9. シルフとノーム
『は~、キース様って本当に格好いい……。そんなキース様に愛されているなんて、ルチアローズ様が羨ましいなぁ』
うっとりした様子で、シルフはエメラルドの部屋の窓から景色を眺める。部屋の主は、まだ夢の中だ。
普段の表情も、怒ったときも、不機嫌そうでも、全部格好良かったのだが……やっぱり一番は、ルチアローズに見せた優しい笑顔。
自分もあんな顔を向けられたいと、シルフは思ってしまう。
『あ、でも……ルチアローズ様を連れ戻したんだから、もうマリンフォレストに帰っちゃうのよね』
それは寂しいなと、シルフは落ち込む。
『……私もマリンフォレストについていっちゃうとか?』
それはなかなかの名案ではないだろうか、なんてシルフはにやりと笑う。長く生きている間に、そんな一時があっても楽しい。
『フィラルシアの風はすごく心地いいんだけどね。マリンフォレストは、どんな風が吹いているのかしら』
考えると、ドキドキと胸が弾むのがわかる。
ああ、どうしよう。
本当にフィラルシアから出て、マリンフォレストに行ってしまおうか。考えるほど、シルフの胸の高鳴りは、早くなる。
しかし次の瞬間、静かな声にその思考はかき消された。
『……シルフ』
背後から聞こえたその声に、シルフは目を見開いてすぐに振り向いた。
『ノーム!! あなた、自分が何をしたかわかってるの!?』
『うぅ……っ』
突然現れたノームは、シルフの迫力に一歩後ずさる。
そして手をもじもじさせながら、『仕方ないんだ』と言い訳を口にした。
『あの子の力がないと、炎霊の火が消えちゃうんだ……』
『だからって、していいことといけないことがあるじゃない』
『……大丈夫だよ、終わったらすぐに返すから』
ノームの返事に、シルフは盛大なため息をつく。
そういう問題ではないだろう、と。
『引きこもりのくせに……あ』
『……?』
シルフはノームの前に歩いていき、その髪に付いた葉をとる。
『はっぱがついてたわよ。まったく、こんなことにも気付かないなんて……駄目ね』
取った葉っぱをくるりと回して、窓の外へと捨てる。風に舞って、葉はどこかへ飛んで行ってしまった。
『あ、ありがとう……』
『どういたしまして』
『……やっぱり、ボクはシルフがいないと駄目だなぁ』
そう言って、ノームはへらりと笑う。
『エルリィ王国のことだって、シルフがいなかったら……今頃きっとなくなってた。シルフがフィラルシア王国との間に入ってくれたから、食料を手に入れることが出来る。シルフはすごい……!』
自分は土の精霊という立場で、ドワーフという国民がいながら……シルフの助けがなければ何もできないとノームは言う。
『あんたねぇ……』
そんなにうじうじ言っているんじゃない、シルフがそう口にしようとする前に――ノームが爆弾発言をした。
『だからね、シルフ……ルチアローズと魔力を共鳴してほしいんだ!』
『はあぁぁ!?』
ノームのとんでもないお願いに、シルフは開いた口が塞がらない。今の状態のルチアローズと魔力共鳴なんてしたら、暴走してしまう。
それをわかっていて言っているのかと、シルフはノームを睨みつける。
『そんなこと、出来るわけないでしょ!』
『ボクにはどうしてもルチアローズの火の魔力が必要なんだ』
『……暴走した魔力で、炎霊の火を強めるっていうこと? 馬鹿なことを言わないでちょうだい』
話を聞くまでもなく却下だと、シルフは切り捨てた。
「いい判断だ」
『――キース様!』
風が吹いて、キースが部屋の中に転移して現れた。
クレイルとの話を切り上げたのは、場内に土の魔力を感じたから。そして、居場所を見つけてやってきたというわけだ。
キースはノームを冷めた目で見つめる。
「やっと会えたな。うちのお姫様を攫うとは、いい度胸じゃねえか。なあ、ノーム?」
『――っ!!』
『キース様!』
突然現れたキースに驚き、ノームは後ずさる。
『だ、誰だ……っ! ま、まさか……ルチアローズの父親!?』
「まあ、似たようなもんだ」
自分が祝福を贈るティアラローズとアクアスティードの娘なのだから、自分の娘も同然だ。
『うぅ……こっそりシルフとだけ会うつもりだったのに』
まさか、ルチアローズの保護者に遭遇してしまうなんてついてない。そしてノームが下がった結果、部屋の壁に背中が当たる。
これでもう、キースから距離をとることは出来ない。キースの隣にいるシルフも怒っている様子で、助け船は出してくれないだろう。
「ルチアに手を出して、許されると思うなよ」
キースがノームとの距離を詰めると、「何事ですの?」と、扉が開いた。
「――!」
ノームが背を預けていた横の扉が、エメラルドが寝ている寝室に続く扉だったのだ。なんともタイミングの悪いと、キースは舌打ちする。
「えっと、これはどういうことですの?」
なぜか自分の部屋で繰り広げられている修羅場のようなものに、エメラルドは困惑する。しかも、そのうちの一人は会ったことすらないノームだ。
どうしようかと全員が考えるよりも早く動いたのは、ノーム。
『鉱石の牢獄!』
「きゃああぁっ」
ノームが魔法を使い、エメラルドを鉱石の檻の中へと閉じ込めてしまった。まさかそんな強硬手段に出るとは思わず、シルフは目を見開いた。
『ノーム、悪ふざけはやめて!! エメラルドを放して!!』
『嫌だ! シルフがルチアローズと魔力共鳴をしたら、解放する』
『何を……』
とんでもない交換条件に、シルフは手を握りしめる。
「……ふざけたことを言ってくれる。どいてろ、シルフ」
『キース様……』
「ノーム、今すぐそいつを解放しろ」
抑揚のないキースの声に、場の空気が重くなる。ピリピリと張りつめ、シルフは体が動かなくなるのを感じた。
ああ、本当に怒っているのだ――と。
キースはゆっくりノームの前へ行き、扇を使って攻撃魔法を使う。その衝撃でノームが吹き飛び、壁が壊れるが――鉱石の牢獄には、傷一つ付いていない。
「俺の攻撃でびくともしないのか」
さすがは防御魔法に優れているだけあるなと、キースは思う。
次の手を考えようかと思ったが、それより先に騒ぎを聞きつけた騎士たちがやってきてしまった。
「エメラルド様!?」
「いったいどういうことだ!?」
騎士たちは室内を見て、すぐに剣を構える。
エメラルドは檻の中で気絶してしまったようで、意識がない。しかし騎士たちはシルフとノームとは面識がないので、シルフに彼らをどうにかする力もない。
騎士たちがわかるのは、来賓であるキースくらいだろう。
『うぅ……シルフ、ボクのお願いを聞くまで……この子は預かっておくから』
ノームはよろよろと立ち上がり、鉱石の牢獄ごと地面の中に溶け込むように掻き消えた。
***
キースから一連の話を聞き、ティアラローズは頭を抱えていた。それは隣にいるアクアスティードも同様で、どうしたものかと考え込む。
「……シルフ様がルチアと共鳴しないと、ノームはエメラルド様を解放しない……ということか」
「そういうことだな」
エメラルドがこの場にいないということは、かなり深刻な問題になってくる。なぜなら、精霊シルフの存在をしっている王族がエメラルドだけだったからだ。
国王はシルフや精霊たちはお伽噺だと思っているため、説明を行うのに苦労した。
ティアラローズたちは全員一緒にいるが、シルフは別室で軟禁というかたちになっている。
「エメラルド姫は助けなければいけないけど、ルチアを危険な目に合わせることは出来ないわ。何か、何かいい方法があればいいのだけど……」
「手っ取り早いのは、根本の原因解決か」
「消えかかっている、炎霊の火ですか?」
「ああ」
ティアラローズの言葉に、アクアスティードが解決策をあげるが……それもなかなか難しい。
ノームが解決策として考えたのがルチアローズの魔力なので、それよりもいい方法がそう簡単に思いつくとは思えない。
全員でうぅーんと悩むと、キースが「とりあえず」と口を開く。
「ティアラは先にマリンフォレストに帰れ。それか……ラピスラズリでも安全か。ここにいるよりはいいだろう」
「確かに、その方がいいね。この問題を放置しておいて、またルチアが狙われたら……」
キースの提案に、すぐアクアスティードが同意する。
「で、ですが……わたくしだけ先に帰るなんて」
ティアラローズが心配――そう口にしようとしたら、アクアスティードの人差し指が唇に触れた。
「気持ちはわかるけど、駄目だよ。今はルチアの安全が最優先だ」
「あ……」
アクアスティードの言葉に、ハッとする。
ノームに連れ攫われてしまったエメラルドのこと、シルフの様子、ドワーフたちの未来と……心配なことが多すぎるけれど……守らなければいけない、一番小さな命を。
「ティアラ、ここは私に任せて一足先に戻ってくれるね?」
「わかりました。ルチアのことは、わたくしが必ず守ります」
「頼もしいな」
アクアスティードは微笑んで、ティアラローズのことをぎゅっと抱きしめる。
「それじゃあ、この後の段取りを決めよう。私はここに残り、ノームとの件を片付ける。タルモは引き続きティアラの護衛。エリオットは私の補佐として残り――」
しかしそこで、アクアスティードは口を噤む。
エリオットは自分の補佐にし、キースをティアラローズと一緒にと考えていたのだが……キースの顔にノームは絶対に許さないと書かれていた。
これは、ティアラローズと先に戻ってくれと言っても頷かないだろう。
アクアスティードは仕方がないと、作戦を変更する。
「タルモ、エリオットの二人はティアラと一緒にラピスラズリで待っていてくれ。ただ、ノームの力は未知数だ。アカリ嬢に連絡を取って、私が戻るまで一緒にいるようにしてくれるか?」
「確かに、アカリ様がいたら心強いですね。お父様に連絡を取って、実家でアクアを待っています」
「ああ。すぐに追いつくから、安心して待っていて」
「はい」
ラピスラズリの実家に到着するころには、フィリーネとも合流することが出来るだろう。タイミングがいい。
「……アクアスティード様の代わりに、ティアラローズ様は必ずお守りします」
「護衛騎士として、指一本触れさせません」
エリオットとタルモもアクアスティードの結論に頷き、すぐに了承してくれた。
ティアラローズサイドは、これで問題なさそうだ。
「さて、肝心のノームに関することだが……これは私とキースの二人で対応する。問題ないな?」
「ああ、もちろん。俺たちの姫を攫ったんだ、それ相応の報いを受けてもらわないとな」
にやりと笑うキースを見て、ティアラローズはひえっと息を呑む。
ルチアローズを攫ったノームのことを許せるわけではないけれど、この二人が相手ということを考えると……ほんの少しだけ同情してしまった。