10. 新しい可能性
ドゴォン――と大きな音がして、自室で読書をしていたアクアスティードは慌てて立ち上がる。
発生場所は、ちょうど階下だ。しかも何やらミシミシと床が不穏な音を立てている。
そこでは今、ティアラローズたちが集まって女子会をしている。
「ティアラ!?」
廊下へ出て階段を下りていては遅いと、アクアスティードは窓からバルコニーへ出てそのまま真下の部屋のバルコニーに下りる。
乱暴だが、この方法が一番速い。
アクアスティードが階下のバルコニーに降り立ち一番に見たものは、部屋にみっちり詰まった毛玉と……それに押しつぶされかかっているアカリたちだった。
「これは……」
『うにゃにゃぁっ』
「……っ、ティアラか!?」
みっちり詰まっていた毛玉は、巨大化した猫――ティアラローズだった。
ついに恐れていたことが起きてしまったと、アクアスティードは息を呑む。
もっと自分が気をつけていれば、いや、もっと星空の王の力を受け入れる器があればこんなことにはならなかったはずだ。
自分の力のなさに、唇を噛みしめる。
――今は、ティアラを助けることが先決だ。
しかし攻撃することはできないし、元に戻す方法もアクアスティードにはわからない。どうしたものかと悩んでいると、アカリが「アクア様~!」と叫んだ。
そしてぽいっと、アクアスティードに向けて何かを投げた。
「こ、これをっ!」
「――っ、星空の王の指輪!?」
「諸事情により外れちゃったんですっ! ティアラ様をお願いします!」
「……わかった」
ティアラローズがいきなりこうなった可能性はなんなのかと考えていたが、星空の王の指輪が外れたことが原因だったようだ。
この指輪は星空の王の魔力を受け入れる安全装置の役割もある。
そのため魔力のコントロールが上手くいかずとも、星空の王の指輪さえあればティアラローズは猫になっても自我を失うことはなかった。
――どうにかして指輪をつけなければ。
「ティアラ――?」
しかしふと、気付く。
巨大化したティアラローズは、低い唸り声を発してはいるけれど、一切こちらに攻撃をしかけてきていない。
――体が、震えている。
『うみゃ、みゃみゃぁ……っ』
「耐えているの、か――」
大切なものを守りたいという一心が、ティアラローズに怪物の一線を越えさせはしなかったようだ。
今はただ、震える大きな猫。
アクアスティードは周囲の様子を見て、全員が避難したことを確認する。
警備のため扉の前に控えていたタルモと、どこかに控えていたレヴィが迅速な対応をしてくれたようだ。
ゆっくりティアラローズに近づき、アクアスティードはその名前を呼ぶ。
「ティアラ」
『みゃううぅ』
唸り声だけれど、ちゃんと応えてくれた。
「姿が変わっても、ティアラは私の可愛いティアラのままだね」
アクアスティードはティアラローズに触れて、自分の顔をうずめる。もふもふの毛が温かくて、こんな状況だというのになんだか幸せな気持ちになる。
しかし次の瞬間、ティアラローズの尻尾が勢いよくうねった。ティアラローズが気力で抑えていたけれど、限界が近づいてきたのだ。
アクアスティードは体を低くして尻尾を避けて、後ろへ跳ぶ。
――誰かが傷一つでもつけたら、ティアラは自分を責める。
だから絶対に怪我をしてはいけないと、アクアスティードは気を引き締める。ティアラローズのためならば、どんなことでもできる。
「とはいったものの……どうするか」
こんなに大きな猫の相手はしたことがない。
猫じゃらしに反応してくれるのであれば可愛いものだけれど。
「ティアラ」
試しに名前を呼んでみると、耳がぴくりと反応した。
――私の声はちゃんと聞こえている、のか?
だとしたら、この状況はティアラローズにとってとても辛いものだろう。意志と体が一致していないのだから。
再び勢いよくうねる尻尾を避けて、アクアスティードはティアラローズの懐に入り込む。そして首元に抱きついて、そっと声をかける。
「もう一度、指輪を贈らせてくれないか?」
やはりこの指輪は、ティアラローズの指になければ落ち着かない。
アクアスティードの声に反応したからか、一瞬動きが止まる。その隙に左前脚を手に取って、指輪を触れさせると――ぽんっと、人間の姿になった。
「あ、あ、あ……あくあっ」
「もう大丈夫だよ、ティアラ。不安にさせてすまなかった」
星空の王の指輪をティアラローズの左手の薬指にはめて、優しく指の付け根に口づける。そのまま手の甲、頬、額、唇と。
「いいえっ! わたくしが未熟なばかりに……。みんなを傷つけてしまったのでは、と……」
「誰も傷ついていないよ」
だから泣かないでと、アクアスティードは大粒の涙がこぼれるティアラローズの目元にそっとキスをした。
***
ティアラローズを寝室に寝かせたあと、アクアスティードの執務室へ場所を移動した。ティアラローズには、フィリーネがついていてくれている。
「なるほど、ルチアが指輪をつけてみたかったのか」
オリヴィアから事情を聞き、アクアスティードは頷いた。
「魔力のコントロールはもちろんだが、早急にほかの方法も考えないといけないな……」
今までティアラローズが星空の王の指輪を外すことはなかったけれど、今後も今回のようなことがないとは言い切れない。
不測の事態は起きるものと考え、対策を立てるのがいいだろう。
「どこまでいっても魔力問題はつきまといますね……さすがはアクア様とティアラ様です。今もなおパワーアップしているなんて」
そんな風に感心するアカリの横で、リリアージュが『わたしに考えがあります』一つの可能性を示した。
『ティアラの魔力を渡せる対象がいればいい……ということですよね?』
「できるできないは置いておくとして、そういうことですね」
「何かいい案があるんですか!? リリア様!!」
アクアスティードが頷くと、アカリが食い気味で反応する。リリアージュはそんなアカリに苦笑しつつ、『一つだけ』と頷いた。
『それはとても難しいことだと思うのだけど……ティアラなら大丈夫だと思うの』
***
『ん、んん……?』
「ティアラローズ様! お目覚めですか?」
「フィリーネ?」
「はい」
目を覚ましたティアラローズは、目の前のフィリーネを見つつ部屋を見回した。
つい先ほどまで女子会をしていた部屋ではなく、自分の寝室だ。寝てしまって運ばれたのだろうか? そう考え――ハッとする。
「そうだ、わたくし指輪を……」
急いで自分の左手を見ると、星空の王の指輪はきちんとはめられている。そのことにほっと安堵するも、ルチアローズが指輪を手にした後の記憶がなんだかひどく曖昧だ。
――でも、なんだかとても苦しかったのは覚えているわ。
「フィリーネ、何があったか教えてちょうだい」
「……はい」
アクアスティードがティアラローズに星空の王の指輪をつけ、猫から人間に戻った後――フィリーネは、あったことすべて伝えていいとアクアスティードから言われていた。
ティアラローズが不安になってしまうので、忘れているようなら伝えない方がいいのでは? という意見も出た。
けれど、ふとしたとに思い出してしまうこともあるし、当事者として、マリンフォレストの王妃としてしっかり知っていた方がいいとアクアスティードが判断した。
フィリーネが話し終えると、ティアラローズはくらりとした。
――わたくし、なんてことを!!
みんなに怪我をさせなかったことは幸いだけれど、一番気がかりなのはルチアローズだ。
「ルチアは? ルチアはどうしているの?」
もし自分のせいで母親が怪物のようになってしまったと理解したのであれば、ルチアローズは酷く傷ついているはずだ。
今は自分のことよりも、ルチアローズのことが心配で仕方がない。
ティアラローズが焦りながらフィリーネに問いかけると、「大丈夫ですよ」と笑顔が返ってきた。
「驚いたからか……泣いてしまわれたんですが、今はぐっすり寝ています。見に行かれますか?」
「……起こしてしまわないか心配だけれど、そうね、一目だけ」
「わかりました。すぐにお仕度いたしますね」
ベッドから出たティアラローズに、フィリーネが着替えなくていいようにコートを用意してくれた。これなら、すぐにルチアローズのところへ行くことができる。
「ありがとう、フィリーネ」
「いえいえ。……久しぶりにティアラローズ様のお世話をするのは、なんだか不思議な感じですね」
フィリーネが妊娠して休みをもらってから、もう数年。
当初の予定ではすぐに復帰予定だったが、あれよあれよと二人目、三人目となってしまったのですぐには戻るに戻れなくなってしまったのだ。
定期的に登城してティアラローズとお茶をしたりしているので、交流は多い。
タルモに護衛をしてもらいながら、ルチアローズの部屋へやってきた。
大きなベッドに埋もれそうになっているのが、なんだか可愛い。気持ちよさそうにすやすや寝ているので、ティアラローズはほっとする。
「よく眠っているわね」
ティアラローズはベッドの縁に腰かけて、ルチアローズのおでこを優しく撫でる。きっと、怖い思いをさせてしまっただろう。
フィリーネには一目だけと告げたが、本当は朝まで一緒にいたい。
朝一番に、ルチアローズにおはようと声をかけて、思いっきり抱きしめたいとティアラローズは思う。
ただ、指輪のことがあるので自分一人では難しいかもしれない。
――アクアに相談しようかしら。
そう考えて、はたとする。
「わたくしったら、目が覚めたのにアクアに連絡もしないで……!」
ルチアローズのことばかりが気がかりで、ほかのことを蔑ろにしてしまった。
そんなティアラローズに、フィリーネは「大丈夫ですよ」と笑う。
「先ほどお伝えした通り、みな様で作戦会議をしていますから。ティアラローズ様の目が覚めたことも、こちらへ来る前にメイドに頼んでお伝えしてもらっていますから」
アクアスティードもすぐここへ来るだろうとフィリーネが教えてくれた。
「ありがとう、フィリーネ」
「どういたしまして。わたくしは一緒にいますので、アクアスティード陛下が来られるまでルチアローズ様と横になっていてもいいですよ」
「……それじゃあ、お言葉に甘えようかしら」
「はい」
フィリーネには、ティアラローズがルチアローズと一緒にいたいということはお見通しだったようだ。
アクアスティードが来るまでの間と決めて、ティアラローズは可愛い娘の隣に寝転んだ。
***
アクアスティードの執務室は、しんと静まり返っていた。
全員の視線がリリアージュに集まり、今の話は本当だろうか……と、各々がその真偽に頭の中で悩む。
きっと今まで、誰も考えたことがないだろうから。
――そんなことが可能なのか?
アクアスティードも考えながら、しかしリリアージュが提案したのだから見込みはあるのだろうと思う。
一呼吸おいて、リリアージュはもう一度はっきりと告げた。
『新たな妖精を生み出して、ティアラの魔力を与えるんです』