閑話)王女の回想2
私は侍女に入れ直させた紅茶を飲み始める。
先ほどよりは少し良い香りがする気がするのは、気持ちが落ち着いてきたからだろうか?
私は深いため息をつきながら、転生者達のことを改めて思い起こすのだった。
――元々の転生者達の役割は、人間を守ることだった。
ベネティクト以前の転生者は、本当の意味で魔物自体が脅威だったのとクロノス自体が不安定だったこともあって、魔王を倒すだけの実力を持った勇者が求められた。
ルキフェルは、《あまり人間に影響がない魔物》を国境近くに住まわせていたが、そもそもの話で精霊が存在すれば、それに応じた植物や魔物が生まれてきてしまう。
もちろん、その中でも無害なものが発生するようにしていたのかも知れないが、魔力を持たない人間にとってはそれすらも脅威だったのだ。
それに、魔王ルキフェルがいつ翻意して、人間を迫害するか解らない。
だからこそ、魔王軍に対する示威の意味を込めて異世界の勇者を転生者として迎え入れることにしたのだった。
ただ、転生者と言っても、そう簡単に迎え入れられるわけではない。
別の世界にとって有益な者を勝手にこちらが迎え入れれば、問題が発生する。
だからこそ不文律の決まりとして、その世界では手に余る者をこちらで迎え入れるという形を取るのだ。
――元の世界で手に余る者なだけあって、転生者は問題のある者が多かった。
力はあるが、プライドが高く傲慢な者。
世界の都合など二の次で、魔物を駆逐することだけを求める者。
地位や名誉を貪欲に求め、国を私物化したがる者など……
そんな者達に不老不死の天使の体を与えるなどということは、地上の破滅を意味するだろう。
だからこそ、お父様は天界と協議して《特別な半神》という、不安定だが力の強い肉体を作り出し、彼らがこの世界に適応できるか確認することにしたのだ。
――結果として、転生者達はことごとくその試練に失敗した。
彼らは前の世界での栄光や理不尽な待遇の記憶から逃れられず、この世界でもその威光を示したがったり、悪くない者に対しても嗜虐的な行動を取ってしまう。
結局、彼らは短い寿命を全うして、その高い能力だけを求める世界へと旅立ってもらうことになるのだった。
考えてみれば、《あの魔王の娘》がベネディクトをこの世界に引き込めたのは奇跡のようなもので、畏れ多い考えではあるが、だからこそ天界としてはなおさら彼女を見過ごすことが出来なかったのかも知れない。
お父様としては、教会の長であるベネディクトと私が結婚してクロノスを治めるのが理想だったと、今でも思っている。
だけど、それが叶わないと判断した結果、魔王に対抗できるだけの力を持つ者という象徴的な者を求めるようになっていった。
そして、これは魔王軍の脅威という虚構の名目を取り繕うのにも都合が良かったのだ。
――だけど、私としては転生者を夫に迎えるのはとても気が重かった。
転生者は癖のある者が多く、しかもなまじ実績があるから自分の考え方が絶対に正しいと思っている者が多い。
だから、私が何かを助言しても『それはそうかも知れないが、俺達の世界では……』と言って、向こう見ずな行動に出てしまうのだ。
それに、彼らは魔王を倒すという目的のためだけに生きてきて、それ以外のことについてはからっきしの者も多い。
確かに、彼らは魔王を討伐するために人生を磨り潰したが、その後の世界にとって有益と見なされない者だ。
だけど、私の夫になるということは国を治めなければならないのだ。
今のところ、私の目から見て王の器として認められるのはベネディクトだけだった。
一応、デイヴィットもそれなりの手腕があったのだけど、彼は自ら以外の者に対してあまりにも冷徹で、暴君になってしまう可能性が大きかった。
――いっその事、私が王権を握るということも考えなかったわけじゃない。
でも、それは結局、彼らが暴走しないように手綱を引っ張りながら国を治めなくてはいけないということになるから、本末転倒ってわけだ。
それに、私はお父様の力を引き継ぎすぎたせいで、不老であり限りなく不死に近い存在で、そのためか、あまり定命の者達の考え方を理解することが出来ない。
人間は五十年から六十年という短い時間で生涯を終えてしまう上に、私とは能力があまりにも違うせいで、価値観や考え方が違いすぎるのだ。
魔法一つとっても、私にとって指を動かす程度のことが、彼らにとってはとんでもない大魔法で、習得するのに数年程度はかかる。
私にとって数年は、大した時間じゃないと思うのだが、彼らにとってはとても長い時間のようで、『永い修練の成果、私は凄い魔法を習得した』と胸を張って周囲に喧伝して居る姿は、とても滑稽で哀れみすら感じる。
私が見る限り、人間は些末な誤差程度の能力の差で他人を見下して優越感に浸る、どうしようもない種族なのだ。
――だから正直なところ、私には人間という者が優れていて尊い者とは、どうしても考えられない。
一度、『お父様は人間をどういう風に見ているのか?』と聞いてみたことがある。
お父様は、難しげな顔で考え込んだ後、真面目な顔でこう答えてくれたのだ。
「人間は小さき子供のような存在と私は見ている。私達がよりよく導けば良く生きることが出来るし、悪しき道に染めればどこまでも堕ちていく。だからこそ、人間を正しく導く必要があると考えている。そして、彼らは時に支配されている。例えるならば花のような存在なのだ。種が芽吹き、そして花を咲かせてまた種に戻る。そして、その身と魂は土となりて次の世代の礎となる。その礎を腐らせることがないよう、ルキフェル達のような堕落した存在から守ってやらねばならぬのだ。」
お父様の言っていることは少し難しくて、私には完全に理解することが出来なかったが、魔王ルキフェル率いる魔王軍が人間を堕落させること、そして天界の名の下に人間を正しく導かなければならないということだけは心に刻み込むことにしたのだった。
* * *
紅茶の良い香りが喉から鼻に抜けて、私はふっと深いため息をつく。
そして、私はアリシアのことを考えた。
「あの子って……本当に昔っから気に入らなかったのよね。」
堕天したとはいえ、《元天使長》と《戦乙女の長》の娘だ。
潜在的な能力は計り知れないものがあるとされてきた。
ベネディクト……いえ、ベネットの件もそうだけれど、あのケイを転生させたことによる影響は、天界で物議を醸し出している。
それに、料理の手順書やポルトゥスの奇跡のおかげで、彼女のクロノスでの人気はうなぎ登りだ。
天界としても、戦乙女としての力をあれほど発揮されては、彼女の資質を認めざるを得なくなるだろう。
――だけど、私に言わせれば、彼女の実績は運によるものが多い。
ベネディクトの件は、たまたま導いた者がこの世界にとって有益だっただけだ。
ケイに至っては、彼が死んだのを勝手に自分のせいだと勘違いして、この世界に導くという暴挙を犯している。
しかも、前世が小市民だった者を婚約者に据えるだなんて、全く理解に苦しむ。
たまたま、彼がこの世界のために有益な者だったからこうして評価はされているが、無能だった場合はどうするつもりだったのかと小一時間問い詰めたいくらいだ。
――それに、最近のアリシアの功績は、どちらかというとケイによるものだ。
料理の手順書はケイが関わっていることが明らかだし、あのネレイス達によるポルトゥスの奇跡だって、神域の件からのベネディクトの対応を見ている限りはケイが裏で糸を引いていたと見て間違いない。
そもそものところで、ケイのあの恥ずかしい《愛の叫び》があったおかげで、人間の中にもケイとアリシアに親近感を持ったというものが多い。
今考えてみれば、あれもアリシアの地位を高めるための策略だったのかもしれない。
いずれにせよ、ケイさえ現れなければ、アリシアはずっと《男殺し》のまま魔王軍でもクロノスでも疎まれた存在であったはずだったのだ。
――だが、神事にて、アリシアは《戦乙女》であり、私は《半神》であることを思い知らされた。
教皇を迎える際に、アリシアが自らの歌で天界に働きかけることを許されたのに、私が直接魔法で光を発して天界に届けることは許されなかった。
『光は天界から地上に降り注ぐ恵みであり、地上の血を引く者が天界へ光を届けたいとは不遜な考えだ』と、《天使長代理》が難色を示したのだ。
結局、代案として、《天使長》であるお父様が天界へと働きかける光を、私が代理として届けるという形を取ることで、事なきを得た。
ラファエルはそれが面白くなかったのだろう。
だからこそ、《貴婦人》に嫌みがましく『天使長ミカエル様からの直々の召喚……』などと釘を刺すような形で言わせたに違いない。
――だけど、私から言わせれば、ラファエルが言ったことは詭弁だ。
堕天したの者達の娘が、天界に働きかける方がずっと不遜であり、汚らわしい行為ではないか!
私にだって、アリシアと同等……いえ、それ以上の力は持っている。
だけど、その力を行使する機会が無いだけなのだ。
私が本気を出せば、あんな娘になんかに負けるはずがない。
いえ、負けるも何も、ケイやあの嫌らしい悪魔の爺達の狡猾な罠に嵌められなければ、何もかもうまくいっているはずなのだ。
最近では、ケイのせいで人間が亜人や精霊達に対して親しみを持ち始め、教皇はガブリエルの眷属となって中立よりになってしまった。
こんな時だからこそ、私がしっかりとしなければならないのだ。
* * *
いつの間にか、また紅茶がぬるくなっていて、先ほどまで感じていた華やかな香りが薄らいでいた。
どこか落ち着かない気持ちになった私は、紅茶を飲み干して気持ちを静めることにするのだった。




