お局さんとの関係
俺とアリシアはアンバーに連れられて、工房の地下深くへと潜っていく。
長い階段を降りながら、俺はふと疑問に思った。
(普通、管理者の私室って上層階にあるもんじゃないのかな?)
不思議そうな顔で首をかしげる俺を見て、アンバーは笑みを浮かべる。
「あたしは鉱石を司る精霊だからさ、地脈の流れを感じられる方が快適なのさ。それに、あたしが住む所って、ちょっと訳ありになっちゃうと言うか……まあ、実際に見てもらえれば分かるかもしれないね。」
階段を降りきると、豪奢な金色の扉が現れた。
扉一面が黄金で出来ており、扉の右側にはノクターン、左側にはアンバーの絵が描かれている。
俺が思わずフォラスを見ると、彼はニヤリと笑った。
「美しいじゃろう? 今や儂の妻となったが、ノクターンは精霊女王として皆に慕われとった。アンバーもあやつの信奉者で、自分が帰った時にノクターンの顔をどうしても見たいと思ったから、このような意匠にしたというわけじゃよ。」
フォラスの説明に赤面したアンバーが、気恥ずかしげな顔をしながら彼の肩を思いっきり叩いた。
「爺様! 余計なことを言うもんじゃないよ。まあ、ノクターンの姉御があたしのことを可愛い妹分だと言って下さったのは事実だ。だから、あたしもあの方のことを実の姉のように慕っていたというだけのことさ。」
そう言いながらも、アンバーは愛おしむような手つきで扉を撫でながら、優しくドアを開けて中に入った。
俺は、アンバーの後に続いて部屋に入る。
そして、その光景に目を見張った。
部屋の壁は琥珀で出来ており、所々に黄金がそれを縁取るように浮かび上がっている。
また、柱から析出した様々な宝石が七色の輝きを放つ。
そして、それと対比するように、棚は純白の木で出来ており、その中には様々な本が並べられていた。
部屋のあまりの荘厳さに固まっている俺へ、アンバーが頭を掻きながら言った。
「元はただの石造りの部屋だったんだけどね……あたしが住むと、加護の力が強すぎてこうなっちゃうんだよ。だから、棚とかはなるべく地味な物を選んでいるのさ。その方が粋な感じがするだろう?」
「そうでしたか……それはすごいですね。ところで、本が一杯ありますけど、アンバーさんは読書が好きなんですか?」
アンバーは少し照れながら、一冊の本を手に取った。
「昔のあたしは深窓の令嬢って言うか、本好きで部屋に閉じ籠もり気味だったんだよ。部屋からほとんど出ないで、ドワーフやコブラナイ達の報告を聞くような感じだったのさ。」
そして、彼女はフォラスの方を見ながら気恥ずかしげに言った。
「でも、姉御が爺様をあたしに引き合わせてくれてから、それが一変した。『本はあくまで書いた者の主観を伝えるだけで、自分の知識としたいのであれば外に出て実践するべきだ』と言って、爺様はあたしを無理矢理外に連れ出したのさ。しかも、管理者として皆の面倒をもっと見ろと、発破をかけてきやがったんだ。」
俺がフォラスの方を見ると、彼はそっぽを向いて呟いた。
「ふん……昔のことを蒸し返しおって。机上の空論を振りかざすこざかしい小娘だと思ったから、実際に仕事をしてみせろと言っただけのことじゃ。」
そんなフォラスの肩を、アンバーが満面の笑みを浮かべながらバシバシと叩く。
「またまたご謙遜を! 爺様のアドバイス通りにやってみたら、皆があたしのことを姉御として慕ってくれるようになったし、毎日が充実した生活になったんだ。名実ともに、爺様はあたしの師匠だよ。」
フォラスは右眉をピクリと上げると意地の悪い顔をしてアンバーに向き直る。
「ほぅ……師匠とな? お主は他の娘のように儂のことを師匠と呼ばず、爺様と呼びつづけるもんじゃから、てっきり尊敬なんてしとらんと思っとったわ。」
アンバーはそんな皮肉をまったく意に介せず、屈託のない笑顔をしながらフォラスの頭を撫でた。
「爺様って照れ屋さんだよな。いま右眉を上げたのは、まんざらでもないという証拠だろう?」
フォラスは苦笑しながら、肩をすくめる。
「ふん……ノクターンは妹のようだと言っておったが、儂にとっては手のかかる娘のようにしか感じられぬわ。」
アンバーはニヤニヤと笑いながら、フォラスの肩を抱いた。
「へぇ~言ってくれるじゃないか。それじゃ、いっその事、あたしを養女にでもしちゃおうよ! あたしは爺様も姉御も両方好きだし、それで決まりでいいだろう?」
アンバーの言葉に、フォラスが顔を真っ赤にして怒りだした。
「何を寝ぼけたことを言っておるのじゃ!? ただでさえ、ケイのせいで儂は多方に気配りをしなければならなくなっておるのに、お前のようなじゃじゃ馬を養女にでもしたら、儂の体がいくらあっても足りなくなってしまうわ。」
だが、全く彼女には響いていないようで、大仰に肩をすくめて首を振った。
「まったく爺様は素直じゃないね……まあ、それは良いとして、さっきケイ様が言っていた《お局》って奴をもう少し教えてくれないか? 結構、含蓄のあることを言ってるみたいだし、興味がわいちまったんだよ。」
俺は少し考え込みながら、部屋の真ん中にあるテーブルを指さした。
「そうですね……立ち話もなんですし、少し座って話させてもらっても良いでしょうか。」
「おっと! それは気が利かなかったな。さあ、座って早く話を聞かせてくれ。」
どこまでもマイペースなアンバーに苦笑しながらも、俺は席についてお局さんのことを話し始めるのだった。
* * *
――お局さん……いや、藤宮さんと俺は最初はもの凄く仲が悪かった。
営業から品質管理へと異動になった俺の教育役が藤宮さんだった。
年齢は三〇代後半、少し大柄でふっくらとした感じの女性だ。
目つきはもの凄くキツいけど、顔立ちの良さから昔はきっと美人だったに違いない。
彼女は本社から来た俺のことを事ある毎に目の敵にして、『私達には私達のやり方があるので、それに従ってもらうからね!』が口癖だった。
俺は内心では舌打ちしながらも、教育役としての彼女を尊重して、しっかりと挨拶をしながら彼女を立てるようにしていた。
でも、自分が品質管理として関わっている製品が、顧客と約束していたことを守っていないことを指摘したせいで、彼女を怒らせてしまった。
そのあとから、仕事以外の会話は無視される上、様々な雑用をおしつけられるようになった。
だけど、俺は朝会うたびに挨拶をしっかりとして、《ホウレンソウ(報告・連絡・相談)》はしっかりするようにした。
三ヶ月ほどそんな状態が続いた後、仕事の休憩時間に彼女がムスッとした顔で俺に尋ねてきた。
「圭! 私になんか黙っていることがあるんじゃない?」
彼女の醸し出す威圧感に、俺は自分でも情けないような引きつった笑いをしながら答える。
「ええっ!? 特に藤宮さんに隠れて何かをしたつもりはないんですけど……」
藤宮さんは、そんな俺の様子を見て大きな溜息をついた。
そして俺の顔をまじまじと見ながら、少しキツい口調で言った。
「製造部のヨシ君から聞いたけど、私に断り無く勝手に現場に行って作業のことをあれこれ尋ねてるんらしいじゃないの。困るんだよね……そういうのは、ちゃんと私に声かけてから行ってくれないと。」
(ヨシ君?? あ……主任の吉井さんのことか。でもなんで藤宮さんがそんなことを知っているんだろう?)
俺は彼女がそれを知っていることを疑問に思いながらも、少し離れた場所に居る課長の方向を見ながら答えた。
「頼まれた雑用のついでに、そういったことを聞いてたんですよ。ほら、俺は来たばっかりで現場のことを知らないんで……一応、課長にもそれは報告していますよ。」
「だから! 私にもそういうのは全部報告するのよ。そういった余裕があるんだったら、もっと仕事に精を出して欲しいわけ。」
(あっ!? そうか……そういったことも把握したいってことね)
俺は素直に彼女に頭を下げる。
「すみません、今後は報告するようにします。ところで、製造部の方にも知り合いが多いんですか?」
藤宮さんはフンと鼻を鳴らしながらも、胸を張っていった。
「あんたはどう思っているか分からないけど、私は工場のマドンナと言われていたのよ。まあ、つまらない旦那捕まえちゃったせいで、専業やれずにずっと働くハメになっちゃったんだけどね。」
(つまらない旦那って……見ているこっちが恥ずかしくなるぐらいの熱々ぶりで、いつも一緒に帰社してるじゃないか)
藤宮さんの旦那は総務課長で、壮年の男性だ。
相当な恋愛結構だったらしく、旦那が浮気しないかどうか見張るために退社しなかったと噂されている。
それはさておき、俺の中にある営業で培った嗅覚が働き始めた。
(あれ? もしかして……藤宮さんって、懐に飛び込んだら良いタイプなのではないだろうか?)
俺にまじまじと顔を見られて、藤宮さんは胡乱げな顔で問いかけた。
「圭……なんで、私のことをそんなにじっと見ているのよ?」
俺は、なるたけ羨望の眼差しを作って、尊敬したようなそぶりで答える。
「いえ、藤宮さんってすごいですよね。この前、吉井さんが間違えたサンプル持ってきたときに、若い子がそれを指摘したら逆ギレしてたじゃないですか。でも、藤宮さんが吉井さんを一喝したら、すぐにサンプル持ち帰って、正しい物を持ってきてくれましたよね。」
だが、彼女はブスッとした表情でにべもなく答えた。
「若い子ねぇ……どうせ、私は年増よね。それに、あの後にその子に『もっと毅然とした態度で言い返さないとダメだ』ってアドバイスしてやったのに、逆恨みしたのか裏でこそこそ同期の子達と私の悪口言ってたのよ。まったく、誰がこの職場を回しているのか、もう一遍教育し直さなきゃいけないのかな……」
俺は慌てて目の前で両手を振りながら弁解する。
「いえ……そういう意味じゃないんです。藤宮さんって人脈も広いし、仕事に真摯な人だって思っただけなんですよ。現に、俺が生意気な口を叩いても、こうして教育しようとしてくれてるじゃないですか。」
藤宮さんは俺を睨むような目つきで見ながら、何かを考え込んでいる。
そして、少し真面目な顔で俺に聞いた。
「私が圭のことを気に食わないって態度を示しても、あんたはずっと私に挨拶してたよね? あれはどういうつもりだったの?」
俺は内心『藤宮さんの顔こえー』と思いながらも、なるべく笑顔で答えた。
「俺は藤宮さんと上手く仕事やっていきたいんですよ。この部署で仕事をずっとしてきた方だし、工場の人達のことも良く知ってる。確かに俺と考え方は違うかもしれないけれど、仕事に対する姿勢だって尊敬できるし……だから、挨拶という最低限のコミュニケーションだけは死守したいと思ってたんです。」
彼女は大きく息を吐いた後、表情を緩めながら言った。
「私も少し大人げなかったか。この前、何の気なしに『分析依頼票が無くなっても誰もコピーしやしないって』って言ったけど……普通の奴なら話半分に聞いて終わりなのに、あんたはしっかりと対策してくれたね。」
「ああ、あれですね。『最後の一枚になったらコピーしろってあれほど言ってるのに、全く言うことを聞かないって』怒ってましたもんね。」
――藤宮さんはそう言ってくれているが、あれは対策と言えるような代物ではない。
たかが、コピー機の横にあるファイルの中にあるラミネートされた分析依頼票をコピーすれば良いだけのことなのに、ファイルを開いて探す手間を惜しんで、誰かがコピーするのを待つという小狡い人が多かった。
そのため、それを見つけた藤宮さんが苛立ち紛れに俺にコピーをさせるのだ。
だから、俺はコピーした分析依頼票の最後の一枚に黄色の蛍光ペンで『原紙』と書くことにした。
黄色の蛍光ペンだとコピー機には写らないので、正常にコピーできる上にコピーしなかった人がすぐ分かる。
それに、ファイルの中の原紙を探す手間が省けるので、概ね好評だった。
ちなみに俺は『いっそのこと、ファイルの中にあるラミネートされた依頼票を、分析依頼票置き場に置いとけば良いのではないか』と藤宮さんに言ったのだが、『ファイルされた物を外に出すのは嫌だ』という理由で却下された。
結果として、原紙の原紙がファイルの中にある形になってしまったのだが、藤宮さん的にはきちんと分析依頼票をコピーするようになったので良かったらしい。
何はともあれ、そういった雑務によって藤宮さんの心証が良くなっていることに安堵した俺は、改めて彼女に頭を下げた。
「これからはしっかりと現場に行く際には、藤宮さんに声をかけてから行きますので……今度、その現場の担当者の人となりとかを教えてもらえないでしょうか?」
藤宮さんは俺をじっと見た後、フッと笑った。
「最初からそうやって素直な態度見せていれば、私だって悪いようにはしないのにね。まあ、いいわ……今度の暑気払いの幹事やるんだったら、考えても良いかな。」
俺は笑顔で頷くと、彼女はバシッと俺の肩を叩いた。
「それじゃ決まりだね。長々と話しちゃったから、休憩時間が終わっちゃった……さあ、さっさと仕事場に戻るよ。」
こうして、俺と藤宮さんとの関係は改善され、以後は彼女は頼りがいのある先輩として接してくれるようになった。
ちなみに、その年の暑気払いの幹事をやる際に、藤宮さんからその店でやっている季節物があって、どうしてもそれが食べたいという無理難題を突きつけられた。
だから俺はこっそり居酒屋と折衝して、例年みんながやっている4,000円コースをこっそり3,500円コースにして、その季節物の盛り合わせを各テーブルにつけると言う裏技を行使することにした。
結果として『いつもと違って、今回は良い料理が出てきた』と好評で、暑気払いは大成功を収めた。
ちなみに、藤宮さんにお酌をした際、悪い笑顔で『裏でこそこそしてたみたいだけど、圭も中々やるじゃないの』という嬉しくもないねぎらいの言葉を受けることになるのだが……
それをきっかけとして、藤宮さんは俺が工場で困った時になんでも相談に乗ってくれるようになるのだった。
* * *
そこまで話したところで、フォラスが眉をひそめて言った。
「期待して聞いておったが、たいしたことない話じゃのう……《お局》とやらが、古株の面倒くさい相手で、ケイはその使いっ走りをしておったということじゃな。」
俺は静かに首を振って答える。
「確かにそういった一面もありました。でも、彼女のおかげで『管理職とは何か』ってことについて考え始める一件があったんですよ。そして、それはさっき解決したことと少し重なった出来事だったんです。」
「ふん……お主の話は前置きが長すぎるんじゃよ。そういうことなら、早くその話を聞かせるのじゃ。」
(まったく、この糞爺は……)
フォラスの態度に少しイラッとしながらも、俺は自分の人生を一変させることとなったあの件について話し始めるのだった。