シルキーとキキーモラ
ブルームは怒りながら俺とフェンリルに一方的に愚痴をこぼし始めた。
「あの小娘達が……私の可愛い部下がちょっと箒を廊下に立てかけておいただけなのに、勝手に持って行ってしまうのよ。しかも、こちらが返してくれと下出に出たら、言いがかりだとのたまって……キイィィィィィィ!」
フェンリルがタジタジになって、俺の背中を押した。
「あれだ……これはもうケイの領分だよな。しっかりと話を聞いて、箒を取り戻してやってくれよ。」
(この薄情者め……)
俺は恨めしげな眼で、そそくさと去っていくフェンリルの背中を見つめながら、ブルームにゆっくりとした口調で話しかける。
「ブルームさんが怒る理由について、しっかりと聞きたいと思いますので一度シャワーを浴びてからもう一度お話を聞いてもよいでしょうか?」
ブルームがハッとした顔になって俺の手を放した。
「そうね、よく見たらあなたの服が土まみれだし、私も少し興奮しすぎたわ。」
俺はすぐに風呂に入ると、アリシアを呼んでブルームから話を聞くことにするのだった。
* * *
ブルームが言うにはこういうことらしい。
洗濯物を入れた篭を洗濯場に入れる際や、洗濯物を部屋に戻す際にキキーモラたちが持っている箒を部屋の前に立てかけている。
その際に、《シルキー》という廊下や厨房の清掃を担当する家事妖精が廊下にある箒を勝手に持って行ってしまう。
当然のことながら、キキーモラ達はシルキーに箒を返せと迫るが、どれが持って行った箒かわからなくなっているために、どちらも一歩も引かずに喧嘩になっているというわけだ。
(これは少し面倒だな。前世でも若い子とお局様が喧嘩し始めると、職場が地獄絵図になっていたんだよね……)
俺は、あえて地雷を踏むと思いながらも彼女に問いかけた。
「えっと……箒を持たずに洗濯物を運ぶという選択肢ってありますかね?」
予想通りに、ブルームが怒り狂いながら俺の両肩をつかんでがなり立てる。
「この箒は私達のシンボルみたいなものよ!? 確かに廊下に立てかけるというのは、問題があるかもしれない……でも、それは部屋で私達が仕事をしているという印でもあるわ。あの子娘達はそれを分かっていながら箒を持っていくんだから、間違いなく彼女たちが悪いと思わないの?」
彼女の剣幕にかなり押されながらも、俺は彼女に優しく訊ねた。
「おっしゃることはもっともです。ところで、どうして箒を廊下に立てかけるのでしょうか? ブルームさん達は、洗濯場ではきっちりと整頓してますよね。それなのに、大事な箒を廊下に立てかける理由がちょっと分からなかったんです。」
ブルームが俺とアリシアを交互に見て、少し意地悪な顔をした。
「そりゃあねぇ……どっかの誰かさんみたいに《黒の下着》で喜ぶ不埒な殿方が、ご婦人の部屋に入らないようにするためですよ。誰だって、自分の下着や肌着を見られるのは嫌ですからね。」
「な……なるほど、確かにそれはそうですね。」
『あれは不幸な事故だった』と弁解したかったが、どのみち聞いてもらえそうもないので、シルキー達にも状況を確認しに行くことにした。
ブルームは怒りながら、『あんな小娘の言い分を聞くことはない!』と叫んでいたが、何とか宥めすかして妖精達のいる炊事場に案内してもらうのだった。
* * *
炊事場では布がこすれるような音があちこちでしている。
純白のシルクのドレスを着た可愛らしい妖精達が、俺とアリシアを見て駆け寄ってきた。
見た目は中学生から高校生ぐらいの女の子で、茶色の髪の毛を絹の髪留めできっちりと留めている。
緑色のぱっちりとした目を見ると子供のように見えるのだが、さりげなく化粧をしているところは年頃のお嬢さんといった感じだ。
シルキーたちの中から一際可愛らしい少女が、俺の手を両手で握って詰め寄ってきた。
「あなたが噂のケイ様ね! 私、メアリーって言います。オベロン様から聞きましたが、死を恐れずに婚約の証として呪われた宝石花を手にしたっていうのは本当なんですか?」
俺が思わずアリシアの髪に挿された宝石花を見ると、花は誇る様に美しく煌めいた。
メアリーは歓喜して、アリシアの手を取って深く礼をした。
「やっぱりオベロン様の言う通りだわ! ペルセポネの妖精なら誰でも知っているあの宝石花を、婚約の証として贈られるなんて……まるでおとぎの世界の物語みたい。」
そしてシルキー達が少し申し訳なさそうな顔をしながら、アリシアに深く頭を下げた。
「私達、アリシア様のことを誤解していたことに気づいたんです。もし《男殺し》の噂が本当なら、転生者のケイ様があそこまでアリシア様のことを思って勇者達から護ったり、死の危険を恐れずに宝石花を手にすることはないって思いました。」
(いや……花のほうは、何とかなるかなっていう軽い気持ちで……)
何だか妙な方向で信頼されてしまっているようだけど、アリシアの評価が上がったなら良しとしようと思ったところで、一生に来ていたブルームが剣呑な雰囲気で俺の脇腹をつつく。
(あ……そうだ、箒のことをしっかり聞かなくっちゃな)
「と……ところで、キキーモラ達の箒の件だけど、あれについて少しお話聞かせてくれないかな?」
シルキー達が途端に面白くなさそうな顔になってブルームを見た。
メアリーが首を振りながら俺に愚痴を言い始める。
「あのオバサンから何か言われたみたいだけど、私達何も悪いことしてないわ。そもそも汎用の箒を使っているのに、『箒は家事魔族の誇り』って何なのかしら? どれもこれも一緒の箒じゃない。」
「キイィィィィィ!? 誰がオバサンよ。この小娘が、もう許さないわよ!」
激昂したブルームがメアリーに掴み掛ろうとしたので、俺は慌てて両者の間に割って入った。
「ちょっと……まずは落ち着いて話し合いましょう。アリシア、とりあえずブルームさんの話をもう一度聞いてやってくれないか?」
アリシアがすぐにブルームを宥めながら、炊事場から退出していった。
気まずい雰囲気の中、俺は神妙な面持ちをしてメアリーに頭を下げる。
「お騒がせしてしまって申し訳ありません。喧嘩を吹っ掛けに来たわけではないのです。廊下の掃除と箒のことについて何か不満点がないかを聞きたいだけだったんですよ。」
メアリーが少し驚いたような顔で俺を見て礼をした。
「ケイ様が頭を下げることではありません。あのオバサンが言いがかりをつけてくるからこじれるだけなんです。私達はあのオバサン達と昼夜交代で廊下の掃除をしているんですけど、向こうのルール破ると烈火の如く怒ってくるのに、私達の掃除のときは自分の好き勝手にやってくるんです。」
「なるほど……そうでしたか。キキーモラ達としては、部屋に洗濯物を入れているという印で箒をドアの横に立てかけているそうなんですよ。ほら、女性物の下着とかを入れる作業をしているときに、男性に入られるのって嫌でしょう?」
彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて俺に顔にささやいた。
「そういえば、ケイ様って黒がお好きなんでしたっけ?」
俺は動揺して思わず言い訳する。
「そっ……そりゃあ、黒は大人の色というか、あの清楚なアリシアがそんなもんをつけてるなんて考えたら、それだけでもギャップがありすぎて……」
シルキー達が全く言い訳にならない俺の発言を聞いて大笑いする。
「やだ……ケイ様って意外と獣なのね。」
「というか、少し表現がオジサンっぽくない?」
「でも、そういうのってなんか分かる。ウチの彼氏とか確かにそうだもん。」
(オジ……サン……)
俺は少しだけ激昂したブルームの気持ちを理解した。
少しショックを受けながらも、俺はメアリーに問いかける。
「まあ、下着の話はあとにして、そういった理由だったら箒を立てかけるのは大丈夫かな?」
「うーん……まあ、あの人達って理由聞いても『当たり前のことを聞くな』って態度だったから、ムカついてたんですけど、確かにそれならしょうがないかと思えてきました。」
俺はホッとしながら彼女らにもう一つ聞いてみることにした。
「それでキキーモラ達の箒ですけど、たぶん悪意とかなしに回収しちゃったと思うんですけど、今回は必要な本数だけ返していただけますかね。次回以降はキキーモラ達の箒は一目で分かるようにするので。」
メアリーが不思議そうな顔をする中、俺は箒についての改善案を伝えることにするのだった。