努力し続けた前世の記憶
俺は過去に思いを馳せながら、ベネディクトに自分の経験を明かしていく。
「社会に出て初めての挫折は、研究職で就職したはずが、まったくの門外漢である営業として配属になったことですね。それまで自分の努力したことがまったく無駄であるかのように扱われ、それが悔しくて、必死で努力して周囲の人間とのコミニュケーションを取るようにしたり、貪欲に仕事を覚えるようにして成果を出せるようにしました。」
「なるほど……目の前の職務に対して真摯に取り組むことで、地位を高めて将来的な立場を手に入れようとしたわけですね。」
「そうですね……ですが、それは半分は上手くいきましたが、半分は失敗しました。能力向上といった面で考えれば、成功したと思えます。昔の俺は人付き合いとかがもの凄く苦手だったんですけれど、少しでも仕事が出来るように努力した結果、社内外の人とのコミニュケーションは取れるようにり、一定の成果を出せるようになりました。でも、世紀の大不況という問題が発生して、昇給できなかったんです。さらに、いくら働いても残業代という対価が払われなかったのです。」
ベネディクトはため息をつきながら、静かに首を振る。
「それは酷い話ですね……労働や成果に対する対価が得られない上に、自分が望んでも居ない仕事であれば、なおさら辛かったのではないでしょうか?」
「ええ……それもあって、俺は会社で研究をしたいという夢を諦められず、異動の願いを出し続けましたが、それは会社の意に反することでした。ちなみに、営業を三年続けて、歳も三十に近づき、研究という仕事が出来るタイムリミットが迫っていて、最後のチャンスとばかりに異動の願いを出したんですが、それが聞き届けられることはなく、報復的な人事で工場に異動になってしまいました。」
ベネディクトは何か思うところがあったのか、少し辛そうな顔をした。
俺は彼を優しげな顔で見つめながらも、話を続ける。
「俺は工場の品質管理の仕事につくことになったのですが、そこは吹きだまりのような場所でした。工場で力仕事が出来ない女性をとにかく集めて、検査をメインでやらせていた上に、現場との連携は全く出来ていなかったので、なにか問題があっても上司と現場だけで全て物事を終わらせてしまう。それに、営業時代に顧客と交わしていた約束を平気で破っていたんです。でも、そんな吹きだまりの中で、俺は自分に出来ることはないかと考えました。」
俺はベネディクトをじっと見ながら笑顔で告げる。
「教会の方々もきっと布教活動などをされていると思いますが……俺は現場への連絡役を買って出て、何か問題がある度に足を運ぶようにしたんです。自分の仕事をいかに効率化して、早く終わらせられるかを常に考え、そして空いた時間をそういったことに回していく。そして得られた情報を元に、不具合の情報を纏めたものを作る。そして、同様の問題が起こりそうになった時、前回何が起こったのかを見てもらって、同じことを繰り返さないようにしてもらう。そうすることで、不具合が出ることが大分減るようになりました。」
そこで俺は、あることを思いだして沈んだ顔になる。
ベネディクトは真剣な顔をしながら俺に問いかけた。
「そうしたことで、何か……決定的な問題が発生したのですか?」
「いえ……そうではありません……仕事自体はとても上手くいっていました。工場の人達も、直属の上司もだんだん乗り気になってきてくれて、色々やって欲しいと言われて夜遅くまで残るようになりましたが……やっぱり、残業代という対価は出なかったんです。それに、自分の通常業務を終わらせた後に、残業しながら研究所や技術に携わる新人を教育をしている際に、彼らには残業代が出るということを知ってしまって、俺の心が折れそうになってしまったんですよ。」
ベネディクトは不思議そうな顔で俺に尋ねた。
「ケイ様の会社は……どれほど働いても、同じ対価しか与えられないのではなかったのですか?」
「いえ……俺が仕事をしていた所は、直接に利益を生まないので残業代が出ないということらしいです。」
「それは屁理屈というものでございましょう? 何故、ケイ様はそれに対して憤りを覚えなかったのですか。」
俺は自嘲気味に天井を見ながら答えた。
「俺も出来ることなら……そんな場所から逃げたいと思いました。ですが、その時の俺は三十過ぎ……そんな簡単に他の所に移ることが出来ないような状況でした。だからこそ、俺はそんな状況を打破すべく、会社の《労働組合》というもので活動するようになりました。」
「《労働組合》……何かのギルドのことでしょうか?」
「会社と労働者の仲立ちをするようなものですね。この件とは別件で会社を辞めたくなった時、ある人の計らいで入ることになったんです。活動を続けて行くうち《賞与》の交渉の調整役をまかされるようにもなりました。結局、それが始まりで、俺は会社全体の業績を上げて賞与だけでも上げてやろうじゃないかという仲間を作り、さらに《安全衛生推進員》という、自分の仲間が快適に仕事をするための仕事もやるようになりました。」
「なるほど……ケイ様が様々な方に配慮なされるのはそういったことがあったのですね。」
「今考えると、そういった経験があったおかげで、この世界で上手く頑張れているのかもしれないです。まあ、他にも自分の所属する部署での色々な雑務等を殆どやっていたせいで、《雑用マスター》と呼ばれていたようですがね。」
「そこまでやっていて、ケイ様の本業に支障は出なかったのですか? 自らのやりたいことに傾倒して、本業を軽んじれば周囲からの信頼を損ねると思われるのですが……」
「だからこそ、俺は所属する部署全体について、仕事の普遍化と効率化、そして付加価値の向上を求めるようになりました。その頃には周囲からの信頼も大分得ていたので、手順書の作成や効率化の提案なども通りやすくなっていたし、雑務の中でも成果に出来る美味しい仕事に育てたものもあったので、そういったものと牽連性のあるものを組み合わせて、仕事として振ることが出来るような体制を作ったんです。《品質管理》の成果って中々見えづらいですが、そういった変化を与えていくことで目に見える成果としてアピールすることが出来ますからね。」
ベネディクトは納得したような顔で頷いた後、若干不思議そうな顔で俺をじっと見た。
「それは凄いですね。そういえば、レディ様から『前世では冴えない者と評価されていましたが、とても良い人』と聞いていました。そこまでのことをされていながら、冴えないとはあまりな表現ですね。」
彼の疑問は確かに正鵠を射ている。
俺は肩をすくめながら、微笑した。
「俺がしたことは、あくまで下支えに過ぎません。それで新しく物が売れるとかそういう話ではなく、皆が働きやすい環境を作ったに過ぎないんです。何だかんだで、《労働組合》や《衛生会議》などの全体的な会合に出てみると、組織が何を求めているかも解ってくるし、何を元に昇進を査定しているかが解ってきます。俺はその中で、上の人と下の人が求めるものをすりあわせていったんです。冴えない奴とみられることは多いけれど、それでも係長という会社側に立つ立場の一歩手前まで出世できたのは、そういったことを評価して頂いたからだと自負しているんですよ。」
ベネディクトは何かに気づいたような顔をして、嬉しげに笑った。
「なるほど……ケイ様は上の者の立場を理解しながら、全体が上手く動くような緩衝役として立ち回る形になられたということですね。」
俺は少し寂しげな顔をしながら静かに首を振った。
「結果的にはそうなったということですが……結局の所は、《最初の約束を違えたことに対する個人的な悔しさを晴らしたかっただけ》なのかもしれません。《仕事では人を裏切りたくない》、《努力したことや経験したことを無駄にしたくない》、俺のこれまでの活動に関する根底は、そういった矜持に引きずられたものでしかないんですよね。」
ベネディクトが何か言いたげな顔をする中、俺は彼を真っ直ぐに見て告げる。
「恐らく、レディ様から色々と聞いているということは、『前世で俺が時々虚無感にとらわれた表情をする』ということも聞いているでしょう。きっと、今の貴方が聞きたいのはそれではないかと俺は思っています。だからこそ、俺がどんなに努力しても満たすことが出来なかったことを貴方に伝えたいと思います。」
ベネディクトが固唾を呑んで頷く中、俺は今まで誰にも語らなかった、虚無感の理由について打ち明けるのだった。




