雨は降らずとも地は固まる
ペルセポネに帰還した俺は、一旦自分の部屋に戻ることにした。
ことがことだけに、情報を整理しようとすると、アリシアが部屋に入ってきた。
彼女は若干緊張した面持ちをしながら、俺に頭を深々と頭を下げてくる。
「大事な初デートだったのに、大失態を犯してしまいました……本当にごめんなさい。」
(アリシアだって楽しみにしていたのに……俺のことを気遣ってくれるんだな)
先ほどの会談でベネディクトが言っていた、『アリシアは自分に着せられた汚名ではなく、他者を傷つけることを嘆いた』ということが頭に浮かび、俺は思わず彼女を抱きしめた。
「アリシアが謝ることなんて無いんだよ。あの糞爺が《愛の手順書》を君に見せたのが悪いんだ。それに、俺は倒れた君を置いて、仕事に行ってしまったんだからさ……いつか、この埋め合わせをするから許してほしい。」
アリシアの顔が花開くような笑顔になり、俺を上目遣いに見上げた。
「途中で終わってしまって本当に残念でしたけど……素敵な時間を過ごせました。次の機会を楽しみにしていますね。」
(ああ……やっぱり可愛いよなぁ! あの水着姿も最高だったし、本当に俺は幸せ者だよ)
俺は彼女の頭を優しく撫でながら、耳元で囁く。
「美味しいお弁当に、素敵な水着姿も見せてくれたし……俺も本当に嬉しかったよ。次は邪魔が入らないと良いよね。」
アリシアは頬を赤く染めながら頷いた後、申し訳なさそうな顔で俯いた。
「フォラスから聞きましたが、シレーニ達が例の卑猥な本で問題を起こしていたらしいですね。そんな時に倒れていてごめんなさい。」
「大丈夫だよ。話はうまく纏まったし、大事なことが解ったからね。」
「大事なこと……ですか?」
不思議そうな顔で見上げるアリシアに、俺は真面目な顔で静かに聞いた。
「そう、とても大事なことがね。そういえば……アリシアが最初にこの世界に導いた転生者って、その後にどうなったか知っているのかな?」
アリシアは少し考え込んだ後に、静かに首を振る。
「いえ……とても良い方だったのですが、魔王軍には入って下さらなかったそうです。その後のことは教えて貰えなかったのですが、恐らくは元の世界に戻られて、新たな人生を歩まれて居るのではないかと思っています。私のせいで、あの方の運命を滅茶苦茶にしてしまったと思っているので……もし、もう一度会える機会があるならば、一言でも良いからお詫びの言葉を伝えたいと思っています。」
(アリシアが悪いわけじゃ無いんだけどな……)
俺は複雑な気持ちになりながら、彼女に優しく伝えた。
「全て君が背負う必要は無いんだ……今は俺もいるんだから、辛いことは二人で分かち合おう。ごめんね、辛いことを聞いてしまって。」
「そう言って下さるだけで嬉しいですよ。ケイには私の全てを知って欲しいと思っているので、なんでも聞いて下さいね。」
(アリシアの全てをなんでも知って欲しいだと!?)
色々な妄想が頭に浮かんで悶々とし始めた俺へ、アリシアが窘めるように言った。
「ケイって、本当に解りやすいですよね……他の方にはそういう顔をしないで下さいね。」
「へっ!? いや……あの……俺が興味があるのはアリシアだけだから! 早く結婚して、君の全てを手に入れたいと思っているよ。」
アリシアが俺をじっと見て、微笑んだ。
「お母様が『ケイはお父様と同じで、私がしっかりと捕まえに行かないと手に入らない』と言っていました。よく考えてみると、私もそう思うんですよね……だから、私が貴方の全てを手に入れられるよう頑張ります。」
彼女はそっと俺の顔を両手で包むと、優しく口づけをする。
そして、少し頬を赤く染めながら、小さい声で呟いた。
「それに……私の心を虜にしたのはケイが初めてで……これから先も、それは貴方だけだと思っていますから。」
(初めて会った頃に比べて、随分と変わったよな……もちろん良い方向に)
俺はそんなアリシアが愛おしくなり、優しく囁いた。
「俺……本当にこの世界に来ることが出来て、幸せだと思っているよ。ありがとう、アリシア。」
嬉しげに頷くアリシアを見つめていると、不意に後ろに気配を感じた。
思わず振り返ると、ヒルデが微笑ましげな顔をしながら俺達を見ている。
「どうやら、しっかりと仲直りできたようね?」
「へっ!? 俺はアリシアと喧嘩したつもりは全く無いんですけど……」
アリシアが気まずそうな顔で、俺に告げる。
「実は……初デートで大失態をしてしまったので、ケイに嫌われてしまったのでは無いかと思って、お母様に相談したんです。そうしたら、『ケイならしっかりと話せば解ってくれる』なんて、いつになく真面目に言うんで……」
俺は思わず吹き出すと、アリシアの耳へ不意打ち気味に息を吹きかけた。
「ひゃああぁぁぁぁ!?」
「全く……アリシアは、もっと自分に自信を持った方が良いと思うんだよ。俺には勿体ないくらいの素晴らしい女性なんだからさ。」
ヒルデが肩をすくめて、呆れたような顔で俺を見る。
「それはケイも同じじゃないかしら? フォラスから聞いたわよ……なんでもエリシオンで随分と良い女と一緒に視察をしていたというじゃない。アリシアにはいつも言っているけれど、うかうかしていると他の女にケイを取られちゃいそうで心配になるのよね。」
(あの糞爺が……デートを邪魔するばかりじゃ無くって、俺をかき回して楽しんでいやがるな)
俺はこれ以上誤解を招く前に、アリシアを真っ直ぐに見つめて伝える。
「丁度、そのことについて、ルキフェルと話そうと思っていたんだ。地上全体に関わることだから、今はそのことについて話せないけれど、しっかりと説明するから……俺を信じてくれるかな?」
アリシアは一瞬戸惑った顔をしたが、微笑して頷いた。
「私はケイのことを信じています。それに……お父様が、私のために何かするときの顔と、今の貴方の顔は同じなので……恐らくは、私をまた守って下さろうとしているのですね。」
俺は一瞬頷きかけたが、静かに首を振る。
「君のため……そう思いたいけど、俺の独りよがりかも知れない。誰かのためで無く、自分がそうしたいと思ったから、動いているに過ぎないんだ。」
アリシアが、そんな俺の背中に手を伸ばして、優しくさすり始めた。
「ケイがそういう風に言う理由を、私に告白する直前に教えて下さいましたよね。私は何があっても貴方だけに責任を押しつけません。ケイが背中を預けていないときも、ずっと貴方が寄りかかれるように側に居ますから……だから、貴方は自分が信じる道を安心して進んで下さい。」
(そうか……アリシアは、前世の俺の姿を知っていたんだった)
俺は少し肩の重荷が取れたような心持ちになり、彼女に言った。
「ありがとうアリシア……俺、頑張るよ。」
そんな俺とアリシアを見ながら、ヒルデが微笑ましげな顔で頷く。
「あらあら……ごちそうさま。これなら、いつでもアリシアはケイのお嫁さんになれそうだわ。そういえば、ケイはルキフェルに用事があるのよね? 今なら時間が取れると思うから、あの人の私室に行きなさい。アリシアは、少し私とお話しでもしましょうか。」
「ありがとうございます。それでは、少し席を外させていただきます。」
俺は丁寧にヒルデに頭を下げると、ルキフェルの私室へと向かうのだった。




