第一話 ひと夏の出会いと後悔との邂逅
夏の暑さが全てのやる気を失わせる。
とある日の午後。
彼、白川 精太は自宅にて絶句していた。
齢16歳とは思えない白髪の頭を掻きながら、コメントに困る事態を前に固まる。
その原因となっているのは目の前にいる女性、大実 愛香だ。
エアコンの効いたリビングで横になり、成年雑誌を熟読している彼女は「へぇー」や「はぁー」といった声をもらしながら時折枕元に置かれた缶ジュースを飲んでいる。
これだけでも一人暮らしの精太からしてみれば十分におかしい光景なのだが、更に彼の精神を乱しているのが愛香の服装である。
長い金髪に深い緑色の瞳の発育の良い身体はノーブラノーパンにTシャツ一枚。
加えて頭にはファンタジーでよく見る悪魔が生やしているような角がくっついており、背中にある羽は体圧で潰れてしまっていて、尻の上辺りからは尻尾が生えて、時折ピョコピョコ揺れている。
「……」
思春期男子には厳しい光景を捉え、精太は静かに背を向ける。
「風呂でも入ろう」
学校から帰ってきたばかりで汗だくの少年はサッパリして今後の行動を考えるべく、浴室に向かう。
「背中流してあげるよー!」
シャワーを浴びて家主が愛香をどうするか考えていた矢先、浴室には角などはそのままに全裸になった彼女が突入してきた。
この少年は女性耐性が無い。
そんな彼がサキュバスの美しい白い肌を視界に入れ、推定90cmを超えるであろう乳房が何の制限もなく晒され揺れる光景を目撃したらどうなるか。
「勝手に入ってくんなぁぁ!!!」
精太は叫んだ。
自らの理性を総動員し、見たいという衝動を抑え込み、非難を含んだ声を張り上げた。
この日少年一人しか住んでいないはずの家から悲痛な叫び声が聞こえて隣の老夫婦が警察に通報するか否かを本気で考えたそうだ。
・・・・・
白川 精太の身に起きた出来事を全てを語るには、彼が一人暮らしをする前に仲が良かった女性について明らかにしておかなくてはならない。
彼女、大実 愛香はメガネを掛けた焦げ茶色の髪をおさげに束ねた女子高生である。
出会いとは突然に訪れるもの。
仲間内でしか強気にならない内弁慶な男だけのグループでつるんでいる男子中学生というのは女性に話しかけること自体が気恥ずかしさを限界まで高める行為になることがある。
当時中学3年生だった精太は公園で本を読んでいた彼女に声をかけた。
内気ではないとしてもそれほど目立つような性格でもなかった彼が愛香に話しかけたのはいわゆる罰ゲームであった。
通学路を友人グループで帰宅している時、いつも見かける愛香は公園で本を読んでいる神秘的な女の子であるとグループ内で話題だったのだ。
彼女が身に着けているのは近くの高校の制服であり、年上なことは明白。
その神秘的な年上のお姉さんがどんな人物かを探るため、対戦ゲームで負けた者が話しかけに行くということになり、精太が負けた。
彼はゲームに負けた日のうちに公園に向かい、離れてニヤニヤする友人たちを忌々しく睨みつつも話しかけたのだ。
記念すべき精太と愛香が初めて言葉を交わした時の第一声はこうだ。
「何でいつもここで本読んでんの?」
女の子に声をかけるという大事を前に少々イキッたタメ口をぶつけた。
夏入りで暑さも増してきたある日のことだ。
普通ならいきなり現れた口の悪い男子のことなど無視して何処へなりと立ち去ってしまってもおかしくない。
ところが突然生意気な口調で近づいてきた精太にも愛香は嫌な顔一つせず返事をしてくれた。
「ここの雰囲気が好きなんです。好きなところで、好きな物語を読みたいからですよ」
その優しい笑顔と咎めることをしない器の広さ少年の心はあっさり陥落。
ファーストコンタクトは愛香の返事を聞いた精太の方がすぐにその場を立ち去ってしまったことで一言だけで終わってしまった。
仲間内では公園で本を読むお姉さんは器の広い優しい人。
罰ゲームや邪な心で関わってはならないといったおとなしい意見が出て、以後は眺めるくらいで良いといった扱いになったのだが、直接話した精太はそうはならなかったのだ。
彼は友人との付き合いもそこそこに公園に寄っては愛香と話すようになっていた。
女性の幼馴染がいるにはいるが、異性として見る女の子との付き合いなど微塵も無い生活だった彼にとって、愛香と過ごすのは楽しく、また友人たちに対して優越感に浸れる時間。
彼らからは少々の妬みや羨望を向けられたが、精太はただ彼女と話す時間が楽しかった。
話すうちに、愛香のことをいろいろと知った。
近くの高校に通う1年生。
控えめな性格で、年下の精太に対しても敬語で話す彼女は趣味が恋愛小説を読むことで、何と精太の家の向かいにあるアパートに住んでいた。
知り合って親しくなり、家も近いとなると夏場は熱中症も怖いので屋内で会おうといった話が出てくる。
夏休み前のある日のこと、少年はお姉さんの家に招待された。
いつも自分と話をしてくれる彼にお礼がしたいとのこと。
それから夏休みに入ると愛香のアパートに行って話すようになった。
常に冷えた飲み物やおやつを用意してくれていた彼女に精太は憧れた。
年下にもこれほど丁寧に接してくれる彼女の姿がとても美しく映った。
ただ、屋内で会う時は決まって愛香の部屋だった。自分の家に呼ばなかったのは、親に知られたくないから。
思春期男子が女の子との関係を隠したい。
そんな身勝手で精太は一度も自宅に愛香を呼ばなかった。
愛香も精太の家に行きたいとは言わなかったため、それに甘えていたところもあるのかもしれない。
ちなみにファストフード店で会ったこともあるが、それはあくまで愛香に用事がある時だけ。
ちょっとしたデート気分でリア充になったつもりでいた。
さて、何事にも丁寧で才女然とした彼女自身はなんと勉強が苦手。
これは一緒に宿題を始めた時に判明した。
中学の数学すら怪しいレベルであり、何故高校生になれたのか彼女自身が首を傾げた時は思わず笑ってしまった。
そんな学力なのに、自分に時間を取らせたと必死に調べて精太の宿題を手伝ってくれるような心優しい少女でもあり、彼からするととても優しく憧れのお姉さんだった。
家に行かない日も連絡先を交換し、コソコソ電話で話したりもした。
いきなり自分の生活に入ってきた年下の男を愛香がどう思っていたかはわからない。
ただ、笑ってくれる彼女との時間は大切で、このまま楽しい時間が過ごせたらと思っていた。
事件が起きたのは夏休みが終わった始業式の日。
精太の友人たちは彼の夏休み中の行動をからかったのである。
その内には女の子と過ごした精太への妬みが明確に混じっていたことをよく覚えている。
このからかいが非常に大きな声で行われた結果、夏休みの間、彼は年上の女性の家に入り浸っていたことがクラス中に暴露された。
それだけならまだ良かったかもしれない。
しかしクラスのヤンチャな男子が内気側の精太が自分より充実した休みを送っていたことに腹を立てた。
それはあろうことか先の内容に尾ひれを付けて別のクラスにばら撒いた。
未成年同士でデートに行き、毎日イチャついて、果ては性交まで行ったなどと噂は大きくなり、女子からは嫌悪の眼差しを向けられるようになる。
精太は友人たちに弁解を求めたが、大きくなりすぎた噂の影響を恐れたか友人たちも離れていき、クラスで孤立した。
いじめではないと信じていたが、避けられたのは事実。
彼に教師に相談する勇気も無い。その上、年上の愛香と一緒にいたのは事実で噂を否定しても根本の真実は否定出来なかったのだ。
さらに追い打ちをかけるように説明に言い淀んだことが原因で噂を信じる者まで現れ、教師にまで何故こんなことになっているのか、本当なら大変なことだと上から叱るように問いただされた。
多感な年頃の男子に、これは堪えたのだ。
では身を守る彼はどうしたのか。
少年は孤立する少し前から愛香と関わらないようにしていた。
また変な噂を立てられたくない思いからの行動である。
人の噂も七十五日だと、耐えることにした。
だがそう決めた日のことだ。
自分で全て抱え込みすり減った精神状態の精太が帰宅すると、何と愛香が自宅に来ていたのだ。
最近全く連絡のつかない彼を心配し、様子を見に来てくれたという。
どう言いつくろっても言い訳にしかならないが、この時ばかりはタイミングが悪かった。
「あんたいつの間に女の子と知りあってたの。言いなさいよ」
これ以上辛い思いをしたくない中で母に彼女のことを知られてしまう。
「ちょっと買い物行ってくるから、ごゆっくり〜」
断っておくが母は悪くない。
元からこういった性格なのだ。
愛香は手を振ってその場から離脱していく母に会釈し、黙ったままの精太の前まで来て、同じ目線で声をかけてくれる。
「最近連絡が取れないので、何かあったのかと思いまして」
彼女の推測は正しい。
起きたのは彼女に関すること。
「何かあったのなら話してください。私、力になりますよ?」
愛香は良心から申し出てくれている。
それは理解していた。
だがせっかく離れようとした彼女から近づかれ、親にまでからかわれたことがトリガーとなる。
何故孤立しなくてはならないのか。
勝手な噂で傷つき、行き場の無い怒りを秘めていた精太の感情は、愛香に向けて爆発してしまったのだ。
「…………のせいだ」
「え?」
「お前のせいだ!あの時お前に声をかけさえしなかったら!」
突然わめきだした少年を見て驚き、目を見開いた愛香は一歩下がる。
「あ、あの、どうしたんですか?」
少し慌てた様子の彼女の疑問は、精太の怒りを増長させた。
「お前と関わったから!俺は勝手な噂をばら撒かれて孤立したんだ!お前と関わりさえしなければ!」
自分でも驚くほどに、彼の口は愛香に対する文句をスラスラと吐き出す。
「せっかく関わるのを止めてたのに!親にまでからかわれた!俺の家まで押しかけてきやがって!」
ここまで言って、精太は相手の腕を掴み、玄関まで連れて行く。
この間、愛香は無抵抗だった。
優しさを絵に描いたような少女が、もし反抗してくれていれば、次の言葉は出なかったかもしれない。
それでも、彼女は抵抗しなかった。
「来んなよ!また変な噂が立つんだよ!帰れよ!この厄病神!!」
愛香を乱暴に扉の前まで押しやって、暴言を叩きつける。
その時は、自分が何を言って、相手がどう思うかなど、全く考えなかった。
余りにも唐突に拒絶され、突き放された少女は驚きと悲しみの狭間にいるかのような、言葉で言い表せない表情で停止していた。
「…………」
黙ったまま睨みつけてくる少年の真意が理解できなくとも、愛香は自分が何か取り返しのつかないことをして、怒らせてしまったのだと、そう考えたのだろう。
「わかりました。ごめんなさい。もう、近づきませんから」
深く一礼して顔を上げた時、愛香が見せた悲しい笑顔を精太は生涯忘れはしない。
彼はそこで初めて頭が冷えた。
自分が八つ当たりでどれほどの暴言を放ったか、理解した。
だが口を開こうとした時には、彼女は既に背を向け彼の元から離れていた。
小さくなっていく、悲しい背中を精太は引き止めようとした。
それでも声をかけられなかった。
噂が怖くて、動けなかった。
これ以後、彼女は公園にも現れなくなる。
謝りたくても連絡も取れなくなった。
突き放した手前、こちらから近づくことも出来ないまま時が経つ。
そしていつの間にかアパートからも愛香の表札は消えていた。
行方はわからない。
知っている人間がいるとも思えない。
この元凶たる噂は次第に風化し、精太のことを気にする人間はもういない。
全員が高校受験に注力し始めたからというのも大きな要因となった。
しかし噂が消えた後にも、少年の心は晴れなかった。
当時の友人たちとは二度と口を聞かず、誰とも関わる気にもならないまま受験をこなし卒業した。
一方的な理由で突き放し、別れてしまった憧れとは、もう二度と会えないだろう。
夏入りの日に始まった出会いは、自分の身勝手で謝ることも出来ないまま、胸の内に深い後悔を残し、幕を閉じることとなった。
・・・・・
心の傷は時間が治してくれると聞いたことがある。
内気側だった精太は高校で前向きになっていた。
決して目立っているわけではない。
ただそれなりに騒ぎ、それなりに真面目な人間として学生生活をこなしていた。
一緒に遊んだり、勉学に四苦八苦する友人も出来て、陰でゲームばかりの内気な頃より明らかに充実した毎日を送っていたのだ。
それでもなお晴れること無い想いを秘めたまま事件から1年近くが経過した頃。
彼は高校一年生の二学期開始を目前に控え、通う高校からバスで二十分程度の平屋に引っ越してきた。
噂を知る人間がいない場所に行きたくて自宅から離れた高校に進学したは良いが片道二時間は余りに遠く、夏休みを利用して手頃な物件を探していたのだ。
ちょうどそこへ祖父母の住んでいた平屋が空き家となっていることを聞いた。
高校から近いこともあり、職業柄地元を離れられない両親と別れ、一人で空き家まで引っ越してきたというわけである。
無事に引っ越しも終わり、数日一人暮らしをしてみて慣れた頃、夏休みも終わる。
明日からまた友人たちとの高校生活が始まる。
精太は一年前のこの時期に起きた辛さを思い出し、今度は後悔の無いように考えて行動しようと決めていた。
とりあえず女性とあまり関わらないことが成功の鍵と考えて極力女子との会話を避けてきた。
こうすることで後悔の元となった女性との噂の原因を極力消し去り、友人たちと楽しく高校生活が出来るよう努めてきた。
そんな人間になった彼は始業式から帰宅する。
そして信じられない光景を目の当たりにすることとなった。
「あ、おかえりー」
何処か見覚えのある制服を着た少女が一人、リビングでポテトチップスを貪りながらテレビを見ている。
「ただいま……じゃねぇ!誰だお前!?泥棒!!」
いるのが当然のごとく慣れた様子の少女に一瞬違和感を持たず受け答えしたが、すぐに異常事態に気付いた。
「し、失礼な!!泥棒じゃない!」
泥棒呼ばわりされた少女が遺憾だと言わんばかりに反抗。
「意味わからん!俺のポテチ食ってんじゃねーか!泥棒だろ!」
返された否定に精太も反論した。
招かれてもいない他者の家で許可のない勝手な飲み食いは泥棒と変わらない。
家主のいない家に上がり込んでいた謎の少女。
女子と関わりたく無い彼にとっては、邪魔者かつ不審者であった。
警戒する家主を前にしても気にした様子が無い彼女は指摘を受けて何かを思いついたようだ。
「あ、ポテチ泥棒!」
「小せえ泥棒だな!」
確実に思いつきを発する不審者へ即座に突っ込む。
(一体なんなんだこの女)
おかしな少女の出現に頭が混乱するのは仕方ないだろう。
精太が大声を出すのが嫌なのか、不審者は不満気な表情を見せる。
「もー、うるさいなぁ」
彼女は耳を押さえ、次に衝撃的な行動をとった。
「!?」
背中の羽を広げて部屋の中で浮いたのだ。
腰から生えた尻尾もピョコピョコ動いている。
羽と尻尾があり、浮く少女。
精太はあり得ないものを見て戦慄した。
見ると頭には角も飛び出していて、ファンタジーでよく見たことがある悪魔にそっくりである。
違うのは角も羽も尻尾も黒ではなく白いという点だけ。
「あ、悪魔……」
反射的に口にした言葉は、悪魔?のお気に召さなかったようだ。
頬を膨らませ、少女は悪魔呼ばわりを訂正させた。
「違うから、サキュバスだから」
「サキュバス……?」
悪魔?の訂正を耳に捉え、少年は記憶の中からサキュバスという存在を引っ張り出す。
男の精気をエサにする悪魔。
パッと出てきた知識はその程度。
「つまり悪魔じゃね?」
首を傾げた彼の問いは無視し、サキュバスの表情はふくれっ面から満面の笑みに変わる。
「とりあえず会いたかったよ精太!」
両手を広げ、サキュバスは正面から抱きついてきた。
女性に耐性を持たない少年の顔はそれだけで熱に染まる。
「抱きつくな!ってか何で俺の名前知ってんだ!?あんた誰だよ!?」
突然のハグに動揺しながら、精太は叫んだ。
「えぇ?覚えてないの?」
彼の警戒を含めた叫び。
これを聞いたサキュバスはショックを受けたらしい。
萎れた声を出していた。
「俺の知り合いに金髪悪魔はいない!」
一方抱きつかれたままの精太は必死に訴え、何とか引き剥がそうとするが少女の力は異様に強い。
家主が異常な存在に対抗する術を考えた時、サキュバスは更に彼の頭を混乱させる言葉を口にした。
「大実 愛香」
この名前を聞いた時、精太の思考がフリーズする。
「は?」
間抜けな声を漏らす精太から離れ、彼の前に降り立った飛行能力を持つ明らかな人外。
彼女は少年に自分の顔を見せつけるように近づけて、微笑む。
「だから、大実 愛香だよ。久しぶりってことになるね精太!」
現実離れした存在に相見えたせいで困惑したことや髪の色が違ったり、雰囲気が余りに異なっていたため気づかなかったが、その顔は確かに、彼の憧れのお姉さんそのものであった。
お試しで書き始めたサキュバスとの恋愛作品です。
こういったジャンルは全くの未経験であり拙い点も多々見受けられる可能性がありますが、主人公とヒロインの行く末を温かく見守っていただければと存じます。
筆者は複数作品を投稿しており、それぞれの兼ね合いから更新ペースは緩やかなものになるかと思いますが、もし設定、キャラクター、お話等お気に召しましたら評価やブックマークなどよろしくお願いいたします。