9. それぞれにできること
うつらうつらとした意識が、ゆっくりと浮上する。それは、コンコンという小さなノックの音が、叩くようなドンドンという音に変わったからだろうか。
ルカは目を擦り、ぐぐっと伸びをする。どうやら、魔法の研究中にそのまま寝落ちをしてしまったようだ。
洗面スペースで鏡を覗き込むと、頬に衣類の跡がついてしまっている。
急いで顔を洗い、水を飲んで、そういえば来客だったと意識をノックの音へ持っていく。
きっと、このノックの仕方はエレーネだ。
「――お待たせ」
「遅いです、ルカ様! もう、私が扉の前でいったいどれだけ待ったと思っているんですか……」
「ごめん――って、濡れてる。早く入って」
外はまだ土砂降りの雨で、地面はぬかるんでしまっている。エレーネは濡れないように外套を羽織ってはいるけれど、この雨ではあまり意味をなさない。
ルカはタオルを用意して、エレーネの髪を優しく拭いていく。魔法で乾かしてあげれたらよかったのだが、膨大な魔力のせいでそれすらままならない。
エレーネはタオルで拭きながら、「大丈夫ですよ」と微笑む。自分で魔法を使って、濡れた髪をあっという間に乾かしてしまった。
「雨でエレーネが風邪を引いたら大変だろう? 何かあるなら、リオに使いを頼んで」
「それだと、リオ様が風邪を引いてしまいますよ?」
「リオは頑丈だから、大丈夫」
ルカは笑って、常備してあるクッキーを手に取る。朝食を食べに行くのが面倒なときは、これで済ませてしまうことが多い。
しかしそれをすると、いつもエレーネを怒らせてしまう。
「ああもう、朝からクッキーはよくないと何度言えば……」
「楽で好きなんだよね、クッキー。それに美味しいよ? 母様のレシピだし」
「美味しいのは分かっていますし、わたくしもよくおやつにいただいています。って、そうではなく規則正しい生活を……はあ、わたくしがどれだけ注意をしても無駄ですね」
エレーネは小さくため息をついて、机の上に広げられた魔法書や魔法陣の類を見る。
「研究成果はどうですか?」
「んー……あと一欠片、何かが足りないんだ。でも、それがわからなくて……苦戦してる」
王城の裏手にあるこの塔は、ルカが魔法研究に使っている。
自分の魔法を制御したいという一心から始めた研究ではあったけれど、今は純粋に魔法のことが楽しいと思える。
魔法でできることは、無限大だ。
ただ、ちょっと、いや……かなり。ルカの魔力が多すぎて、自由に魔法を使うことができないけれど。
ルカは深く長く息をついて、視線を横にずらして窓の外を見る。
「私とリオの力を使いこなすことができれば……きっと、この空の異常も収めることができるはずだ。父様やクレイルが不在な今、私たちがどうにかしないといけませんからね」
「ルカ様でしたら、きっとできます」
エレーネは微笑んで、「大丈夫ですよ」と空を見る。
「わたくしは知っています。ルカ様も、リオ様も、とてもお強いですから。……まあ、お父様たちが帰って来て下さるのが一番いいのかもしれませんが」
「それは……まあ、そうだね。でも、楽しそうに旅行に出かけているから、きっと無理。たぶん、帰ってくるのはこの問題が片付いた後じゃないかな?」
「まあ……」
優しい両親だけれど、今回の件はいいかえれば息子を成長させる試練にもなる。だからこそ、ルカは睡眠も最低限にし、空の異常をどうにかする方法を考えていた。
ざああと雨が降る音に紛れて、ルカの耳に叫ぶような声が聞こえてきた。
窓から外を見ると、リオが騎士団の指揮を執り戦闘を繰り広げていた。
雷鳴がとどろく中、怒号が響く。
リオは必死に状況を把握し、指示をだしている。
「くそ、またあの鳥だ! 剣だと届かないから、弓を構えろ! 魔法が使える者も、同じように狙って、ほかの者はサポートを!」
「はいっ!」
騎士たちは、各々ができることをこなしていく。
遠距離攻撃で倒された鳥たちは、前衛の騎士たちが回収し片付けていく。同時に、避難ができていない人を安全なところまで誘導する。
しかしこの雨の中では、日ごろから訓練された騎士としても厳しいものがある。体温が奪われて、呼吸も浅くなっていく。
「ああもう、俺にもっと力があれば……!」
リオは地団駄を踏んで、空を仰ぐ。
得意とする武器は剣、弓はルカばかりが上手くリオは不得意だ。しかも、魔力のコントロールが上手くいかないため、魔法を使うこともできない。
使ったとしても、コントロールをミスって大爆発してしまうだろう。
――とはいえ、このままっていうわけにはいかないよな。
鳥の数はどんどん増えていて、まるで雨から生まれているのではないかと思ってしまうほどだ。
「シュティリオ殿下、怪我人が出ています!」
「――っ、すぐに救護班に連絡を! 可能な限り、室内へ連れて行ってくれ」
「ハッ!」
このままでは、押される一方だ。どうにかしてこの場を切り抜けなければ、こちらがどんどん憔悴していってしまう。
リオはどうするべきか考えを巡らせ、王城の裏手にある山へ視線を巡らせる。山頂まで行けば、王城はもとより街全体を見渡すことができる。
「いちかばちか――か」
このままここにいても埒が明かないと、リオは現場の指揮を任せ裏山へと走った。
その様子を窓から見ていたのは、ルカの準備を待っていたエレーネだ。走って行ってしまったリオを見て、慌てふためく。
「ルカ様、リオ様がどこかへ走って行ってしまったんですが!!」
「ああ……」
弓を持ったルカは、エレーネの言葉に苦笑する。なんともリオらしい行動だと、そう思ったからだ。
――でも、一理ある。
「止まない雷雨と強風に、鳥たち。いつまで続くのかわからないことは、精神をひどく消耗させられるからね。リオは、一か八か……殲滅させてやろうと考えたんだと思うよ」
「え……でも、そんな、どうやってですか?」
エレーネの疑問は、もっともだ。リオに、あの鳥を殲滅させる力なんてないのだから。しかし、可能性がゼロというわけでもない。
「私とリオが魔力を制御して、空にぶつければ……たぶん、吹き飛ばせると思うんだよね」
「えっ……」
無茶だと、瞬時にエレーネは叫びたくなった。
「お二人とも、魔法の制御はいつも……爆発するじゃないですか! 無茶です!!」
根性だけでなんとかなるものではないのだろ、エレーネは涙目になる。
しかしルカとて、空をずっとこのままにしておくわけにはいかない。仮に爆発させたとしても、雷雨の中の裏山……被害は最小限にとどめることができるだろう。けれど、成功した際の効果は絶大。
ルカはエレーネの頭にぽんと手を乗せて、「大丈夫だよ」と微笑む。
「私はリオと違って、勝率がない賭けはしないんです」
「それは、ええと、勝率があるということですか?」
「――はい。それに、ちょっとした保険もあります」
「保険、ですか」
それはいったいなんですかと、エレーネが不思議そうに首を傾げる。騎士団の配置だろうかとも考えたけれど、今は全員が空の対処に追われている。
もしくは妖精王に救援を求めている? けれど、その気配もない。
「イレギュラーな存在が、いるじゃないですか」
「あ――、アクアスティード陛下とティアラローズ様たちですか?」
「正解」
ルカはよくできましたと、エレーネを褒める。
「もし私とリオに何かあっても、あの二人がいれば安心じゃないですか」
「いやいやいやいや、何を言っているんですかルカ様!! それってルカ様とリオ様に何かあったっていう前提の話ではないですか!!」
それでは駄目ですと、エレーネが声を荒らげる。
しかし、ルカとしてはそれくらいしか現時点での解決策はないし、魔法に関する計算などもしたけれど、それが一番確率的には高い。
「ということで、ちょっと行ってきますね。エレーネはここで留守番をしていてください」
「え、ちょ、待ってくださいルカ様」
ルカは外套のフードをかぶって、にこりと微笑み――窓からひらりと身を投げた。塔の二階部分から軽やかに着地したルカは、一直線に裏の山を目指す。
リオの居場所は、対になっているブレスレットが反応し、ある程度の場所はこちらで把握することができる。
一人で先走らず、ちゃんと待っていてくれたらいいのだが……。ルカはそう思いながら、急いで山頂へ向かった。
***
「アクア、外が大変なことになっています!」
「あの鳥がまた来たのか」
森に行くのは雨が止むまで無理そうだ、なんて。そんな悠長なことを考えている余裕はなかったのかもしれない。
アクアスティードも難しい顔をし、騎士たちを襲っている鳥を見る。こちらからでは対空中戦になるので、苦戦を強いられているようだ。騎士たちが善戦しているが、いつまで持つかはわからない。
「さすがに、これを見過ごすわけにはいかないな……。魔法を使えば、鳥を倒すのもそう難しくはないはずだ」
そう言うと、アクアスティードは壁に立てかけて置いた愛剣を手に取り腰へ付ける。外套もあったらよかったが、ない物ねだりをしても仕方がない。
加勢に行くのだと理解したティアラローズは、わずかに表情をゆがめる。行ってほしくないと言いたいけれど、状況を考えたらそれも口にできない。
――きっと、少しでも助けがほしいはずだもの。
空を飛ぶ鳥たちは、前に見たときよりも数が多い。どんどん、状況が悪化しているということはティアラローズにもわかる。
アクアスティードは、ティアラローズの頭を優しく撫でる。
「ティアラ、私は大丈夫だよ。安心して、ここで待っていてほしい。不安なら、エレーネを呼んで側にいてもらえばいい」
「アクア……。でも、わたくしだけ待っているなんて、そんなの……」
一緒に行ったら足手まといであることは理解しているし、お腹には新しい命も宿っている。理性では部屋で待機するしかないと結論が出ているが、自分も何かしたいのだという気持ちも大きい。
ティアラローズは胸の前で手を組んで、祈るようにアクアスティードへ視線を向ける。
――送り出す言葉を、伝えなければ。
伝えなければいけないのに、「一緒に連れて行って」と言ってしまいそうだ。そんなの、アクアスティードを困らせるだけなのに。
ティアラローズは力なく笑って、肩の力を抜く。
「アクア。わたくしは、アクアを信じて――」
待っていますと、そう言葉を続けようとしたその瞬間。ティアラローズの左手の薬指につけている二つの指輪のうち、『星空の王の指輪』が光を放った。