以心伝心
フォラスはグラスに注がれた酒を一気に空けながら溜息をついた。
「……とまあ、そういった経緯でドワーフ達の技術は断絶したというわけじゃよ。」
彼はこともなげに言ったつもりだったようだったが、その表情は憂愁に沈んでいた。
俺は空になった彼のグラスに酒を注ぎながら、相づちを打つように言った。
「そういった話であれば、私室で二人っきりで話したくなるのも分かる気がするよ。」
「物事の表面だけを聞いて、分かったようなことを言うでない。あの一件で儂は臍を噛む思いをしたのじゃぞ。」
フォラスはフンと鼻を鳴らすと、あおるようにグラスを空けてぼやいた。
「そもそも、ヒルデ様が儂に隠し立てをするわけがないじゃろう? じゃから、ベトレウスの暗躍については儂も把握しておったのじゃ。ただ、儂がベトレウスの陰謀を看破出来なかったほうが都合が良いから、表向きにはそうしたというだけのことじゃよ。」
一瞬俺の中で、フォラスがスミス達に異世界の技術を教えたことの影響が頭によぎった。
彼のもたらした技術によって、間接的にドワーフ達は破滅への道をたどった。
考えようによっては、彼は確信犯的にそうしていた可能性もなきにしもあらずだ。
でも、目の前に居るフォラスの沈痛な表情が、それは違うということを物語っている。
だから、俺はあえて何も言わずに彼のグラスに酒を注ぎ足す。
そして、自分の迷いを振り切るようにグラスを一気に空けて、フォラスに酒を注ぐように促した。
フォラスはなんとなく俺の意図を察したのか、少し表情を和らげながら俺のグラスに酒を注ぐ。
「ケイがそうやって酒を望むように、スミス達も最初のうちは純粋な目で儂を師匠として慕ったものじゃったよ。じゃが、彼らはそれを自らの才能のなさを転嫁するための道具に使い始めてしまった。」
そして、天井を見ながら深く息を吐いた。
「それでも、儂は一度は慕って来た者を無碍になどしたくなかった……ベトレウスの陰謀を明るみにして、ドワーフ達の破滅を止めたかったのじゃ。しかし、ヒルデ様はそれはドワーフ達がやるべき試練であって、決してそれに口出しをしてはならないと、儂に厳命された。」
フォラスは忠実にヒルデの言を守った。
だけどその結果、多くのドワーフ達が禁忌の技術によって命を奪われてしまったのだ。
「結局の所、儂はそんな純粋だった彼奴らが破滅へと足を進めるのを分かっていながら、敢えてそれを見過ごし続けた非情な悪魔というわけじゃ。」
居たたまれなくなった俺は、フォラスのグラスを奪って彼に注いだ酒を一気に飲み干した。
乱暴に飲まれた酒が抗議するように俺の喉を熱く焼く。
そして、その感覚に任せるがままに、俺は大袈裟に溜息をついた。
「はあぁぁぁぁぁ……名は体を表すと言うけれど、この酒は爺を糞爺にしやがる! いつも飄々として人を小馬鹿にしている爺が、らしくもない弱音を吐いたり、ぐだぐだとくだを巻いて居るじゃないか。」
フォラスが眉間に青筋を立てながら俺をじっと睨んだ。
「ケイよ……どういうつもりか? 儂を侮辱するつもりなら許さぬぞ!」
俺はテーブルに身を乗り出して、彼の目を見ながらはっきりと告げた。
「確かに昔のフォラスの行いのせいで、間接的にドワーフ達は絶望に追い込まれた。でも、今のヴェルクベルグの工房の者達は気持ちが良い奴らばかりだった。それはフォラスやアンバーがしっかりと贖罪の意思を持って彼らを育て上げたからじゃないのか?」
フォラスは目を見開いてしばらく固まっていたが、憮然とした表情で言い返してきた。
「それは、ケイが上手く立ち回ったからであって、工房内でも諍いが絶えなかったはずじゃ。」
俺は静かに首を振って、畳みかけるように言った。
「諍いは仕事をしていればあるもんだよ。でも、相手の提案を聞き入れるかどうかについては現場の職長の度量次第さ。だから、そういったことが出来る土壌を作ったのはフォラスとアンバーが頑張ったからなんだ。」
フォラスは二の句が繋げずに黙っている。
俺は彼のグラスをそっと下ろすと、酒を注ぎ直す。
そして、気恥ずかしげな顔をしながら頭を掻いた。
「フォラスは俺のことをおちょくったり、からかったりするけれど……俺が本当にやばかった時は自分の立場を顧みずに助けてくれたじゃないか。それに、色々と心配してアドバイスをしてくれる。そんな優しい奴が非情な悪魔だなんて……寂しいことを言うなよ。」
フォラスは俺の言葉に毒気を抜かれたような顔をした。
そして、すぐにいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべ、両手で身を守るふりをしながらクネクネとしはじめた。
「まさか……ケイが儂に惚れておったとは!? じゃが、儂はお主の気持ちを受け取るわけには行かないのじゃ! 可愛い嫁がおるからのう。」
まさかの行動に、俺は想わず吹き出してしまう。
「ぷっ……ははははは! やっぱりフォラスはそういう風にしている方が似合ってると思うよ。」
そんな俺につられてフォラスも笑い出す。
そして、不意に俺の耳に何者かの息が吹きかけられた。
「どわあぁぁぁぁぁ!? なんてことしやがるこのセクハラ糞爺! ……ってあれ??」
びっくりした俺は、慌ててフォラスを怒鳴りつけた。
だが、当のフォラスが後ろを見てみろと、指をさしている。
首を回してそちらを見ようとした瞬間、いつもの如く指が頬に刺さった。
どうやら、ノクターンがいつの間にか俺の背後に居たようだ。
「お姉さんもダーリンは笑っている方が魅力的だと思うのよね。でも、人の旦那様を口説いちゃ駄目よ?」
「……いつから聞いていました??」
彼女は自分の指に顎を乗せながら、可愛らしく首をかしげた。
「こっちのマルトーの話からドワーフの滅亡まで……って所かしら?」
(ほとんど全部じゃないか!? じゃあ……アリシアは何をしているんだ?)
ノクターンは俺の表情を読んだのか、悪戯っぽく笑った。
「アリシアなら、ケイの為に料理を作っているわよ。とっても幸せそうな顔をして、ケイの為に美味しいものを作ってあげたいって言っていたわ。」
(なんというか、俺……幸せ者だなぁ)
彼女はフォラスの方を一顧しながら、ふわりと俺の頭を撫でた。
「ケイは偉いわよね。アリシアに作った料理が美味しいっていつも伝えているんでしょ? うちのダーリンなんて、料理を口しても『うむ……』しか言わないのよ。これでも、結構頑張って作っているんだから、もう少し気の利いた言葉をかけてくれても良いと思うのよね。」
フォラスは右眉をピクリと上げながらそっぽを向いた。
「ノクターンの料理はとても美味いと思っておる。じゃがのう……ケイみたいな小っ恥ずかしい台詞を言わされるのはどうかと思うのじゃ。儂とノクターンの心は通じておる故、わざわざそんなことを言わんでもそういった気持ちは通じておると思うのじゃよ。」
(この糞爺……全く分かってない……)
俺は呆れた表情を作りながら、大袈裟にかぶりを振った。
「まったく……美味しいと言ってくれるって期待している間が結婚生活の旬でしょうに!」
納得がいかないような顔をして居るフォラスを見て、俺はある言葉を思い浮かべる。
俺はフォラスとノクターンを交互に指さし、自分の胸に手を当てた。
「確かに、フォラスが言うように、俺の世界にも《以心伝心》っていう、無言のうちに心が互いに通じあうという言葉はある。フォラスとノクターンはそれだけ長い間一緒に過ごしてきたんだし、そういったことはありかもしれない。」
フォラスはそれ見ろという表情で俺を見た。
一方、ノクターンの方は少し残念そうな表情をしている。
俺は少し真面目な顔で彼に言った。
「そして、この言葉の前身は《不立文字》。禅という宗教の言葉で、悟りを開くためには経典に書かれている文字や言語にとらわれず、物事の本質を見るべきだという言葉からなっている。」
フォラスは興味深げな顔で頷く。
「ふむ……確かにそれは心理の一つかもしれぬのう」
俺はそんな彼を見据えて、禅問答をするような口調で問いかけた。
「さっきフォラスは、俺にドワーフの話をしてくれたけど、本質を見る事が出来るって事は基礎的なことをやりきっているというわけだ。つまり、経典を諳んじられるぐらいに読破していなければ、経典を見なくても良いって事にはならないよね?」
「むむむ……確かに、それはそうかもしれぬ……」
俺は我が意を得たりという表情で彼に告げる。
「感謝の気持ちも同じで、料理を作ってくれたならしっかり感謝の気持ちを伝えるっていうのは基本的なことのはずさ。それが出来てないのに以心伝心なんておかしな話だと思うんだよ。」
フォラスは眉毛をピクピクと上下させて考え込んだ後、ノクターンに向き直った。
そして、深々と頭を下げた。
「お主の料理はいつも美味しいぞ。儂の細かい好みまで覚えていて、しっかりとそれに合わせようとしてくれているからのう。これからは、素直にその気持ちを伝えるとしよう。じゃから、今日の料理も楽しみにしておるぞ。」
ノクターンの顔が瞬く間に明るくなって、ふわりとフォラスを抱きしめた。
「ダーリンったら……どう言葉に表して良いか分からないくらい嬉しいわ! やっぱり、愛する人から感謝の気持ちを言葉に出して伝えられると格別の気持ちになるの。」
幸せそうな二人の姿を見ていると、俺の心もなんだか温かくなってくる気がする。
すると、ノクターンがふと何かを思い出したような顔でフォラスに言った。
「アズ君とアンバーもこうやって気持ちを伝え合えれば仲直りできるんじゃないかしら?」
フォラスは片頬を上げてニヤリと笑うと、俺をじっと見た。
「そうじゃな……きっと、ケイも一肌脱いでくれるじゃろうて。フェンリルや儂ら、そしてアントピリテにも良い縁をもたらしたのじゃから、アンバーにだってそうしても良いじゃろう?」
(なんだか分からないけど、面倒くさいことに巻き込まれてる??)
俺の何とも微妙な表情を見て、ノクターンが首をかしげる。
彼女はしばらく何かを考えた後、少し真面目な顔になってフォラスに問いかけた。
「もしかして……一番大事なことをケイに教えてないのかしら?」
フォラスはしまったという様な表情で、慌ててノクターンから目線を外す。
ノクターンはそんなフォラスの頭をペシりと叩いて、その勢いのままに彼の頭を下げさせた。
「うちのダーリンがごめんなさいね。用心深いから、核心の部分をはぐらかして自分で抱え込む癖があるのよ。今回の件で一番大変なのは技術の継承じゃなくって、アンバーとアズ君の確執なの。」
俺はフォラスから聞いた話を思い起こしながらノクターンに訊ねた。
「えっと……アンバーが外に出るようになってからアズガルドとの仲が悪くなったということは、アズガルドの領分をアンバーが侵すようになって、それで確執が生まれたってことでしょうかね?」
俺の問いかけが意外だったのか、ノクターンが唖然とした顔のまま固まる。
フォラスは度し難いといった表情をしながら、首を横に振った。
「ケイよ……儂とノクターンの話をまともに聞いていれば、そういう話にはならぬじゃろう?」
「ええっ!? そうなの?? じゃあ、どうしてそうなっちゃったんだろうか……」
ノクターンもフォラスに同意するように額を手で覆った。
「ケイって、鋭い時とに鈍感な時の差が激しすぎるんじゃない? 端的に言えば、アズ君はアンバーのことが好きなのに不器用な性格のせいで色々とこじらせちゃってるってことなのよ。」
「つまるところ、痴情のもつれということか……って!? まさか俺にそれを解決しろって言うんじゃないでしょうね?」
ノクターンとフォラスは我が意を得たりと言った表情をして、息を合わせて頷く。
(まったく……こういう時だけ以心伝心にならないでくれよ……)
明らかに地雷案件の話を振られて俺が頭を抱える中、アリシアが料理を持って部屋に入ってきた。
「お待たせしました! 今日は腕によりをかけて作りましたので、時間がかかってしまいました。」
ふんわりと部屋に美味しそうな香りが満たされて、頭痛が少し和らぐ。
アリシアは料理をテキパキとテーブルに乗せると、俺に優しく笑いかけた。
「少し疲れた顔をして居ますね……きっと、フォラスの為に尽力してくれたのですね。暖かいスープもありますので、しっかりと疲れを取って下さい。」
(天使……いや、女神様がおる!?)
アリシアのあまりの優しさに俺が感動していると、ノクターンがそれに対抗するように不敵な笑みを浮かべた。
「あらあら……見せつけてくれるじゃない。じゃあ、私も料理を振る舞うわね!」
彼女はいきなり部屋の空間に裂け目を作って、無造作に中から肉料理を取りだした。
その料理は作りたてのように熱々で、湯気を出している。
「えっ……何……それ?? 猫型ロボットのポケットみたい……」
状況が理解できずに唖然としている俺へ、ノクターンは自慢げに言った。
「とある深淵の世界に食べ物を封印しておいて、必要な時に取り出せるようにしたの。あっちの世界での千年がこっちの世界での一日ぐらいだから、作りたての料理がすぐに振る舞えるって寸法よ。」
(深淵って、そんな風に使って良いのか!? ……というか、これって食べて大丈夫なんだろうか?)
俺は胡乱げな顔をしながら、目の前に出された食べ物を注視する。
流石のフォラスもこれには度肝を抜かれたようで、口をあんぐりさせているようだ。
ノクターンはそんな俺達を見ながら、満面の笑みを浮かべた。
「ささっ! 料理が冷めちゃうから、食べましょうよ。」
色々な疑問を抱きながらも、俺は目の前に出された料理を口にする。
「……美味しい!? 焼きたての肉の香ばしさが鼻に抜けてきて、今飲んでいるお酒とよく合うじゃないか!」
思わず感嘆の叫びを上げる俺に、何故かフォラスの方が誇らしげに言った。
「そうであろう! 儂のノクターンは料理が上手なのじゃ。味付け、焼き加減共に素晴らしい出来映えじゃ。」
ノクターンは目を輝かせてフォラスに抱きつく。
アリシアがそんな二人を見ながら、俺の傍らに寄り添って囁いた。
「いつか私達も結婚して、あんな感じの夫婦になれるのでしょうか?」
(アリシア……)
俺はそんなアリシアの肩を抱いて、優しく呟いた。
「そうだね……今だって十分すぎるぐらい気持ちが通っているんだ。きっと、そうなれるに決まっているさ。」
それを聞いたアリシアは、俺をギュッと抱きしめて嬉しそうな顔で微笑むのだった。




