ミカエルの問いかけ
俺とアリシアがベネディクトと会談してから約一ヶ月後、教皇が天界へ還るとの報がクロノスに流れる。
それを聞いた人々は、必死にミカエルとベネディクトへ思い留まるように嘆願した。
だが、ベネディクトはそれが天界の意思であることを人々に説いた。
そして、教会の教えをよく守り、天界から遣わされる新たなる教皇に従うように命じたのだった。
彼は、自らが不在となった時のまとめ役として、ダンカンを指名した。
王都から離れたポルトゥスの地の司教がそれを務めることに不満を持つ者もあったが、先日のポルトゥスの奇跡という実績があったことから、表だって反対できるものは居なかった。
こうして、人々が惜しむ中、ベネディクトは天界へ召されたのだった。
* * *
それからさらに約一ヶ月経ち、新たなる教皇を迎えるべく、ポルトゥスにて神事を行うこととなった。
俺は教会の影として、そしてアリシアは神事にて歌うこととなったため、ポルトゥスに赴いた。
そんな俺達の後ろで、フォラスがブツブツと文句を言っていた。
「お嬢様が二度も人間の為に歌うことになろうとは……全く、ルキフェル様とヒルデ様は何を考えておられるのか……」
アリシアが振り返り、優しげな顔でフォラスを窘める。
「私がベネットと約束したのです。彼女が教皇として地上に舞い戻る際に、その導き手となると。幸いなことに、ポルトゥスの奇跡にて私は《奇跡の歌姫》として人間に認識されています。神事を無事に終えられれば、お父様達の心証も良くなるとは思いませんか?」
フォラスは眉毛をひくつかせて、俺を見ながら言った。
「お嬢様は、だんだんとケイに似てきましたな。自らが求める結果を、大義の副次的な効果として達成しようとなされる。それは、悪魔としては正しい姿でございますが、そういうことはケイにやらせておけば良いのですぞ。」
(全くこの糞爺は……)
俺がフォラスに言い返そうとしたところで、アリシアが笑顔で答える。
「お母様が『女は好きな相手に似ていくものだ』と言っていました。だから、フォラスにそう言ってもらえると、嬉しいですね。」
嬉しそうな顔をして居るアリシアを見て、フォラスは大きなため息をつく。
「恋に付ける薬は無いとは、よく言ったものですな。ケイよ……しっかりと責任をもって、お嬢様をお守りするのだぞ。」
「そういう責任がなくても、俺はアリシアを守るつもりですよ。今の俺にとっての生きがいなんですから。」
そんなとりとめの無い話をして居るうちに、俺達はダンカンの館に到着した。
前回の会談の際とは比較にならないほど厳重な警備体制が敷かれていたが、隊長と思われる騎士が駆け寄ってきて丁寧に礼をしてきた。
「《教会の影》ケイ様と《奇跡の歌姫》のアリシア様、遠路より良く来て下さりました。私は先日のポルトゥスの奇跡に立ち会いましたが、この世に生を受けてあれほどまでに神秘的な光景を目の当たりにすることが出来るとは思っておりませんでした。すぐにダンカン様に取り次ぎますので、しばしお待ち下さいませ。」
言い終わるや否や、彼はすぐに衛兵と共に屋敷の中へ入っていく。
それからほどなくして、執事が屋敷から出てきた。
「ダンカン様がお待ちでございます。どうぞお入りになってくださいませ。」
俺達が屋敷に入ると、エントランスでダンカンが出迎えた。
彼は執事を下がらせた後、注意深く周囲を見渡した後に俺達を応接室に招き入れる。
そして、部屋に入った後、彼は申し訳なさそうな顔をした。
「本来であれば、《教会の影》であるケイ様や奇跡を体現してくださったアリシア様を屋敷の外からお出迎えするのが礼儀でしょうが、今は教皇様から教会を纏めることを預かった身……軽々しく魔王軍の方々に頭を下げることが出来ずに、このような対応となりました。大変申し訳ありません。」
ダンカンはそこまで話したところで、俺達に深々と頭を下げようとする。
だが、そこで俺は妙な違和感を感じてダンカンを制止した。
(なんだ……これ? 見られているような感覚がする)
それを見たフォラスが、ニヤリと笑いながら部屋の片隅に手をかざした。
すると、水晶玉が現れて俺達の足下に転がってくる。
フォラスがそれを無造作に拾い上げ、鋭い目で覗き込むと、透明だった水晶玉が真っ黒に変色して灰のように崩れ去った。
「どうやら、お前を罠に嵌めたい奴がおるようじゃな。貴族の若造だとは思うが……少し挨拶をさせてもらったぞ。」
ダンカンは静かに首を振りながら、天井を仰ぐ。
「仮初めとはいえ……教会の纏め役として任じられた者の部屋を盗み見るとは、なんと恐れ多いことを! 後ほど、ミカエル様にその者を罰するように奏上しておきましょう。」
――だがその瞬間、背後に圧倒的な気配を感じた。
俺が振り向くと、ミカエルが冷徹な目でダンカンを見つめていた。
彼は美しくも冷たい声で、ダンカンに告げる。
「自らの甘さを王に奏上するなどとは、あまりにも愚かな行いだとは思わぬのか? 本来であれば、そこの悪魔よりも先にお前が水晶玉の存在に気づくべきなのだぞ。このような者が代理を務めるとは、ベネディクトの人選の甘さが垣間見える。そして、教会は人間をより良く導く存在だ……いくら人間の為に動いているように見えても、悪魔は魔族に過ぎぬことを忘れてはならぬ。」
ミカエルの声に圧倒されてダンカンの顔は真っ青になった。
ミカエルはそんな彼を一瞥すると、苦々しげな顔でフォラスを見た。
「ルキフェルの補佐役として着実に地位を固めているようだな。ダンカンに恩を売って懐柔しようとしているようだが、その手には乗らぬ。おとなしく神事に参加するがよい。」
フォラスは大げさに肩をすくめながら、心外そうな表情をする。
「ミカエル様にそのように評価して頂けるとは、恐悦至極でございますな。儂は人間に対しては興味をもっておりますのじゃ。そして、全く魔力を持たなかった人間をここまで進化させた貴方様にも……」
(ん? 今、何か違和感を感じたんだけれど……)
フォラスの言い回しに違和感を感じたが、それが何かは解らない。
ミカエルは興味なさげにフォラスから視線を外し、俺とアリシアを見ながらつぶやいた。
「もし……娘にケイのような者が居れば……」
そして、すぐに首を振り、眉間に皺を寄せながら厳しい表情で俺に告げる。
「ケイよ……お前は地上に大きな流れを引き起こしたと考えているかも知れぬが、それは大きな間違いなのだ。海に石を投げたところで、すぐにその波紋は波に飲み込まれて消え去る。お前がしていることは、それと同じことに過ぎない。」
俺はアリシアを一顧した後、ミカエルに言った。
「組織の一番上の方は、組織全体を導かなくてはならないから、些事にはかまっていられないですよね。遙か空の彼方から見た俺達の働きなんて、きっとその程度に過ぎないのだろうと思います。ですが、今俺がいるのは地上で、その現場の中で生きる者達にとっては、小さな石程度の動きも必要なときがあるのかもしれません。だから……俺は、自分が出来る限りのことはして、ルキフェルの負担を少しでも軽くするのが仕事だと思っているんです。」
ミカエルの眉間の皺が少し弱まり、彼は俺をじっと見つめた。
そして、静かに俺に尋ねた。
「本来であれば、ガブリエルが聞いておくべきだったことだとは思うのだが……《品質管理》とやらの経験で、短期的に働いて教育してもすぐに入れ替わってしまう者達のことを、お前はどう遇していたのか?」
(むむっ? パートさんの教育のことについて聞いているのかな……)
「そうですね……そういう方々に対しては、《作業手順書》を作ってそれを遵守してもらうようにしていました。また、急に居なくなってしまった場合のリスクに備えて、その人しか出来ないと言う仕事はなるべく任せず、汎用的な仕事をしてもらうことにしていましたね。」
俺の説明に、フォラスが慌てた顔をしている。
(ええっ!? 俺、なにか問題のある発言をしたのかな?)
ミカエルはどこか納得した顔をしながら、頷いた。
「お前が今言ったことは、まさに教会の果たすべき役割なのだ……お前が魔王軍の幹部だということは気に入らぬが、《教会の影》として真面目に働く気があるならば、私も少しばかりの寛容さを見せてもかまわぬと考えている。」
(やべえぇぇぇぇ!? そういうことなら、違うことも言っておかないと!)
俺は慌ててミカエルに告げる。
「申し訳ありません! 俺はまだ、大事なことを説明していませんでした。」
ミカエルは眉を潜めて俺に問いかけた。
「ふむ……先ほどの内容で十分だとは思うが、大事なこととは何かね?」
「ええと……現実と理想の乖離は、一番そういった者達に反映されます。その者達の不満を抽出できる機会を設けておくと良いでしょう。あと、起こった不具合の原因を記録しておくことで、過去と同様の問題による不具合なのか、それとも新たに発生した問題による者なのか判明し、問題の解決の糸口を見つけることが出来るようになります。」
ミカエルが興味深げに俺を見始めたので、もう一つだけ付け加えることにした。
「あくまで組織に所属させる前提で、今回の話をしましたが……実際には、上の方が何を求めていて、それをどう実現すべきかを知らなければ、独りよがりの行動になってしまいます。俺はルキフェルの部下ですが、人間との平和路線を続けていく上で、ミカエル様のお考えを聞く機会が必要になると思っています。新しい教皇様を通じた形になるかと思いますが、その時は忌憚なく人間側の事情を教えて頂きたいと思うのです。」
ミカエルは呆れた顔をしながら肩をすくめ、必死で笑いを堪えているフォラスに尋ねた。
「ケイは魔王軍の幹部でありながら、私の意見を聞きたいと言っているのだが……ルキフェルはこのような発言を許しているのか?」
フォラスは面白くて仕方が無いという表情をしながら答える。
「ルキフェル様は定命の者の考えを知るという意味で、ケイを有効に活用されておりますのじゃ。それ故、我らの常識外の発言をしても寛容に捉えてくださっていると考えてくださりませ。」
それを聞いたミカエルは、唇を少しだけつり上げた。
「なるほど、定命の者の考え方か……まあ、良いだろう。《教会の影》としては認めるので、しっかりと人間達のために尽力するのだな。」
(なんか……言い方が一々高慢なんだよな)
俺の考えをよそに、ミカエルは用が済んだとばかりに霧のように部屋から姿を消した。
アリシアが少しだけムッとした顔で、俺の袖を掴む。
「人間の為……ではなく、地上の為です。その中に、人間もしっかりと含めているということを忘れない欲しいものです。」
アリシアの爆弾発言に、俺は慌ててダンカンに頭を下げる。
「ええと……今のは、人間も含めて地上の平和を望んでいると言うことですから!」
ダンカンは微笑しながら俺の手を取った。
「大丈夫です……ミカエル様はケイ様に期待されたのでしょう。だからこそ、あえて《教会の影》として認めると言っておられました。」
「えっ!? そうなんですか……」
フォラスが呆れ顔で俺の背中をツンツンと指で指す。
「全く、ケイは察しが悪くて困るのう……これから先が思いやられるわい。」
部屋の空気が和む中、ドアがノックされた。
「そろそろお時間でございます。広場の方にお向かいくださいませ。」
俺達は、静かに頷くと館を出て広場へと向かうのだった。
本作を読んでいただきましてありがとうございました。
次回の更新は4/1(木)予定になります。
今後とも本作をよろしくお願い致します。