プロローグ
高校一年生の夏休み初日。俺、朝日蓮が二階にある自室で夏休みの宿題をやっていると階段を登る足音が聞こえてきた。
俺に兄弟はおらず、両親は共に仕事で不在。となると階段を登っているのは誰か。
わかりきった事を考えているうちに階段を登りきった足音は部屋の前で立ち止まり、間を空く事もなくドアが開け放たれた。
「つまらない事をしているわね」
宿題をしている俺の姿に開口一番放たれた言葉に苦笑を浮かべ、わかりきった答え合わせのために来訪者へと視線を向けた。
「学生の本分につまらないも何もないと思うけどな」
そこに立っていたのは眼を見張る程の美少女。
真夏の炎天下の中を歩いてきたにも関わらず、汗一つかいていないその立ち姿は同じ部屋にいながらまるで別世界にいるかのよう。透き通るかのような白い肌も相まって雪の精と言われても信じてしまいそうだ。
涼しげな表情の中で特に目を引く、やや冷たい印象を与えるつり目がちな瞳がより一層そう思わせるのかもしれない。
身長は女子にしてはやや高く160センチを超え、その手足もスラリと細く長い。
そんな絶世の美少女ともいえる少女の名は夜月凛。彼女との関係を一言で言うのなら幼馴染みとなる。それも家が隣同士の典型的なだ。
「別に蓮なら慌ててやる必要もないでしょ」
「まあ、さっさと終わらせたいっていうのもあるけど、ただ暇だからやってるっていうのが本音かな。今の俺じゃできる事も限られているからな」
「そう……」
「で、何しにきたんだ?」
「なによ、来ちゃ悪かったの?」
「そうは言ってないだろ。というかお前がうちに来るのなんていつもの事だろ?」
さっき凛を雪の精と例えたが、現実はそんないいものじゃない。汗をかいていなかったのも元々体質的なものというのもあるが、家が隣同士なせいで汗をかく程でもなかっただけだし、肌の白さも基本的に出不精で引きこもり気質なせいで滅多に外に出ないだけなのだ。例外はうちに来るくらいだろう。
そんな凛の趣味はアニメや漫画、ライトノベルにゲームといったサブカルチャーになる。その中でも特にゲームをかなりやり込んでいて、この前も新作のゲームのβテスト?とやらにかなり倍率がある中当選して寝食も忘れて熱中していた。
そういえば、そのゲームの発売日が今日だと言っていたはずだが何故こんな所にいるのだろうか?いつもならすぐに引きこもってゲームをプレイしているはずだが。
「まあ、いいわ。それに、暇ならちょうどいいわ」
「む?」
そう言うと凛はおもむろに両手にそれぞれ持っていた紙袋のうち一つを俺に差し出してきた。
「これは?」
「あげるわ」
俺の問いに答えずいいから開けろと顎で促してくる凛に首を傾げながらも、逆らう理由もないからと促されるまま紙袋の中の物を取り出した。
「これって……」
中に入っていたのは二つ。一つは四角い箱。その箱にはフルフェイスのヘルメットのような物の写真が描かれ、もう一つはゲームソフト。
それがなんなのかはその手の物に疎い俺でも知っている。このヘルメットのような物は数年前に発売されたフルダイブ型のVRゲーム専用のヘッドセットだ。
発売当時はかなり話題になり、発売数日前から行列ができていたのをニュースで何度も目にした。
発売から数年経った今でこそ落ち着きはしたが、手に入れようとすれば少なくない額のお金がかかる。少なくとも高校生のお小遣いで簡単に買えるような物ではないはずだが。
いや、より問題はゲームソフトの方だろう。
高いとはいえ、ヘッドセット自体はお金があれば買える。だが、このゲームソフトはいくらお金があっても買えるとは限らないのだ。
「このゲームって前に凛が言っていたゲームだろ?」
「そうよ。VRMMORPG『NEW WORLD ONLINE』。今までのVRゲームとは一線を画す、リアルな世界を楽しめるゲームよ。私がそのβテストをやっていたのは知っているわよね」
「ああ」
「そのプレイ動画や実際に体験した人の口コミもあって絶大な人気を誇っているわ。βテストの時点で五百人の枠に十万人以上が応募したらしいけど、製品版の初期発売数十万本に対して百万人以上が応募したらしいわよ」
その事はニュースでも度々報道されていたため知っている。だからこそ、その超レアなゲームが目の前にある事に驚いているんだが。
「貴重な物なんだろ?それにヘッドセットだってこんな高い物簡単には受け取れない」
「気にする必要はないわ。私のは別にあるから」
そう言うともう一つ紙袋から同じゲームソフトを取り出した。まだ紙袋の中には何か入っているようだが、あれは元々凛が持っていたヘッドセットだろう。ちなみに、あれは発売当時に俺が並んで買ったものだ。
「貴重な物なんじゃないのか?」
「βテスターにはその報酬で無料で貰えるのよ」
「そうなのか?でも、俺の分は……」
「それは雑誌の懸賞で当たったから気にしないでいいわよ。ヘッドセットとセットでね」
そういえばと思い出す。昔から凛は並外れた強運を持っていたのだ。それがここでも発揮されたのだ。
「それ、倍率何倍くらいなんだ?」
「知らないけど、当選者は一人だけだから十万倍くらいじゃない?」
なんでもないかのように語る凛に俺は苦笑しか出なかった。
「さっきも言ったけど、このゲームはとんでもなくリアルよ。現実と変わらない程にね。そこでなら貴方ももう一度……」
……そういうこと、か。気を使わせてしまったみたいだな。
「凛」
「なによ」
「久しぶりに一緒にゲームをやるのも悪くないかもしれないな。時間もある事だし」
「……そう」
凛は顔をそむけ、素っ気なく頷いた。
「ゲームの開始は今日の12時よ。それまでに準備しておきなさい」
部屋の時計を確認すれば今は11時を回ったばかり。まだ少し時間がありそうだ。
「凛、昼は食べたか?」
「まだだけど?」
「なら、一緒に食べるか。何か作るよ」
「ええ、お願いするわ」