6. 人間と猫の生活
マリンフォレストの上空にある空の神殿。
ここには空の妖精王クレイルが住んでおり、いつもマリンフォレストを見守っている。簡単に入れる場所ではないが、訪問を許されている人間もいる。
「クレイル」
「ああ、アクアスティード。いらっしゃい」
その一人が、アクアスティードだ。
幼いころからクレイルに祝福されていて、この神殿へは自由に来ることができる。
実はアクアスティードと付き合いの長い、空の妖精王クレイル。
青から白のグラデーションの切りそろえた綺麗な髪と、王の証である金色の瞳。空の力を操り、情報戦に長けている。
「おお、やっときたのかえ」
「――! パール様」
神殿の奥から、紅茶を三つ持ったパールが現れた。どうやら、クレイルはアクアスティードが訪ねてくることを予期していたらしい。
クレイルの恋人になった、海の妖精王パール。
銀色の長く美しい髪に、王を示す金色の瞳。和を取り入れたデザインのドレスは華やかで、パールの魅力を引き立てる。
アクアスティードとティアラローズの二人に祝福を贈っている。
パールはテーブルに紅茶を置いて、茶菓子の用意もしてくれた。
「すみません、パール様にご用意していただくなんて」
「これくらい構わぬ。して、いったい何用で来たのじゃ?」
クレイルはどうやら、パールに事情までは話していないらしい。
アクアスティードがクレイルの下を訪れたのは、ティアラローズが猫になってしまったことを相談するためだ。
ティアラローズの前では笑顔を見せ、構ってみせはしたものの――内心では、かつてないほどの焦りを感じている。
――一刻も早く解決策を探さなければ。
クレイルが何かいい方法を知っていたら――そう思うのだが、おそらくその望みは薄いだろうとアクアスティードは考えている。
もちろんクレイルとパールが解決策を知っているのであればそれに越したことはないのだが、聞きたいことは別にあった。
***
「おいおいおいおい、遊びに来てみれば……なんだティアラ、人間はやめたのか?」
『にゃにゃ~っ!(キース! やめてくださいませっ!!)』
ティアラローズがオリヴィアと一緒に子どもたちと遊んでいるところに、キースが転移でやってきた。
まじまじとティアラローズを見て、ひょいっと首根っこを掴まれ抱き上げられてしまう。
「なんだ、お前は喋れないのか……」
『にゃ~っ!(おろして~!)』
ティアラローズがじたばた暴れて抵抗するが、キースにはまったく効いていない。
後ろでオリヴィアがハラハラして「ティアラローズ様……」と心配そうにしているが、その顔には尊いと書いてあるような気さえする。
楽しそうにティアラローズを持ち上げているのは、森の妖精王キース。
一つに束ねた深緑色の長髪に、勝気な金色の瞳。腰には扇をさし、堂々とした立ち居振る舞いは威厳がある。
自由奔放だが、いつもティアラローズを助けてくれる頼りになる人物だ。
「キース!」
「きーちゅ」
「きーしゅ」
ルチアローズ、シュティルカ、シュティリオはキースが来てくれたことが嬉しかったようで、ぱっと笑顔になってその足にまとわりついた。
「こらこら、動けねーだろ」
足にしがみつくルチアローズたちに呆れつつも、キースは無理に振りほどこうとはしない。なんだかんだ文句を言うけれど、優しいのだ。
ティアラローズが子どもたちを見ていると、突然――ぽんっと猫から人間の姿に戻った。
「――っ!?」
「ティアラ!?」
そのままキースが横抱きにしてくれたので床に落ちることはなかったが、いきなりすぎて心臓がドッドッドッと嫌な音を立てている。
――びっくりしたぁ……っ!
「でも、人間に戻れてるわ。よかった」
「なんだ、もう戻っちまうのか?」
残念そうにからかうキースに、人間の方がいいに決まっているとティアラローズは頬を膨らませる。
「にゃ~としか喋れませんでしたから、不便ですし……やっぱり自分の体が一番いいですもの」
「お母さま!」
ルチアローズがぎゅーっと抱きついてきた。
猫の姿が可愛くて大好きだったけれど、やっぱりいつものティアラローズが一番いいみたいだ。シュティルカとシュティリオも、キースの足から離れてティアラローズにくっついている。
「元に戻れてよかったですわ。リボンを結び直しましょう」
「ありがとう、オリヴィア様」
猫の時にルチアローズがくれたリボンが髪にひっかかっていたので、オリヴィアが綺麗に結び直してくれた。
「レヴィはアクアスティード陛下に連絡をお願い」
「かしこまりました」
レヴィが部屋を出るのを見送って、オリヴィアはティアラローズをソファへ座らせる。
「すぐに紅茶とスイーツをご用意いたしますね」
「! ありがとう、オリヴィア様」
どうして猫になっていたのかとか、なぜ戻ったのか? など、調べたいことはいろいろある。
けれど今は、一番疲れているであろうティアラローズにスイーツを出すのが最優先事項だとオリヴィアは判断したようだ。
アクアスティードが来るまでの間くらい、ゆっくり甘いものを堪能してもいいだろう。
「あぁっ、妖精の砂糖菓子の苺のケーキね!」
オリヴィアが用意してくれたケーキを前にして、ティアラローズは目を輝かせる。
隣にいるルチアローズたちも同じ反応をしているので、それがなんだか微笑ましい。
「いただきま――」
――す。
そう言おうとした瞬間、なぜか再びティアラローズの体が猫になってしまった。ふわふわの白い毛並みは、まるでショートケーキみたいだ。
『にゃっ!?』
「お母さま可愛い」
ルチアローズが猫になったティアラローズを膝にのせて、頭をなでなでしてくれる。
それ自体はとても嬉しいのだけれど、せっかく人間に戻れたというのに、再び猫になってしまったことに戸惑いを隠せない。
『にゃう……』
ティアラローズが不安そうな声をあげると、ルチアローズが「だいじょうぶよ!」と一生懸命元気づけてくれた。
『にゃ……(ルチア……)』
なんていい子なのだろうと、ティアラローズは我が子の成長に感動する。
自分が猫という弱い立場になっただけで、なんだか子どもたちの成長をいつもより感じられている。
ぎゅーっと抱きしめてくれるルチアローズが、なんだか頼もしい。
「猫になったり人間になったり、忙しいな」
『にゃにゃ~っ!(好きで変化してるんじゃありませんっ!)』
「おっ、猫パンチか?」
『にゃ~~~~っ!!』
からかうキースに向かって手をバタバタさせていたら、さらにからかわれてしまった。
「ティアラ、元に戻ったと――!?」
アクアスティードがレヴィとともに急いでやってきたのだが、ティアラローズが猫のままだったので思わず言葉を失った。
「ティアラ?」
『にゃう~(はい)』
ティアラローズが必死で頷くと、アクアスティードがソファの前に膝をついて、くすぐるように額を撫でてくれる。
「人間の姿に戻った……という話だったけれど、また猫に?」
アクアスティードはティアラローズを見て、そのあとキースを見る。
この中で説明を求めるなら、魔力にも詳しいキースが適任だろうと思ったからだ。
「つっても、俺だって原因はわからないぞ。確かにティアラの持つ魔力が増えてはいるが……別に、コントロールできないほどじゃない」
ただ、今まで魔力量がそれほど多くなく、魔法を使う機会もほとんどなかったので、魔力のコントロールが上手いかと問われたら話は別だ。
増えた魔力のコントロールが上手くいけば、ティアラローズの意思で人間や猫の姿になることもできるのでは? というのが、キースの考えのようだ。
――つまり、わたくしが頑張って魔法の練習をすれば安定する?
今までお菓子に使うとき以外、割と勢いで使っていた節もある。
子どもたちも魔力が高いし、今後のためにもっと魔力コントロールをできるようになることも大切かもしれない。
『にゃにゃー!(わたくし、頑張ります!)』
「にゃーじゃわかんないって」
キースはティアラローズの様子を笑って、話を続ける。
「とはいっても、元々この魔力は普通の人間がコントロールするっていう代物じゃあない。なんたって、星空の王の魔力だからな」
受け止めることはできても、それを意識して使うことは難しい。だから別に、ティアラローズが魔力を上手く扱えなくともなんら不思議はないのだ。
『にゃうぅ……』
「そんなしょんぼりすんなって、そのうち扱えるようになるかもしれないだろ」
『にゃー(楽観的すぎます)』
アクアスティードは、ティアラローズの猫の尻尾が左右に揺れていることに気づく。おそらく、心がもやもやしているのだろう。
普段は笑顔で表面を繕うことができているティアラローズだが、さすがに猫の姿でそれはできないようだ。
――もとはといえば、私の力不足が招いたようなことだというのに。
ティアラローズが自分を責める必要なんて何一つない。アクアスティードは自身の無力さに、唇を噛みしめた。
***
『わ~久しぶりの王都ですね、フェレス!』
「そうだね。マリンフォレストをいろいろ見ていたら、あっという間に数年だ」
はしゃぐリリアージュに、フェレスはくすりと笑う。
しかし本当のことを言うのであれば、まだまだ見てみたいところがたくさんある。今回は久しぶりに王都へ寄ってみたけれど、しばらくしたらまた旅をする予定だ。
リリアージュはくんくん鼻を鳴らし、カッと目を見開いた。
『とても美味しそうな甘い匂いがします! これは絶対にスイーツ!!』
「そういえば、新しいお店がオープンしたって言う噂を聞いたっけ……」
『行きましょう!!』
ティアラローズの影響でお菓子大好きになった、リリアージュ・マリンフォレスト。
もふっとした黒色の小動物姿で、ポメラニアンに似ている。頭には小さな角が生えていて、以前まで王城の地下にいる怪物だった。
今は理性を取り戻し、フェレスと一緒にマリンフォレスト内を旅している。
マリンフォレストの初代国王、フェレス・マリンフォレスト。
白金の髪と金色の瞳を持ち、顔はアクアスティードに似ている優しい男性。王城の地下でずっと過ごしていたけれど、ティアラローズの協力があり自由に動くことができるようになった。
初代星空の王でもあるが、今はその地位をアクアスティードに託しのんびりしている。
二人が歩いていると、一陣の風が吹く。
「見つけた! まさか、ここに戻ってきていたなんて」
『クレイル!』
「あれ、何か緊急の用事?」
のほほんとしたフェレスに、クレイルはやれやれとため息をつく。こちらとしては、本当に緊急事態だというのに。
「そうだよ。ティアラローズが――リリアと同じように、その姿を変えた」
『――っ!』
「――!!」