箒の改善
俺はメアリーに箒を一本借りると、ハンカチを取り出して柄の部分に結び付けた。
「こんな感じで、どの種族の物か一目で分るように印をつけるっていうのはどうでしょうか。キキーモラ達にも聞いてみますが、箒にワンポイントで飾りをつけるって、ちょっとお洒落な感じがしませんか?」
シルキー達の目が輝き始めて歓声が上がる。
メアリーが箒を手に取って、柄の部分に自分のスカーフを器用に飾り付けた。
「えっ……それって、私たちの場合ならこうやって白い絹のスカーフを巻きつけるってことよね? それってかなり良い感じになるんじゃないですか! どうせオバサンの印が付いた箒なんてダサくて触りたくないし、私達は大歓迎よ。」
(こりゃあ……もしかしたらまた一波乱あるかもしれないな)
俺は後でブルームともしっかりと話す必要があると思いながらも、メアリー達を諭すことにした。
「君達シルキーは、キキーモラに対して思うところがあったとしても、仕事の理屈が分かればそれを聞き入れるだけの度量があると思います。俺はシルキーとキキーモラ双方が《家事》をするものとしての矜持をもって仕事をしていると思うんです。」
メアリーが部屋の外でアリシアに詰め寄っているブルームを見て、不満げな顔で俺に問いかける。
「だからといって、あのオバサン達の言うことを何でも聞くっていうのはごめんです。こっちに何も言わずに、一方的に自分たちのやりたいようにやって押し付けるのって、おかしいとは思いませんか?」
俺は深く頷いて、真っ直ぐに彼女たちを見た。
「そうですね……それはその通りです。話が出来ないのは確かに困ります。だから、それについては俺も一枚噛まさせていただきます。」
メアリー達は炊事場から箒を数本取り出して、俺に手渡した。
「恐らく、廊下にあったのはこれだと思います。あとは、お任せしてもいいでしょうか?」
俺は笑顔でメアリーの手を取って頷き、アリシアとブルームに声をかける。
「箒は受け取りましたので、一旦洗濯場に行きましょうか。」
アリシアがほっとした顔をする中、ブルームは満足げに頷いて洗濯場へとそそくさと移動し始めるのであった。
* * *
洗濯場に戻ると、キキーモラ達が怒りに満ちた顔で俺たちを出迎えた。
だが、俺の腕に抱えられた箒を見てすぐに表情を和らげる。
「ありがとうございます。箒を取り戻してくれたんですね。」
「ええ。本数がしっかり足りているかを確認してくださいね。」
箒が戻ってきたことで、少し冷静になった彼女らを見た俺は、ブルームに箒の改善案について伝えることにした。
ブルームは少し考え込んでいたが、気恥ずかしげな顔で俺に問いかける。
「でも、掃除のときにこれって少し目立って恥ずかしくないかしら?」
俺は微笑して首を振り、ブルームの手を取った。
「貴女達のような淑女にはぴったりのアクセントになると思います。掃除の邪魔になるとかじゃなければ良いのではないでしょうか。きっと気分も少し変わると思いますよ。」
他のキキーモラ達も乗り気になってくれたようで、どの飾り付けが良いかの話し合いが始まる。
その結果、品の良い紺色のレースを箒に結び付けることとなった。
(やっぱり女性だからね。こういった提案は喜びやすいんだよな)
俺がしみじみとお局様達とのやり取りと思い出す中、ブルームが真面目な顔をして話しかけてくる。
「どうせ貴方のことだから、あの子娘たちと何か取引をしたんでしょ? 言ってみなさいな。」
(うっ……やっぱりブルームはお局様タイプか。鋭いなぁ……)
呼び水を与えてくれたことに感謝しながら、俺はシルキーたちの言い分をオブラートに包んで伝えることにした。
「そうですね、今回の箒の立てかけの件については、俺の失敗例を踏まえて理解してもらいました。やはり女性の下着を男性に見られたら、嫌だっていうのは共通の認識だと思います。」
キキーモラ達が意味ありげな笑みを浮かべて俺を見る中、さらに説明を進める。
「今回問題だったのは、自分たちにとって当たり前のことだから教えなくても解るだろうと思ってしまったことだと思います。先ほどの箒の件みたいに、なぜそうするのかを伝えてあげるのが良いのではないでしょうか?」
キキーモラ達が面白くなさそうな顔をする。
彼女たちの気持ちを代弁するように、ブルームが難しい顔をして俺に訊ねた。
「ケイ様はあの子娘たちの味方をするということなのでしょうか。そして私たちのやり方が間違っているとお考えですか?」
俺は彼女に優しく笑いかけながら首を振った。
「俺はどちらの味方になるつもりもありません。今回の一件を見る限り、キキーモラとシルキーの双方に《家事を行う魔族》としての矜持があって、真摯に仕事をしていると思ったからです。」
さらに、キキーモラ全体に聞こえるようにはっきりと告げる。
「貴女達が考えていること自体は正しいと思います。ただ、それぞれの種族、そして立場によって、考え方や正しさの基準が違うのも事実なんです。だからこそ、共通の場所で新しく何かするときは、相手にどうしてそうするのかを教えて、話し合ってみてください。」
キキーモラ達が不満げに声を上げて、俺に抗議し始めた。
「なぜそこまでしなくちゃいけないのよ。」
「あの小娘達は私達の言うことなんて聞きやしないわ!」
「こっちが優しく何か言ってもオバサン呼ばわりして……キイィィィィィ!」
(うおぉ……やはりこうなると思っていた。だが、ここで押し負けてはすべてが台無しになってしまう)
俺は額に汗をかきながら必死で彼女らを説得にかかる。
「全てを理解してもらえるとは限りません。でもその時は、『自分達とは違う正しさと考え方があるのだ』という風に思って接するのが、淑女というものではないでしょうか。もちろん、仕事に対しての矜持が破られると思ったら戦ってください。それはまた別の話です」
ブルームがじっと俺の目を見て静かに首を振った。
「ケイ様はあくまで中立だけど、私達の矜持を尊重してくれているってことね。そして、しっかりと淑女として見てくれている……それが伝わりました。」
だが、意地悪な顔をして俺に問いかける。
「ところで、シルキーと私達のどちらが魅力的だと聞かれたら、貴方はどう答えるかしら?」
(うわ……来たよ。悪魔の質問が……)
この質問は前世でもされた記憶がある。
大体こういった質問は、お局さんと若い子が喧嘩している時にされるのだが、超地雷である。
ちょっとでも回答を誤ると、どちらかから総スカンを食らうという、危ない橋なのだ。
ちなみに、過去に回答を完璧に誤ったが為、数か月間職場の女性陣全員から無視をされた同僚を見たが、あれはとても可哀想だった。
まあ、今の俺には理想的な回答ができるので、これで行こうと心に決める。
俺は、傍らにいるアリシアを見ながら、照れているような顔を作って答えた。
「人それぞれ好みがあると思いますが、仕事をしている姿はみな魅力的だと思います。でも、今の俺にとってアリシアが一番なんで、彼女とそれ以外っていうことになっちゃうんです……失礼だったでしょうか?」
周囲のキキーモラ達はどよめきながら顔を真っ赤にして、俺とアリシアを交互に見ている。
当の本人のブルームは、キョトンとした顔をした後に大笑いした。
「ケイ様は卑怯ですね。彼女を盾に使うなんて……まあ、いいでしょう。私達が新しく新しいことをする際には、しっかりと説明はするようにします。」
(よかった……何とか乗り切った)
俺はホッと胸をなでおろしたが、アリシアを見ると嬉しそうにこちらを見ている。
(彼女も、この件が片付いて安心したのかな?)
ブルームが呆れた顔をして、俺の背中をバシッと叩いて、アリシアのほうに押し出す。
「ケイ様は妙に気が利く時と、全く駄目な時の差が激しすぎますね。これでは先が思いやられます。」
俺達は周囲のキキーモラに押し出されるように洗濯場から追い出され、シルキー達のもとに行く。
メアリーを初めとしたシルキー達は『しょうがないか』といった顔をしていたが、概ね今回の対応で問題がないと言ってくれたのだった。
* * *
数日後、廊下を歩いていると、ブルームが紺のレースで飾られた箒を持って仕事をしていた。
ちょうど、鉢合わせたメアリーと何やら議論をしているみたいだが、両者の顔は以前のようにお互いを拒絶するような顔でなく、同じ家事を仕事とするものとして、対等に話しているように見えたのだった。
 




