6. 優しい腕の中
ティアラローズがこの場所のことを聞こうとしたとき、部屋にノックの音と「お客様です」というメイドの声。
「……? 特に来客の予定はなかったはずですけど」
ルカは不思議そうに首を傾げつつ、席を立った。
ティアラローズは紅茶を飲み、大人しく席で待つ。ルカたちにいろいろ聞こうと思っていたけれど、よくよく考えれば二人にも予定があるわけで……忙しいかもしれない。
――いえ、間違いなく忙しいはずだわ。
すぐに時間を取ってもらうのが難しければ、ひとまずアクアスティードを捜しに行って、そのあとまた戻ってこよう。
ティアラローズがそんなことを考えていると、ふいに耳に――自分を呼ぶ愛しい声が届いた。毎日聞いていた、耳に馴染むその声。
「よかった、ティアラ。無事で……」
「――っ、アクア!」
ティアラローズは慌ててソファから立ち上がり、アクアスティードの下へと駆け寄る。
一緒にいたはずなのにはぐれてしまい、ずっと不安だった。
元気そうな様子に安心して、ティアラローズは体の力が抜けたのを感じる。すると、アクアスティードが優しく抱きとめてくれた。
「あ……っ」
「っと、大丈夫?」
「……はい。アクアに会えたら、安心して気が抜けてしまったみたいです」
恥ずかしいですねと、ティアラローズが苦笑する。けれど、アクアスティードからしてみれば、そんなのは可愛らしいだけだ。
「よかった、アクアが無事で」
二人して、ほっと胸を撫でおろす。
「それで……これはいったいどういうこと?」
「あ……っ、そうでした。わたくしったら、みんなの前で……っ!」
一気に羞恥心が込み上げてきて、ティアラローズは赤くなった頬を両手で隠す。
「……新しく紅茶を用意いたしますから、落ち着きましょう」
エレーネの言葉に、ティアラローズは必死に頷いた。
「突然の訪問で申し訳ない。私はアクアスティード、ティアラローズの夫です。妻を助けていただき、ありがとうございます」
「いえ、当然のことをしたまでですから。私はルカです」
「俺は双子の弟の、リオです」
「エレーネと申します」
全員が席に着いて、簡単に自己紹介を行った。
次に、ティアラローズの現状をアクアスティードに伝えた。森で倒れているところを、ルカとリオに助けてもらったということだ。
もちろん、医者に診てもらい母子ともに問題ないことも。
次に、空に起きている異変。
これはルカとリオも把握できていることがほとんどないので、どういった現象が起きているかをルカから説明をしてもらった。
「確かに、あんな空も、鳥も、初めて見た」
アクアスティードもここへ来る途中で、空を見たと話してくれた。しかし、その原因はまったくわからないと首を振る。
「天候に関してなら空の妖精王に何かあったのかと思うけれど、さすがに鳥の出現は……聞いたこともない」
お手上げ状態のようだ。
それは、ルカたちも同じで。
「いろいろな文献を読みましたが、同じような事例はありませんでした。今も必死で調べてはいますが、なかなか……」
ルカは力なく首を振り、襲ってくる鳥を倒すしかできないのだと告げる。
全員がどうすべきか答えを出せずに、しばし沈黙が流れ……エレーネが申し訳なさそうに口を開いた。
「確か、ルカ様とリオ様は予定があったはずです。ティアラローズ様とアクアスティード様もお疲れでしょうし、とりあえず今はお開きにしてはいかがですか?」
「あ――そういえば、そうでしたね」
すっかり忘れていたと、ルカは苦笑する。その横では、リオが面倒くさそうな顔をしている。
「私たちの予定はまあいいとしても、あなたはもう少し休んだ方がいいですね。エレーネ、二人にゲストルームの用意をお願いします」
「はい」
ルカの指示に従って、エレーネが一度席を外した。
「か――ええと、ティアラローズ様はとりあえず健康第一で休んでください。何かあれば、声をかけてもらえたらすぐ行くので」
「ありがとうございます。ルカとリオには、お世話になりっぱなしね」
ティアラローズが申し訳なさそうにすると、リオはぶんぶんと首を振る。
「全然! これくらい、大丈夫。というか、空のことでいろいろ不安にさせてしまってると思うけど……俺たちで解決してみせるから、大丈夫」
「頼もしいのね」
ぐっと拳を握って宣言するリオに、ティアラローズは微笑む。
アクアスティードもルカとリオを見て、「強いんだな」と笑顔を見せる。
「私で力になれることがあれば協力するから、いつでも声をかけてくれ」
「はい、ありがとうございます!」
すると、ちょうどタイミングよくエレーネが戻って来た。
ティアラローズとアクアスティードはゲストルームに案内をしてもらい、ルカとリオは用事があるからこの場を後にした。
***
エレーネに案内してもらったゲストルームに到着すると、ティアラローズは大きく深呼吸をした。
さすがに、いろいろなことがあって体に力が入りすぎていたようだ。
用意してもらったゲストルームは、水色を基調とした落ち着いた部屋だった。
可愛らしい猫足の調度品に、壁には花の絵画。大きな窓の外はバルコニーになっていて、街を一望することができる。
続く隣の部屋は寝室になっていて、すぐ横になることもできる。
「ティアラ」
「アクア……? あっ、」
名前を呼ばれると、振り向きざまにぎゅっと抱きしめられた。
「さすがに、さっきは人が多かったからね」
「アクアったら……。でも、わたくしも……」
ティアラローズもアクアスティードの背中に手を回して、ぎゅっと抱きつく。会えなかったのはちょっとの間だけだったのに、こんなにも安心する。
アクアスティードの胸にぐりぐり顔をこすりつけ、ティアラローズは何度も「よかった」と口にする。
「二人で夏祭りの星を見ていただけだったのに、突然離れ離れになってしまって……どうなることかと思いました」
無事に会えてよかったと、ティアラローズは微笑む。
「さすがに、私も驚いたよ。目が覚めたらティアラがいなくて……気絶した自分の不甲斐なさがどうしようもない。ちゃんと助けてあげられなくて、ごめん……」
「そんな……。あれは、どうしようもありませんでした。それに、アクアはわたくしを捜してここへきてくださいましたし」
とても驚いたのだと、ティアラローズは苦笑する。
「わたくしもあのとき、アクアを捜しに行こうとしていたんです」
「ティアラが? それは嬉しいけど……できれば待っていて。そうしたら、どこにいても必ず私が見つけ出すから」
「――!」
アクアスティードの言葉に、ティアラローズは頬を染める。
まるで、王子様に助けてもらうお姫様みたいだ――と。
――って、アクアは本当に王子様だものね。
けれど、ティアラローズだってアクアスティードのことが心配なのだ。捜しに行くくらい、いいのではないか……と、思ってしまう。
ティアラローズが顔を上げてちらりとアクアスティードを見ると、「ん?」ととびきり優しい顔で微笑まれる。
こんなの、嫌ですなんて言えるわけがない。
「……どこにいても、アクアのことを信じて待っています」
「うん」
ティアラローズの言葉を聞き、アクアスティードは目を細める。そのまま頭を撫でられて、頬に触れられる。
アクアスティードの手の温もりが心地よくて、ティアラローズも自然と目を細めて……そのままアクアスティードの口づけを受け止める。
「ん……」
軽く触れるだけの優しいキスだけれど、体中が満たされる。けれど、もっとほしくなってしまって……。ティアラローズは、「アクア」と名前を呼ぶ。
すると、いたずらっ子のような笑顔が返ってきた。
「どうしたの、ティアラ?」
「う……アクア、それはずるいです。……わかっているくせに」
「そうだね、ごめん」
アクアスティードは簡単な謝罪の言葉を口にして、もう一度ティアラローズに口づける。今度はその唇を堪能するように、もっと深く。
ティアラローズから甘い吐息がこぼれるのを合図に、アクアスティードはその体を横抱きにする。
「――! っ、アクア?」
「母子ともに健康とは言われたけど、疲れは溜まっているだろうからね。お言葉に甘えて、少し休ませてもらおう?」
「あ……」
アクアスティードの足が寝室に向けられたのを見て、ティアラローズは頷く。確かに、ずっと気を張っていたこともあり、今は少しだけ眠くもある。
「ティアラが寝ている間、ずっと抱きしめててあげる」
だから安心していいと、鼻先にキスをされた。
二人でベッドに寝転ろぶと、ティアラローズからアクアスティードにぎゅっと抱きついた。
「落ち着く?」
「……はい。その、ずっと……というか今もですが、ここがどこだかわからなくて……。どうにも、落ち着かなかったんです」
今も不思議な感じはあるままだけれど、アクアスティードが傍にいてくれるだけでだいぶ違うものだ。
すぐに睡魔がくることもなかったので、ティアラローズは思ったことを口にする。
「ここ……わたくしたちが暮らしている王城……だと思うのですが、何かがおかしいんです」
自分が見知った建物と、風景、けれど拭えない違和感がある。それから、生活している人々がティアラローズの知らない人ばかり。
ティアラローズの言葉に、アクアスティードは苦笑する。実は、ここがどういう場所か薄々気づいているからだ。
「そうだね……。私はここじゃない場所で目が覚めたけれど、やっぱりティアラと同じように思ったよ」
「アクアも?」
「うん。この場所についてはもちろんだけど、それより空の異変が気になるね」
「……はい。クレイル様なら、何か知っているでしょうか?」
空の異変で真っ先に思い浮かべるのは、空の妖精王クレイルだ。
けれど、ティアラローズはクレイルから祝福をもらっていないため、彼とコンタクトを取ることが難しい。
アクアスティードであればクレイルの祝福を得ているので、確認することができるだろう。そうすれば、解決に近づけるかもしれない。
ティアラローズの言葉に、アクアスティードは「そうだね」と頷いた。
「ただ……どうにも、クレイルはこの周囲にいないみたいだ」
「え、クレイル様が……?」
「その辺も、何か関係しているのかもしれないね」
なかなか難しい問題が山積みだと、アクアスティードは苦笑する。
「ひとまず、私たちに危険はない。ティアラは森の中で倒れていたところを、ルカとリオに助けてもらったんだろう? もう少し、ゆっくり休んで」
お腹の赤ちゃんにもよくないから、と。
「……はい」
アクアスティードに頭を撫でられて、ティアラローズは体から力を抜く。話をしていて目がさえてしまったかと思ったけれど、そんなことはなかったようだ。
ティアラローズが素直に瞳を閉じると、アクアスティードが頭を撫でてくれた。そして聞こえてくるのは、落ち着いたテノールボイスの子守歌。
――アクアの、子守歌だ。
気づくと、アクアスティードの腕の中でぐっすり眠ってしまった。