《半端者》の矜持
リオンが男泣きをしている中、アリシアが少し赤い顔をしながら俺にしなだれかかって、上目遣いで見つめて来た。
「ケイは……私のことをどう思っていますか?」
俺は腕に感じる至福の感触を感じて、顔が熱くなりながら彼女の頭を撫でる。
「そ……そりゃあもう、可愛いと思ってるよ。」
(なんだか……今日のアリシアは積極的だけど、どうしたのかな?)
だが、俺は気づいてしまった。
俺たちのテーブルのボトルの残量が殆ど無くなっていることを……
「ちょ……アリシア? もしかして注がれたお酒を全部飲んじゃったんじゃないだろうね?」
アリシアが不思議そうな顔をして答える。
「先ほどの方々から~注がれたお酒を断っては失礼かと思って、全部いただいてしまいました~」
(しまったあぁぁぁぁぁ!? 《よくある新入社員》の失敗をアリシアにさせてしまうとは……)
* * *
飲みが大好きな会社ではよくあることだが、すぐにグラスを開けてしまうと上司が嬉々として酒を注ぎ足してしまうのだ。
入社数年後の社員はそうならないように、適当に話をしながら飲みのペースを調整する。
だが、そういったことの機微を知らない新入社員は、偉い人からの酌ということもあって断り切れず、つい飲み干してしまって注がれるのエンドレスを喰らって、結局酔いつぶれてしまう……
酒に強い奴ならともかく、社会に出たてのヒヨコ達が受ける社会人としての邪悪な洗礼は、このようにして起きるのだ。
* * *
俺は慌ててアリシアに水を進める。
「少し飲みすぎちゃったから、お水飲んでおいたほうが良いね。あとは汁物も頼んでおくから、ゆっくりと飲むようにしようか。」
アリシアは赤い顔をしながら、俺に抱き着く。
「ケイは紳士ですね~フォラスが言ってましたよ~『女性を酔いつぶした後に男の真価が問われる』って、どういう意味なんでしょうかね~」
(なんてこと言いやがる……あの爺は!?)
アリシアがおもむろにシャツの第三ボタンぐらいまで開け始めた。
「なんだか~体がかなり熱くらってしまっ……」
(ああぁぁぁぁぁ!? 嬉しいけど駄目えぇぇぇぇ!)
息子が元気になりそうになる中、俺は必死で理性を維持してアリシアに水を飲ませる。
そしてパンテラを呼んで、貝の汁物と冷たいおしぼりを一つ頼んだ。
彼女はアリシアを見て優しく微笑む。
「やっぱりこうなっちゃったか。まあ、何事も経験……優しい彼氏さんに感謝することね。」
アリシアが眠くなったのか、俺の膝に突っ伏して寝始めたのでホッとしながら優しく髪を愛でる。
そんな俺にフェンリルが少し真面目な顔で話しかけた。
「ケイ……少しだけ、俺達についての話を聞いてくれるか?」
俺が頷くと、彼は亜人についての話をし始めるのだった。
* * *
――亜人とは魔族と人間の混血、この世界では常識のことだ。
人間でもなく、魔族でもない亜人は魔族の世界にも人間の世界にも居場所がなかった。
亜人たちは、人間からは魔族として疎んじられ、魔族からは人との混血として蔑視された。
そもそも、天使と人間の混血は半神、悪魔と人間は半魔と呼ばれ、それぞれクロノスとペルセポネで尊ばれるにもかかわらず、亜人だけが蔑視されるのはおかしいはずなのだ。
だが、ルキフェルはそんな亜人のことも、人間と魔族の平和の象徴として尊んで、ペルセポネに彼らを招聘した。
しかし、いくら魔王が招聘しようが、そんなに簡単に魔族達の考えが変わるはずがない。
もちろん、糞爺みたいな悪魔達や死霊と精霊達の中には、亜人を自然の摂理として受け入れてくれる者もいた。
だが、己が種族に誇りを持っている奴らや人間が嫌いな魔族達からしてみると、亜人みたいな混血は唾棄すべき存在だったのだろう。
彼らは亜人のことを《半端者》という蔑称で呼び、目に入るのすら嫌がった。
結局、そういった奴らが騒ぐせいで、亜人達は路地裏のような場所で細々と生きていくしか選択肢は無かったのだ。
そして、今のように亜人が幹部になれるようになったのは、二百年ほど前にフェンリルの父親であるフローズが、魔族と人間との諍いで、見事な働きを見せた功績が認められたことによるものだった。
だが、フローズは五十年ほど前に《ラクルート》経由で半魔に転生した者に殺されてしまった。
その転生者に前世で何があったのかは知らない。
だが、彼はペルセポネを抜け出して、人間の王に襲い掛かるという禁忌を犯そうとしたのだ。
事前にそれを察知したフローズが、自らの身を犠牲にしてその者を止めるべく戦いを挑み、差し違えたことで、事なきを得ることはできた。
しかし、その場に一緒に駆けつけた堕天使や悪魔達は、我が身可愛さに転生者が犯した罪をフローズに背負わせようとして、こう言い放ったらしい。
――《半端者》は死んだ後に一番役に立つのだと……
それを知ったルキフェルとフォラスは激怒して、その件に関わった天使や悪魔達を粛正した。
その上、フローズがいかに立派な者だったかを、ペルセポネ全体に喧伝して事態の収拾を図った。
結局、フローズの子、フェンリルが父の後をついで幹部となり、亜人達は正当なる市民権をここにきて得ることができた。
だが、天使と悪魔、そして転生者に対する亜人の怒りは大きく、今でも遺恨が残り続けてしまっているのだった。
* * *
フェンリルは少し優しげな眼でアリシアを見つめる。
「……とはいっても、奴らの全部が嫌いになったわけじゃねえ。糞爺やヒルデ様のようにしっかりと俺達を見てくれた者もいる。そしてケイと知り合ってからは、転生者やアリシア様に対する俺の見識が狭かったことを認めざるを得ないと思ったんだ。」
彼は俺の肩を優しく叩いて、少し辛そうな顔で告げた。
「だからな……ケイ、俺を失望させる真似だけはしないでくれよ。」
俺はアリシアの頭を撫でながら静かに首を振って、少し優し気な口調でフェンリルに話しかける。
「転生者といっても、俺はそんな大した出自でもなく英雄でもないさ。フェンリル……せっかくだから、俺の昔話でも聞いてくれないかな?」
フェンリルが俺の目をまっすぐ見つめる中、俺は自分のことを語り始めた。
* * *
――《営業》から《工場の品質管理》へ異動になった後。
俺が《営業》で客という外の世界とのやり取りをする立場から、《工場の品質管理》という内向きの世界を管理する立場に変わった時、あまりにも客との約束事が守られていないことに驚いた。
それを指摘すると、工場の奴らからは『お前はしょせん元営業だから、俺達の事情は分からねえ』と言われる。
それが元で客から苦情が来て対策をすれば、逆に営業から『お前はもう工場の人間だから、現場と共謀して隠蔽でもしてるんじゃないか』と詰られた。
――俺も立場的には、この世界で言う《半端者》という奴だったのだろう。
だが、俺は客の顔も知っているし、何故その約束事を決めたのかを知っていた。
逆に工場の仲間として認めてもらうために、現場を自発的に回ったことで、現場で働く人の環境の厳しさもよく分かるようになった。
だからこそ、自分の仕事を効率化して、空いた時間で発生しそうな問題を先回りして潰すようにしていった。
物が出来上がってからだと、立場的に無力な俺には何も出来ないということが、痛いほどに理解していたからだ。
――それに、俺はには一つ恥ずべきことがあった。
研究ができると思って入った組織だが、結局のところ組織の都合で俺は自分のやりたいことが出来なくなった。
よく『営業で経験を積んで……』とか、したり顔で言って来る奴がいる。
でも、それはそいつがたまたまうまくいったからであって、そういう救済がない会社も沢山ある。
俺は色々と絶望したが、せめてそれならばしっかり頑張って仕事をしようと、夜遅くまで残業して成果を上げていった。
だが、現実とは非常なものだ……
営業は残業代が出ないと言われたばかりか、世紀の大不況が来たせいで、その中で必死に成果を上げても給金がカットされるという事態に陥った。
それならば、せめてやりたいことをさせてくれと、研究職への異動願を出した結果が工場への異動だった。
異動してから、何故か工場の技術職や研究職は、残業代が出ているということを聞いて俺は愕然とした。
――そして間接部門である品質管理部は残業代が出ないということも……
やりたくもない仕事をして成果を出したのに、給料に反映されない俺と、やりたい仕事をして働いた分の給料を貰える者の違い、それがどこにあるのかは全く分からなかった。
俺に残されたのは、せめて仕事では人を裏切りたくないという矜持と、自分が得た経験を何が何でも活かして成長してみせるという反骨心のみだけだった。
そんな俺のことを、皆が《不屈の闇営業》などと称賛してくれるのは嬉しい。
だけど……俺の心の内を見た奴らはどう思うのだろうかと考えて、どうしようもない虚無感に襲われることが少なくなかった。
* * *
俺はフェンリルの目を真っ直ぐに見て、彼を諭す。
「なあ、フェンリル……俺の経験なんてのはあまりにも小さすぎるから、亜人達が感じた苦しみを理解しきれていないかもしれない。だけど、中途半端な者だからこそ、違う世界に生きる者の気持ちや周囲に生きている者達の苦しみが理解できるんじゃないかな? そして、その苦しみを糧に少しでも真っ直ぐに生きていこうとするのが、俺達みたいな者だけが出来る矜持じゃないだろうか。」
フェンリルの目が見開かれ、俺は彼の眼から涙がこぼれるのを見た。
呆気にとられて何も言えなくなった俺の肩を彼は抱く。
「ケイ……俺はな、今まで亜人という生まれについてずっと苦しんでいた。魔族でも人間でもねえ中途半端な存在……そんな生まれのせいで理不尽に蔑ずまれるのが本当に悔しかった。だが、確かにお前の言う通りだ。その苦しみや辛さを知っているからこそ、親父のように立派な生き方が出来るのかもしれねえな。」
彼は俺に笑みを浮かべて告げる。
「さっき、天秤の話をするときに俺の親友だと言っていたな? だったら俺達に敬語を使うのは止めろ。さっきの説明みたいにタメ口で話してくれ……リオン、お前もそう思うよな?」
リオンは俺の肩を優しく叩いて笑った。
「もちろんですとも。ケイ殿のおかげで、今宵はとても素晴らしい思いをすることが出来たのです。他人行儀な敬語を使われるよりも、親しみを込めた言葉で話されるほうが嬉しいですよ。」
俺は嬉しくなってフェンリルの肩を優しく叩いた。
「もちろんさ……じゃあ折角だし、リオンの交際記念を兼ねて乾杯しようぜ。」
俺達は再度乾杯をして、笑顔で美味しい酒と料理を堪能するのだった。
* * *
宴もたけなわだが深夜となった為、俺はアリシアを背負って城に戻ることにした。
パンテラは、わざわざ店の外まで来て俺を見送る。
「今日はケイが来てくれたおかげで、色々と助かったわ。是非またリオン達と来て頂戴ね。そして……フェンリルのことありがとう。少し暗い顔をするときがあって心配していたけど、憑物が取れたような顔をしていたわ。」
そして笑みを浮かべて、天秤を俺に見せた。
「あと、この天秤のお話……他のお店にも教えていいわよね? ああいった言いがかりをつけられて、みんな困っていたのよ。」
俺は笑顔で頷くと、店の中からフェンリル達がパンテラを呼ぶ声が聞こえてくる。
「全く……あの人達は飲むのも食べるのも早いから、忙しくって敵わないわね。それじゃあ、またね。」
彼女はそう言い残すと、いそいそと店の中に戻っていった。
(さて……俺も城まで戻るとしますかね。)
俺は背中と手に感じる、柔らかい感触を堪能しながら、ゆっくりと城まで歩き始めるのだった。