馬を買う
「馬を買いに行くわ」
土曜日。久しぶりに朝からログインすると、開口一番マーネがそう宣言した。
それ自体は驚く事ではない。元々王都に来たら買うような事は言っていた。だが……。
「なんでこのタイミングなんだ?」
昨日まではそんな素振りもなかったはずだが。
「昨日ユーナとユーカに言われたのよ」
「ふむ?」
ユーナとユーカの方に視線を向けると、二人は揃って頷いた。
「図書館でなかなか興味深い情報が手に入ってねぇ」
「私も同じです。それに、この前のダンジョンで手に入れた鎧の事もあります」
「だけど、共同の生産会館や簡易設備じゃできる事も限られてしまうからねぇ。一度始まりの街のホームに戻ろうという話になったのさ」
「なるほど」
俺は納得して頷いた。
「で、あの距離をまた歩いて帰るのは時間がかかるからその前に馬を買おうって事よ」
「理解したよ」
「じゃあ、行きましょうか。お金はあるからいい馬を買いましょう」
「ここね」
マーネについてやって来たのは王都でも外れの方。
そこは地面が舗装されておらず、土がむき出しになった広い場所だった。
「馬がたくさんいるねぇ」
そこには柵が建てられ、その向こうではたくさんの馬が思い思いに過ごしている。
「いらっしゃい。もしかして、馬を買いに来たのかな?」
俺達が馬を眺めていると、ツナギを着た小太りの男がやってきた。
「ええ、そうよ」
「ほうそうかい。うちは値段はピンキリだが、いい馬が揃っているよ。自由に見て好きなのを選んどくれ」
「ありがたくそうさせてもらうわ」
人の良さそうな笑みで勧められ、俺達は改めて馬に視線を向けた。
「どんな馬がいいんでしょうか?」
「一応馬の性能は視れるわよ。性能がよければその分値段も上がるけれど」
「ところで、何頭買うんだ?」
「とりあえず、二頭ね。私達なら二人乗りでも問題ないでしょうし」
「そうだな」
四人中三人が女子な上、全員が軽装備だ。馬にもよるだろうが二人乗りでも問題ないだろう。
「なんならもっと近くで見てくれてもいいんだよ。馬に悪戯しないならね」
「なら、そうさせてもらうわ」
提案を受けて俺達は柵の中に足を踏み入れ、近くから馬を見ていった。
「この馬なんてどうでしょうか?体格もいいですし、真っ白で綺麗です」
「そうね。性能も他の馬と比べて頭一つ抜けてるわね。高いけれど、私達なら十分賄えるし」
何頭か見ていくうちに目をつけたのはシミひとつない純白の馬。立派な体格にどこか気品も感じられる佇まい。
今まで見た中では間違いなく一番の馬だ。
「む?ユーナがいない?」
「いつの間に……。馬に変な事していないでしょうね」
「姉さんですらから、もしかしたら……」
不安になった俺達は一旦馬を探しを中断し、ユーナ探しに切り替える。と、その時。
「ぐふっ」
どこからか聞こえた鈍い声と共に特徴的な白衣をはためかせてユーナが飛んできた。
思わずその光景を呆然と眺めていると、そのまま俺達の前に落下し、ゴロゴロと転がって俺達の足下で止まった。
「いやはや、酷い目にあったねぇ。街中が非戦闘エリアじゃなければ死んでいたよ」
パンパンと白衣についた埃を払い、ユーナは変わらぬ笑みを浮かべたまま何事もなく立ち上がった。
「何をしているのよ、貴女は」
「よさげな馬を見つけてねぇ。つい迂闊に近づいたら文字通り足蹴にされてしまったよ」
ユーナの飛んできた方に視線を向けると、そこにはさっきの馬よりもさらに一回り大きい漆黒の馬が木陰の下でこちらを睥睨していた。
「気性の荒そうな馬ね」
「性能はいいですけど、あれは乗りこなすのは至難の技かと」
「ロータスいける?」
「やってみる」
俺が近づいていくと、黒馬は鼻息荒く威圧するようにこちらを睨んでくる。
動物を動物で例えるのもおかしな話だが、まるで一匹オオカミといった感じだ。
「む」
一定距離まで近づいた瞬間、黒馬が突進してくる。
それを横にずれて躱すが、すぐさま後ろ脚で蹴りを放ってくる。
「とんだじゃじゃ馬だな。だけど、俺も結構じゃじゃ馬の扱いには慣れているんだ」
蹴りを躱し、そのままその背に跳び乗る。
背の上の俺を振り落とそうと暴れるのを両足で挟み込んで必死に耐える。
鞍も鐙も手綱もない馬に乗るのは初めてだが、ゲーム内で上がっている身体能力と自前のバランス感覚さえあれば耐えられなくはない。
そうして、しばらく暴れる黒馬の上で耐えていると、急に大人しくなり、理知的な目でこちらを振り返った。
これは認められたという事か?
もう暴れる様子がないのを確認して背から降りると、俺に顔をすり寄せてきた。
こうして見ると案外可愛いものだな。
〈隠しクエスト『暴れ馬を乗りこなせ!』が達成されました〉
「む?」
「おお、まさかそいつを手懐けちまうなんてな」
突然のアナウンスに気を取られていると、最初に声をかけてきた小太りの男がやってきた。
「誰も乗せないどころか近づけさせないもんでこっちも困ってたんだよ。そいつもお前さんの事を気に入っているみたいだし、貰ってくれねぇか」
「貰う?代金は?」
「いらんいらん。どうせ買い手なんてつかなかったんだ」
「そういう訳には……」
「ロータス」
断ろうとする俺の肩をマーネが叩いた。
「その馬はクエストの報酬みたいなものだと思うわ。だから、ありがたくもらっておきなさい」
「……そういう事なら」
と、そこでマーネがさっき見た純白の馬を連れている事に気づいた。
「店主、でいいのよね。この馬を買わせてもらうわ」
「お、いい馬を選ぶじゃないか。そいつならこいつにだってそう劣らないぞ」
やはり、この白馬はここで一番の馬だったか。流石にこっちの黒馬には劣るようだが。
「代金はこれね」
「まいど。これでもうそいつらはお前らのものだ。名前をつけてやってくれ」
「名前か……」
店主に言われ、俺は二頭の馬それぞれを眺める。
「クロとシロはどうかねぇ」
「犬じゃないんだから」
「なら、ノワールとブラン」
「フランス語にしただけでしょ」
「ハルとウララ」
「なんでわざわざ負け続けた競走馬から取るのよ」
そんなマーネとユーナのやり取りを聞きながらすり寄ってくる黒馬の頭を撫でる。
艶やかな漆黒の毛並み。陽の光を受けて輝いているようにも見える。
「オニキスとか?」
「ユーナの案よりはいいかもしれないわね」
「それに合わせるなら白馬の方はパールとかでしょうか?」
「そうね。悪くないんじゃないかしら」
「なら、決まりか?」
「ええ。今日から貴方達はオニキスとパールよ。よろしく」
マーネは二頭の馬、オニキスとパールに声をかけて頭を撫でた。
最初は気性の荒かったオニキスだが、どうやら問題なさそうだな。
「僕はロータス君の後ろに乗ろうかねぇ」
「ちょっと待ちなさい」
オニキスとパールの手綱を引いて王都の外まで移動し、あとは始まりの街に戻るだけのところで一つの問題が起きた。
「何かな?」
「なんで貴方がロータスの後ろに乗るのよ」
「その方がロータス君も嬉しいだろう?」
そう言ってユーナは豊かな胸を張った。
それをマーネは忌々しげに睨んで鼻を鳴らす。
「体重的に考えて貴女とロータスは別でしょ」
「それを言われると厳しいねぇ。たしかに三人の中では一番重いしねぇ」
「そうよ。だから……」
「その点マーネは軽いしねぇ。身長はユーカより高いのに体重は変わらないからねぇ。なんの差なんだろうねぇ?」
胸の差かな?
ユーカもユーナの妹だけあって結構あるしな。
「ロータス、何か変な事考えなかった?」
俺は慌ててブンブンと首を横に振った。
「ユーカはどうなんだい?」
「わ、私ですか?わ、私はどちらでも……」
それにしても、何をそんなに揉めているんだろうな?
「って、顔をしていますね」
「む?」
「どう考えてもロータスさんのせいですからね」
俺が首を傾げるとユーカは呆れたようにため息を吐いた。
「そもそもなんだけど、ユーナとユーカは馬に乗れるのか?」
「乗れないねぇ」
「乗れません」
俺とマーネは昔楓が近所に住んでいた頃に師匠──マーネの祖父に連れられて知り合いの牧場に行って乗馬を習った事があるから問題ないが。
「……なんだかただ傷ついただけの気がするわ」
「ふふ、僕が慰めてあげるよ」
「誰のせいよ!というか、貴女わかったうえで私をからかったわね!」
「さあ?どうだろうねぇ」
そう言い合いながら二人はパールに乗る。
「わ、私がロータスさんとですか?」
「馬の負担を考えるならこういう組み合わせでしょうね」
「俺とじゃ嫌か?」
「い、嫌ではないです……」
「それならいいんだが」
俺は先にオニキスに乗り、ユーカに手を差し出した。
「あ、ありがとうございます」
「しっかり掴まっていろよ。落ちると危ないからな」
「は、はい……」
おずおずと手を伸ばし、ギュッと腰に抱きついてきた。
「ちょっと、どこ触ってるのよ」
「落ちるといけないからしっかり掴まっていないとねぇ。ところで僕はどこに触ったのかな?硬いから腰かと思ったのだけど」
「パール!今すぐこいつを振り落とすわ!」
背中の上で暴れる二人にパールは迷惑そうな表情を浮かべた。
悪いな。少し我慢してくれ。




