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禁忌の秘術

 マルトーが姿を消してから百年ほど経った頃、ドワーフは大きな問題に直面していた。

 壮年となったスミスはヴェルンドの後を継いでドワーフの長になりたいと思っていたが、未だマルトーの皿を超えるものを作ることが出来ずにいた。

 彼の一派のドワーフ達も、我こそがドワーフを盛り立てようと意気盛んに制作に取り組むが、マルトーどころか古参のドワーフの中等レベルにすら達していなかった。



 ――ヴェルンドはそんな息子達を見て深く嘆いた。


 彼らは自らの作品に華美な装飾を施したり、異世界の先鋭的な技術を使って特殊な加工をすることに注力し続けた。

 だが、マルトーが作った皿は本質的な美しさが研ぎ澄まされていて、それ以上の手を加えられないほどに完成しているのだ。

 だから、下手な小細工を弄したところで、その皿を引き立てるだけの存在と成り果ててしまう。

 マルトーの技術に打ち勝つために必要なのは、表面的な技術ではない。

 彼の技術は芸術に対する真摯で熱い情熱と、それを掴むために血の滲むような思いで続けた修練によって裏付けられている。

 至高の作品を目にしたならば、それを超えるだけの修練と審美眼を磨いて自らの能力を向上させる。

 古参のドワーフ達は、誰に言われることもなくそうやって作品を作り続けてきた。


 だが、スミス達は安易に異世界の先鋭的な技術や目新しい装飾などを作品に施すだけで、本質的な能力の向上に努めていない。

 確かに、新しい技術を学ぶことは既存の技術を超えるために必要な要素ではあるが、それは基礎が習熟できていて、何が足りないのかを理解した上でやるべき事である。

 枝葉の先の細かい技術を使い分けることが出来たとしても、根本の理を理解していない限りは付け焼き刃の域は超えられない。

 そんな簡単なことすら理解できない彼らに、ドワーフの長を継がせるわけにはいかないのだ。

 ただ、ドワーフの寿命が数百年あるとしても、いつかは土に還るという定めには逆らえない。

 自らの生がある内に、どうにかして次世代を担うドワーフを育成しなければならない。

 ヴェルンドや古参のドワーフ達はそう決心して、スミス達にまずは基礎技術を向上するべきだと説いた。

 しかし、スミス達の姿勢は変わらず、世代の間に生まれている溝はさらに深まっていくのだった。



 ――そんな中、ドワーフの元に異世界からの転生者がやってきた。


 ベトレウスと言う名のその転生者は、物腰が穏やかでとても紳士的な風体をしていた。

 見た目は少し大人びた青年のようだったが、温和な眼差しと落ち着き払った弁舌を振るう様は老成した指導者のようにも見える。

 そんな彼はスミスの作った工芸品に感銘を受けたらしく、毎日のように工房の前へ足を運んでスミスに師事を求めるようになった。

 最初のうちは外部の者に技術を見られるのを嫌がっていたスミスだったが、ベトレウスがあまりにも真摯に師事を願うことに心を動かされて、工房への出入りを許すことにした。

 ベトレウスは前世で魔道具を収集するのが趣味だったらしく、異世界の先鋭的な技術を体現するスミスの腕前を称賛した。

 それに心を良くしたスミスは、ベトレウスを自分の一派であるドワーフ達と交流させることにした。

 ベトレウスはそのことを非常に喜び、控えめながらもスミス達と共に異世界の技術についての論評に参加した。

 スミス達はベトレウスに全く期待していなかったが、彼は要所要所で的確で具体的な解決案を提示するため、次第に重宝するようになっていく。

 そして、最終的には創作活動の相談役として彼を重用するようになってしまうのだった。



 ――だが、ヴェルンドはベトレウスのことを決して信用しなかった。


 ベトレウスの目の底には氷のような冷たさがあり、他者の心の隙間を間断なく窺っていることを見抜いていたからだ。

 ああいった輩は、他者の心の中にぬるま湯のような生暖かさで入り込み、いつの間にか自分の手足のように動かし始めるに違いない。

 そう感じたヴェルンドは、スミスにベトレウスを決して信用してはならないと忠告したが、彼は全く話を聞こうとしなかった。

 そればかりか、ベトレウスに進められるがままに異世界の秘術とやらに手を出し始め、自分の一派と共に自らの工房に引きこもる始末だった。

 ヴェルンドはスミス達を根気強く説得しようと足繁く彼らの工房に足を運んだが、彼らは工房の扉を固く閉ざしてそれを拒否し続けた。

 古参のドワーフ達は、『もうスミス達を見限って彼らの次の世代のドワーフに技術を継承させた方が良い』とヴェルンドに注進したが、彼は決して首を縦に振ることはなく、毎日のようにスミス達の工房へ通い続けた。

 だが、自分の息子の道を正してやりたいと思うヴェルンドの心とは裏腹に、工房の扉はスミスの心の様に固く閉ざされ続けたのだった。



 ――そんな状態がしばらく続いたある日、ヴェルンドの元にベトレウスが現れた。


 ベトレウスは満面の笑みを浮かべながら、ついにスミスが異世界の秘術を完成させたとヴェルンドに告げた。

 そして、すでに古参のドワーフ達は彼の工房へ向かっているので、ヴェルンドにも是非来て欲しいと言った。

 ヴェルンドは何故スミスが直接言いに来ないのか疑問に思ったが、息子とようやく話が出来ると思って工房へと向かうことにした。

 スミスの工房の前に着くと、ヴェルンドはどうにも嫌な雰囲気を感じた。

 工房というものは熱く、そしてどこか活気がある物のはずだ。

 だが、ここからはむしろ氷のような冷たさと静けさを感じる。

 本能的に、ヴェルンドはアンバーとフォラスを呼んだ方が良いのではないかと思った。

 だが、まずはこの目でスミス達が何を成し遂げたのかを見る必要があると思って、工房の中に足を進めるのだった。



 ――工房の中は薄暗く、氷室のような涼しさを感じさせた。


 入り口にあったランタンに火を灯すと、工房の壁一面に水晶のような結晶が析出していることが確認出来た。

 なんとも奇怪な状況に戸惑うヴェルンドに、ベトレウスは奥でスミスが待っていると囁く。

 彼に促されるままに工房の奥に足を進めていく。

 そして、工房の最奥に白銀の剣を持ったスミスがいた。

 だが、それはヴェルンドが知っているスミスではなかった。

 工房仕事で浅黒くかった肌は、病的なまでに青白く輝いている。

 そして、燃えるように情熱的だった目は、冷めた黄金のような色をしていた。


 ヴェルンドに気づいたスミスは誇らしげに白銀の剣を掲げた。

 だが、その剣を見たヴェルンドは、総毛立ってその場に固まってしまった。

 その美しい白銀の剣が、魂すら引き込まれそうな怪しい輝きを放ちながらヴェルンドに近くに来るように誘いかけてきたからだ。

 ヴェルンドは身にまとわりつくような生ぬるい気配と共に激しい脱力感に襲われた。

 そして、言いようのない冷たさが体全体を支配していく。

 抗いようのない強制力を感じながらも、ヴェルンドは必死で剣から目を背けようとして思わず天を仰いだ。



 ――そして、ヴェルンドは見てはならぬ物を見てしまった。


 天井一面に顔が埋まっていた。

 そして、それは見知った者達の顔だった。

 共に技術を研鑽し合った古参のドワーフ達、そして次世代を担うはずだったスミス一派のドワーフ達……

 その全てが物言わぬ結晶と成り果てて、天井を彩っていたのだ。

 あまりのことに、ヴェルンドは声が枯れんばかりに叫んだ。

 彼の慟哭はまるで鎮魂歌のように工房全体に共鳴していく。

 だが、その場で死者を悼む心を持つ者はヴェルンドの他にはおらず、池に投げた石の波紋のように叫びは徐々に静まっていくのだった。

 

 工房に静けさが戻ると、スミスはヴェルンドに淡々と異世界の秘術について語り始めた。

 それは、肉体と魂を分離する技術からはじまった。

 その分離する技術を反転させて、魂を吸着させて取り込む技術を構築する。

 さらにそれを定着させる技術によって、永遠の命を得る技術が完成した。

 そして、この手に持っている剣がその技術の粋を尽くしたものであり、自分こそがその技術を体現した傑作であると。



 ――ヴェルンドはあまりのおぞましさに震えながらも、怒りのままに叫んだ。


 技術は連綿と続くものであり、無垢なる者は老練たる者から技術の種を贈られる。

 その種を花開かさせるために、豊壌な大地となるべく自らの才を磨いていく。

 花開いた技術は円熟していつしか種となり、次世代への贈り物となるのが理なのだ。

 お前は貪欲な欲望のままにその種を全て食べ尽くしてしまった。

 また、ドワーフが積み重ねてきたのは技術だけではなく、素晴らしい文化や風習もあった。

 お前の子供もその文化や風習に触れる中で、素晴らしい感性を磨けるはずだった。

 その素晴らしいものを自らの欲望のままに食い尽くしたお前は、もはやドワーフではなくただの化物に過ぎないのだと。



 ――ヴェルンドの渾身の叫びも空しく、スミスは無表情にかぶりを振った。


 永遠の時間の中ではそのようなものは些末なものに過ぎない。

 真に才ある者が悠久の刻を経て生み出す叡智こそが重要であり、常に新しき技術を求め続ける自分のような者こそが、美を追究し続ける権利を持つ。

 古き慣習や常識にとらわれ、新しい技術の素晴らしさを認められぬ愚者は、自分の刻の糧となって支えるのが当然であり、それは同胞や肉親であっても例外ではないのだ。


 スミスは傲慢な笑みを浮かべながらヴェルンドに向かって白銀の剣をかざした。

 すると、剣から七色の光が放たれて、ヴェルンドの体を包み込んでいった。

 ヴェルンドは、体から何か大事なものが抜け出ていくような感覚を覚えながら自らの無力さを嘆く。

 彼が死を覚悟した瞬間、轟音と共に床から火柱が上がり工房が炎に包まれた。

 光が霧散して、ヴェルンドは力なく地に倒れ伏す。

 目が霞んでしまってよく見えなかったが、誰が自分を助けたのかはすぐに分かった。

 そして彼が何故ここに現れたのかということも察してしまった。



 ――《炎竜》アズガルドが禁忌に触れた者を粛正に来たのだ。


 ヴェルンドは息も絶え絶えになりながらも、彼に自らの不徳とアンバーへの不敬を詫びた。 

 そして、自分と息子は粛正されてもかまわないから、どうか生き延びた孫世代のドワーフと女子供だけは赦して欲しいと懇願した。

 彼……いや、アズガルドはそれには答えず、人型だった体を飛竜へと変化させた。

 彼は後ろ足で無造作にヴェルンドを掴み上げると、工房の天井を破壊して空へと飛翔した。

 アズガルドは眼下に広がるドワーフの工房がある区画を一睨みすると、その一帯を溶岩の海へと変えた。

 ヴェルンドは、あまりのことに言葉を失ってうなだれる。

 一方、スミスは逃げ場のない灼熱地獄の中、苦悶の声を上げた。

 だが、彼は不死となったために死ぬことが出来ない。

 不死ということの業の深さを甘く見ていたことを後悔しながら、スミスは溶岩の中に引きずり込まれていく。

 スミスの体が腰ほどまで溶岩に飲み込まれたところで、どこからともなくベトレウスが現れて、彼の元に舞い降りた。

 そして、スミスの手から白銀の剣をもぎ取ると、穏やかながらも嘲るような口調で禁忌の技術に手を染めた彼の愚行を窘めた。

 スミスは激昂しながらベトレウスを罵ったが、あえなく溶岩の海へ沈んでいくのだった。

 空からその光景を見ていたアズガルドは、ベトレウスも粛正すべく猛然と突進する。

 だが、ベトレウスはそれよりも早く、自らの首を剣で跳ね飛ばした。

 意味の分からない行動に、アズガルドの動きが一瞬鈍る。

 だが、その一瞬の間に天界から光が降り注ぎ、ベトレウスと白銀の剣は天界へと消えていった。

 後に残されたアズガルドは興ざめしたような表情でそこを一瞥すると、ヴェルクベルグの山頂へと向かった。

 後に残された燃えさかる溶岩の海は、彼の気持ちを示すかのように漆黒の岩盤へと変わっていくのだった。

 山頂に舞い降りたアズガルドは、ヴェルンドをそっと下ろした。

 すると、そこに避難していたドワーフ達がヴェルンドの元へと駆け寄ってきた。

 訳も分からずに混乱するヴェルンドに、アズガルドはそっぽを向きながら告げた。

 アンバーの民を彼女の意思無くして害すわけがないと。



 ――そう、炎竜アズガルドはドワーフ達に慈悲を与えていたのだ。


 ヴェルンドの孫の世代である若きドワーフ達と女子供は、アズガルドの警告により山頂へと避難していた。

 また、足や腰を悪くして引退していた古参のドワーフ達も、若いドワーフ達に抱えられて難を逃れることが出来ていた。

 そのため、今回の一件で犠牲となったのは古参のドワーフ達と壮年のドワーフ達だけだった。

 ヴェルンドは生き残ったドワーフ達との再開を喜び、アズガルドへ感謝の意を伝えた。

 だが、アズガルドは厳しい表情でヴェルンド達を叱責した。



 ――今回の件は、アンバーへの不敬から始まったことだ。


 ドワーフはアンバーの恩寵を受けながら、彼女の好意に甘えて自らの権威を頑なに手放さなかった。

 この地はアンバーの恩寵によって成り立っていて、彼女がいなくなればただの石ころしか存在しない荒れ地へと成り果ててしまう。

 そんな彼女への畏敬の念をしっかりとスミス達に伝えていれば、この地で禁忌の技術に手を染めるなどということは決してしなかっただろう。

 それが出来なかった時点で、ヴェルンドに今回の一件の責があったと考える。

 よって、ヴェルンドはこの地から去らねばならない。


 そして、スミスの代にてドワーフの技術は汚濁にまみれてしまった。

 だから、残されたドワーフ達については、今までの技術を放棄して一からやり直さなければならない。

 そして、同様の事が起こらないようにアンバーの監視下の元で誠実に職務に努めるべきであると。


 アズガルドの言葉は厳しかったが、今後のドワーフの未来を繋ぐためにかけた慈悲であることは明らかだった。

 その場に居たドワーフ達は皆アズガルドの寛大さに心打たれ、平伏して彼の言葉に従う意思を見せた。

 ヴェルンドは今回の件を戒めとすべく、自らの弟子の中で最も誠実で純粋な心の持ち主だったマルトーの名をスミスの子に名付け、贖罪のために亜人の街エリシオンに旅立った。

 残されたドワーフ達はアンバーに改めて恭順の意思を示し、彼女の指揮の下に街を再興したのだった。

 


 ――ドワーフ達が引き起こした事件は、魔王軍を震撼させた。


 自刃したベトレウスは転生者のため、天界でこの世界で行ったことの審判を受ける。

 当然のことながら、彼は魔王軍の者の危険性を確認すべく禁断の秘術を教えたという詭弁を弄するに違いない。

 天界としてはそれを口実として、魔王軍に対する締め付けを厳しくするだろう。

 むしろ、ベトレウスはそれを狙って魔王軍に転生してきたのかもしれない。

 いずれにせよ、この一件についてどう対処するかを考えなければならないからだ。

 だが、ルキフェルとヒルデは、全く動じることはなかった。

 フォラスとアンバーに責任を持って次世代を担うドワーフ達の技術指導をすることを命じただけで、他のことについては不問とすることにしたのだった。



 ――実のところを言えば、ヒルデはベトレウスの行動をずっと見張って居た。


 彼女はドワーフ達がアンバーに対して畏敬の念を持って接しているかを、この一件を利用して見定めることにした。

 ドワーフ達がしっかりと恭順の意思を持ってアンバーに従うならそれでよし、逆に彼女を軽んじるようであればそれ相応の報いを受けさせるというわけだ。

 アズガルドとしても、それに関しては利害が一致していたため、ヒルデの指示に従って行動をした。

 結局の所、スミスの一件は精霊魔女に従わなかった者の末路としての見せしめとして使われることとなった。

 そして、この一件を期に魔王軍全体の規律は正されて、天界のつけいる隙を無くすことに繋がった。

 また、天界でのベトレウスの審判についても、この一件についての詳細な報告書を事前に送っておいたこととドワーフ達の粛正と処罰をしっかりと行っていたために、魔王軍としてもそれほどの大事にはならなかった。

 ただ、ドワーフが禁忌の技術に手を染めたという事実は確かなことなので、ベトレウスは情状酌量の余地があるとして他の世界への転生という処置が執られることになった。

 また、あの忌まわしい白銀の剣については、ラファエルの手によって聖剣リュミエールという名の宝剣として打ち直され、ミカエルが厳重に保管することになったのだった。

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