第二話 消えた憧れの中のサキュバス
突如として現れた正体不明の少女の名は大実 愛香。
精太にとって忘れられない憧れと後悔の存在。
「ほら、公園で知りあって宿題一緒にしたあの大実 愛香よ?」
愛香とは公園で知り合い、一緒に宿題もやった。
少年は記憶の中の彼女と目の前の愛香を比べる。
「んなバカな話あるか」
自称サキュバスは容姿、体格共に精太の知る大実 愛香と瓜二つの姿をしていた。
声も記憶にあるものと同じ。
見覚えのある制服は、愛香が通っていた学校の制服で、彼女の部屋で何度か目にしたことがあった。
違うのは髪の色とその雰囲気。
そして角、羽、尻尾があり、浮くことだ。
「いや、やっぱり愛香じゃないな」
首を振って自分の中に刻み込まれた美しい記憶を信じることを選び、目の前を否定した。
「いやいや、見りゃわかるでしょ。まごう事なきあたし」
精太の美しい記憶と同じ人物らしいサキュバスは非常に発育の良い胸を張り、全く折れる気配が無い。
自分が愛香であると言い張る魂胆のようだ。
ならばと精太は尋問を開始した。
「じゃあ聞こう」
「なんだい?」
「何で音信不通だった愛香が引っ越した先の俺の家にいる?何故浮ける?」
愛香とはあの事件以後に会話はおろか顔を見てすらいない。
連絡も取れなかった。
仮に目の前にいる人物?が彼女だとして、あれほど理不尽に突き放した男のところに来るとは考えにくい。
実際、もう近づかないと言っていた。
だから余計に信じられないというのが精太の率直な意見となる。
「細かいことは気にしない!あ、浮けるのはサキュバスだからだよ」
精太の問いにサキュバスは元気に返事をした。
一切の答えになっていないため精太の目が据わる。
「なるほど」
信用は皆無であった。
精太でなくとも、このような不審人物がいれば同じ行動をするだろう。
警察に連絡するか否か、精太はスマホの画面とサキュバスを交互に見ながら考える。
「待って、順を追って話すから訳を聞いて」
家主の行動で察したのだろう。
愛香は弁明の機会を希望した。
「……………」
本来ならそんな猶予は与えない。
だが記憶の中にいる愛香への後悔からだろう。
精太は自称サキュバスの話を聞くことにした。
自宅のテーブルに座って向き合い、対談形式にて彼女に弁明の機会を与える。
ところが、椅子に座るなり愛香は説明より先に精太の出した麦茶を飲み干していた。
「くぁー!夏はお茶だね!」
「なぁ、説明を」
「緑茶派だけど、麦茶も良い」
「なぁ、せつ」
「お茶受けはやっぱりお煎餅」
「なぁ」
「素晴らしきかな日本文化」
「やっぱ警察に」
「事件は一ヶ月前に遡るの」
「…………」
精太は話を聞かない不審者が説明する気など無いと判断し、スマホを取り出した。
すると愛香は真剣な表情を作って語りだす。
相手の手のひら返しが急激で呆れてしまったが、話だけなら聞いても良いと判断した。
「一ヶ月前に何が?」
冷めた気分で問う。
「あ、最初に言っておくの忘れてた」
ようやく説明が開始されるかと思いきや、サキュバスは自分から話の腰を折ってきた。
内心で思いっきりずっこけたが表面上は平静を装う。
「…………」
説明される側がマイペース過ぎる行動で精神的な疲れを感じ始めており、文句の一つでも言いたい気分になるも、黙って続きを待つ。。
相手のことは気にしていない様子の愛香は相手がモノを言わないのをいいことに自分の話を展開し始めた。
「あたしはサキュバスの愛香。だから人間の愛香の記憶は無い」
突っ込む気すら無くしていた彼であろうと本発言については追求しないわけにはいかなかった。
「はぁ?」
記憶がないとはどういうことか。
サキュバスと人間は分かれているのか。
「どういう意味だ?」
身を乗り出した少年に愛香は両手で制止を求める。
「まぁ聞いてよ」
精太を元の姿勢に戻したサキュバスは反対に立ち上がり、ポーズをキメて遂に説明を開始した。
「気付いたら、あたしは暗い場所に立っていたの」
いきなりツッコミどころが満載の出だしに少年は口を挟みたい気持ちを押し殺す。
これ以上は話の腰を折りたくないからだ。
「直感で自分の身体が人間の大実 愛香ってことは分かった。周りを見たら、何か電車の中みたいで沢山の人が倒れていたの」
愛香は当時を再現するように振る舞い、状況説明を続ける。
「窓が割れててね、外に出るのは簡単だった。状況確認のために空から見てみたら、電車が脱線事故を起こしてたの」
実際に浮いてまで自分の身に起きた出来事を解説している。
(一ヶ月前………そういえば東北で脱線事故があったな……)
彼女の言葉に出てきた脱線事故は精太の記憶にも新しい。
彼の地元では無いが、連日報道されていたので良く覚えている。
「あたしは奇跡的というか、無傷で無事だったけど、この見た目じゃん?警察に行くわけにもいかないし」
精太もこの意見には賛同した。
こんなファンタジックな見た目になった状態で警察に行くのは気が引ける。
同時に彼は愛香の説明に違和感を覚えていた。
ニュースでは脱線した車両内の乗客は程度の差はあれど皆重軽傷で病院に運ばれたと報道していたからだ。
それほどの事故であったのに彼女が何故無傷だったのか気になるところ。
しかし本人が奇跡的という言葉を用いている点や外に出ていることから実際奇跡的に無傷だった乗客が愛香のみで、彼女が車外に消えたため無傷の乗客がいなかったと考えれば不自然はないと判断。
明確な回答は無いが、おそらく愛香自身もわかっていない点だ。
今追求するメリットが無い。
少年が話の内容を理解している内にも、愛香の話は続く。
「どうしようか考えたわ。人間の記憶は無いから愛香の親もわからない。咄嗟に携帯電話を見てみたの」
精太視点で見てもこちらの行動も当然と言えた。
記憶が無いから、記憶に繋がるものを見て自分を知るのは有効な手段である。
「そしたら、連絡先の一番上に白川 精太って名前があった」
「は?」
精太はここで初めて口を挟んだ。
挟まずにはいられなかった。
突き放した彼女の連絡先の一番上に自分の名前があったことが衝撃的だったからだ。
普通ならそんな男の連絡先など削除されていても不思議ではない。
にもかかわらず一番上にあった。
この件に言及したかったが精太が口を開く前に愛香の説明が再開される。
「画像ファイルを見て、仲が良い男の子ってことがわかったし、何か悪い印象受けなかった」
目の前の愛香は人間ではない。
それでも精太は同じ容姿の女性から仲が良かったや悪い印象を受けなかったなどと言われると、嬉しくなる。
連絡先の件や画像が残っていたことを考えると、暴言をぶつけてきた自分のことを愛香はそれでもなお嫌っていなかったのかもしれない。
流石に無責任な自分を戒め、浮上した楽観的可能性を排除した。
追及はせず、話を聞く態勢を崩さない彼を前に愛香の話は続く。
「一ヶ月貴方の居場所を探して、ここにたどり着いたんだけど、飲まず食わずでお腹空いちゃって」
どうやって居場所を割り出したのかはともかく、愛香は画像で見つけた少年の元へたどり着いたらしい。
そして空腹に耐えかねたのだ。
その先に続くであろう言葉を家主が呟いていた。
「ポテチを食っていたと?」
「そう。因みに玄関の鍵は閉まってたから空いていた二階の窓から入ったよ」
サラッと言っているが、近所に目撃されていたら大騒ぎになりかねない。
この娘が誰にも見つかっていないことを切に願った。
「うん、まさか飛べる女に侵入されるなんて想定してないからな」
同時に精太は今後二階の窓にも鍵をかけることを決める。
愛香の様子を見ると、勝手に冷蔵庫から麦茶を出してまた飲み、目の前の席についている。
彼女の説明がひと段落したと考え、ここから精太のターンが始まった。
「じゃあ何か?愛香は脱線した電車に乗っていて、その時サキュバスになったのか?」
状況を要約して確認する。
愛香視点で見て要約に間違いは無いので肯定。
「うん。ただ事故が原因で人間の愛香がいなくなったみたいなの。それで、サキュバスの人格?みたいなのが生まれた」
「それがお前ってこと?」
「そうそう。だからさっき言った通り人間の愛香の記憶は無いの」
どうやら人間としての愛香の人格が消え、空いたところにサキュバスとしての人格が芽生えたらしい。
こうなると、性格が全く違うのも納得だ。
そもそも中にいる存在が異なっていたわけである。
しかしそうなると精太の中には疑問も生まれてくる。
「人間の愛香は何処にいるんだよ?」
彼の疑問。
そう、このサキュバスの話を信じるなら人間の愛香が存在していた場所に、勝手にサキュバスの愛香がいることになる。
人間の愛香は何処にいってしまったのか。
人格云々は精神的な話で確証は無い。
人間の愛香が今のサキュバスを演じている可能性、人間の人格がサキュバスは人格に変化した可能性もある。
だが話が事実なら最悪、人間の人格が消え、サキュバスの人格に成り代わっている可能性が浮上してきた。
それはつまり、人間の愛香は死んでいて、外側を借りたサキュバスが目の前にいるも同じことだ。
「さぁ?」
不安になる精太の質問に対してのサキュバスの回答は無かった。
「重要なのはそこだろ」
少々強く指摘する少年を見て愛香は不服な表情を見せる。
次の瞬間には口を開き、自分が無知であることを伝えていた。
「わかんないよ。あたしはいきなり右も左もわからないまま気づいたし」
精太は気付く。
まだ目覚めたばかり。
愛香は自分のことで手一杯なのだと。
「わかるのは、自分が人間からサキュバスになったってこと」
サキュバスが席を立ち、羽を広げてガッツポーズをとる。
自分のことで手一杯だが自分がどういう存在なのかは理解しているらしい。
「何でそれはわかるんだよ」
当然出てくる疑問だが、愛香からしても説明出来るものではなかった。
「直感的に理解出来るだけ」
歯がゆいがこれ以上の説明のしようがない。
自分でもわかっていない変化を他者に伝えるなど不可能。
「もう少し具体的な回答は無いのか?」
実際精太は納得していない。
「無い!」
しかし愛香は勢いで押し切る。
「なるほどな。ひとまずお前が愛香と同じ顔したサキュバスとかいう人外で、何故か俺のところに来たのはわかった」
現在の状況を纏めた精太。
「ありがとー」
概ね事実に相違は無く、愛香はわかってくれた少年に感謝する。
その少年、精太はといえば、目の前のサキュバスをどうしようか考えていた。
この際家に現れたのは良いとして、こんなとんでも存在が自由に動いたら大変な騒ぎになるだろう。
むしろ家に現れるまで騒がれていないのが不思議なくらいである。
「で、この後お前どうすんの?俺のところに来て、次は親御さんのところに帰るのか?」
聞いてみたところ、愛香は何の迷いもなく、即答。
その衝撃的な内容に少年の動きは固まった。
「いや?ここに住むけど」
最初余りの衝撃に思わず「は?」と聞き返す。
「ここに住むわ。広いし」
リピートしてくれる愛香は笑顔だが、精太の顔に表情は無い。
意味不明だった。
何故人外を家に住まわせなくてはならないのだろうか。
彼の心境を察したのか、愛香は身を乗り出し、理解を求めた。
「だって娘がサキュバスになったとか親にどう説明するの?」
「それ俺に言うか?」
彼女の言い分は確かに理解出来るが、この場合、精太に説明したのに親に説明しないのは何故なのか疑問が残る。
彼が今の説明では信用しないことがわかり、親への説明はある程度信じてもらう対策もとれるだろう。
赤の他人の少年に話すより難度は下がるはずなのにだ。
この少年の疑問はすぐ払拭された。
「というか説明云々より精太の家探すの苦労したよ。また同じように僅かな手がかりから家探すなんてまっぴらごめん」
愛香は嘆息する。
つまりこのサキュバスは現状自分が事故にあった場所と精太の現自宅しかわからない。
また探すという行為が嫌なだけなのである。
「一応親だろ」
とはいえ彼女も親に事情を理解してもらい、家にいるのが一番だろう。
ここに愛香がいるということはこうしている間も、両親は彼女の帰りを待っているはずだからだ。
なるべく帰ってほしいのが精太の本音だった。
「こう言ったら失望するかもしれないけどさ、あたしというサキュバスには親はいないからどんな人間も赤の他人」
心配する彼に返されたのは、無情にも感じる言葉。
サキュバスの愛香にとって人間の愛香の親など知ったことではないという。
ある意味では愛香が本当に人間でない存在になったことを示す内容である。
「だから一番最初に見つけた精太のところに住むし、精太だけがあたしを理解してくれてればそれで良い」
その次に続いた無茶な内容には少年が反旗を翻したくなった。
「いや、理解はしてねーし住むことを許可してもいねーけど」
冷静に答える。
精太は考えた。
憧れだったお姉さんが一緒に住む。
本当なら嬉しいシチュエーションだが人間の愛香には後ろめたさもあり、一緒に住むことなど出来はしない。
一方で目の前のよくわからないサキュバスの愛香を今までの話だけで住まわせる程お人好しではない。
加えて彼女の分生活費が増える。
親の援助とバイトでまかなう予定の彼には追加出費の余裕はあまり無い。
「良いじゃん。ご飯作るから!」
サキュバスの提案。
嬉しい申し出だが食費を浮かすため精太は料理もするので必要無い。
「間に合ってる」
「掃除は?」
「いらん」
もう慣れたのでわざわざサキュバスにしてもらわなくても良かった。
そもそも女性と関わりたくない精太にとってサキュバスは迷惑でしかない。
愛香本人でない愛香は同じ顔をした別人なのだ。
ついでに一人暮らしでこんな変な存在を自宅に置いたら家が友人も呼べない魔窟と化してしまう。
ただ出ていけというのもはばかられた。本人にその意思がないなら放り出すのは気が引けたのだ。
一度突き放した彼女を、中身が違えどまた突き放したくは無かった。
「鬼!悪魔!人でなし!こんな幼気な少女を夜道に放り出す気!?」
精太が考えているうちに愛香はヨヨヨと泣き崩れる仕草をし出した。
「悪魔はお前だろ!幼気に見えねーし!」
このサキュバスの嘘泣きが住まわせても構わないとも考え始めた少年のやる気を阻害する。
「いや、マジな話行くとこ無いから匿ってくれない?」
すると愛香は不意に真面目な顔で精太に詰め寄った。
その眼差しは真剣そのもの。
本当に困っていることが伝わってきた。
「あとお願いがあるの」
まだ住まわせるとも言ってないのにこのサキュバスには頼み事もあるらしい。
「図々しいな。何だよ」
仮に住まわせるなら最低限部屋と食事は必要だ。
どうしようか考えているところにお願いまで追加され、精太の表情が消えた。
彼は予想する。
どうせ自分の部屋が欲しいとか部屋の中に何かが欲しいとか、その類だと考えていた。
彼女のお願い、それはこうだ。
「私とセックスして」
少年の思考が停止。
サキュバスは何と言ったのか。
間違いなくこれは聞き間違いだろう。
「ソーリー。リピートプリーズ」
何故かカタコトの英語になり、再発言を要求した。
「私とセックスして欲しいの」
しかし返されたのは同じ内容。
聞き間違いではなかった。
「……………」
精太はもはや物ですらない何かを見下すような冷たい目を向ける。
「何その目!失礼じゃない!?」
向けられた方は不愉快だったのか不服申し立てを叩きつけたが、少年には何の効果も無い。
「いきなり何を言い出すんだと思って」
冷めた瞳で本心を吐露した精太に対して、愛香はショックを受けたようだ。
「はい!?精太、本当に男子高校生!?目の前に超かわいい女の子がいて、その子がセックス希望してるのに撥ね付けるの!?」
多分に偏見が詰まった意見を提示し、サキュバスは頭を抱えている。
そして天を仰いで落胆した。
「はー!情けない!一人寂しく発散する方が良いって言うの!?絶対女の子と繋がった方が気持ちイイじゃん!!」
後半からは両手を広げて訴えている。
人間の愛香だったら絶対言わないであろう台詞が同じ顔のサキュバスから放たれていく。
彼女は自分を可愛いと豪語し、際どい言葉が部屋に舞った。
「……………」
精太は何故いきなり侵入したサキュバスの要求に答えなかっただけで情けない認定を受け、彼女の偏見を聞かされなくてはならないのか理解に苦しんでいた。
「ねぇしようよー、セックスー!セックスセックスセックス!」
眉間を押さえる彼に愛香はセックスの連呼を開始。
中々に大きな声で発され、流石に焦る。
これ以上発言されては近所から変な噂をまた立てられてしまう。
もう噂はたくさんだった。
「うるせぇ痴女!!ふざけてんのか!?」
相手を黙らせるべく強く出た。
「いや?真面目」
だが意に介さずサキュバスは真面目な様子。
「頭痛がしてきた」
黙らせることには成功したが、疲れからか家主の頭はズキズキと痛みを感じ始めていた。
「とりあえずセッ……お前のお願いはともかくこんなわけわからんやつ表に出したら騒ぎになるし、一旦家に置いてやる」
ともあれ、精太はサキュバスの同居を受け入れることにする。
追い出したら騒ぎになる程度に考えていたが、そうもいかなくなったからだ。
生活費や身の安全からは不本意。
それでもなお彼にとって最悪なのは噂をたてられること。
拒否して愛香が騒げば必要のない悪評が立つかもしれない。
例え女性を家に置いたとしても、それで噂を防げるなら問題ない。
こんな騒がしいサキュバスを隠し通すのは至難の技だが、やるしかないと心に決めた。
「本当に!?ありがとー!」
彼の悩みなどつゆ知らず、愛香はまた抱きつく。
「うわ!抱きつくな!」
反射的に引き離そうと抵抗する精太だったが、相手の方が強い。
「何でそんな力強いんだよ!?」
「サキュバスだから」
「理由になってねぇ!」
少年の抵抗を許さず、愛香は満面の笑みで精太を抱き上げる。
そのまま二階に上がろうと動き出した。
「よーし!じゃあベッド行こう!早速セック」
「しねぇよ!黙って離れろ!」
彼女の頭に平手打ちをかまし、お姫様抱っこから逃れると、精太は部屋の端まで移動。
逃げる彼と追うサキュバス。
しばらくの間、白川宅では家主と人外との屋内鬼ごっこが展開されたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
二人の出会いは第三話まで続きます。
2020/05/17の1:00頃に上がりますのでよろしければ次回もご覧いただければと存じます。