港町にて
アントピリテを見送って城に戻った後、俺達はルキフェルとヒルデに呼び出された。
彼は眉間に皺を寄せながら、俺に尋ねる。
「先ほど報告が入ったのだが、ティターニアとオベロンが二度もヴァルハラを訪れたそうだ。そのせいで、ティターニアがまたヴァルハラに閉じこもるのではないかと、精霊達が不安になっているらしいのだが……本人達に聞いても『今それどころじゃないので、詳細はケイに聞いて欲しい』としか言わぬ。あの二人に一体何があったというのか?」
(しまったあぁぁぁぁ!? 結局、あの二人がヴァルハラへ行くから、そういうことになるのか……)
俺は慌ててアントピリテとアルケインの件について、説明した。
ルキフェルは苦笑しながら鷹揚に頷く。
「ケイが純粋な好意で動いたことは分かった。我としても、ノクターンの不死化の責を分かつ意味で婚姻をしなかった彼女達を不憫に思っている。さて、フォラスよ……今回の混乱の責は、教育係でありながら、そういった危険性を教示しなかったお前にあるようだな。」
フォラスが慌てて俺を指さして言い訳を始める。
「お……お待ちくだされ! 今回の件は儂も寝耳に水のことでして……そういう腹案があるのなら、ティターニアに提案する前に、儂に話すべきじゃったと思いませぬか? そうすれば、もう少し穏便に物事が進むように進めることが出来たはずだと思うのですじゃ。」
ルキフェルが今回の騒動をどう収束させようかと思案する中、ヒルデが優しげな笑みを俺に向け、彼の前に出て進言した。
「この五百年、天界や人間との軋轢で精霊達には苦労をかけてしまったけど、ノクターンとフォラスの婚姻、そして聖域などの件を考えると、精霊にとって良い方向に動いてるとおもうのよ。精霊達も今は混乱しているけど、事情を説明すればすぐに納得すると思うし、お見合いが上手くいけばお祭り騒ぎになると思うわよ。」
アリシアも俺の為に援護する。
「アントピリテは人間達からの理不尽な扱いにかなり不満が溜まっていましたが、今回の縁談が上手くいけば、『この一件があったからこそ良い相手に巡り会えた』と思うかもしれません。そう考えれば、ケイのしたことはかなり重要なことだと思います。」
ルキフェルはアリシアをじっと見た後に満足げな顔をして告げた。
「アリシアもケイのような言い回しが出来るようになってきたな……ならば、アントピリテとアルケインのお見合いが上手くいったら、今回の件は不問としよう。」
(まじかああぁぁぁぁ!? オベロン、ティターニア……なんとしても成功させてくれよ!)
俺は冷や汗を掻きながら頷いて、アントピリテのお見合いが上手くいくように祈り続けるのだった。
* * *
アントピリテとアルケインのお見合いはノクターンの計らいもあって、とてもうまくいったようだ。
ネレイス達は、毎日アントピリテの惚気話を聞かされて若干食傷気味になっているが、彼女が気分良く海の管理を行うようになったので、俺に感謝をしているらしい。
一方、網を捨てていたにわか漁師達は、海が荒れたり不漁になる災厄が起き続けることから、魔王軍が人間に対して不当に攻撃をしているという訴えをミカエルに奏上した。
ミカエルは事態を重く見て、ルキフェルに詰問状を送ると共に、ベネディクトとロゼッタにこの件のついて対応をさせることにしたらしく、会談の申し込みが送られてきた。
俺は『会談の申し込みは受けるが、漁師達の話も聞きたい』とベネディクトへ返書を送る。
彼は、快くそれに応じて漁師の本拠地であるポルトゥスという港町への紹介状を書いてくれるのだった。
* * *
早速ポルトゥスの街に俺とアリシアは赴く。
ゲートを抜けると、潮風の香りと共に色鮮やかな町並みが俺達を出迎えた。
壁と屋根が色とりどりに青や黄色等の明るい色に塗られて、絵のような美しさだ。
市場への道は、荷車を引いた人達がせわしなく往来していて、否応なしに活気があることを感じさせた。
港にはひしめくように船が密集していて、埠頭の近くではボロボロになっている網がそこら中にうち捨てられて転がっている。
どうやら廃棄が間に合っていないようで、置く場所が無くなってきているようだ。
(こりゃあ酷いな……どうにかした方が良さそうだ)
その時、船の方から怒鳴り合いが聞こえてきた。
腕っ節の強そうな白髪交じりの男を筆頭とした、いかにも海の男という風体の漁師達と、若い漁師達が喧嘩をしているようだ。
若い漁師が嘲るような口調で白髪交じりの男に突っかかる。
「バトーさんよぉ。あんたらが漁をする海域だけ波が穏やかで、魚も沢山捕れるのはおかしいと思わねえのかよ。俺達は知っているんだぜ? あの海の魔物とお前達が、仲よさげに話して居るのを遠目で見た奴がいるんだ。」
バトーと呼ばれた白髪交じりの男が、肩をすくめながら呆れた顔で若い漁師に言い返す。
「俺達が魔族と通じているだと? 馬鹿も休み休み言いやがれ! 新参者が海の理をわきまえずに勝手気ままに振る舞ったから、罰が当たったんだろうさ。てめえらの不始末を、俺達になすりつけるんじゃねえぞ!」
途端に若い漁師達が殺気立ってバトーに詰め寄った。
「何だとこの野郎! ちょっと古株だからって、漁師の頭領のような顔をしやがって。俺達はロゼッタ様から直々に漁業権を頂いているんだ。あまり舐めたことを言っていると、ここで漁を出来ないようにしてやるからな。」
(なんか、凄く面倒くさそうだけど……これを放置すると大変そうだ)
俺は頭を掻きながら、バトーと若い漁師達の間に割って入った。
「すみませーん! ちょっと通りますよっと。」
バトーが訝しげな顔で俺を見る。
「この状況に水を差すとは良い度胸だな……んっ? こいつは……どこかで見たことがある顔だぞ。」
若い漁師達の方は血が完全に頭に上っているのか、俺に殴りかかってくる。
「誰だか知らねえが、邪魔くせえんだよ。どきやがれ!」
(フェンリルの一撃に比べれば、止まっているようにしか見えないな)
俺は一人目の男の攻撃を余裕で受け止めると、服の襟を掴んだまま軽く足を払って優しく地面に寝かせてやる。
二人目の攻撃は背後からだったが、亜人達を複数相手に修練していた俺にはまったく意味が無い。
振り向きもせずに拳を掴んだ後、そのまま体をひねりながら引き倒す。
もちろん、頭を打たないようにもう一方の手で優しく首を押さえながらだ。
一瞬の間に二人も寝かせてしまった俺を見て、若い漁師達が思わず動きを止めた。
俺はなるべく穏やかな口調で、彼らに敵意がないことを伝えようとする。
「争うつもりはないので、お話だけでも聞いてくれないでしょうか?」
だが、その瞬間に俺の後ろからもの凄い威圧感が放たれた。
思わず振り返ると、俺に殴りかかってきた男をアリシアが睨み付け、恐ろしい魔力を発しっている。
「アリシア……随分と存在感が増しましたねぇ? ……って、ここで魔法をぶっ放しちゃ駄目だあぁぁぁぁぁ!」
彼女の目が怒りで真っ赤に輝き、周囲の空気が震えだしたところで、俺は慌てて彼女に飛びついて、彼女を羽交い締めにした。
「ケイ、離してください!? あの男は貴方に危害を加えようとしたんですよ? きっちりとその行動を後悔させなければなりません!」
「いいから落ち着くんだ! あの程度の攻撃で俺がどうにかなるわけ無いだろう? それより、ここでそんな魔法を使ったら、魔王軍がポルトゥスを襲撃したという風に言われてしまう。そっちの方がよっぽどまずい!」
若い漁師達がアリシアの魔力にガタガタと震える中、バトーが俺とアリシアを指さして叫んだ。
「魔王軍……ケイ……アリシア……そうか!? あの料理の手順書を作った方々じゃねえか。今をときめく有名人が、こんなところで何をしているんですかい?」
「俺達のことを知っているんですか?」
「そりゃあ……料理の手順書を手に取った人なら、皆知っていますよ。あの『黒焦げの料理を作っていたアリシア様が、愛する男のために料理屋のような素晴らしい一品を作れるようになりました』っていう映像を、皆見ていますから。それに、あの《愛の叫び》はクロノス中に知れ渡ってますからね……って、大丈夫ですかい?」
バトーの視線につられて思わずアリシアを見ると、彼女はあまりの羞恥にわなわなと震えながら消え入りそうな表情をしている。
一方、若い漁師達の方はガタガタと震えながら、後ずさりする。
「あの暴力的な威圧感……あれが《男殺し》のアリシア。ロゼッタ様が仰っていた……表面上は淑女の振りをしているが、愛する男ですら半殺しの目に遭わせる恐ろしい烈女だと……あれは本当のことだったんだ!」
(ロゼッタの奴……今更何を言っていやがる! 恐ろしい烈女だと? 俺の可愛いアリシアのどこにそんな要素があると言うんだよ)
あまりに理不尽な物の言いように、文句の一つでも言ってやろうと身を乗り出した瞬間、アリシアが手で俺を制した。
彼女は一歩前に進み出て、若い漁師達と対峙するのだった。




