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怒れるロゼッタ

 俺とアリシアがポルトゥスの調査を終えてから、おおよそ二週間が経った。

 フォラスとオベロンの迅速な働きにより、網の材料の確保から回収後の処理についての準備は整った。

 一方、ダンカンのほうからも網の材料の仕入れの際に、廃棄した網を渡す形で取引を行いたいという申し出があり、これで網についての問題はほとんど解決できると思われる。

 また、ネレイスの歌についての取り決めも大分話がまとまり、後は教会の許可が取れればすぐにでも執り行うことが出来るという状態にまで落とし込んだ。

 この件に対して手応えを感じた俺は、ベネディクトに書簡を送り、調査の結果と対案の進捗状況について報告した。

 彼からは調査の結果と対案の内容には感謝しているが、王都との摩擦について憂慮する旨の返書が届いた。

 また、返書には王都への説明の意味合いも込めて、ロゼッタを交えて本件についての会談をしたいと書かれていた。

 俺はその申し出に応じることにして、アリシアとフォラス、そしてアントピリテと共にベネディクト達との会談へと赴くのだった。



 * * *



 いつもの如く領事館風の建物の応接室に入室すると、すでにベネディクトとロゼッタが座っていた。

 俺達が入るなり、ロゼッタは背中まで貫きそうな鋭い目つきでこちらを睨み付けてくる。

 一方、ベネディクトの方は苦笑しながら俺に会釈をした。

 

「お忙しい中、よく来て下さいました。この度は、海の問題についてご尽力頂きまして、ありがとうございました。まずは席にお座り下さいませ。」


 俺達が席に座ると、ベネディクトは柔和な笑みを浮かべて話しかけてくる。


「今回の件につきまして、ケイ様からご報告を頂きました。料理の手順書という新しい概念により、人間の世界も海の世界についても大きな影響を受けてしまったようですね。それでですが……」


 彼が最後まで言い終わるのを待てずに、ロゼッタが俺を怒鳴りつけた。


「貴方達が思いつきで《料理の手順書(あんなもの)》を作るから、一部の野菜や肉、そして魚が高騰してしまったのよ! 連日、民達から陳情が上がってきたから、商人達を動かして上手く対応させていたのに……さらにそれを妨害するなんてどういうつもり?」


 アントピリテがすぐにそれに反応して、冷ややかな目でロゼッタを見据えて反論した。


「ロゼッタ……あなた、馬鹿なの? その場しのぎの対策をした上に、その不手際が全部こっちに降りかかってきたんですけれど。こっちはそのおかげで大迷惑を被ったわ。ケイはあなたの失策の尻拭いをしてくれたというのに、それを怒鳴りつけるなんて頭がどうかしているとしか思えないわ。」


「誰が頭がおかしいですって!? 下賤な魔物無勢がそんな無礼なことを行って良いと思っているのかしら?」


「下賤ねぇ……あなたって本当に何も知らないのね。聖女とやらが聞いて呆れるんだけれど……そこの教皇様はこの小娘に何を教育していたのかしら? 私がどういう存在で、何故海を管理しているかということすら解らないみたいなんだけれど?」


「なんですって!? 私は聖女として、あなた達のような恐ろしい化け物から人間を守り続けてきたのよ。」


 アントピリテは肩をすくめて、哀れなものを見るような顔でロゼッタを一瞥すると、ベネディクトに問いかける。


「お話にならないわ……これ以上は時間の無駄ね。私や師匠は忙しい中わざわざ時間を作ってきているんだけど、小娘の愚痴を聞かせたいだけならば帰らせてもらっても良いかしら? ケイに何か聞きたいことがあるなら、さっさと聞いて下さると助かるわ。」


 ベネディクトは困ったような顔をしながらロゼッタを一顧した後、俺に言いかけた内容を話し始める。


「ロゼッタ様の言い分もあると思いますが、ひとまずここは私にお任せ頂きたいと思います。さて、ケイ様の対案につきましては、とても理にかなっています。そのため、教会としてはそれを受けるのも吝かではないと考えております。ですが、魔物自体を天界の使いとするならば、それ相応の理由が必要となるのですよ。」


「なるほど……伝承としてはネレイスに錫杖を渡すとなっているけれど、もう一押し、人が信じる理由が必要だと言いたいわけですね。」


「ご推察の通りでございます……例えば、ネレイスが錫杖を受け取ったときに、一曲だけ聖歌を歌って頂ければありがたいのですが……可能でしょうか?」


(流石にそれはまずいんじゃないのか!? アントピリテが怒りそうなんだけど……)


 俺は思わずフォラスとアントピリテの方を振りかえった。

 だが、二人はまったく問題ないといった表情をしている。

 フォラスが、笑みを浮かべながらベネディクトに訊ねた。


「なんじゃ……そんなことで良いのか? その程度のことならば、まったく問題はないので、ネレイス達に歌わせるとしよう。じゃが……アントピリテが歌うと、人間に対して多大な影響を与えてしまうので、周囲にいるネレイス達に歌わせると言うことでも良いじゃろうか?」


 ベネディクトが微笑しながら頷こうとしたところで、ロゼッタが再度口を挟み始めた。


「ベネディクト……あなた、魔王軍に肩入れするつもりなの? こんなの、ネレイスの女王が天界に背を向ける言い訳に決まってるじゃない!」


 アントピリテが心底呆れた顔でロゼッタに告げる。


「あなた……ミカエルから何も聞いていないのね。私の歌は天使すら惑わして、深淵の世界に落としたのよ? 耐性を持たない人間達にそんな歌を聴かせたら、どんなことになると思ってるのよ。」


 ロゼッタは全身の血が顔に集まったかのような真っ赤な顔をして、アントピリテを怒鳴りつけた。


「じゃあ、貴女の次にでも歌が上手で立場のあるものに歌わせれば良いじゃない。ただのネレイスに歌わせるなんて、到底承服できないわ!」


 アントピリテはフォラスの方を見た後、首を振る。


「私の一番弟子は、確かに貴女の言うとおりの才能と立場がある。でも……彼女に聖歌だけは絶対に歌わせられない。人間への影響はそんなに無いかもしれないけれど、世界的には大変なことになっちゃうの。私には責任が取りきれないわ。」


 とんでもないことを聞いてしまった俺は、アリシアを見て思わずつぶやいた。


「えっ……アリシアが聖歌を歌うと、世界にとんでもない影響がでちゃうの?」


 アリシアも何が何だか分からないという顔をして、首をかしげている。

 ロゼッタは、勝手に何かを納得したような表情となり、フォラスに言った。


「魔王の娘がネレイスの女王の一番弟子とは驚いたわ。でも好都合よね? 人と魔物の仲立ちを、魔王の娘が祝福する……なんて素晴らしいことでしょう。」


(はぁ? どこまで勝手なことを言えば気が済むんだよ……)


 フォラスが何かを言う前に、俺は思わずロゼッタに反論する。


「いい加減にしてくれませんかね? アントピリテがそういった警告を出すと言うことは、本当にとんでもないことが起きるのかもしれないんですよ?」


 でも、俺の言葉を無視して、ロゼッタは意地の悪い笑顔でアリシアに宣告した。


「ケイは教会の影の権力を私的に使ったわけですよね? これは教会に対する大いなる背信行為になりますわ。アリシアが今回の件で歌うのであれば、それは不問にしてあげても良いけれど、貴女はケイのために身を切る覚悟があるかしら?」


 教会の権力を勝手に私物化したロゼッタに、ベネディクトが怒りの表情を顕わにした。

 だが、アリシアが真っ直ぐにロゼッタを見据えて言い放つ。


「分かりました……それでケイの罪を不問にするならば、私は歌おうと思います。ただし、私が歌うことで何かが起こったときについては、ロゼッタ様が全ての責任をおとりになって下さいませ。」


 アリシアの返答に、ベネディクトが慌てて俺達に頭を下げた。


「ロゼッタ様の非礼、大変申し訳ありません。ですが、アリシア様が歌われる必要はございません。教会と致しましては、ネレイスに歌って頂くだけで十分なのです。ですから、なにとぞ今のロゼッタ様の言につきましては無かったことに……」


 だが、ロゼッタは収まらずにベネディクトを叱りつける。


「ベネディクト! あなたは聖女をそこまで軽んじるのですか? そして、王女でもある私の言葉を、たかが教皇風情が勝手に取り消すなど言語道断……恥を知りなさい。」


 ベネディクトから表情が消え、ゆっくりとした動作でロゼッタを見た。

 何の表情もないはずなのに、彼から恐ろしいまでの感情の渦を感じる。

 俺はそんな彼の姿を見るのが居たたまれなくなって、思わず両手で手を叩いて沈黙を破った。

 その部屋にいる全員が俺に注目する中、静かに皆へ宣言する。


「なるほど……ロゼッタ様が王女と言う立場で、アリシアに聖歌を歌わせるように要請したと、魔王軍としては受け止めさせて頂きます。フォラスもそれで良いですよね?」


 フォラスは俺の意図をすぐに察して、実に好々爺然とした表情で頷く。


「今までの話の流れを鑑みれば、そういうことになるじゃろうな。ベネディクトは教皇の立場として、アリシア様が歌われることを避けようとしていた。公式的にはそう記録させて頂きますぞ。」


 ロゼッタが呆気にとられた顔で俺を見るが、敢えてそれを無視してベネディクトに話しかける。


「《教会の影》の任は、これで解いて頂けますでしょうか? 今回の件が落着しましたら、そういった立場抜きで、ベネディクト様ともゆっくりとお話ししたいものですね。些末なことでも良いですから、またお互いに交流など出来ましたら嬉しいと思っています。」


 ベネディクトは驚きに目を見開いていたが、すぐに何かを決意したような表情で頷いた。


「まったく……ケイ様には敵いませぬな。教会と致しましては、ネレイスに聖歌を歌って頂くだけで十分でございますが、()()ロゼッタからの要請を受け、初回だけはアリシア様にお願いすることに致します。《貴婦人(レディ)》様にはくれぐれもそのようにお伝え下さいませ。」


 俺達は話が終わったとばかりに席を立つ。

 ロゼッタがまだ何かを言おうとしていたが、ベネディクトは静かに告げる。


「もう話し合いは終わりました。ロゼッタ様が望むとおりのことをすると、彼らは言っているのです。それとも、今までの非礼を謝罪をして前言を撤回するおつもりでしょうか?」


 ロゼッタは何も答えられずにその場で固まっている。

 館の外に出た後、フォラスは残念そうな顔で俺に言った。


「ケイは本当に甘い奴じゃのう……上手くいけば、あの小娘も教皇も失脚させられる機会じゃったのに、教皇に情けをかけてしまうとはな。」


「ベネディクト様がいないと、これから先の折衝も大変だと思いますよ。それに、アリシアが聖歌を歌うのって、そんなに禁忌なことなんですか?」


「まあ……ひとまずは、ペルセポネに帰ろうではないか。」


 フォラスは俺の問いに答えず、ゲートを開く。

 胸の奥にモヤモヤが残った状態のまま、俺はアリシアの手を取ってペルセポネへと帰還するのだった。

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