《男殺し》からの解放
部屋に戻ると、アリシアが急に後ろから俺を抱きしめてきた。
「盗み聞きしてしまって、申し訳ありません……そして、ベネットの件……本当にありがとうございました。」
背中越しに感じる彼女が小刻みに揺れている感覚は、彼女の心が激しく揺れ動いていることを否応なく伝えてくる。
だから、俺はあえて彼女に声をかけずに優しく彼女の腕に手を置いた。
部屋に沈黙が訪れ、しばらく彼女は俺の背に顔を埋めていたが、気持ちが落ち着いてきたのか、静かに俺を抱きしめていた腕を緩めた。
俺は彼女の方に向き直ると、彼女は涙で頬を濡らしながらも嬉しそうな顔をしている。
(ルキフェルの部屋では、必死で自分を出さないようにしてたんだろうな)
俺はそんな彼女がいじらしくて、彼女を抱きしめた。
「恐らく、今回の件が上手くいけば《ベネディクト様》ではなく、《ベネット》としてアリシアと話せる機会が出来ると思うんだ。だからその時に、ゆっくりと色々と話してみると良いよ。ベネットはアリシアのことを恨んでもいないし、教皇という仕事については充実していたと言っていたからさ。」
アリシアは少し穏やかな顔になりながら頷いた。
「ええ……そうですね。もし、その機会を頂けるのであれば、色々とお話ししたいですね。」
そして、顔を上げながら真っ直ぐに俺を見つめてきた。
「自惚れかも知れませんが、ケイは私の為にベネットのことを救おうと思って下さったのですね。私に何かお返しできることはないでしょうか?」
俺はなんとなく照れくさい気持ちになったけど、しっかりと彼女に告げる。
「俺にとっては、こうやってアリシアと当たり前のように二人っきりでいられるだけでも、十分幸せなんだ。それに……君がそうやって、純粋に感謝して何か返したいと思ってくれていることが本当に嬉しいよ。」
アリシアは嬉しそうな顔で俺を見上げた。
「それなら……今度また、一緒に二人っきりでデートに行きましょう! フォラスには邪魔をしないように、きつく申しつけておきますので。」
俺が満面の笑みで頷いて、彼女にキスをする。
そして、とりとめもない話をしながら楽しい時間を過ごすのだった。
* * *
それから二週間後、俺とアリシアはベネディクトに呼ばれて、領事館風の建物に赴いた。
彼からは私的な用事としか書かれていなかったので、フォラスは一緒にきていない。
部屋に入ると、ベネディクトが丁寧に俺達を出迎えた。
彼は俺達が席に着くと、深々と頭を下げた。
「レディ様が天界に働きかけて下さった結果、ミカエル様も『お前以外に教皇を務める者が居ない以上、仕方が無い……天界の慈悲に感謝するが良い』と転生をお認めになって下さりました。ケイ様には本当に感謝しております。」
「それは、ベネディクト様が今まで積み重ねられた功績によるものですよ。俺はそれを後押ししたに過ぎません。」
ベネディクトは微笑して静かに首を振る。
「貴方は私のために、ガブリエル様に諫言をして下さったそうですね。あの方は、私に『良き友人を持ちましたね』と言って下さりました。」
俺は慌てて思いっきり首を振った。
「いえ……あれは、俺自身の私情が入っていたというか……その、努力してあそこまで教会という仕組みを作り上げてきたんだから、それが報われて欲しいと思っただけなんですよ。」
彼は俺とアリシアを見ながら、優しげな顔で言った。
「恐らく、それはアリシア様に対しても同じ……いえ、それ以上の想いをお持ちなのでしょうね。貴方は、当たり前ということの貴重さに気づいておられる。だからこそ、その当たり前を守ることの大切さを意識して動かれているのでしょう。」
彼は柔和な笑みを浮かべながら、俺に告げる。
「ミカエル様は、ケイ様が人間の為にも尽力していることについては理解して下さっています。その上で、あの方は《品質管理》と《品質保証》のお話について興味深く聞いてらっしゃいました。恐らくは、ルキフェル様に対するお考えも少し軟化されるのではないでしょうか。」
俺はなんだかホッとした気持ちになって、表情を緩めた。
「そうでしたか……それなら、とても嬉しいですね。」
ベネディクトは、アリシアをじっと見ながら俺に頭を下げる。
「実は……アリシア様と少しお話をしたいのですが、お時間を頂いてもよろしいでしょうか? もちろんミカエル様からのお許しは得ていますので……」
俺がアリシアの方を見ると、彼女は少し緊張した面持ちで頷く。
なんとなく、二人っきりで話させた方が良いと思った俺は、静かに席を立って二人に言った。
「折角の機会ですし、積もる話もあるでしょう……二人でゆっくりと話して下さい。」
部屋を退出して、俺はペルセポネへ帰還する。
それから数刻後、アリシアが俺の部屋に入ってきた。
どこかすっきりとした表情をしている彼女を見て、俺は優しげに彼女に声をかける。
「その様子だと、色々なわだかまりが解けたようだね。」
彼女はじっと俺の目を見ながら、少し不満げな顔になった。
「ええ……そうですね。そして、ちょっとだけベネットに嫉妬しちゃいました。」
(へっ!? 俺……何かしたっけ?)
色々とベネットと会話したことを思い出すが、特に浮気と思われるようなことをした覚えはない。
アリシアは、そんな俺を見て悔しそうに言った。
「ケイの昔話についても聞かせて頂いたのですが……私が初めて聞くことが多くて、びっくりしちゃいました。そういうお話とかも、これからはもっと私に聞かせてくださいね。」
普段はあまり見せないような、アリシアの姿を見て俺の心が少しときめく。
俺は彼女を抱き寄せて、笑顔で答えた。
「もちろんさ……アリシアには俺の全部を知ってもらいたいと思っているからね。」
思わず彼女が笑い出す。
「それって……この前、私が言っていたことと被っていますよね?」
「そうだったかな? なら、俺達って似たもの同士なのかも知れないね。」
アリシアは嬉しそうな顔で頷くと、俺の両肩に手を回してキスをする。
そして、涙を流しながら言った。
「私……ケイがこの世界に来るまでは、魔王の娘なのに《戦乙女》である自分が嫌でしょうがなかった。でも、ベネットとこうして話せたことで、私がしてきたことにも意味があったんだと思えるようになりました。」
俺はそんな彼女の頬の涙をすくいながら、囁いた。
「今まで本当によく頑張ってきたよね。前にサルマキスの食堂で言ったことと被るけど……辛い過去って、今の自分を映す鏡のようなものだと思うんだ。今が辛ければ、あんなことがあったからそうなった。今が幸せであれば、あのときの経験があったからうまくいったって感じでね。今、アリシアが幸せだと思えるなら……俺は本当に良かったと思っているよ。」
アリシアが感極まって、俺の胸に顔を埋めて泣き始める。
俺はそんな彼女の背中を優しく撫でながら、彼女が《男殺し》という枷から完全に解放されたことを実感して、穏やかな気持ちになるのだった。




