ベネディクトの前世
ゲートを抜けて応接室に戻ると、ベネディクトは更衣のために一旦退出した。
一人部屋に残された俺は、先ほどのフォラスの微妙な表情を思い出す。
(そういえば、あの時もそんな顔をして居たな……)
ベネディクトが『どんな立場であろうが変わらず交誼を結んでくれるか?』と聞かれた時、彼は妙な反応をしていた。
そして、エリシオンの街にお忍びで行った時に『今の私は、ただのベネットであって、教皇という立場に縛られる必要が無い』と言ったときも、同様の顔をしている。
ベネディクトとフォラスの間に、俺の知らない何か複雑な事情があるような気がするが、直接それを聞いて良いものか解らずに悶々としていると、彼が更衣から戻ってきた。
「エリシオンの街に連れて行って下さって、ありがとうございました。シレーニ殿はなかなかの慧眼の持ち主で、有意義な時間を過ごすことが出来ました。」
「それは良かったです。前から思っていたのですが、ベネディクト様はとても柔軟な考え方をされますよね。」
「そうでしょうか? それを言うならば、ケイ様の方が柔軟だと思います。前世が人間でありながら、魔物の考え方をしっかりと理解して、彼らが生きやすいような改革をなさっているのですから。」
「そう言って貰えると嬉しいですね。そういえば、ベネディクト様は最初からこの世界に生を受けたのですか?」
俺の問いかけに、ベネディクトは微笑しながら首を振った。
「いえ……私も、ケイ様同様に他の世界から転生して参りました。ロラン殿やアルケイン殿と同様に、前世で私は神の信託を受けて魔王と戦ったのですよ。」
(神に選ばれし者か……戦乙女がスカウトする人達って、そういった共通点があるのかな?)
俺はロランやアルケイン達のことを思い出して、思わずそんなことを考えてしまう。
ベネディクトはどこか懐かしげな顔をしながら、俺に自分の過去を語り始めるのだった。
* * *
ベネディクトが居た世界では、教会は絶大な権力を持ち、神の代理として人々を良い方向に導くことで世界の平和を維持していた。
だが、突如として世界の果てに魔王が現れる。
絶大な魔力を持つ魔王は、瞬く間に地上の七割の都市を陥落させ、人間達を絶望の淵に叩き落とした。
そんな中、教会が『ベネディクトこそが神から選ばれし者で、魔王を倒すことが出来る唯一の者である』という神託を受けた。
一介の神官だったベネディクトは教会から《聖なる者》として祝福され、魔王討伐の戦いに赴く。
厳しい戦いで、護衛の神官騎士達が次々と犠牲となって倒れ伏していく中、ベネディクトはなんとか魔王を討伐する。
だが、魔王にとどめを刺す際にベネディクトは返り血を浴びてしまう。
血によって穢された部分は青黒く変色し、ベネディクトの透き通ったサファイアの瞳は燃えるような赤色に変わってしまった。
教会は変わり果てた《聖なる者》に対し、『神への信心が足りぬせいで、魔王の誘惑に勝てなかった』と判断して、異端者として火刑に処すことを決めた。
人々から軽蔑の視線を受ける中、ベネディクトは自分の不信心さを恥じると共に、自分亡き後の世界の平和を祈りながら火に焼かれていった。
灼熱の炎が身を焦がす中、ベネディクトの前に美しい女性の天使が舞い降りた。
「魔王を討ち滅ぼし者よ……別の世界の天界より貴方を迎えに参りました。あなたの神に対する信仰は、この世界の誰よりも深い。私達の世界もまた、貴方のような聖なる者を必要としているのです。」
自らの不信心さを恥じていたベネディクトは、己の罪を浄化すべくその誘いに乗ることにする。
天使から報告を受けたミカエルは、神に対する献身を非常に高く評価して、ベネディクトを教皇に据えることにした。
こうして、ベネディクトは教会の長として天界と人間の為に尽力を続けることになったのだった。
* * *
ベネディクトの悲惨な前世の話を聞いて、俺は複雑な顔をした。
(全てを神のために捧げた人生か……俺にはとても出来そうにないな)
ベネディクトはそんな俺の表情を読み取ったのか、優しげな顔で首を振った。
「私は前世の生き方に満足しているのですよ。神託を受け、それを成し遂げることが出来た。たとえ私という存在が平和となった後の世情にそぐわなかったとしても……私は世界を救うことが出来たのですから。」
彼はじっと俺の顔を見た後、何かを考え込む。
しばらく沈黙した後、意を決したように俺に話しかけた。
「レディ様から貴方の前世について聞かせて頂いたのですが、貴方は前世で夢を持って仕官したのに、組織にそれを裏切られて、望まぬ仕事に従事していたそうですね。」
俺の心がズキリと痛む中、彼はそのまま言葉を続ける。
「この世界での貴方の働きを見るからに、その中でも相当な努力をされたと思うのですが……功を立てたところで報われるどころか、その夢から遠ざかるかもしれなかったのに、どうしてそこまで頑張ることが出来たのでしょうか?」
ベネディクトの表情は真面目だが、どこか迷いがあるようだ。
何処となく、俺はそこに過去の自分を見た。
(そうか……フォラスの複雑な表情の理由はこれだったのか)
事情はよく分からないが、ベネディクトもまた、昔の俺と同様に自身の立場についての迷いがあるのだと考えて、深くため息をついた。
「そうですね……一人の情けない男の過去話で良かったら聞いて頂けますか?」
真摯な顔で頷くベネディクトを前に、俺は過去の自分の経験を語り始めるのだった。