二話
入学式に桜舞う坂を主人公が登るアニメは高い確率で良作になる。
勝手な主観だが、新たな門出を祝福する桜の情景は極めて趣深い。
しかし何故だろう、葵や空蝉、朝顔の姫君や夕顔の姫君、果てには桃園式部卿宮と情緒のあるものの名を冠したキャラが多く登場する源氏物語において、桜に関する人物は出てこない。
恐らく情緒という感情を最も揺さぶるものが桜であり、それにまつわるキャラクターを出すことになれば重要な根幹にならざるを得ないから、な気もするが。
14人の女性を並列─実際には正妻や側室と位付けはされていたが─するにあたり、最強格の桜を持ち出すのはタブー、というのは理由としてしっくり来ないだろうか。そろそろ飽きられてくる頃だと思うのでやめよう。
俺の住む家は都市郊外のベッドタウンにあるが、住宅街の一角と言えど桜は植えられておらず、今登校しながら眺めているのは、昨今では珍しい銀杏並木である。
春先から夏にかけてこそ青々と茂ってはいるが、秋口になると黄葉も見頃となり、地元の大都市からも見物客がこぞって訪れるという話も聞いた。聞く話に拠れば、有名作品の聖地のひとつだとか。引っ越したばかりなので実物を見た事は無いが、人気作品のキービジュアルに使われるということはそれほど見栄えがあるのだろう。
銀杏にも趣はある。また紅葉なども並ぶといっそう見栄えしそうなものだが、引っ越してきたばかりの一般人が憶測で市政に口出しなど出来るわけもない。
共に高校受験をした幼馴染の父親がこの地域の市議会議員なので、その人に言えば議会の議題には挙げてくれるだろうが、実を言うとその人とは会ったことがない上に、身内を利用するのは良心が痛む。
その幼馴染─鍵谷由于は俺の初恋の人物だ。品行方正、成績こそ俺より少し悪いが仕事は基本的にソツなくこなす何かとできる人間。
人当たりもよく、毎期室長を務めていた彼女の周りは、常に多くの人が取り巻いていた。
そんな彼女を遠目で見ていると、そんな俺の視線に気付いた彼女がさり気なく手を振ってくれる。
それはオタクである俺にも分け隔てなく接してくれたとかいうだけでなく、幼馴染である俺にしかしてくれない、ある種自分にだけの特別な行為だった。
最初に彼女を異性として意識したのは小学校の頃だし、中学に上がるとなお成長した彼女の魅力なんかにも気付かされ、なんなら彼女にだけ挙動不審すぎて噂になってしまったのは中学の頃の話だ。
当然だが、そんな人気者にあからさまな好意を抱いていると目の敵のように悪意に晒されるわけだが……あまりいい思い出でもない。
風がそよぎ、長ったらしい前髪が目に入る。痛さにつられて目を擦ると、どうやら今度は睫毛まで指に巻き込んで入ってしまったようだ。痛くて当分片目は開けられず、意識は睫毛の除去に持っていかれる事となる。
睫毛との一悶着も落ち着く頃には坂を登り終えていて、目の前には在学生を待ち受けんばかりの─って程でもないが、それなりに立派な校門が迎え入れてくれた。
私立湊高等学校。最寄駅から商店街を抜け、緩やかな坂を登った丘の上に位置する。県内有数の進学校であり、多少校則は厳しいなりに、教師からの手厚いフォローが保護者からの信頼の厚さの理由らしい。
中高一貫校で、高校から編入も可能だが枠はかなり狭い。学年で見ると中学上がりの内部生が180人に対して編入生が20人程しかいない。その上、内部生は学習進度も早く、高校編入組は入ってからも一苦労だ。正直なところ、一般人程度の学習習慣しかない俺自信も先が思いやられる。
なぜ自分に鞭打つような高校に編入することにしたかというと、先んじて専願の推薦入試で合格した由于の勧めがあったからだ。
由于の父は湊高校のOBで、どうしても由于を通わせたかったらしい。どうやら彼女の母親との馴れ初めがまさにこの高校で、思い出を共有したかったとかなんとか。
彼女の学力では正直合格は難しいと思っていたが、専願の推薦入試となれば話は別で、室長としての責務だけでなく父親の勧めで地域ボランティアに出仕していた彼女には当然利があった。
そして、無事推薦に合格したクラスマドンナの彼女の口から「光輝も一緒に通おうよ、湊高」なんて誘われようものなら、当然勉学に火がつくだろう。
そうして本校に来校し受験、合格掲示を経て遂に学生として門をくぐる事を許可されたわけで、当然俺はすこぶるテンションが高い。
嬉しすぎる感情を押し殺す必要がなければ今すぐにでも雄叫びを上げるところだが、後にも先にも生徒はいるわ保護者はいるわ、今後の学生生活を送るためには飲み込むべき感情もあるみたいだ。
しかし、そんな喜びを意識して噛み締める前にすっと霧散してしまうほどの違和感があった。というのも校門にある立て看板なのだが、具体的には年号の部分がおかしい。
今年も3ヶ月経過した4月に"今年が何年なのか"を言えない人間はなかなかいないだろう。ましてや、昨年と今年があやふやになっても今年と来年が曖昧になる人などほぼいない。
そんな違和感を持つ同類がいないか辺りを見渡すも、周りの同級生たちはそんな間違いを気にも留めず、その看板を背景に立ち、ピースを形作るなどして写真を撮っている。
わざわざ楽しそうな雰囲気に間違いを指摘して水を差すようなことはしないが、ここにいる自分以外の全員がその看板を指摘しないことがいっそう違和感を募らせ、モヤモヤとした感情が渦巻く。
そんな疑念を振り払うように俺は頭を横に振ったのち、前を行く学生に倣って体育館前へと赴いた。