に左腕を切り飛ばされて、そのまま意識を失いかける。
(ああ……実物見るとやっぱり美人だなぁ……)
だが俺は、ここでそのまま倒れる男ではない。
必死で意識をつなぎ留めながら、これだけはしっかりと伝えた。
「初めまして、ケイと申します。彼女は絶賛募集中です。」
美人さんが呆れたような顔で俺を一瞥する。
「私を口説こうとする、怖いもの知らずを初めて見ました……って、気絶しちゃいましたね。大丈夫なんですか、この人?」
ルキフェルは困ったような顔でフォラスを窘める。
「ケイはまだ痛みに慣れていないんだ。あまり無茶をしないでくれ。」
そして彼女に指示をした。
「彼と一緒に例のスライムの件を片付けてはくれないか? まずはそれで力量を図るということでどうかね。」
彼女は静かに頷いて、自分を口説いた直後に気絶していた者を見る。
「彼が口だけでないかどうかを、まずは見させてもらいます。その上で、私と一緒に仕事をするべき人か判断させてください。」
そして、フォラスに言伝を残して部屋を出て行くのだった。
* * *
――俺はこの世界に転生してから何度気を失う羽目になったのだろうか?
一度、二度……いや、それ以上だ。
それもこれも、すべてあの糞爺のせいだ。
俺は、再び目を覚ましたらあの爺に何らかの復讐をしてやると思いながら目を開けると、その本人が俺の顔を覗き込んでいた。
「ひゃぁぁぁ!? ジジイ……ナンデ、ジジイ!」
我ながら訳のわかないことを叫んでしまったが、これ以上何かされたら堪ったもんじゃない。
予想に反して、フォラスは俺の肩を優しく叩きながら静かに告げる。
「お嬢様がお待ちだぞ。”れでぃ”をあまり待たせるものじゃないな。」
(なんか爺さんが言うと、和製英語っぽい響きになるんだよなぁ……)
それはともかく、美人さんに会えるということで、俺は笑顔になってフォラスのあとに続いた。
部屋の扉は思ったよりも良い作りだと押してみて気づいた。
(かなり重いはずなのに滑りが良い……これは、きっちりと手入れされなければ出来ないものだな)
そして、廊下に出ると、薄暗いながらもしっかりと清掃されている。
(案外、ルキフェルは部下をしっかり管理しているのかもしれないな)
俺は感心しながら、廊下を歩くと一瞬違和感を感じた。
「このタイルだけ、なにか感じが違いますが、劣化でもしているのですか?」
フォラスは微笑して俺に告げる。
「よくわかったのう? これを踏むとな……」
(あ……なんか嫌な予感がする)
フォラスがそのままタイルを踏むと、四方八方から弓矢が飛んできた。
老人のような見た目の彼の何処にこんな身軽さがあるのか、見事な動きでひょいひょいと矢を躱していく。
俺は必死で矢を躱すが、何本かが腕や足に刺さった。
(痛てぇぇぇ! この爺、わざとやっているに違いない)
気絶するほどのものではなかったが、痛いものは痛いのだ。
俺が恨めしげな眼でフォラスを見つめると、爺は笑みを浮かべながら俺に言った。
「このように矢が飛んでくるんじゃよ。そそっかしいものはよくこれを踏むのじゃが、よく気付いたのう。前世でシーフの修練でもしておったのかな?」
俺は静かに首を振ると、床の微妙な色の違いを指摘した。
「他のものと異なる状態を察知する……品質管理の一環みたいなものですよ。おそらくこれは後付けで仕掛けたものから、色が違うんでしょう。同じ材質で同じ時期に仕掛けていれば、俺も気づけなかったと思います。今から隠すなら全部塗装するっていうのもよいかもしれないですね。」
フォラスは何やらぶつぶつと独り言を呟いた後、俺に笑いかけた。
「今度、しっかりと改修させるように魔王様に進言しておくから、ケイが歩いてみてくれ。それで引っかかるようだったら問題ないと判断しよう。」
(俺の体が問題ありまくりだろうが、この糞爺が!)
怒りが沸々とこみ上げる中、俺は嫌な予感がしてフォラスに問いかける。
「ちなみに、罠って矢だけなのですか?」
フォラスが自慢げに胸を張って言い放つ。
「もちろんほかにも一杯あるぞ。毒に酸に、溶岩に……お前の精神を鍛えるのにもちょうどよかろうて。」
俺は強張った笑顔で答えた。
「全力でお断りさせていただきます。」
フォラスはいかにも残念そうな顔で、しょげながらとぼとぼと先を歩き始める。
俺はなんだか悪いことをした気がして、フォラスに優しく話しかける。
「そうですね……味方が引っかからない方法とか、そういった安全対策も考えたほうが良いと思いますよ。少なくとも、廊下を歩いたらいつ罠が作動するかわからないと、困るでしょう?」
フォラスは笑みを浮かべて、俺を見た。
「実はの……ここは普段使わない通路なんじゃ。だから、ここを通るのは大体が侵入者だから、そのほうが問題ないかの?」
俺は全力で叫んだ。
「この糞爺がぁぁぁぁ! 俺をからかって楽しんでるだろう? 人を人とも思わぬ悪魔め、今ここで成敗してくれるわ。」
フォラスが静かに笑う。
「ケイよ……そう怒ると格好良い顔が台無しだぞ? それにお前はもう堕天使じゃろう。ついでに儂も悪魔じゃから、全く問題はないぞ……総統閣下とでも呼んでくれれば、なお良しじゃ。」
「ぐぬぬ……」
正論ではないような気もするが、確かにフォラスの言葉にも一理はある。
(駄目だこの爺……何を言っても勝てる気がしねえ)
俺は諦めて、この侵入者対策が沢山施された廊下を進んでいく。
そして、怪しげな場所を見つける度に、フォラスに伝えることにした。
「天井が不自然に歪んでいますね……何か降ってくるんでしょう?」
「扉のノブが不自然に高温になっていますね……いかにも怪しさ満点です。」
「不自然に曲がり角が見えづらくなっている、これは注意が必要です。」
フォラスはニコニコしながら俺の指摘をメモして行く。
そして、百ほどの罠を回避したところで、ようやく豪奢な扉の前に辿り着いた。
(ふむ……さすがにドアに罠が仕掛けられてはいないようだな?)
「ケイよ、お嬢様がお待ちだぞ? 早く入るのじゃ。」
フォラスに勧められるがままに扉を三回ノックした。
コン、コン、コン……
「遅くなりま……」
扉の中から鈴を転がすような声が……せずに、明らかに戦闘態勢といった勇ましい声が聞こえてきた。
「誰ですか? その扉から来たということは賊ですね……潔く我が一撃を受けなさい!」
そして、俺は扉ごと吹き飛ばされて、床の罠に尻餅をつく。
(あ……やばっ……)
大当たりを引いたようで、溶岩が俺の体を焼き尽くしていく。
「あああぁぁぁぁ!?」
声にならない悲鳴を上げながら、俺の意識は再び深淵の彼方へと飛び去って行くのだった。