13. 帰還
輝く虹の眩しさに瞬きをした瞬間、ティアラローズの目の前にパールがいた。空にかかっていた虹は姿を消してしまったが、視界に映ったのはいつも見ていたマリンフォレストの空だ。
すると、ティアラローズにどんと衝撃が走った。
「ああっ、よかった……おぬしら無事に帰ってこれたのだな!!」
「おかえり、二人とも」
「パール様! それに、クレイル様も」
いきおいよく抱きついてきたパールに、ティアラローズはよろける……が、すぐにアクアスティードが支えてくれた。
ティアラローズとアクアスティードは顔を見合わせて、苦笑する。どうやら、パールとクレイルにはひどく心配をかけてしまったようだ。
「すみません。ただいま戻りました、パール様、クレイル様」
「無事に戻ってこれてよかったとはいえ……わらわが魔力を暴走させてしまったゆえ。謝るのはわらわじゃ。すまなかった、ティアラ、アクア」
素直に謝罪の言葉を口にするパールに、ティアラローズは首を振る。
確かに原因はパールだったかもしれないが、行った先では、何ものにも代えられない素敵な出会いと経験があった。
――できることなら、もう少し話をしたかったわね。
きっともう二度と会うことのできないルカとリオを思い浮かべ、ティアラローズは懐かしい気持ちになる。
エレーネにも挨拶をしたかったけれど、結局会うことすらできなかった。
そう考えると、一瞬一瞬の出会いと、その時間はとても大切なものだ。
「わたくしは大丈夫です。心配してくださってありがとうございます、パール様」
「おぬしは人がよすぎじゃ、ティアラ。わらわのせいだと言うに……。それに、おぬしらが帰るための道を繋いだのは、クレイルの空の魔力じゃ」
だから感謝の言葉を述べるならクレイルだけにしろと、パールが言う。ティアラローズとしては、心配してくれたのだから二人にお礼が言いたいのだけれど……。
ティアラローズは微笑み、「わかりました」とパールの意思を尊重する。
「助けていただきありがとうございました、クレイル様」
「感謝する。ありがとう、クレイル」
「……私は、そんな大それたことはしていないよ。どのみち、パールが歪みを見つけなきゃ私にもどうしようもできなかったからね」
クレイルはそんな風に強がって見せたけれど、わずかに足がふらついた。
「あれ……」
「ちょ、クレイル!!」
慌ててパールが支えると、クレイルは苦笑した。
「最後、ちょっと魔力を使いすぎたようだ。少し休めば回復するよ」
「おぬしはまったく……そういうことはすぐに言えと!」
「あはは、ごめんパール。ちょっとは格好良いところを見せたくて」
「~~~~っ!」
クレイルの言葉に、パールは顔を赤く染める。人前でそんな恥ずかしいことを言うんじゃないと、その頬をつねる。
「パール、いひゃいよ」
「ふんっ! ティアラ、アクア。わらわはクレイルを連れて宮に戻る。おぬしらのことは、向こうでみなが探していたから合流して城に戻るといい」
「あ、はい。わかりました。お二人でゆっくりしてくださいね、パール様、クレイル様」
ティアラローズがそう言うと、パールはさらに耳まで赤くする。
「べ、別に二人でゆっくりするわけではない! わらわのせいで魔力を使わせすぎてしまったから、宮で休ませてやるだけじゃ!!」
「はい」
パールが反論をするも、ティアラローズは嬉しそうににこにこするだけだ。
その笑顔にすべてを見破られているような気がして……パールは恥ずかしさで泣きそうになりながらクレイルを抱えて転移していった。
そこでふと、そういえばあの空の異変はもしやクレイルの干渉した魔力――いいや、考えてはいけないとティアラローズは首を振った。
***
「ティアラローズざまああぁぁぁっ!!」
王城に戻ると、涙を流しながらフィリーネが抱きついてきた。思っていた以上に、心配をかけてしまっていたようだ。
パールとクレイルが転移したあと、ティアラローズたちは山の中をうろつくアカリたちと合流して王城へ戻ってきた。
アカリにはどんなイベントが起きたのか詳しく教えてくれと言われたが、まずはルチアローズの様子を見たりしなければならないからとやんわり断った。けれど、きっと夜になったら突撃してくるだろう。
「心配をかけてしまってごめんなさいね、フィリーネ。わたくしも、アクアも、大丈夫よ」
「はぃ、本当にご無事でよかったです……」
止まらないフィリーネの涙をハンカチで拭い、ティアラローズは「ありがとう」と微笑む。
部屋の隅では、お昼寝用のベッドでルチアローズが気持ちよさそうに眠っていた。フィリーネが面倒を見てくれたおかげで、ルチアローズが不安にならずに済んだのだ。
ティアラローズの言葉に、フィリーネはぶんぶん首を振る。
「いいえ、当然です。ルチアローズ様は、とってもいい子ですね」
「ええ。お腹の子が生まれたら、お姉ちゃんになるのね」
「あ、そうですね……。なんというか、あっという間に成長してしまいますね……」
嬉しいのだが、同時に寂しくもあるとフィリーネは眉を下げようとして――ハッとする。
「ティアラローズ様、そのお姿は……」
「あ」
フィリーネの言葉に、そうだったと苦笑する。
向こうで借りた騎士服は問題ないのだが、雷雨の中にいたため泥などの汚れがとても目立ってしまっている。
「すみません、わたくしったら気づかなくて……! すぐにお風呂を準備します!!」
「ありがとう、フィリーネ」
慌てて支度に走るフィリーネを見て、ティアラローズはくすりと笑う。もうすっかり、さっきまでの涙は引っ込んでしまったようだ。
ティアラローズはルチアローズの側に行き、その寝顔を覗き込む。ぷっくりした頬に、小さくて可愛い手。ついこの間まであんなに小さかったのに、こんなに大きくなってしまった。
その頬に触れたいけれど、まだ汚れを落としていないので、愛らしい寝顔だけで我慢する。
「そういえば、アクアは大丈夫だったかしら」
一度エリオットに現状を確認してから風呂や着替えをすると言っていたが、無事に会えただろうか。
向かった先は執務室だったので、いなければすぐここへ来るだろうけど……。
ティアラローズがそんなことを考えていると、「お待たせしました!」とフィリーネが戻ってきた。さすがは優秀な侍女だけあって、仕事が早い。
「ありがとう、フィリーネ。それと、アクアがエリオットに会いにいったけれど……執務室にいるのかしら?」
「え? エリオット、ティアラローズ様と一緒に戻らなかったんですか?」
「――え?」
ティアラローズとフィリーネは、二人で首を傾げる。
てっきり王城に残り、仕事などの処理を進めてくれているものだと思っていたが、そうではなかったのだろうか。
「エリオットは、ティアラローズ様たちを捜しに行ったんです。ですから、ティアラローズ様やアカリ様たちと一緒に帰ってきたものだとばかり……」
「エリオットは、アカリ様たちと一緒ではなかったわよ?」
「あら……」
もしかしたら、まだ山の中でティアラローズたちのことを捜しているのかもしれない。ティアラローズは「いけない! すぐに捜さないと」と扉へ向かい――その前に、キースが姿を見せた。
「わっ、キース! また突然――って、エリオット?」
「エリオット!?」
キースとともに、エリオットまで一緒に現れた。
「無事に帰ってきたみたいだな、ティアラ」
「え、ええ。そういうキースは、なんでエリオットと?」
珍しい組み合わせだと、ティアラローズは思う。
「ああ。お前らを捜すために、俺のところまで来たんだ。思ってた以上に、エリオットは優秀だな」
「あはは、ありがとうございます」
キースの言葉にエリオットは照れながら、「ただいま戻りました」と帰還の言葉を口にする。
「ティアラローズ様が無事でよかったです。アクアスティード様は……?」
「アクアは、エリオットを探して執務室に行ったわ」
「え、すぐに向かいます!!」
「お願いね」
エリオットが慌てて出ていくのを見て、フィリーネは頭を抱える。しっかりしているのか、抜けているのか、判断に困る。
「にしても、ボロボロだな……」
「あー……雷雨にやられてしまって。今からお風呂です」
「風邪でも引くといけないから、早く入ってこい。妖精たち」
キースが指を鳴らすと、『はーい!』と森の妖精が姿を見せた。その手には、花が漬かる液体の入った瓶を持っている。
『お風呂をお花にしちゃうよ~!』
「えっ!?」
森の妖精はきゃらきゃら笑って、一目散にお風呂へ向かって飛んでいく。その速さは、目で追うことができないほどだ。
「森特製の『花風呂』だ。早くゆっくりしてこい」
「お背中をお流ししますね、ティアラローズ様」
「キース、フィリーネ……。ありがとう、ゆっくりつからせてもらうわね」
ティアラローズがお礼を言うと、キースは「おう」と一言だけ返事をし、転移で消えた。ティアラローズが休まるようにと、気を使って帰ったようだ。
「……慌ただしかったわね」
「そうですね。さあ、お風呂に行きましょう。ティアラローズ様」
「ええ」
お風呂に到着するも、すでに妖精の姿はなかった。どうやら、花風呂にしてすぐに帰ってしまったようだ。
ティアラローズがゆっくり休めるようにと、配慮してくれたのだろう。
騎士服を脱いでお風呂場へ足を踏み入れると、花の甘い香りに包まれていた。森の妖精王が花風呂と称するだけあって、目を見張る光景だった。
薄桃色のにごり湯で、ぽこぽこと上がってくる空気の代わりに花が浮かんできては、パッと消える。浴槽の縁には花が咲き、それが底まで根を張らせてお湯を循環させているようだ。
「すごい……」
こんなお風呂、天然の温泉でだって見られるものではないだろう。
お湯に指先を付けると、じんわりした温かさが心地よい。温度は少し低めに設定されているようで、ゆっくり長風呂を楽しむことができそうだ。
入るために早く汚れを落とさなければ! と、ティアラローズは石鹸を手に取った。すると、脱衣室からフィリーネの声が耳に届く。
「お背中を流しますか? ティアラローズ様」
その声に、どうしようかと悩む。
疲れているときはフィリーネにお願いすることもあるけれど、一人でゆっくりするのも大好きなのだ。
「あ……」
ふと視界に入った自分の髪が、思った以上に汚れていることに気付く。泥が跳ねている箇所が所々にあるので、自分一人で完璧に洗うのは難しいかもしれない。
ここはフィリーネに甘えてしまおう。
「髪の汚れがすごいから、お願いしてもいいかしら」
「もちろんです! 頭のてっぺんから足の指の先まで――あ」
「フィリーネ?」
ピカピカに磨いてみせますというフィリーネの意気込みの声が、途絶えた。どうしたのだろうと脱衣室へ続くドアへ視線を向けると、フィリーネではなくアクアスティードが立っていた。
「あ、あくあ?」
「ティアラの髪、私に洗わせて」
そう言い、腰にタオルを一枚巻いたアクアスティードが入ってきた。止める間なんて、一瞬もなかったし、アクアスティードもまだ汚れたままで。
「えっと……はい」
ティアラローズは赤くなりながらも、頷くしかなかった。