酒蔵の放蕩息子
ファウヌスが愚痴交じりに話した事情はこうだ。
彼は地上ではかなり有名な酒蔵の息子で、親父のシレーニという《シレノス(サテュロスの老体)》が作った酒の配達をしている。
今回もペルセポネ界隈の路地へ酒を卸しに向かっていたそうだが、途中で人間の美女に声をかけられた。
見事な金髪の碧眼の娘できっちりと唇にルージュを引いていて、ものすごく良い体をしている。
大きく胸元の空いた娼婦のような服を着ていたが、見るからに生地がよかったので、良いところのお嬢さんにも見えた。
そんな彼女が、甘ったるい声でファウヌスに声をかけてきたらしい。
「そこのイケてるお兄さん。そのお酒を売ってくださらないかしら。」
「えへへ……お姉ちゃんいい体をしているねぇ。でも、これは路地裏の亜人達へ卸す酒だから、親父の酒蔵へ注文してくれねえかな?」
彼女はさらに胸元を強調しながら彼の腕をとり、胸元へ手繰り寄せる。
そして誘惑するように耳元でささやいた。
「ねぇ、そこに良い雰囲気の宿があるの。別に一晩ぐらい遅くなってもいいじゃない? 私と一緒に夜を明かせば気も変わるっていうものよ。」
腕に伝わる素晴らしい感触と甘い香水の香りに、ファウヌスは鼻の下を伸ばしながら近くの宿までついていく。
そして、部屋に入りことに及ぼうとした時、彼女が顔をしかめてこう言った。
「貴方の体、少し臭うわね……お風呂に入ってきたらどうかしら?」
肌着一枚になった女を見たファウヌスは、意気揚々と風呂に入った。
だが、風呂からでた時には部屋がもぬけの殻になっている。
騙されたと思って、慌てて外に停めていた荷車を見てみると、路地裏に卸す予定の酒がすべて無くなっていた。
ファウヌスが慌てて宿の主人に女のことを聞くと、詳しいことはよくわからないが一晩だけ止まる予定だったらしい。
結局、女も酒も見つけられずにとぼとぼと酒蔵に戻ると、シレーニが大激怒した。
「女と一発やったんならまだしも、何もせずに酒だけ盗まれただぁ? おめえはサテュロスの恥さらしだ! お前が全部責任とって酒を造るか、もしくは亜人の奴らに謝りに行ってこい。」
簡単に酒を造れとシレーニは言うが、彼は職人肌で仕事を見て覚えろというだけなので、うまく酒が造れるわけがない。
その結果、やむにやまれず、路地の亜人達に頭を下げに来たというわけだ。
当然、亜人たちがそれを許すわけがない。
皆でどう吊し上げようかと思っているところに、俺達が来たということだった。
* * *
フェンリルが呆れた顔でファウヌスを見て、言い捨てた。
「どう見てもこいつの自業自得じゃねえか。そもそも仕事ほっぽり出して女としけ込もうとしていた時点で論外だ。」
ファウヌスは飄々とした顔で首を振る。
「フェンリルの旦那、親父が怒っているのはそこじゃない。良い女とやらずに物だけ取られたってことさ。俺達にとって重要なのはそこなんだよ。」
パンテラが鬼のような顔をして、ファウヌスを怒鳴りつけた。
「《サテュロス》の親子喧嘩なんて、こっちはどうでも良いんだよ! 酒がなきゃこっちは商売できないんだ。あんたはもう黙ってろ……私からケイのほうに相談するから。」
彼女はファウヌスを蹴り飛ばした後、俺にすまなそうに頭を下げた。
「あいつの父親が、ここから南東の《エリシオン》って土地で酒蔵をやっているんだ。悪いんだけどそこまで行って、あのろくでなしの父親を説得してくれないだろうか?」
フェンリルが渋い顔をしてパンテラの顔を見た。
「まさか俺も一緒に行けと言わないよな?」
路地の店主達は意味ありげな笑みを浮かべて、フェンリルに詰め寄る。
「前に酔っ払ったときに壊したあのグラスや酒のツケ、忘れてねえよな?」
「何かあったら俺が力になってやるっていってたのは、嘘だったんかい?」
「おめえが荒れてた時、力になったんだ。今、その借りを返す時だろうが!」
タジタジになるフェンリルが、俺の背中を押し出して店主たちの前に立たせる。
店主たちの殺気立った目を見て、俺は仕方なく答えた。
「とりあえず、フェンリルとファウヌスを一緒に連れてエリシオンってところに行ってみるよ。フェンリルはエリシオンには詳しいのか?」
フェンリルがどう答えたものかと逡巡するような顔をする中、パンテラが代わりに答えた。
「そりゃあ知っているも何も、フェンリル様のお爺さんが統治している街だからね。」
「そうですか……それなら、助かりますね。アリシア、空間の穴を頼めるかな?」
アリシアが困ったような顔でフェンリルとファウヌスに問いかける。
「その……お二人は、ゲート通っても大丈夫でしょうか?」
(え? 何か問題でもあるのかな……)
フェンリルが俺の顔を見て、納得した顔で笑みを浮かべた。
「ケイ、あの異空間で飛べないやつが落っこちたら、どうなると思う?」
(ああ……確かにそうか)
俺は、最初にゲートの中に入った時のことを思い出して納得した。
「それなら、俺がファウヌスを連れて行くから、アリシアはフェンリルをお願いしても良いかな?」
ファウヌスが不満げな顔で文句を言う。
「えっ……野郎の手をつなぐのは嫌だな。」
その場にいる全員が彼に突っ込んだ。
「「お前に文句を言う権利はない!」」
結局、俺は嫌がるファウヌスの手を無理矢理掴んでゲートを通り抜け、エリシオンにたどり着くのだった。
* * *
――ペルセポネから南東の街エリシオン。
この地の南東には深い森と槍のように高い山脈が連立しており、豊かな水源からは清浄なる水が川となって流れてくる。
その水を利用した氷産業や酒造りがこの街の産業の一つというわけだ。
元々は迫害されていた亜人が自らの身を守るために集結していた都市だったが、今では魔物が長として街を収めているそうだ。
当然のことながら街の住人は魔物が多い。
だが、酒造りの才に恵まれたものについては例外で、どんな種族でも受け入れを行っているという点では、ある意味寛容な都市なのかもしれない。
俺は、街の様子を遠巻きに見て静かに頷いた。
(なるほど……上流に工業地帯、下流が住居っていう風にしているんだな)
酒造りや氷造りは水が重要だ。
そのためか、上流側には酒蔵や氷室のような工房が建てられており、水を引く水路と排出する水路がきちんと分けられているようだった。
その下流のほうには酒を詰める為のガラスや樽などを作る工房があるようで、最後に住民達の住居や酒屋が構えられている。
建物はレンガ造りの物が多く、堅牢ながらも情緒のある街の風景に俺は思わずため息を漏らした。
「しっかりと考えられた都市だなぁ……レンガもさることながら、ガラスや木材の加工もかなりしっかりとしている。」
ファウヌスは俺の方を見ながら、自慢げに胸を張って上流側にあるひときわ立派な建物を指さした。
「そうでしょうとも。そして、あの一番立派な建物が俺の親父の醸造所なんだよ。」
(こいつの態度はともかく……確かに立派な建物だな)
ひときわ立派なその醸造所は赤レンガで作られており、醸造に使われる蒸気が勢いよく出ている。
二棟に分かれているようで、《原料を糖化させて発酵させる棟》と《発酵した原料を蒸留して樽や容器に詰める棟》に分かれているようだ。
俺達が醸造所に近づくと、迫力のある怒声が聞こえてきた。
「てめえ……またヘマをしやがったな! もうやってられるか……お前はここで掃除でもしていろ。」
俺達が醸造所の入り口に近付くと、怒り狂った顔をした恰幅の良い男がドアを蹴り飛ばして外に出てきた。
思わず彼に注目すると、上半身がヤギの角が生えている以外はビール腹の人間のおっさんで、下半身は二本足、とても立派なイチモツを有している。
(彼が《シレノス》のシレーニかな?)
彼は立派な髭をさすりながら好色そうな目をしてアリシアにに近づいた。
「おや、お嬢さん……ちょうど俺は休憩に入ったんだが、少し良いことでもしに行かないかね?」
フェンリルが呆れた顔をして彼に話しかける。
「シレーニ……久しぶりだな。お前が口説いているのはアリシア様だけど、そんなことをして大丈夫なのか?」
シレーニが笑みを浮かべてフェンリルの肩を叩く。
「おう、フェンリル……久々じゃねえか。俺ぐらいの年になったら死ぬのなんて怖くねえから、良い女と寝てあの世にでも行きてえと思っただけのことさ。まあ、社交辞令ってやつだな。」
アリシアが困惑する中、俺はシレーニに礼をする。
「魔王軍の管理者をしているケイと申します。どうぞよろしくお願いします。」
シレーニが目を細めて、俺の手をやさしく握る。
「あんたが噂のケイか。ほぅ……きめ細かい手をしている上に、なかなかの美形じゃないか。アリシア様に飽きたら俺の閨に来な。かわいがってやるぜ。」
危険な予感がした俺は思わず飛び下がって、アリシアの手を握ることで平常心を保った。
(ヒィィィィィ!? まさかの両刀使いですかこの人!)
すっかり機嫌が直ったシレーニが俺に問いかける。
「それで、美男美女が俺に何の用だっていうんだい?」
俺は気を取り直して、シレーニと酒の件について交渉を始めることにしたのだった。




