6. ウェディングケーキ
フィリーネの結婚式の準備も順調に進み、式まであと少し……というところで、彼女の弟のアランがラピスラズリ王国から家族よりも一足先にやって来た。
「アラン! よく来ましたね。道中は問題ありませんでしたか?」
「はい。とても快適な馬車の旅でしたよ」
笑顔で答えたのは、フィリーネの弟のアラン・サンフィスト。
黄緑色の髪はフィリーネと一緒で、面持ちも優し気だ。六人兄弟の長男で、年はフィリーネより五歳下の十六歳。
ティアラローズとエリオットに出資をしてもらって、ラピスラズリで庶民向けのスイーツ店を経営している。業績は右肩上がりで、好調だ。
フィリーネが紅茶を用意し終わると、ちょうどティアラローズとアクアスティードがやってきた。
「アクアスティード陛下、ティアラローズ様、ご無沙汰しております」
「よくきたね、アラン。ゆっくり滞在していってくれ」
「いらっしゃい。会えるのを楽しみにしていたわ」
本当ならば、先の帰省時に会う予定だったのだが……ティアラローズの妊娠が発覚したり、赤ちゃんの魔力が大きすぎるという問題を解決したりと、忙しくて時間を取ることができなかったのだ。
本当なら、スイーツ店の打ち合わせだってしたかったというのに。新作のレシピなどをフィリーネ経由で渡すことしか出来なかった。
「スイーツ店のこと、今までゆっくり話をする時間が出来なくてごめんなさいね」
「いえ、ティアラローズ様のお体が一番大事ですから。早く元気な赤ちゃんが生まれるのを楽しみにしています」
「ありがとう」
挨拶をして席に着いて、久しぶりの会話を楽しむ。
フィリーネも実家に帰省することはほとんどないので、こうしてアランと会えるのが楽しそうだ。
弟や妹たちの話を聞いて、フィリーネも嬉しそうにしている。
アランは一通り家のことを話し終えると、「実は」とフィリーネを見た。
「アラン?」
「……その、フィリーネ姉様にお願いがあって」
「わたくしにですか?」
いつになく真剣な様子のアランに、フィリーネは心配そうな瞳を向ける。楽しく話してくれてはいたけれど、もしかしたら家で何かトラブルがあったのかもしれない。
フィリーネが頷いたのを見て、アランは続きを口にする。
「結婚式のウェディングケーキ、私に作らせていただけませんか?」
「え?」
深刻な内容かと思っていたフィリーネは、口を開けてぽかんとする。
「ティアラローズ様とエリオットさんに出資していただいた私のお菓子ブランド……『フラワーシュガー』で作らせてほしいんです!!」
「ケーキ、ですか……」
この世界では聖堂で結婚式を挙げるというのが一般的で、ウェディングケーキを作るということはない。
そのため、フィリーネはなぜケーキを? と、不思議に思ったようだ。
「ラピスラズリでは、結婚式にウェディングケーキを食べるというのが流行っているんですよ。お菓子事業部で結婚式は特別なケーキを……って豪華なケーキの告知が大成功しまして」
「それくらいなら構わないけれど……」
アランとしても、自分がこうして立派に事業を行っているということを、フィリーネに示して安心してほしいのだろう。
断る理由はないので、フィリーネはすぐに了承した。
しかしここで待ったをかけたのはティアラローズだ。
「アラン様、それを黙って聞いているわけにはいかないわ」
「ティアラローズ様?」
いくら姉の結婚式のウェディングケーキとはいえ、嫁ぎ先はマリンフォレストの貴族であるエリオットだ。
もしかしたら、自分がケーキを作ることをよしとしないのかもしれないとアランは不安に思う。
「もちろん、わたくしも一枚かませていただきます! フィリーネのために、最高のウェディングケーキを作りましょう!」
「ティアラローズ様……」
アランが想像していたものとは違う返しに、ぽかんと口を開く。そしてすぐ、ああ、この人はスイーツと姉のことが大好きなティアラローズだったということを思い出す。
そりゃあ、最高のケーキを作りたいと思ってくれるはずだ。
「もちろんです! ティアラローズ様が一緒なら、世界で一番素敵なケーキを作ることが出来そうです」
ぐっと拳を握るアランに、ティアラローズは何度も頷く。
しかし問題が一つある。それは、ティアラローズの体調に関してだ。悪阻はそこまで重くはないけれど、体調が万全かと言われるとそうではない。
ティアラローズは隣に座るアクアスティードに視線を向けて、様子を窺う。
「フィリーネの結婚式は出産予定日の一ヶ月前だから、本当なら絶対に安静にしててほしいんだけど……」
「そう……ですよね」
アクアスティードの言葉に、ティアラローズは途端しょんぼりする。
その言い分はとてもよくわかるし、式にだって出席するのだ。妊娠がなければすぐに了承するが、さすがにタイミングが悪い。
けれど、アクアスティードもティアラローズがフィリーネを大切にしていることは知っているし、その気持ちもよくわかる。
「無理をせず、作業はすべて料理人に任せる……という約束をしてくれたら、許可するよ。私にとっては、ティアラの体調が一番だからね」
「アクア様……ありがとうございます!」
フィリーネのウェディングケーキが作れると、ティアラローズは顔を輝かせる。その笑顔がとても可愛らしくて、いつもアクアスティードは甘やかしてしまうのだ。
しかし――向かいに座っていたフィリーネから待ったがかかってしまった。
「ティアラローズ様のお気持ちはとても、とっても嬉しいですが! さすがに出産予定日の一ヶ月前にそれはおやめくださいませ」
「で、でも! アクア様は許可してくださいましたし……」
「無理をして、お体に何かあったらどうするのですか。わたく、それでは安心して結婚が出来ません……」
「フィリーネ……」
自分を気遣う言葉に、ティアラローズは言葉を詰まらせる。
確かに、自分が無理をして何かあった場合、周囲に多大な迷惑がかかる。さらに、フィリーネはそれが己のせいだと悔やむだろう。
――でも、わたくしもフィリーネのケーキを作りたい。
どうするのがいいかティアラローズが悩んでいると、アランが代替え案を考えてくれた。
「でしたら、ティアラローズ様が食材とケーキのデザイン画を描かれたらいかがですか? 私が、それを元にレシピを考え実物を作ってみせますから」
それだけなら座ったまま作業もできるし、作業量も多くはない。
しかも、出来上がるケーキをわくわくしながら待つという楽しみまでついてくる。なんてナイスなアイデアなんだと、心の中で拍手の嵐だ。
「そうします! それなら構わない? フィリーネ」
ティアラローズが嬉しそうに問いかけると、フィリーネはその勢いに少し押されてしまう。
だってそれは仕方がない。フィリーネはティアラローズのことが大好きで、小さなころから仕えていて……。そんな相手が、自分のことを祝いたいと言ってくれているのだから。
「……わかりました。ですが、デザイン画を考えるのは体調のいいときにしてくださいませね?」
「ええ、もちろんよ。フィリーネに心配されるようなことはしないわ」
ティアラローズはフィリーネを見て、「約束するわ」と微笑んだ。
***
それからは、体調のいい日にフィリーネのウェディングケーキの詳細を詰めていった。
しかし、ケーキのデザイン画はそこまで悩むことはなかった。せっかくなので、ドレスのデザインと合わせることにしたからだ。
花柄の総レースなので、それに合わせて生クリームでレースのようなデコレーションをしてもらう予定だ。
――細かいから、かなり難しいかもしれないけど……。
きっと、アランならいいものを作ってくれるだろうとティアラローズは信じている。
「ケーキに使う果物は何にしようかしら。苺は絶対にいれたいから、それ以外を……ん~」
苺だけを贅沢に使う、というのも捨てがたいなとティアラローズは思う。
けれど、レースのようなデザインにするのであれば、お洒落なデザインにするためケーキ上の果物は少なめにするというのもありだ。
その代わり、スポンジの中にたっぷり果物をいれておく。
「……いい、いいわね!」
どんどんティアラローズの脳内でケーキのデザインが出来上がっていくので、それを紙に描き起こしていく。
ケーキは三段にして、一番下の段は台座に苺を飾り、デコレーションは生クリームでレースを描く。
二段目は、妖精をモチーフにして苺にチョコレートで顔を描く。
一番上の段には、苺をカットして薔薇の花を作り、ホワイトチョコレートをレース状に固めたものをヴェールのようにかぶせる。
「……かなり難しいデザインになってしまったわ」
自分で考えておいてあれだが、本当に大丈夫だろうかと不安になってしまう。もう少し控えめのデザインがいいだろうか?
生クリームはいいけれど、ホワイトチョコレートの細工は慣れていないとなかなか難しい。しかも、それをヴェールのようにかけるのだからなおさら……。
とはいえ、一人で考えていても仕方がない。これは明日、アランと相談して決めればいい。
「そろそろ寝ないといけない時間ね……」
時計を確認すると、夜の十時を過ぎている。
妊娠してからは、夜更かしをするとアクアスティードに叱られてしまうのだ。当のアクアスティードは、まだ帰ってきていないけれど。
ティアラローズはベッドに寝転んで、ゆっくり深呼吸してリラックスする。お腹を優しく撫でて、赤ちゃんが安心して眠れるように歌をうたう。
「花のゆりかごを揺らして、いい子いい子にお眠りなさい♪ 森の妖精が葉の布団をかけ、海の妖精は珊瑚の楽器で子守の音色を、空の妖精は安心出来る夜の時間の訪れを~♪」
子守歌をうたう機会なんて、妊娠するまではほとんどなかった。最近はマリンフォレストの子守歌を教えてもらったので、それをうたうことが多い。
妖精たちが子どもを寝かしつける歌で、マリンフォレストで暮らす人なら誰でも知っている。
ティアラローズがうたい終わると、拍手が耳に届いた。
「え?」
「その子守歌、懐かしいな」
「アクア様! いつ帰ってらしたんですか……まったく気付かなかったです……」
見られていたなんて恥ずかしいと、ティアラローズはベッドの中に潜り込む。
「ティアラの歌声なら、ずっと聞いていたいくらいだ。この子のためだけじゃなくて、私のためにもうたってくれる?」
そう言って、アクアスティードもティアラローズを追いかけてベッドの中へ潜り込んできた。
そのまま優しく抱きしめられて、「駄目?」と優しく耳元で囁かれてしまう。
「駄目……では、ありません」
捕まってしまったとあきらめて、ティアラローズはアクアスティードにぎゅっと抱きつく。ふわりと、シャンプーの香りがする。
「ですが、アクア様の子守歌も聞いてみたいです」
「私の?」
ティアラローズの言葉に、アクアスティードはそういえば歌をうたう機会なんてほとんどなかったなと思う。
それこそ、小さなころ母と一緒にうたったくらいだろうか。
「……それなら、一緒にうたおうか」
「一緒に、ですか?」
「うん。この子が生まれたら、一緒にうたってあげよう?」
アクアスティードの提案に、ティアラローズは「いいですね!」と笑顔で頷く。二人で歌えば、きっと赤ちゃんも安心してくれるだろう。
――生まれてからの楽しみが、また一つ増えたわ。
早く会いたい。
そう思いながら、ティアラローズはアクアスティードと一緒に眠りについた。