アルケインの才覚
俺とアリシアはフォラスに強引に引っ張られながらゲートを抜けてヴァルハラに辿り着いた。
外に出るや否や、ノクターンが満面の笑みでフォラスに抱きついた。
「愛しのダーリンおかえりなさい! ご飯はもう出来ているけど、食べるかしら? それとも私と二人っきりの甘い時間のほうがお好みかしら。」
ふわりとした感じだがなんとも情熱的な抱擁を見せる彼女の姿に、俺は思わずそこから目線を外そうとしてアリシアの方を見る。
アリシアの方は羨望と羞恥の入り交じったような微妙な表情で、赤面しながらフォラス達の様子を見ている。
そんな俺達の様子に気づいたフォラスが、眉間に皺を寄せながら大きく溜息をついた。
「これ……ノクターン! お嬢様がいる前で、なんて破廉恥な真似をするのじゃ。」
ノクターンは笑みを崩さずに、フォラスの頬に熱い口づけをする。
「だって~私達、新婚さんなのよ? それに数百年も好きだった相手とこうやって添い遂げられているんだから、少しぐらい甘々な生活したって良いじゃないの。」
フォラスはさらに眉間に皺を寄せつつも眉毛がピクピクと嬉しげに震えている。
そんな彼の姿を見て、俺は思わず吹き出しそうになった。
めざとくその様子を確認したフォラスが、こちらを睨み付けながらノクターンを叱りつけた。
「ええい、離さぬかあぁぁぁぁ! 今はそのようなことをしているほど暇ではないのじゃ。儂はケイ達と仕事があるので飯は後にする。後で行くから待っておれ。」
愛するダーリンの素っ気ない態度に、ノクターンはショックを受けたような顔をしてしょんぼりしながらすごすごと洋館へと戻ろうとする。
それを見たフォラスが慌てて彼女の手を取り、優しく口づけをした。
「まったく……そんなことで拗ねるでない。冷めたとしてもお主が作る料理は美味いのじゃから、楽しみにしておるわい。」
彼の振る舞いにノクターンは笑顔を取り戻す。
「分かったわ、ダーリン! それじゃ、早く仕事を終えて戻ってきてね。そういえば、アルケインも工房へ行く予定だから、一緒に行ったら良いんじゃないかしら。」
彼女はそう言うとフォラスに投げキッスをして姿を消した。
一方、俺は得体の知れないような物を見た気がして、思わずフォラスを凝視した。
(あのフォラスがこんな風になるなんて……結婚ってすげえ!?)
俺が何を考えて居るのかを察したようで、彼は途端に不機嫌そうな顔になった。
「ケイがお嬢様といつもしていることに比べれば、千倍……いや、万倍はましに決まっているのじゃ! ほれ、ボサッとせずにさっさと目的の場所にいくぞ。」
悔し紛れに吐き捨ててはいるが、フォラスの眉は動揺を隠しきれずに震えている。
そんな彼の様子を見て、俺とアリシアは思わず顔を見合わせ、声を上げて笑うのだった。
* * *
俺達はアルケインと共にマルトーがいる工房へと向かう。
久々に見たアルケインは相変わらず艶やかで綺麗な黒髪だったが、その髪は深海色の綺麗な貝の髪留めで結わえられている。
彼は俺の視線に気づいたようで、愛おしげな表情で髪留めに触れた。
「アントピリテが私にくれたんです。仕事で一緒にいられない時も、いつでも彼女を側で感じられるようにって。」
俺とアリシアが微笑まし気な顔でアルケインを見ていると、死霊の母子が近づいてきた。
「ああっ!? あの《大賢者の献身》で有名なアルケイン様ではないですか! お目にかかれて光栄です。」
(へっ……なにそれ??)
俺が怪訝な顔でアルケインを見ると、彼は気恥ずかしげな顔で首を掻いた。
「いえ……その、アントピリテが私の前世の事を戯曲にしてくれたみたいで、ヴァルハラではそれが流行っているみたいなんですよ。」
「アルケインが主役の戯曲なんだね。俺も是非一度聞いてみたいもんだなぁ。」
俺達の様子を見たフォラスは、憮然とした表情で大きく肩をすくめた。
「あの娘は、アルケインの偉業がロランの影に埋もれてしまっていると息巻いておってな。わざわざその生き様を戯曲にしてヴァルハラで歌いおった。自分の歌がもたらす影響力というものを全く考えずに向こう見ずなことをするから、儂が後でヒルデ様に申し開きをするハメになってしまったわい……」
アルケインが恐縮した様子でフォラスに頭を下げる。
「その節は、本当にお手数をおかけ致しました。」
フォラスは何故か俺の方を指さして、度し難いといった表情をした。
「全てはケイが悪いのじゃ。まったく……ケイが儂にネレイスの興行という余計な入れ知恵をするからに、このような目にあったのじゃ! もっと後先を考えて発言することは出来ぬのか?」
彼の態度にイラッとした俺は、悪い顔をしてフォラスの後ろを指さした。
「フォラスの後ろにティターニアが!?」
途端にフォラスがビクッとして後ろを振り返るが、後ろには誰もいない。
俺は大袈裟に肩をすくめながら言葉を続けた。
「いたとしたら、そんなことは言わないんだろうなぁ~?」
フォラスは顔を真っ赤にしながら俺を仕込み杖でボカスカ殴ってくる。
「貴様あぁぁぁぁぁ!? 師匠を脅すとは何事じゃぁぁぁぁぁ!」
「やましい気持ちがあるからビクつくんじゃあぁぁぁぁ! 悪魔の総統とやらが器が小さいことを言ってんじゃねえぇぇぇぇぇ!!」
俺とフォラスのやりとりに、アルケインが思わず吹き出しかける。
「フォラス様がそのように砕けた姿になられるのは珍しいですね。私共と接するときは、かなり粛然としたものなので……」
フォラスは少し優しげな表情をしながらアルケインの肩に手を乗せた。
「どちらの儂も素の状態ぞ。アルケインは儂の眷属じゃし、放っておいても安心できるだけの器量があるから色々と任せておるのじゃよ。じゃが、ケイの場合はやんちゃで向こう見ずな出来の悪い孫をしつけるような気持ちになってしまう。ただ、それだけの違いなのじゃ。」
(いつの間にかに身内の様な存在にされてるんですけれど……)
無意識に困惑した表情を浮かべていたようで、俺の表情を見たフォラスが不機嫌そうに眉をひそめる。
「なんじゃその微妙な表情は! まったく……ケイは礼儀というものを知らぬ。」
だが、アリシアが満面の笑みを浮かべながらフォラスを思いっきり抱きしめる。
「フォラスったら、ケイとそこまで親しく接したいと思っていたのですね! 私もフォラスのことを家族同然に思っていたのでとても嬉しく思います。きっとケイもそう思っているに違いありません。」
俺とフォラスは毒気を抜かれて笑った。
「まったく……アリシアには敵わないや。」
「ふん……お嬢様に免じて、ケイの無礼な態度は不問に処すとしよう。今後は年長者としてしっかりと敬うようにな。」
フォラスはそう言い捨てると、照れ隠しをするようにズンズンと足音を立てながら工房の方へと向かっていくのだった。
* * *
ヴァルハラ全体は少しひんやりとしているというのに、工房の中はもの凄い熱気で包まれていた。
(いや……温度だけじゃなくって、これは……)
陶器を焼くための窯や精錬釜があるので、単純に室温も高い。
でも、それ以上にマルトーやチゼルを初めとした職人のスケルトン達の熱意がすさまじいのだ。
工房の中心で、マルトーとチゼルは職人達を激しく叱咤している。
「てめえ、なんだこの腑抜けた作品は!? 叩きが足りねえからこんな腐った代物が出来上がる。鏡面金叩きを一万回追加だ!」
「何ですか……この気品のかけらもない作品は? 磨きの修練が足りない証拠です。作品の制作は中止! 積層土団子磨きを五百層しなさい。」
聞いているだけでも目眩がしそうなむちゃくちゃな修行のようだが、弟子のスケルトン達は嬉しげな声で叫び出す。
「よっしゃあぁぁぁぁぁ! 今日こそはマルトーさんを唸らせる叩きを見せてやるぜえぇぇぇぇぇ!!」
「マルトー派に負けてはいられませぬぞ! 私たちも華麗に磨きを見せてチゼル殿を唸らせるのです!!」
「なんでもかまわねえから、今日も死ぬまでやるぜぇぇぇぇぇ! ……俺達って死ねないけどな。」
スケルトン達は一心不乱に作業に取りかかる。
彼らの情熱を醸し出すかのように、工房の中は精確で繊細な金叩きの音や焼いた土を特殊な柔らかい金属の布でこする音で溢れ始めた。
マルトーは俺達に気づいた様で、アルケインに声をかけた。
「おおっ!? 我らが期待の星のアルケインじゃねえか! 腑抜けたこいつらに気合いを入れるために、お前さんも叩きをやってくれねえか?」
アルケインは静かに頷くと、部屋の中央にある鋼板の前に進み出た。
先ほどまで騒がしかった工房がしんと静まりかえり、スケルトン達は皆アルケインに注目する。
そして、彼はミスリルの小槌を手に取ると、目にもとまらぬ早さで鋼板を叩き始めた。
アルケインが鋼板を叩くリズム自体は非常に細かくて正確なのだが、その打音はまるで打楽器のような美しい調べを醸し出している。
そんな彼を見て、マルトーは満足げに頷きながら発破をかけた。
「おい、お前ら! アルケインはここに来てからまだ少ししか経っていないのに、あんな見事な叩きを見せているぞ。先輩として、負けてられねえよな?」
チゼルもそれに乗せられたように、一つの泥団子を取り出してナイフで一刀両断にして、断面をスケルトン達に見せる。
「彼が先日磨き上げたこの積層を見てみなさい! 全く厚みにムラがないですぞ。貴方達はここで数百年何を修行していたのですか? 悔しければ、もっと磨きの技術を向上させるのです。」
スケルトン達は、アルケインに負けるものかと必死で作業に取りかかり、工房全体は鋼板を叩く音と、泥団子を磨く音で満たされていく。
(へっ……もしかして、アルケインってもの凄い人なの?)
驚きに目を見張る俺を見て、フォラスはイナバウアーをするように反り返りながら自慢げに言った。
「儂のアルケインは大したもんじゃろう? ケイと違って彼は技巧派なのじゃよ。まるで乾いた砂が水を吸い込むように知識を吸収して体現してしまう。マルトーやチゼル達のような実力主義の輩には、ああいった者こそが尊敬されるべき存在なのじゃろうて。」
彼の言いように、俺は少しむくれながら答えた。
「はいはい! どうせ、俺は不器用でこざかしい知恵を振り回す小市民ですよ。」
俺とフォラスのしょうもないやりとりはともかく、工房全体はアルケインに触発されたスケルトン達の燃えさかるような情熱で包まれるのだった。




