品質軽視がもたらした災厄
俺の前世の世界での製品の価値は、大まかに直接費(原材料費や工員の給与など、製造にかかるコストに直接紐付けられる費用)と間接費(検査費用や運送費など、製造にかかるコストに直接は結びつけづらい費用)によって決められていた。
そして、直接費は価格に転嫁しやすいが、間接費は価格に転嫁しづらいという特徴があった。
直接費の値上がりと製品の値上げいうものは、とても分かりやすい関係だ。
例えば、いろいろな武器を作る工場があったとする。
その中で鉄の刀を作る際に、原料の鉄が値上がりしたらそのことを理由に剣の値段を上げるというのは、当たり前のことだ。
また、刀鍛治は特殊な技能のため、刀鍛冶に対する工賃の相場が上がるのであれば、それ相応に値段に上乗せすることは仕方がないと理解してもらいやすい。
逆に間接費の値上がりを理由に製品の値上げをすることはとても難しい。
例えば、刀の検査……いや、鑑定の費用が上がったからと言って、すぐに刀の値上げができるだろうか?
刀専門の鑑定士が必要で、その鑑定士に渡す賃金が上がるというのであれば、値上げはすぐにできるかもしれない。
だが、実際はそういうことにはならない。
なぜなら、出来上がってきた刀を鑑定する時間より、刀が打ち上がるまでの時間の方が遙かに長いからだ。
そうなると、刀の鑑定が終わった後に次の刀が打ち上がるまでの時間、鑑定士は暇を持て余すことになる。
さすがに、それはもったいないから、組織は鑑定士に複数の武器の鑑定をさせようとする。
そんな中で鑑定料が上がったとしても、刀が原因なのかを特定することは中々に難しい。
それを理由に、顧客は値上げを断るというわけだ。
大体そんな流れで、間接費の値上がりは価格に転嫁しにくい。
組織の上層部の目が利益のみにしか向いていない場合、こういった間接費が絡むものはなるべく安く済ませようとする。
どうせ値上げできないのであれば、鑑定……いや、検査費用も安く済ませてしまえば良いと、考えるわけだ。
それに、不良品を出さずに出荷するなんて当たり前のことだ。
そんなものに余計な費用を出すなんて、馬鹿らしい。
それよりも、製造量を増やしたり、性能が高い新製品の開発に予算を使った方が会社の業績が上がるだろうと。
品質管理課の俺に残業代が出ずに技術職の人達に残業代が出たのも、端的に言えばそういった理由だ。
だが、俺たちが品質管理をしているからこそ、不良品が世に出回らないわけであって、それを無理矢理安く済まそうとしてしまえば、どこかでそれが破綻してしまう。
また、会社のそういった姿勢は、品質に関する意識の軽視につながり、製造量を増やしたことで検査が間に合わなくなったり、検査に必要な機械があったとしても、それに目を瞑って投資を渋ることにつながる。
そして、最終的には品質を管理しきれなくなって、不正に手を染めてしまうのだ。
不正はまるで風船のように膨らんでいき、最後には盛大に爆発して顧客からの信用を失うことになるだろう。
その時に後悔しても既に手遅れで、会社は大きな代償を払うことになるのだ。
これから俺が話すことは、そういったことの積み重ねによって、会社がめちゃくちゃになった経験だ。
* * *
――ちょうど、俺が前世で品質管理の係長に昇進した頃だった。
世界中で環境負荷物質(例えば鉛やカドミウムなど、人体や環境に悪影響を与える物質)という概念が厳しくなる風潮にあった。
環境負荷物質を含んでいる電化製品等は輸出できなくなるということで、特に大企業はそのことに神経をとがらせ始めるようになっていった。
そして、原料として製品を納めていた俺たちの会社にも、その余波が押し寄せてきた。
取引をしている大企業から、環境負荷物質についての対応を求められるようになったのだ。
品質管理職としての立場から、俺はそういった対応自体については協力的に行おうと思っていた。
だが、納入先からの依頼書を見て、俺は思わず呻いた。
(環境負荷物質についての非含有確認のお願い? これはかなり面倒なことになりそうだ……)
一見すると、それは当たり前のように見える依頼のように見えた。
世間では環境負荷物質が忌避される傾向にある。
当然のことながら、それが入っていないに越したことはないのだ。
――だが、営業を経験していた俺はその依頼の仕方が気に食わなかった。
依頼書に、年に一回でもかまわないという風に記載はされているが、自社で分析ができなければ外部の検査会社を使ってでも調査しろと書かれていたからだ。
また、『来年以降も環境負荷物質の調査を継続する』とも書かれていた。
しかも、その環境負荷物質の調査費用はこちら持ちで、さらに製品に含有していた場合については是正報告をするよう求めていたのだ。
これは、既成事実として環境負荷物質が入っていないことを確認した後に、納入仕様書に環境負荷物質の規格値として組み込みたいということを暗示している。
そして、それによって後々の仕事が大幅に増えることが容易に予測できた。
だから俺は、課長に『今後の環境負荷物質に関する検査負担が増えるから、検査機器などを増設したほうが良い』と提案した。
いずれ、正式に環境負荷物質の測定などの対応をした時に、検査できる量の限界を超えることが明白だと思ったからだ。
――課長はそのことに賛成はしてくれたが、会社はそれを却下した。
検査体制を強化しても、利益が上がるわけではない。
むしろ会社の方は、大手顧客からの半ば強制的なVA提案(要するに値下げする方法を考えて持ってこいという要求)に答えるべく、間接費(直接売り上げに換算できない費用)の削減を模索していたのだ。
そんな中での俺の提案は到底受け入れられるものではなく、むしろコストカットのために品質管理の人員を減らすべく、検査要員のパート化を推進したのだった。
この方策により、一時的には人件費が減って会社の業績は上がった。
だが、それからしばらく経ってから、悪夢のような日々が始まったのだ……
――そう、俺の危惧していたことが現実となってしまった。
会社が納入先の大企業と環境負荷物質について、かなり厳しい規格値を盛り込んだ契約を結ぶこととなってしまったのだ。
さらに、原料のメーカーによっては環境負荷物質が多量に含まれており、そのメーカーの原料を用いると明らかに規格値をオーバーする製品ができてしまうことが判明した。
結局、品質管理課は環境負荷物質の量を減らす為の工程改善の対応もすることになってしまった。
だが、明らかにやるべき分析量が多く、俺が終電まで残ったとしても片付けられない状態となってしまった。
このままでは、製品の検査が間に合わずに出荷することはできなくなることは明白だった。
しかし、大企業相手では、出荷できなければ損害賠償請求をされる可能性が高い。
会社は品質と納期のどちらをとるかの選択を迫られることになった。
幸いなことに、今まで出荷した製品には不合格品がなかった。
だから、それを理由に上層部の誰かが提案した。
『社内保証という基準を作ればよいのだ。全数検査から数ロットに一回の検査に変えれば、問題なく出荷できるだろう。どうせ、今まで不良品が出ていなかったのだから、確認のために検査をするという風に変えてしまえば良いのだ』と……
課長から会社命令としてそれを聞いた時、流石に俺は色をなして反論した。
社内保証をやるなら、不良品が出ていないというデータを顧客に提出して承認をとった上で行うべきだ。
勝手に検査しなかったことが発覚したら、それこそ自分たちの首が飛ぶだけじゃすまないことになってしまうと。
課長は困ったような顔をしながらも『僕に考えがあるから従ってください……曲がりなりにも君も私もサラリーマンなんですから』と言って、その話は終わってしまった。
ただ、課長と工場長が話し合った結果、社内保証とした製品については《特採》という扱いとなることになった。
そして、《特採》となった製品の出荷指示書については、課長印と工場調印、そして会社の決済印を押すことが決められた。
これが正式に決められた時、課長は例の冷たい目をしながら笑っていた。
その時の俺は、何の意図があってそんなことをしたのかが分からなかった。
だが、後でこのことによって俺は救われることになった。
――それからしばらくの間は不良品が発生せず、顧客からのクレームもなかった。
これに味を占めた会社は、検査コストの削減という名目で、あちこちの工程で検査数を減らすように指示をするようになった。
徐々に品質管理課の立ち位置が微妙になり、現場の中にはあからさまにこちらを軽視するような発言をする者も増えてきた。
さらに、工程表に記録しなければならない原料のメーカー名を空欄で出すことすらあった。
普段温厚な課長も、これについては流石に激怒した。
重大な職務規程違反だと工場全体の会議で訴えかけ、その議事録を会社全体に回覧させるところまでやらせたのだ。
このことによって、一時的には品質関連に対する目が引き締まったように見えた。
――そんな最中、ついに会社を揺るがすような事件が起こってしまった。
取引先の中でも最大手の企業からクレームが来たのだ。
それは、先方の受け入れ検査の結果、規格値の数百倍高い濃度の環境負荷物質が検出されたという連絡だった。
俺と課長は、その内容を聞いて戦慄した。
真っ当な原料を使っていれば、まずそんな数値が出ることはないからだ。
すぐに俺と技術部門の担当者と共に原因の調査をした。
すると、とんでもない事実が発覚した。
現場担当者が、環境負荷物質が高くて使用不可としていた原料を使ってしまっていたのだ。
本来であれば、原料投入前にメーカー名を確認してから投入すべきところを、全く何も見ないで投入した上に、直近に使った原料メーカー名を書いていたというのだから救いがたい。
運の悪いことに、社内保証で検査をしないタイミングに、その原料を使った製品が仕上がってしまい、そのまま出荷されて納品されたというのがことの顛末ということだった。
――このことにより、会社の信用は完全に地に落ちてしまった。
大企業相手の検査不正によるクレームということで、本社にはマスコミが殺到した。
連日のようにワイドショーやニュースで取り上げられる中で、会社は主要な取引先をいくつも失っていき、業績が一気に悪化した。
当然のことながら、俺たちの給料は思いっきり下がり、賞与も出なくなった。
待遇の悪さに転職を考える者もいた。
しかし、会社の悪評が高くなりすぎて、同業他社への門戸は見事に閉じられてしまった。
結局、辞めることすらできずに会社にしがみつかなければならないということで、会社の空気がギスギスしたものとなった。
誰もが憤懣やるかたない思いを抱き、誰がこの責任をとるのかと考えていた。
――当初、会社の上層部の人間達は品質管理課と工場長に詰め腹を切らせようとしていた。
取引先の担当者が『勝手に社内保証なんて規格を決めたのは論外だが、真っ当に工程管理と検査をしていればこんな製品が出荷されることはない。品質管理者の怠慢か不正のせいで問題が発生したに違いない』と激怒していたからだ。
会社の上層部はこれ幸いと、品質管理課とその上長である工場長を糾弾しようとした。
社内保証……つまり、《特採》については自分たちのあずかり知らぬところで工場と品質管理課が勝手にやったことである。
品質管理担当者とその課長、そして工場長を訓戒処分として、責任をとらせる方向にもっていこうとしたのだ。
――だが、ここに来て課長が打っていた布石が、大きく効果を発揮することになった。
まずはじめに、《特採》とした製品の出荷指示書に会社の決済印押させたこと。
これは、押す順番こそ、課長印→工場長印→会社の決済印だが、その意思決定となれば逆となる。
会社が決済しても良いと認めるから、工場長は品質管理課に出荷を認めるし、品質管理課はその決定を元に現場に出荷の指示をするという意味合いを持つ。
つまり、出荷指示書の決済印は、会社が《特採》を認めているという証拠であり、これがある限りは会社の上層部が無関係だという言い逃れをすることができなくなるという寸法だ。
さらに、社内全体に回覧させられた工場の議事録により、品質管理課の課長が工場全体の会議で、現場担当者の品質に対する軽視を厳しく糾弾していたと言うことは皆の記憶に新しい。
また、課長に俺が提案していた検査能力の増強の件や、社内保証について取引先への承認をとるべきだということについても、却下される前提ではあったが相談という形で工場長を通じて会社全体の会議の議案として取り上げるようにしてくれていたのだ。
こうすることによって、工場と品質管理課としては『自分たちの本意ではないが、会社命令として従わざるを得なかった』という履歴を残していた。
これらのことから、会社が品質管理課と工場長を管理不届きの理由で訓戒処分に持って行くのは、無理筋だということになった。
だが、上層部の人間達は、自分達に怒りの矛先が向くのを恐れて、品質管理課が会社の品質に関するリスクを指摘しきれなかったことについて、顛末書を提出させることにした。
今回の問題について正確に理解している者達は、こんなやり方をしている上層部自身の矛盾をせせら笑っていた。
ただ、今回の件で後ろめたい思いをしていた現場の一部の人間達は、それを免罪符にしようと考えた。
品質管理課がしっかりしていなかったから、不良品が出荷されたのだと声高に喧伝したのだ。
結局のところ、会社が取った行動は、上層部への不信と社内の不和を生み出すだけに終わってしまった。
――社内のことはさておき、会社外の問題はそんなことで解決するはずがない。
こんな馬鹿なことをしている間に、会社の評判はどんどんと下がっていき、業績もそれにつられるように悪化し続けた。
このままでは、会社の存続自体が危ぶまれる事態にまで追い込まれ、ついに社長自らが腹を切らざるを得ないことろまで来てしまったのだ。
社長は忸怩たる思いを抱きながら、《社内保障》に賛同した会社上層部の人間達を道連れにして引責辞任をした。
社長の退陣に伴い、社長の息子がその後を継ぎ、彼の派閥の者達が上層部の過半数を占めることになった。
これで禊ぎが済んだと判断されたのか、ニュースなどで会社のことが取り上げられる頻度が減り、徐々に業務自体は通常に戻っていった。
――ただ、そこから会社が持ち直すのはとても大変だった。
失った信用を取り戻すのはとても難しく、既存の取引先の繋ぎ止めと新規顧客の獲得は困難を極めた。
でも、残った社員達は会社にしがみつくしかなかった。
だから、がむしゃらに信用を取り戻そうと努力した。
そのおかげで、数年で業績は回復し始めた。
だが、会社が持ち直したところで、また問題が生じ始めた。
新社長が、外部のコンサルタントの意見に感化されて、革新というものにはまりはじめたのだ。
新社長が掲げる方針は、まだ地盤が固まりきっていない会社の現状を全く無視して、新しい技術や製造法を開発するという無謀なものだった。
結局、無理な目標を達成しようとするあまり、現場がまた品質を軽視した行動に走って……
俺が死ぬ羽目になったあの事故につながっていったわけだ。
――紆余曲折あったが、俺は今こうしてヴェルクベルグにて再び品質に関わるチャンスを貰えた。
そして、工房にいる作業者達は、とても気持ちが良い相手だ。
だからこそ、俺は過去に会社が犯した過ちを皆に味合わせないように全力を尽くしたいと、心から願っているのだ。




