敵に回してはならない女性
俺達は再びアントピリテの元に戻り、網の処理や副産物について説明した。
「……ということで、集めた網については俺達が再利用することにします。」
「それ自体はありがたいけど、私達が随時集めるのは大変ね。それについてはどう考えているの?」
俺は少し考え込んだ後、アントピリテに確認をする。
「漁師達の様子はどうでしたか?」
「そうね……ケイ様の指示通り、海の礼節をわきまえている者とそうじゃない者に恩寵の差を付けるようにしているから、漁師同士で少し揉め始めているようね。あと、姿を見せるようにしているせいか、歌をもっと聴かせてくれとせがむ者が多いのよね……歌うのは好きだけど、過剰に求めてくるなら対価が欲しくなってくるわ。」
アリシアと共に歌ったネレイス達の歌声を思い出して、俺は思ったことつい口に出してしまう。
「いっそのこと、それを活かして商売をしてみたら良いのかもしれないなぁ……」
途端にフォラスがそれに食いついた。
「歌で稼ぐか……確かにそれは面白い! 儂にかかればネレイス達の興行なんぞはお手の物じゃ。」
だが、アントピリテは少し困ったような顔をする。
「師匠は簡単にそう言いますが……勝手にそんなことをしたら、ティタ姉に怒られちゃいますよ?」
「その時は発案者のケイに責任を取って貰えば良いだけのことじゃ。此奴はそのような修羅場は慣れているじゃろうし、上手く取り計らってくれるじゃろうて。」
俺は思わず首を振った。
「いやいや……それは駄目でしょうが!? ちゃんと許可を取ってやりましょうよ。」
アントピリテも同意する。
「私もケイ様に同意するわ。師匠はオベロン様に浮気疑惑が上がった時、怒ったティタ姉様がヴァルハラに家出して精霊達が暴走しかけたことを忘れたんですか?」
(えっ……何それ!? 怖い……)
アリシアが気まずげに俺に耳打ちをする。
「ティターニアは《精霊女王》……すなわち、全ての精霊達にとっての心の支えなんです。彼女がいなくなったら、精霊達から光が失われて様々な厄災が発生することになるんですよ。オベロンが数多もの精霊達を統べることが出来るのは、彼女の支えがあってのことなんです。」
(なんというか……天照大神のような存在な訳ね)
彼女の説明に納得をする中、不意に俺の背中を優しくつつかれた。
「ん? 誰かな……」
振り返ると、満面の笑みを浮かべたティターニアと、少しやつれた表情をしたオベロンが立っている。
俺は思わず飛び上がってしまった。
「おわあぁぁぁぁ!? ど……どうされたんですか?」
ティターニアが不思議そうな顔で首をかしげる。
「そんなに驚かなくても良いのに……例の方に会ってきましたが、ケイ様の仰るとおり素敵な方でした。ケイ様に何か恩を返さねばなりませんが、私に出来ることはありませんか?」
俺は渡りに船とばかりに、オベロンとティターニアに網についての経過とアントピリテの歌の興行化についての案を伝えた。
オベロンは少し考えた後に、フォラスとアントピリテに告げる。
「興行自体は問題ないが、アントピリテの歌はあまりにも影響力が強すぎる。衆目の中で歌わせることは出来ないな。そのかわり、ネレイス達に歌を指導する側に回ってもらおう。演出や細かい内容については、フォラスがなんとかしてくれるだろうから任せるよ。」
アントピリテが不満げな顔でティターニアを見る。
「私が一番歌が上手なのに裏方なんですか? 納得いきません。」
ティターニアは優しく頷きながら、アントピリテを抱きよせた。
「それだけアントピリテの歌が素晴らしいってことなのよ。貴女は真面目だから、お客様の為に本気で歌うでしょう? そうなれば、その歌に惹き付けられた者が歌の世界から戻れなくなって、大変なことになってしまうの。」
アントピリテが残念そうな顔をするが、ティターニアは俺を見ながら微笑する。
「実はね……ケイ様が、貴女に素晴らしい男性を紹介してくれたの。義姉様の副官だから、身分も問題ないわ。ヴァルハラに行って見てきたんだけど、本当に良い方で貴女の好みにぴったりよ。ちなみに、義姉様に貴女のことを話したら、喜んで仲を取り持ちたいと言ってくれたわ。」
誰のことを言っているかを察したフォラスが、ティターニアに慌てて詰め寄った。
「まっ……待つのじゃ! アルケインはノクターンの副官である前に、儂の眷属じゃぞ? 儂に断りなく、そのような重大な話を勝手に決められては……」
ティターニアは微笑を崩さずフォラスの方を向く。
「あらあら……私に断りなく、勝手にネレイス達の歌で興行を始めようとしていたのは、どなただったかしら? ケイ様に対する恩義の手前、気づかないふりをしてあげましたが……そういうことを言うならば、私もしばらく義姉様のところで羽を伸ばすのも悪くないですわ。ルキフェル様と人間との板挟みで最近ずっと大変だったし、すこしぐらい地上を離れてヴァルハラに行っても良いわよね? それに、あまりにくつろいでしまうと、義姉様にいらぬことを一つや二つぐらい漏らしてしまうかもしれないですが……」
(穏やかな顔で話しているのに、海の温度が数度下がったような寒気を感じる)
オベロンが真っ青な顔になって、俺になんとかするように必死に目で訴える。
(爺が自業自得でノクターンに責められるのは見てみたいが……地上が厄災で溢れちゃうのはまずいよな)
――こういった相手を敵に回してはならない。
サラリーマン時代の教訓を思い出しながら、俺はティターニアに丁寧に頭を下げる。
「その件について、寛大な対応を取って下さって感謝しています。それに、アルケインは俺が魔王軍に引き入れた大事な仲間です。アントピリテのような素晴らしい女性と親しくなる機会を作ってくれて、本当に嬉しく思っています。」
ティターニアはじっと俺を見た後に、クスッと笑った。
「ケイ様にそう言われてしまっては、私も事を荒立てるわけにはいきません。フォラス、今回は一つ貸しということにしてあげますので、しっかりとケイ様に感謝して下さいな。」
そして、アントピリテの手を強引にとってオベロンと浮上しようとする。
「それでは、アントピリテを少し借りていくので、引き続きお仕事をお願いしますね。」
「ええっ……そんないきなり!? ティタ姉様、私……まだ心の準備が!」
「縁というのは逃さないようにガッシリと掴むのが大事なの。そんな悠長なこと言って、さらに婚期を逃したらどうするつもりですか! こんな良縁逃したら次は無いと思って、死ぬ気で成功させるのです。」
ティターニアは有無を言わせずにアントピリテと共に海上へと消えていった。
その姿が見えなくなった瞬間、フォラスが不満げな顔でつぶやいた。
「まったく……ケイが余計なことを思いつくから、ティターニアに借りを作るハメに……」
(はあぁぁぁぁ!? 俺のおかげで地上の危機が回避できたのに、その言い草はなんだ!)
憤懣やる方のない顔をして居る俺に、アリシアが目を輝かせて抱きついてきた。
「えっ!? ちょっ……アリシア、どうしたの?」
「流石ケイです! アントピリテにアルケインを紹介するなんて、考えもしませんでした。きっとあの二人はお似合いだと思います……上手くいくと良いですね。」
アリシアの純真な反応に、思わず俺は毒気を抜かれて頷いてしまう。
イライラがすっと収まった俺は、彼女の頭を撫でながら海上を見上げる。
「そうだね。きっとあの二人は上手く行くと思うよ。」
フォラスが『相変わらずお熱いことで』という顔をしながらそっぽを向く中、ネレイス達が俺達の周囲をゆっくりと泳ぎはじめた。
絶妙な動きに、いつの間にか辺りが凪のような静けさに包み込まれる。
ネレイスが海上を見上げてアリシアに目配せをすると、彼女は俺の手を優しく握りながら、静寂に満ちた空間をかき混ぜるかのようにゆっくりと優しげな声で歌い始めた。
ネレイス達はアリシアの声に呼応して、静かながらも調和のとれたハーモニーを奏でる。
とても暖かな調べが海に響き渡り、光の精霊達がゆらゆらと揺れながら七色の光を発した。
光は星のように煌めきながら川のように流れ、歌に押し上げられるようにオーロラのようにはためきながら海上へと昇っていく。
それに応えるように、よく通る声で感謝の声が聞こえてきた。
「アリシア様、みんな……ありがとう! 私、頑張ってくるね。」
アリシアとネレイス達は優しげに笑いながら、アントピリテを見送るように海上に向かって歌い続けるのだった。




