つわはすからみる現代のコンテンツについて
うちで踊るほど元気がありません。
Zoomで会話する相手がおりません。
実況動画だけが時を止めてくれる。
高校生の頃2年近くポジティブに引きこもっていた。
その時支えになったのが何を隠そうニコニコ動画だ。最終兵器俺達、レトルト、ガッチマン、稲葉百万鉄、つわはす、P-P、キリン、牛沢、ハヤシなど黄金期(勝手に呼んでるだけ)が活躍していた。
YouTubeよりニコニコ動画のほうが勢いがあったなんて信じられるだろうか。YouTuberより生主。SHOWROOMよりツイキャス。モイ!
Twitterはジメジメした地下世界のようだった。シソンヌのフォロワーがまだ500人くらいでFF内(死語)だった。ツイッタラーが団体(流行りのクラスターみたいな、ゲームでいうところのギルド)を作ってた。私はれいぜという見ず知らずの人間の傘下に入った。活動内容は団体を布教すること。思い返せば激サムである。
自粛している。
未知のウイルスが思いの外猛威を振るい、人々を恐怖のドン底に叩きつける…程でもない。
一様に怖い怖いとは言うが、生活のためとか、仕事が、とかいう理由で皆外出している。
毎日がエブリデイ(激サム)。おあつらえ向きに晴れ続きだ。
文句を垂れながらも、ひょっこりやってきた休日を限られた範囲でありつつ謳歌している。
通話しながら飲んじゃうからアル中になっちゃうよ~~。なんてわりと呑気だ。
先に伝えておくが自宅で楽しむことを否定したいわけではない。できることをやるのは素晴らしい。
翻ってわたしは。
最近夜寝付きが悪い。元々過眠で困っている。普段なら慢性的に睡眠不足だからスッと眠れるが、今寝る時間はあるから12時間くらい眠る。そのあと15時間くらい経過すれば眠くなる。
一人だけ27時間で1日が成立するのだ。このサイクルは今に始まったことじゃない。
あの引きこもり時代。
自分だけずっと世界からズレていることに罪悪感があった。明けない夜はない、とも限らないと思っていた。
ごはんを食べてお菓子を食べてTwitterを開いて家の1階と2階を往復する。それだけなのに常に心臓はドキドキして。
安眠材料は実況動画だった。
2~3日に1回ペースで30分程度の動画投稿がオーソドックスだっだ。
もしはじめに挙げた実況者全員の動画を追おうとすると、それだけでかなり時間がかかる。見尽くすことはまずない。
人の笑い声、ゲームという現実と切り離された空想の世界、流れるコメントを見れば自分ひとりじゃないという安心感。30分程度で動画は止まるから寝た後は静かになる。
この上ない子守唄だ。
その中に毎日投稿をする猛者がいた。
"つわはす"だ。
その実況スタイルは特徴がなく、カテゴリー分けしにくい。
家にゲームの上手い穏やかなお兄ちゃんがいる、というかんじだった。騒ぐでもなく、実況として説明しすぎるでもなく、近くで楽しくゲームをしている、そんな受け入れやすさがあった。私が一人っ子だからか、よりナチュラルに引きこもり生活に浸透した。
ロックマン、FF、がんばれゴエモン、風来のシレン。数々の名作をつわはすは実況した。人気が出れば叩かれることもあるが、毎日動画を投稿して時々謝罪して。…今の政治家みたいだなぁ。
キヨとか蘭たんとかピーちゃんとかとコラボして。
私が一番好きなのはHTW実況だ。人と接するだけでストレスを抱えるようなニートが、己の心と戦ってレベルを上げ、友人を作り、ラスボスを倒す。エピローグで主人公は某古本屋で働き始め、人並みの日常を手にする…。
Motherを彷彿とさせるドット絵とBGM。ツクールで作成されたとは思えないクオリティ。
私には刺さらなかった。
じぃんとした。
つわはすの、決して大袈裟にリアクションしない、でも他人事にしない距離感の実況が相まって、もう生姜湯だ。じぃん。
ちょっと外に出よう、某古本屋に行こう。 その気力を与えてくれるには十分だった。
それから毎日実況を見続けて…。ある日を境に投稿が途切れた。
なんということだ、つわはすが女性関係で問題を起こしてしまったらしい。
私は政治家や芸能人の、不貞行為・薬・飲酒喫煙に興味がない。今でこそ芸能人と一般人の境目が薄れつつあるが、当時の実況者は一般人寄りだった。人気のある一般人が問題を起こしたところで、内々で解決してくれればいい。
しかしつわはすの影響力は大きくなりすぎていた。ニコニコ動画というコンテンツ内を沸かすだけの力があった。
加えて相手の女性が、黄金期メンバーの集合写真を流出させた。結果、つわはすは居場所を失ってしまった。
つわはすがいなくなった私の生活は灰色に…ならなかった。そもそも黒色だ。つわはすに出会う前の黒色に戻っただけだった。
つわはすの実況の穴を埋めるように他の実況を見るが、喪失感は拭えない。完結した実況を見返しても虚しくなるだけだ。
だが私にはTwitterがある。心の広い人が心配して連絡をくれる。そもそも私にはつわはすしかいないわけではない。
コンテンツの一部に過ぎないつわはすはみるみる過去の人となり記憶から薄れていった。
YouTuberが子供のなりたい職業ランキング1位になり(ほんとか?)、TikTokでそこらへんの高校生がレベルの高い動画をアップし、配信アプリの種類が増えて、人気アイドルのメンバーがコメントをリアルタイムで読んでくれる。
移ろっているようで、循環している。
私が体験してきたのはせいぜいここ10年程度のインターネット文化だ。
しかし、ネットで披露したものが人気を博すシステムは一様だ。はじめて遭遇したネット文化、おもしろフラッシュから変わらない。
ネット上での人との距離は近くなった。物理的に、時間的に、ラグがなくなってきた。クオリティが上がった。職業として広く認められるようになってきた。
しかし表層は推移しない。
これは遡ること遥か、フィルム映画から恐らくずっと同じだ。
自粛している。
世間では学校の再開時期をどうするのか、国から補助金が降りるのかどうなのか、問題は山積みのようだ。
私は学生ではないし、店も経営していないから、一刻も早く終息すればいいと願いつつ自宅待機している。
マイブームは、YouTubeのQuizKnockのクイズ動画と、ニコニコ動画でハヤシのどうぶつの森実況を見ることだ。動画は私にとって永遠にブームであり続けるのかもしれない。
ふと。
YouTubeのおすすめ機能で見慣れた名前があった。つわはすだ。
釣りか?幻か?祈りにも近い気持ちで動画を開く。本物だ。
一時期親の声より聞いていたあの声だ。喋り癖も変わっていない。あの頃と違うのは投稿されたのがYouTubeであることと、大量のバッドマークが付いていることだ。彼は帰って来た。
5年だ。
0歳の子が5歳になる。1歳の子が6歳になる。当たり前体操だ。
私は変わっちゃいない。ちょっと外に強くなったり何かに打ち込んだりするが、カテゴリー"私"が成長しているだけだ。
できることをやる、それは素晴らしい。
哲学的なことや思想的なことを書きたいわけでも伝えたいわけでもない。
この灰色の日々につわはすが投じた一石が波紋を呼んでいることが嬉しい。
止まない雨がないことは信じない。
だが彼が戻ってきたことは信じてしまう。
きっと私は会ったこともない彼の、ファンなのだ。