路地の中の酒場
俺達はフェンリルに連れられて路地へ入っていく。
華やいだ雰囲気の表通りと違い、路地の中は少し薄暗い。
だが、お上品な雰囲気が表通りだとすると、こっちは下町風の雰囲気があって、俺としてははこっちのほうが性が合うような気がした。
路地のあちこちにある店はどことなく活気があり、そこら中から食べ物の匂いがしてくる。
露店みたいな店もあり、亜人たちが木箱をひっくり返したものを椅子にして、どやどや話しながら酒をかっくらい、焼き物などを美味そうに頬ばっているようだ。
俺は思わずごくりと唾を飲んで、リオンに話しかけた。
「リオンさんは、結構こっちに来るんですか?」
リオンは少し陰にこもった表情で、俺を見る。
「もっぱら、亜人はこういったところに集まって飲み食いをしているんですよ。ケイ殿はこういった場所はどう思いますか?」
俺は満面の笑みで答える。
「実は、俺の前世ってこういう場所がありましてね。《上野のガード下》っていうんですけど、真昼間からこうやって楽しそうに飲んでるんですよ。そこでは美味い内臓の煮物とか肉の包み焼なんかを売っていて、それと二級酒って安い酒との飲み合わせが絶妙の味加減で……だから、俺的には大歓迎ですね。」
リオンの顔が俺の肩を抱いて、嬉しげに語りだした。
「やっぱり、ケイ殿は変わっていますな。天使や悪魔の方々はあまりこういった場所を好まないもんで、少し不安だったのですが、そう言ってもらえると嬉しいもんですなぁ。今日の店はあれよりは少し上品な感じの店で、味と店主がとても素敵なんです。だから、きっと貴方も気に入ってくれると思いますね。」
それからしばらく路地裏を歩くと、フェンリルが笑みを浮かべて振り返った。
「ついたぜ。見た目はちょっとあれだが、味のほうは絶品だぜ。」
年季が入った木の看板に《女豹》と書かれたいかにも居酒屋という風な店だ。
少し重めの木の扉を押すと、ギギィーというこすれた音がする。
その音が呼び鈴替わりなのか、中から野性味のある若い《豹女》が姿を現す。
(おおー猫耳……というか豹耳お姉さんだ!?)
トパーズのように輝く黄金色の目に円い耳、ちょっと褐色の野性味ある顔にショートボブの髪の毛という、いかにも気が強そうな女性だ。
スレンダーながらも、美しい体のラインには美しいヒョウ柄の毛皮が纏われていた。
彼女は笑顔でリオンを迎える。
「なんだい、リオン! ご無沙汰だったじゃないか。出世して舌が肥えちまったせいで、あたしの店に来なくなったんじゃないかと思って、がっくりしていたところだよ。」
リオンは目を細めて彼女に俺たちを紹介する。
「やあパンテラ、こちらは魔王軍の管理者のケイ殿とアリシア様だ。今日はフェンリル様と意気投合してね……折角だから、ペルセポネで一番のおすすめ店で飲もうって話になったのさ。」
パンテラは俺とアリシアをじっと見つめて少し顔をしかめた。
「ふーん……アリシア様と転生者様ねぇ。うちの店って汚いけど大丈夫かい?」
リオンが慌ててパンテラを制止しようとするが、俺は構わず笑顔で答えた。
「もちろんですよ。あの魚は藁で焼いてるんですか? しかもこの香ばしい匂い、鉄板で何か焼いてるのかなぁ……もう、今から料理が楽しみで仕方がないですね。」
パンテラの機嫌がとたんに良くなって、俺達を店に招き入れた。
店内は少し薄暗く、葉巻と料理の匂いが混じっている。
そして客同士の話し声がとても大きく、逆にそれが風情を感じさせるようだ。
樽を柱にしたテーブルで立ち飲みする席や、年季の入った頑丈な木で作られたカウンターがあり、いかにも大衆向けの酒場という雰囲気を醸し出している。
俺たちは、店の奥に備え付けられた頑丈そうな古いテーブルの席に案内された。
「せっかくだからゆっくりできる席にしたわ。じゃあ飲み物を注文してちょうだいな。」
とりあえず、食べ物と飲み物はフェンリルに任せようとしたら、アリシアが俺に耳打ちをした。
「実は……お酒あまり飲んだことがないんです。」
(なるほど……お嬢様だし、そういうのあるかもしれないな)
俺は、パンテラに水も頼むことにした。
彼女はアリシアのほうを見た後に、笑顔で俺に言う。
「あんた、なかなかの紳士じゃない! 飲めない女の子なら、そういうのもありだと思うわ。」
ほどなくして、彼女は独特のハーブ臭のする蒸留酒のボトルとグラス、そして水の入ったデカンタを持ってきた。
フェンリルが俺達のグラスに酒を注いで乾杯の音頭をとる。
「ケイがリオンから一本取った記念に乾杯だ!」
お互いのグラスが当たる小気味よい音がした後、俺は蒸留酒を口に含んだ。
独特のハーブの香りが鼻に抜ける中、舌に甘苦くも滑らかな味を醸し出す。
喉に抜ける酒の熱さを感じながら吐息を鼻に抜けさせると、呼気により酸化された酒の香りが花開くように心地よい余韻を残す。
(かなり美味いけど、強い酒だな……)
俺はグラスに水を注いでアリシアに渡す。
「少し強い酒だから、水を飲みながら嗜むといいと思うよ。」
アリシアは笑顔でグラスを受け取って蒸留酒と水を飲んだ。
少し顔が赤くなった彼女は、嬉しそうに笑う。
「このお酒は良い香りがするんですね。そして飲んだ後に体が浮かぶような気持ちよさを感じます。」
パンテラが笑顔で料理を持ってくる。
香ばしい匂いの魚の焼き物や肉野菜の炒めものが出てきた。
俺は、ナイフとフォークで魚を切り分けてそれぞれの皿に盛る。
そして魚をほおばると、絶妙な火加減の身の弾力が歯に当たり、さらに少し塩のきいた魚の風味が舌を喜ばせた。
少し内臓の部分も食べてみるが、苦みよりもしっかりとした旨味がするのは良い魚の証拠だ。
あまりの美味しさに、思わず俺はパンテラに声をかけた。
「この内臓の旨味からして、いい魚使っていますね。」
パンテラは大きく頷いて、親指を上に突き出す。
「あんた、分かってるじゃない。違いが判る男は素敵よ。」
フェンリルが俺の肩を抱いて笑顔になる。
「ケイは本当に変わっているよな? 俺達みたいな亜人は天使や悪魔とかはあまり好きじゃねえ奴が多いんだが、すんなりと輪の中に入ってきやがる。」
「そうなんですか……そう言えば、前にやりあったときにもそんなことを言ってましたよね。何か理由でもあるんですか?」
フェンリルが遠い目をして何かを言おうとしたときに、グラスを乱暴にたたきつけて怒鳴る声が聞こえた。
「なんだこの酒は! 水で薄めてるんじゃねえのか? これじゃ、半額でも料金払う気にならねえよ!」
いかにもゴロツキと言った魔族達がパンテラに突っかかっているようだ。
それを見たフェンリルが怒声を放つ。
「やめねえか! 見苦しいと思わねえのか、そんな真似をして。」
だが、ゴロツキどもはフェンリルを挑発するように言い放つ。
「これはフェンリルの旦那、お仕事ご苦労様ですな……ですが、この酒が薄めてない証拠が出せますかね? 確たる証拠がないのに叩きのめされたら、俺達は魔王様に訴え出ますから。」
フェンリルが彼らの態度にブチ切れそうになる中、俺はカウンターの中にある秤を見て笑みを浮かべた。
俺は酒場中に聞こえるように叫つ。
「皆、聞いてくれ! フェンリルの親友の俺が、代わりにそれを証明してやろうじゃないか!」
周囲の視線が俺に集まる中、俺はパンテラに頭を下げる。
「カウンターにある秤と、カクテル用に使うショットグラスを二つ貸してもらえないでしょうか?」
パンテラは不安そうな顔をするが、リオンが頷くのを見て俺の前に天秤とショットグラスを持って来るのだった。