自覚
過去のことを話し終えた俺は、感慨深げな顔をしながら溜息をついた。
「……とまあ、そんな感じの経験をしたのですよ。」
俺の話を興味深げに聞いていたアンバーが、嬉々とした顔でフォラスに言った。
「爺様! その《お局》って奴の方がずっとケイ様よりも悪魔っぽい感じがしないか? 見事にケイ様を手の平で転がしてるじゃないか! 今からでも遅くないから、アリシア様に頼んでこの世界に連れて来てもらったらどうかな。」
俺はそのとんでもない提案に慌てて両手を振る。
「ちょっ!? 藤宮さんは愛する旦那さんと良い人生を歩んでるはずなんだから、無理矢理こっちの世界に連れてきちゃマズイですよ!」
フォラスはそんな俺達を見ながら、好々爺然とした笑みを浮かべた。
「儂には《課長》とやらの方が悪魔にふさわしいと思うがのう。常に自らを安全な場所に置きながら人を動かす様は素晴らしい素養を感じる。そして表面上は相手のことを考えているように見せながら相手を思うがままに動かすところは、まさに儂ら悪魔の生業じゃ。」
だがそう言った後に、彼は度し難いといった表情で首を横に振った。
「それに比べてケイは駄目駄目じゃのう……他者の手の平の上で転がされるばかりで、周りに都合良く利用されて己を磨り潰しただけの人生じゃったというわけだからな。」
あんまりな言われように、俺は少しむくれた。
「そんなこと言ったって、あの状況じゃ俺が出来るのはそういうことぐらいで……その中でも最善は尽くしたつもりだったんですよ。それに、水のように考え方を浸透させていく方法は、この世界でも役に立っているじゃないですか。」
「ふむ、結果としてはそうなのじゃが……今までの話とこの世界でのケイがやっていることは少し違う気がするのじゃよ。お主はその《課長》となった時にどうするつもりだったのじゃ?」
俺は少し考え込んだ後、フォラスの問いかけに答えた。
「そうですね。この世界で言えば、頂点に立つ者……すなわちルキフェルが『人間を地上に住まわせる』という目標を提示します。そして、フォラスみたいな直属の者が自分達の種族に対して目標に従った方向性を示す。そして、その方向に配下達を導く流れを作るってのが《課長》クラスの仕事だと考えています。」
フォラスはどこか納得した顔で頷く。
「そうじゃのう……確かに儂やオベロンをそういった者に例えるならば、アンバーがやっていることはケイが言っている《課長》とやらに近いかもしれぬな。」
アンバーもそれに同意するように頷く中、俺は言葉を続けた。
「大地にしみこんだ水は、いつしか川となって大地を削りながら道を作っていきます。俺はまだまだ不肖の身ですが、コツコツと周囲の信頼を積み重ねて、それをもとに物事の流れを作る。そんな管理職を目指していたつもりです。」
アンバーはどこか感銘を受けたような顔で頷いてくれたが、フォラスは苦虫を噛み潰したような顔をした後、嘲るように笑った。
「お主の言葉は一見すれば正論のように聞こえるのう……じゃが儂が思うに、そんなのは全くの戯れ言で、それでは《課長》とやらは務まらぬじゃろうて。」
(むっ……そうなのか?)
俺は素直にフォラスに頭を下げながら問いかけた。
「そうですか……どうしてそう思うのか、教えてくれませんか?」
フォラスはいきなり俺に強力なデコピンを喰らわせた。
「そういう所が駄目なのじゃ!」
唐突に一撃を貰った俺は、頭を抑えながらよろめく。
そんな俺を見て、アリシアがフォラスに食ってかかった。
「何をするのですか! それに、ケイが言っていることは間違ってないのに、どうしてそんなことを言うのですか?」
彼は大袈裟に肩をすくめながら俺に告げる。
「ケイ、お主は素直すぎるのじゃよ……儂に笑われた時にもっと怒るべきではないのか? お主が培ってきた事を馬鹿にされるということは、それに感銘を受けて交誼を結んだ者……例えばフェンリルやオベロン、そしてベネット達を馬鹿にされたと考えるべきではないのか?」
俺だけならともかく、自分の言葉を信じてくれた相手を貶めるような真似をしていると言われたことに衝撃を受けて、俺は固まってしまう。
フォラスはそんな俺の目を覗き込んだ。
「お主は他者の状況や言葉を慮って行動しており、それ自体は美徳とも言えるじゃろう。じゃが、それも度が過ぎれば自分という物を無くす要因ともなり得る。水は確かに生きるために必要なものじゃ。じゃがのう……あまりにそれが当たり前であれば、ただ喉の渇きを潤すだけのものとして何のありがたみすら感じられずに消費され続けるだけの存在と成り果てるだけじゃ。まして、何でもかんでも混ぜてしまえば、水は濁り果てて飲む価値すらなくなる汚水になるじゃろうな。」
(確かにそうかもしれないけど……)
俺は真っ直ぐにフォラスを見返して言い放った。
「確かにそういった考え方もあるかもしれない。でも、俺はルキフェルとの面接の時に『人間と魔王軍が協定を結んで平和な世が築かれたのに諍いが生じ始めている。その原因を調査しながら改善をする』ということを聞いている。その前提の上で、アリシアと幸せに暮らせるようにする……これだけは、何を言われても変えるつもりはないんだ。」
彼は目をそらさずに俺に尋ねる。
「ほほう……ルキフェル様はそうお主に言っておったのじゃな。じゃが、どうしてケイは面接で聞いたことを変えないつもりか聞かせてもらえぬか?」
俺は背筋を伸ばして、部屋の中にいる皆にしっかりと聞こえるように告げた。
「それが俺の芯だからさ。仕事でもなんでも、芯がなければぶれてしまう。だからこそ、何をするのかの方向性をしっかりと定めて行かなければならないんだ。そこを外してしまえば、結局の所目的にはたどり着けないし、下手をすれば訳の分からないことをしてしまう可能性がある。俺の今の立場で重要なのは人間と魔王軍が平和に共存できるようにしっかりと周囲を管理できる体制を作ること。それを念頭に動かなくちゃいけないと考えているのさ。」
だが、それを聞いたフォラスが意地の悪い顔をして問いかけてきた。
「ご立派な志じゃが、ひとつ大事なことを聞かせてくれぬか?」
フォラスの表情に違和感を感じながらも俺は頷く。
彼はアリシアの方を見ながら重々しく告げた。
「お主の芯とやらがお嬢様の幸せとぶつかることも当然あるはずじゃ。その時、お主はどちらの方を取るというのか?」
(痛い質問をぶつけてきたな……)
フォラスのことだから、そういったことを聞いてくるとは思っていた。
そして、いつかはそういった問題に直面するかもしれないとも俺は思っている。
だからこそ、俺はアリシアの方を真っ直ぐに見つめて言った。
「その時は君を傷つけてしまうかもしれない。でも、俺は君と人生を共にしたいと思っている。だからこそ、最後には幸せを掴めるように出来る限りのことはするよ。」
アリシアは微笑しながら頷く。
そして、フォラスの肩に優しく手を乗せた。
「私がケイから頂いた素敵な言葉があります。『過去は現在を映す鏡、今が幸せなら過去は良い思い出になる』と……ケイは最後には私を幸せにしてくれると信じています。だからこそ、一時的な苦難は一緒に乗り越えてみせるつもりです。」
だが、フォラスはなおも俺に問いかける。
「それは理想論というものですじゃ……ケイよ、その選択によりお嬢様と世界を天秤にかけて、お嬢様を失わざるを得ないときはどうするつもりなのか……答えよ!」
俺はフォラスを一顧した後、アリシアの手を取る。
そして、彼に深く礼をした。
「その時は、潔く職を辞してアリシアと駆け落ちさせて貰うことにするよ。俺にとって一番大事なのは、アリシアなんだ。そして、輪廻の輪から外れたこの不老不死の体でアリシアがいない世界を永遠に生きていくなんて、とても堪えられないからさ。」
アリシアも同意するように俺の手を強く握る。
彼女は表情を引き締めて、強い意志を込めてフォラスに告げた。
「これはケイだけでなく、私の意思でもあります。お父様とお母様にもしっかりとそのことは伝えてくださいね。」
フォラスが目を見開いて三歩ほど後ずさった。
「ケイ、お主はなんて恐ろしいことを言うのじゃ!? いや……愛する女のために世界すら捨てるか……儂にもその度胸があれば、ノクターンをもっと早く幸せに出来たのかもしれぬな。」
俺は優しく笑いながらフォラスの前に進み出て、彼の手を取った。
「俺が思うにさ……フォラスが居なかったら、この世界ってもっと大変だったと思ってるんだ。今だって、俺がしでかしたことに対して色々な折衝をしてくれているんだろう? 最初会った時に『俺の教育係』って言ってくれたじゃないか。だから……これからもこの世界の色々なことを教えて欲しいし、俺が間違えそうになった時にああやって諫言してくれると助かるよ。」
彼は俺の手は放さずに、そっぽを向いて不機嫌そうに言った。
「そういう所が甘いのじゃよ! お主は自分の立場をあまりにも軽んじておる。ルキフェル様の眷属にして魔王軍の管理者で、儂やノクターン、そしてオベロンやフェンリルと対等に言葉を交わすことが出来る者なぞ、中々居るもんではないのじゃぞ。だからこそ、お主には教えておかねばならぬことがある。」
俺はあの時のことを思い出しながら、フォラスに尋ねた。
「自分の立場……か。確か、《教会の影》で恩赦を与えた時もそう言われていた。あの時は自分の影響力を考えずに行動してしまうことの危険性について教えようとしてくれたと思っているけど……それと同じ事なのかな?」
「全く同じことじゃよ。自らの権限を行使すると言うことは、刃を振ることに似ているものじゃ。そして、その刃は位が高くなるほどに大きくなり、その威力も大きくなる。じゃが、それと同時にあまりにも大きすぎる刃は得てして振るい辛いもので、自分が意図しない者まで斬ってしまう事もありうる。だからこそ、自らの権限を行使するときはしっかりと熟慮した上で果断に振るわねばならぬ。そして、その後に引き起こされたことについては、自らが全ての責任を負う覚悟が必要なのじゃ。」
(よかれと思って振るった力が、他者にも及ぶということか……)
確かに、あの恩赦によって無益な血が流れずにはすんだけれど、それと同時に教皇の名を汚しかねないほどの問題を生じさせると前に諭されていた。
その恐ろしさに、俺はじっと自分の手を見つめながら呟いた。
「確かにそうかもしれない……だからこそ、俺は色々な者達の意見を聞き、そして彼らが納得できるような結果を出せるように努力してきたつもりなんだ。」
フォラスは大きく肩をすくめながら首を横に振った。
「確かにそれはそうじゃが、それでは視野が狭すぎる。お主によって救われた者がいると同時に、その影響によって不利益を被る者もおるのじゃ。お主はお嬢様が傷つくとしても自らの芯を通すと言っていたが、その思いを他者に対しても持たねばならぬ。そして……そんな簡単に《魔王軍の管理者》を辞める等と言ってくれるな。これでも儂はお主には期待しておるのじゃから。」
一見おどけているように見えながらも、とても真摯に訴えかけるフォラスの姿を見て、俺は胸が痛んだ。
だから、真っ直ぐに彼を見つめて告げた。
「管理職としての心構え、確かに受け止めました。だからこそ、俺の考えも聞いて頂けないでしょうか。俺はこの世界ではよそ者で、何の実績の無い所から始まりました。だからこそ、小さな成果を積み重ねながら信頼を積み重ねることにしました。それは『何らかの成果を出せば、次の仕事に繋がる可能性があるんだ』という想いを持っていたからです。そして……」
フォラスは眉をピクリと動かして、俺の言葉に耳を傾ける。
俺は彼を見上げながらはっきりと言った。
「この世界で様々な仲間を得て、色々な問題を解決出来るようになったつもりです。だからこそ、フォラスが言うとおりに自らの立場というものを考えて立ち回る時が来たのかもしれない。ただ、甘いと言われるかもしれないけど、独善的にならないためにも地上で様々な事を見てきたあなたに師事したいと思ってるんです。これからも力を貸して頂けないでしょうか?」
フォラスは眉毛をピクピクと動かしながら、俺の手を払ってそっぽを向いた。
「まったく……やっぱり儂がついて居なければ、心配でしょうがないわい。まかり間違って王にでもなる時があったら、しっかりと宰相として儂を側に置くのじゃぞ。」
(王って……流石にそれは言い過ぎでしょうが……)
フォラスの言いようにドン引きする俺を尻目に、アリシアは嬉しげな顔で彼の手を取った。
「是非その時はケイを支えて良い国を作りましょう! フォラスが一緒ならとても頼もしいです。」
フォラスは優しげな表情をアリシアに向けた後、カッと目を開いて俺に告げた。
「お嬢様のために尽力するのであって……あくまでケイはおまけなのじゃからな! そこの所を履き違えるでないぞ。」
(ハイハイ……いつものお約束のやつですね)
俺はやれやれという素振りでそれを受け流す。
だが、フォラスは意外にも満足げな顔をしながら俺の肩に手を乗せた。
「まあ……今までのケイの働きを見る限り、成果を出し続けると言うことの大事さということ自体は認めてやっても良いと思っておるのじゃ。アンバーもケイをしっかりと参考にしておくと良いぞ。」
アンバーが笑顔で頷く中、俺はフォラスの両ほっぺたを引っ張った。
「いつもなら、『儂の話を聞かぬか! だからケイは未熟なのじゃ』なんて反応をするはずなのに……俺を持ち上げるなんて……まさか、中身は別物!?」
途端に、フォラスが顔を真っ赤にして怒りだした。
「何をしてくれるのじゃ!? まったく……お主のそういう子供っぽいところが良くないのじゃ!」
アンバーがニヤニヤ笑いながら、そんなフォラスの首根っこをひょいと掴んだ。
「爺様はもっと素直になれば良いのに。怒ってるふりしてるけど、口元の皺で照れ隠しがバレバレだよ。」
「アンバー、余計なことを言うでない! もう付き合ってられん。儂はルキフェル様とヒルデ様にさっきのケイの志について説明しに行くからな。」
フォラスはキッとアンバーを睨むと、影のように消えてしまった。
アンバーは苦笑しながら、自分の頭をペシリと手で叩いた。
「あちゃー……ちょっといじめ過ぎちゃったかな。ケイ様、後でフォロー頼むね。」
(ええっ!? 俺が~)
めんどくさそうな顔をする俺を見て、アリシアがコロコロと笑っている。
それにつられて、俺とアンバーもなんだか可笑しい気分になって、クスクスと笑うのだった。




