3. 消えた姫
ティアラローズがフィラルシアとの交流を手紙で進め、数か月。
フィラルシアの王女からは歓迎する旨の返事があったので、今は訪問する日程調整をしている。
ティアラローズはルチアローズを連れて、庭園へとやってきた。
フィリーネと、護衛にタルモと数人の騎士も控えている。
「フィラルシアへの訪問日も無事に決まりそうで、よかったですね」
フィリーネが紅茶を淹れながら、フィラルシアの話題を振る。
「ええ。あとはシルフ様の情報があればいいのだけど……上手く探りを入れられるか心配だわ」
まさか、フィラルシアの王族に風の精霊はいますか? と、直球で聞くわけにもいかない。
「どうにかして、手掛かりを見つけられるよう頑張るしかないわね」
「わたくしもお力になります、ティアラローズ様」
「ありがとう、フィリーネ」
ティアラローズとフィリーネは二人で顔を見合わせて笑い、芝生の上で遊んでいるルチアローズを見る。
――絶対に、ルチアローズを危険な目にあわせたりはしないわ。
母親として、なんとしても我が子を守る。
「あぅ~?」
「ああっ、ルチア、あまり遠くにはいかないでちょうだい」
芝生の上を楽しそうにはいはいしている姿は可愛いけれど、芝生の外へ行ってしまったら石なども落ちているため怪我をしてしまうかもしれない。
「ルチアローズ様は好奇心旺盛ですね。わたくしが抱っこして連れてきます」
フィリーネがルチアローズの名前を呼びながら、「こっちですよ~」と手を伸ばしながら近づいていく。
ルチアローズはフィリーネを見ると、すぐに花がほころぶような笑顔を見せ同じように手を伸ばした。
「きゃう~」
「ああっ、可愛いですルチアローズ様っ!!」
愛らしいルチアローズに、フィリーネはメロメロだ。
すぐにしゃがみ込んでルチアローズを抱き上げようとして――したのだが、その手が宙を掴んだ。
「あう?」
「――っ!?」
瞬間、その場にいた全員が目を見開いた。
ルチアローズが、いきなり地面に空いた穴の中に落ちてしまったからだ。突然のことで、誰もが思考が追い付かない。
「ルチア!?」
ティアラローズが声を荒らげるのと同時に、タルモが走る。
「すぐ陛下に報告し、医師の手配を!」
タルモは騎士に指示を出し、ルチアローズが落ちた穴へ手を伸ばす。しかし、タルモの手はルチアローズに触れることなく穴の中で宙を掴む。
「どういうことだ……!?」
空いた穴はそれほど大きくなく、ルチアローズがすっぽりはいるくらいの大きさだ。そのためタルモが腕を入れたのだが――ルチアローズに触れることさえ叶わない。
意味がわからないと、タルモは唇をかみしめる。
「ルチアは、ルチアは無事なの!?」
ティアラローズが穴までやってきて、その中を覗き込むと――なんとも不可解なことが起こった。
ルチアローズの落ちた穴が、どんどんふさがり始めた。ルチアローズを飲み込んだまま、穴がその姿を消そうとしている。
「穴が……っ! どうなっているの!?」
「ティアラローズ様、危険です! 離れてください!!」
「嫌よ! ルチアが、ルチアがこの中にいるのよ!!」
どうして母親の自分が、安全な場所へ逃げることができようか。
「いや、いやよ……ルチア!!」
「ティアラローズ様、今は、今は騎士にお任せください……っ!」
悲鳴のような声を響かせ、ティアラローズは必死に地面に手をかける。自分の手が土と砂でボロボロになることも構わずに。
フィリーネの騎士に任せるようにという声も、届かない。
ティアラローズが声を荒らげるが、理由がわかるものはいない。全員が戸惑いながらも、ふさがっていく地面を掘り返すことしかできない。
「ルチア――」
「落ち着け、ティアラ」
「……っ、キー……ス?」
必死に穴を掘るティアラローズの手を、転移で現れたキースが掴む。その表情は真剣で、いつもの様子と違うことがわかる。
「下がってろ」
キースは一言だけ告げ、地面に手を置く。
「マリンフォレスト全土の樹木よ、その根を使いこの国の姫を探し出せ!!」
その言葉に、草花が、木々が、大地が揺れ――応えた。
森を統べる妖精の王が、その怒りを顕わにしていることがわかる。
ティアラローズは涙がこぼれそうになるのを必死でこらえ、キースを見つめるが……キースは舌打ちをしてから立ち上がった。
「クソ、逃げられた。……土の精霊の仕業だな」
キースはティアラローズの手を取り、立ち上がらせる。
見ると地面の穴は綺麗に塞がれていて、まるで何事もなかったかのようになっている。ルチアローズが地面の中にいるかもしれないなんて、信じられない。
ティアラローズはよろめきながらも、その理由をキースへ問いかける。
「土の精霊が……? どうして、ルチアを……」
「俺にも、理由まではわからない。……が、何が理由であれ許すつもりなんてねえよ。そうだろう? アクア」
キースが呼びかけた方を見ると、アクアスティードがこちらに向かってきているところだった。
すぐそばに空の妖精がいるので、何があったかは教えてもらっているのだろう。その表情からは、怒りの色が見える。
「――当然だ」
ティアラローズの下へアクアスティードがやってきて、優しく抱きしめてくれた。すると、ティアラローズの瞳からぽろぽろ涙がこぼれ落ちる。
「アクア、アクア……っ、ルチアが……!」
我慢していたけれど、アクアスティードを見たら安心して涙があふれ出てしまった。ルチアローズのことが、心配で不安で、どうしようもない。
アクアスティードはティアラローズを優しく撫でて、落ち着かせる。
「私が守ると言っておきながら、まさかこんな事態になるなんて……ごめん、ティアラ」
「……っ、いいえ。アクアが謝ることではありません」
ティアラローズはアクアスティードにぎゅっとしがみついて、首を振る。むしろ、ついていながら何も出来なかったのは自分なのに。
責めるどころか、安心させるように抱きしめてくれる。
「たとえ相手が精霊でも、ルチアを攫ったことは許せない。絶対に助ける」
「……はい、はい! わたくしも、ルチアのためにできることならなんでもします……っ!」
ティアラローズは泣いている場合ではないと、涙をぬぐう。
「キース、ルチアがどこへ連れ去られたかは……」
「残念だが、俺にわかるのはマリンフォレスト内だけだ」
「そんな……」
わずかな希望がなくなった――そう思ったが、「まあ待て」とキースはある方向を指さした。
「場所の特定までは出来ないが、ルチアの気配はマリンフォレストからラピスラズリへ入った」
「だとしたら、ラピスラズリか……ちょうど話をしていたフィラルシアあたりにノームがいると考えてよさそうだ」
キースの言葉に、転移して現れたクレイルが続く。
「土の中を通って進む魔法だけど、さすがに国を何個も越えるほどの距離は無理だ。ましてや、人を連れているんだから」
つまり、ノームがいる場所は、ラピスラズリ王国か、フィラルシア王国……もしくはその周辺ということになる。
「すぐ向かいましょう! 早くしないと、もしルチアに何か――っ」
「落ち着いて、ティアラ」
「アクア……っ」
急いで準備しようとするティアラローズを、アクアスティードが止める。
――早く、早く助けに行きたいのに!
どうして? という気持ちが、ティアラローズの中で大きくなる。しかしそれは、アクアスティードの瞳を見て一瞬で掻き消えた。
必死に自分の感情を抑えているその金色の瞳に、ティアラローズは言葉を失う。
最善の策を選び、ルチアローズを助け出す。そんなことを考え、思っている瞳だ。
――アクアは絶対に助けるって言ってくれたもの。
一時の感情に振り回され、ルチアローズを助ける前に力尽きてしまったら元も子もない。
ティアラローズは深呼吸をして、自分の心を落ち着かせる。
「フィリーネ、お父様とアカリ様に手紙を書くから準備をしてちょうだい。エリオット、魔法で手紙を届けることはできる?」
「すぐにご用意いたします!」
「もちろんです」
ティアラローズが指示を出すと、二人はすぐに頷いてくれた。戸惑い泣いていたフィリーネは、涙を拭いすぐ準備に走りだす。
「タルモ、ここは私が持つからすぐに馬の状態を確認してきてくれ。それから、乗り換えもできるように手配しておいてくれ」
「すぐに!」
アクアスティードが出した指示を聞き、ティアラローズは馬車ではなく騎乗で向かうということに気付く。
その方が圧倒的に速いし、何かあった際の小回りも利く。
「私は馬で先に向かう。ティアラは馬車で――」
「わたくしも馬に乗れます! お願いアクア、わたくしも一緒にいかせて」
「ティアラ……わかった。でも、かなり大変だから、無理だと思ったらすぐに言うこと。いいね?」
「はいっ!」
普段は馬車で移動することがほとんどだが、ティアラローズも馬に乗ることは出来る。練習をしておいてよかったと、これほど安堵したのは初めてだ。
「俺も行くぞ」
「キース!?」
「ノームはルチアを攫ったんだ。容赦しねえ」
静かに怒るアクアスティードとは違い、キースはその感情を隠そうとしない。いっそ、ノームが心配になってしまうくらいに。
しかし同時に、とても頼もしくも思う。
「クレイル、俺がいない間は頼んだぞ」
「……まったく。わかった、マリンフォレストのことは心配せずに行ってくるといい」
「ああ」
何かあるといつもキースで、自分は留守番ばかりだとクレイルは苦笑する。
すると、レターセットを持ったフィリーネが急いで戻ってきた。
「ティアラローズ様、手紙の準備が出来ました!」
「ありがとう、フィリーネ!」
すぐさまアカリと父に手紙を書いて、エリオットの魔法でラピスラズリの二人の下へ送ってもらう。
手紙には、精霊ノームにルチアローズが連れ去られたのでフィラルシア王国へ行く旨。そして、何か情報があれば教えてほしいということ。
あわせて、地下に続く洞窟や場所も調べてほしいとお願いした。
「ひとまず……今、わたくしにできることはこれくらいね。どうにかして、ノームの情報を得ることができたらいいのだけれど……」
ティアラローズはぐっと手を握りしめ、自分の気持ちを静める。そうでなければ、すぐにでも走り出してしまいそうだった。