3. 新たな貴族
「ティアラローズ様、ドレスにきついところはございませんか?」
「ええ、大丈夫。ありがとう、フィリーネ」
ゆったりしたドレスを着せてもらい、普段より少し遅めの朝食。お腹に赤ちゃんがいるので、体に負担がかからないよう気を付けている。
朝食の後は、のんびりティータイムをすることが多い。
胎教を考え絵本を読んだり、演奏を聞いたり、妖精たちと遊んだり。ときには妖精王がやってきて、そわそわしている。
今日はフィリーネと子どもが生まれたときのことを楽しく話す。
「もし姫君でしたら、新しく侍女を探さないといけませんね。王子であれば、側近でしょうか」
「フィリーネったら、気が早いわ」
今から候補を見つけて教育しなければと、気合を入れている。
とはいえ、それはフィリーネだけではなくアクアスティードも同じだ。子ども専属の護衛騎士の選定を始めているというし、ティアラローズの専属メイドも増えるだろう。
ティアラローズが何かをしなくても、周りでどんどん準備が整っていっている。
「みんなが優秀で、私はすることがないわね」
「そんなことはありません。お腹に命が宿っているのですから、一番大変なのはティアラローズ様です。わたくしたちは、サポートをすることしかできませんから……」
フィリーネがそう言って、ティアラローズの手をぎゅっと握りしめる。
「何かありましたら、なんでもおっしゃってくださいね? わたくし、全力でティアラローズ様が過ごしやすい環境にいたしますから!」
「ありがとう、フィリーネ」
燃え上がるフィリーネに、ティアラローズはくすくす笑う。
すると、ソファの上に置いてあったねこのぬいぐるみが立ちあがって動き出した。どうやら、お腹の中の赤ちゃんもティアラローズ――ママを気遣ってもらえて嬉しかったようだ。
最初はなぜぬいぐるみが動くのかわからなくて焦ったけれど、赤ちゃんが遊んでいるとわかればちっとも怖くはない。
「ぬいぐるみが動くのは可愛いですねぇ。ねこちゃん、一緒に遊んでくださいませ」
フィリーネがハリネズミのぬいぐるみを手に取り動かし、くるくるダンスを踊るように遊ばせる。
「わ、可愛い」
ティアラローズがにこにこ見守っていると、突然ねこのぬいぐるみが飛び跳ねた。そして一直線に、入り口へ走っていく。
「え?」
「扉に何かあるのでしょうか?」
理由がわからなくて、ティアラローズとフィリーネは顔を見合わせる。
すると、コンコンコンと、ノックの音が響いた。どうやら、人が来たことを察知してぬいぐるみが扉まで行ったようだ。
「すごい……。わたくしは気配なんて、まったくわからないのに……」
お腹の赤ちゃんは、アクアスティードに似て優秀なのだろう。
そう考えていたら……訪ねてきたのはアクアスティードだった。仕事がひと段落付いたため、ティアラローズの様子を見に来てくれたようだ。
「アクア様」
「仕事がひと段落したから、会いにきたんだ」
アクアスティードは足に抱き着いてきたねこのぬいぐるみを手に取って、優しく微笑んだ。
「何度見ても、ぬいぐるみが動くのは不思議だね」
ねこのぬいぐるみとハイタッチをして少し遊ぶと、動くのを止めた。どうやらパパに構ってもらい、満足したようだ。
その光景が微笑ましくて、見ているだけでティアラローズは幸せな気持ちになる。
「体調はどう? ティアラ」
「問題ありません。今、赤ちゃんとフィリーネの三人で、ぬいぐるみ遊びをしてたんですよ」
そう言って、ティアラローズはハリネズミのぬいぐるみを手で動かして見せる。
「いいね。今度は私も混ぜてほしいな」
「もちろんです」
ティアラローズが快諾すると、アクアスティードは隣へと座った。
「ああ、フィリーネ。紅茶はいいから、少しだけティアラと二人にしてもらっていい?」
「かしこまりました。では、失礼いたします」
フィリーネを下がらせたアクアスティードを見て、もしや何かあっただろうかと首を傾げる。
「アクア様?」
「私の口からフィリーネに伝えるのは、あまりね。エリオットの叙爵の日程が決まったんだ」
「本当ですか!?」
アクアスティードからの朗報に、ティアラローズは嬉しくて声をあげる。
二人は両想いではあったが、フィリーネが貴族、エリオットが平民という身分差から結婚まではいっていなかった。エリオットが貴族になるまでは……と。
つまり、二人は晴れて結婚することができるということだ。
これがはしゃがなくてどうしようか。
「よかった……。ずっとフィリーネのことは心配だったんです」
フィリーネはティアラローズより二歳年上なので、婚期が遅くなってしまうのをずっと気にしていた。
「では、フィリーネにはエリオットから?」
「今頃報告してるかもしれないね」
ティアラローズが聞くと、アクアスティードが頷いた。
――だからフィリーネを下がらせたのね。
なら、もう少しゆっくりしてもらおうとティアラローズは思う。特に急いでフィリーネに頼む用事もないので、お昼寝タイムでもいいくらいだ。
ティアラローズがほっと胸を撫でおろすと、アクアスティードも「一安心だ」と告げる。
「エリオットは人気があるのに、浮いた話が全然なかったからね」
「そうですね……。城のメイドたちも、エリオットに好意を持っている人が多かったと思います」
しかしそのすべてを断っていたという。
仕事が忙しかったというのもあるだろうけれど、ずっとフィリーネを想ってくれていたのだろうと思うと、なおさら二人が結ばれることが嬉しい。
「二人にお祝いの贈り物を考えないといけませんね」
「そうだね。叙爵時には剣を贈るから、それとは別に私とティアラから贈ろうか」
「はい」
それに加えて、結婚のお祝いも考えなければいけない。
今は王城にある部屋で暮らしているが、結婚すれば屋敷も必要になってくるだろう。そうなると、入用なものも増える。
「これからもっと忙しくなりそうですね」
「子どもも生まれるしね。でも、ティアラは無理はしちゃ駄目だよ。何かあれば、すぐ相談すること」
「もちろんです。わたくしは、この子が無事に生まれることを第一に考えますね」
「ああ」
早くお腹の赤ちゃんに会いたい。
ティアラローズはアクアスティードの肩に頭を預け、甘えてみる。
「この子に会えるのが、楽しみですね」
「そうだね」
***
それから一ヶ月が経ち、エリオットの叙爵式が行われる日がやってきた。
城内が朝から準備で慌ただしくしている中、ティアラローズは時間までフィリーネと一緒にゆっくりしている。
のだけれど――フィリーネが、珍しくガチガチに緊張している。
「大丈夫よ、フィリーネ。落ち着いて?」
「おおおお落ち着いていますよ!?」
「…………」
絶対に落ち着いていないと、ティアラローズは苦笑する。
「エリオットなら大丈夫。とても優秀だもの」
「……はい」
ティアラローズの言葉にフィリーネが頷いたタイミングで、部屋にノックの音が響いてアクアスティードが顔を出した。
どうやら、今から式が始まるようだ。
「もう始まるけど、体調は大丈夫そう?」
「はい、問題ありません。フィリーネもすぐ近くに控えてくれているので、わたくしは安心です」
今日は調子がいいですよと、ティアラローズは微笑む。
それからアクアスティードにエスコートをされ、叙爵式を行う玉座の間へと向かった。
窓から入る太陽の光と、それに照らされる国花ティアラローズが咲き誇る。見届けるための貴族たちが並び、中央には赤の絨毯が敷かれている。
そして玉座にはアクアスティードとティアラローズが並んで座り、エリオットの入場を待つ。
少し離れたところに控えているのは、フィリーネだ。ティアラローズが妊娠中ということもあって、在席を許可されている。
エリオットは大丈夫だろうかと、どきどきしながら入場口となる扉を見る。
大臣が書類などの確認をし、エリオットの名を呼ぶ。
すぐに騎士が扉を開き、フィリーネの目は釘付けになった。
「――エリオ、ット」
その堂々とした立ち振る舞いに、息を呑む。
いつもの穏やかな笑顔や、優しさを感じさせる仕草ではない。一人の男としての、エリオットがそこに立っていた。
白を基調とした騎士服に、主人であるアクアスティードを現すダークブルーの差し色。そして、フィリーネを思わせる深緑も添えられている。
まっすぐ前を見据え歩くその姿は凛々しく、まさにアクアスティードの右腕と言っていいだろう。
エリオットが歩いていき、玉座より手前で膝をついた。
「アクアスティード陛下、ならびにティアラローズ様とその御子を助けた功績により、エリオットに男爵の爵位を授ける」
大臣がそう告げると、すぐにアクアスティードが玉座から立ち上がりエリオットの前まで歩いていく。
そして手にした剣をエリオットへ渡し、笑みを浮かべる。
「エリオットのおかげで、私はもちろん、ティアラも子どもも無事だ。ありがとう」
「もったいないお言葉です、アクアスティード陛下」
「――これからはマリンフォレストの貴族として、コーラルシアと名を授けよう」
「ありがたき幸せ。マリンフォレストの貴族として、アクアスティード陛下へ忠誠を誓います」
エリオットに貴族位が授けられると、わっと拍手が沸き起こった。ティアラローズも嬉しそうに拍手をし、新たな貴族の誕生をみんなで喜ぶ。
「コーラルシア男爵には、南にある領地を与える。つつがなく治めるように」
「はっ!」
エリオットに与えられた領地は、マリンフォレストの南に位置し、小さな入江がある海沿いの場所だ。
小さな領地だが、美しい海には妖精が多く住んでいる。
貴族になったばかりのエリオットではいろいろと大変なこともあるだろうが、フィリーネをはじめ、ティアラローズやアクアスティードといった心強い味方は多い。
これからはより一層精進しようと、エリオットは改めて気を引き締めた。
***
「ふー……」
無事に叙爵式が終わり、エリオットは用意されていた控室へと戻る。
人前に出ることはほとんどないため、こういった場はどうにも緊張してしまう。どうにか様になるようにはしてみたけれど……。
「…………」
エリオットは、ゆっくりと置いておいた自分の鞄へと手をかける。そして中から取り出したのは、宝石をあしらった綺麗な小箱。
フィリーネに渡すために、前々から用意していた――指輪だ。
これを渡すのは、結婚式の当日。だからまだそのときではないのだが、どうしても気になって持ち歩いてしまう。
ひとまず着替えて仕事に戻ろう、そうエリオットが考えていると、ノックが響く。
「はい?」
「エリオット、フィリーネです」
「ああ、どうぞ」
エリオットが許可を出すと、すぐにフィリーネがドアを開けて入ろうとして――固まった。
「フィリーネ?」
いったいどうしたのだろうと、エリオットは首を傾げる。そしてすぐ、フィリーネの視線を追って……それが、自分の持つ指輪に向けられていることに気付く。
「あ……」
うっかりだと、エリオットは苦笑する。
「フィリーネ」
「え? あ、はい……」
エリオットは緩めていた表情を引き締めて、フィリーネを見る。
そして部屋の外で佇むフィリーネの手を取り、室内へ招き入れて扉を閉めた。いつもより動揺しているフィリーネが、とても可愛いと思ってしまう。
貴族位を得て、さらにはフィリーネという想い人まで手に入れて。恵まれすぎているのではないだろうか、なんて。
フィリーネの手を取ったまま、エリオットは膝をつく。そして宝物に触れるように――いや、エリオットにとってフィリーネは宝物だ。どんな宝石よりも美しく輝いて、自分のことを想ってくれている。
触れたままだった手を、そのまま自分の口元へ寄せて、フィリーネの手の甲へそっと口づけをおくる。
「――爵位を得られたとはいえ、男爵です。フィリーネに相応しくなれたかと言われたら、胸を張って返事をできるかはわかりません」
貴族としてどうあればいいかは、アクアスティードの側近として頭では理解している。しかし、
「ですが、フィリーネはアクアスティード様と同じくらい、私にとって大切な存在なんです。どうか、私――エリオット・コーラルシアと結婚してはいただけませんか?」
そう告げてじっとフィリーネを見つめると、優しいセピアの瞳に涙が浮かんだのが見えた。いつも気丈に振る舞う彼女が、自分の言葉で守るべき存在であると、そう思わせられる。
「……はい。末永く、どうぞよろしくお願いいたします」
「フィリーネ!」
了承の返事を聞いてすぐに、いてもたってもいられなくなり、エリオットはフィリーネのことを抱きしめた。
***
夜になり、王城の一室に豪華な食事が用意された。
そう、エリオットが男爵になり、コーラルシアの名を得たお祝いだ。
ティアラローズ、アクアスティード、フィリーネ、タルモと、普段一緒に仕事をしている身内だけのちょっとした祝いの席。
大々的なものは、また後日エリオットがお披露目として行うことになるだろう。
ティアラローズはエリオットのためにとっておきのデザートをシェフに作ってもらい、内装の飾りもいつもより豪華にしてある。
今日の主役ということで、グラスを持ったエリオットがみんなの前に立つ。
「まさか自分がこうして前に立つなんて、アクアスティード様にお仕えしてから今まで考えたこともなかったです。基本的に、裏方が得意ですから……」
サポートをする分にはいいが、いざ自分が喋らなければいけないというのは難しいものですねと、エリオットが素直な感想を述べる。
「ですが、これからは貴族として今まで以上にアクアスティード様にお仕えしたいと思います。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。……乾杯!」
「乾杯!」
エリオットの挨拶に合わせて、みんなでグラスを合わせる。
「改めて――おめでとう、エリオット。いろいろ手続きが遅くなってすまなかった」
「ありがとうございます、アクアスティード様。いえ、手続きが大変だということは、私が一番わかっていますから」
「それもそうだな」
お祝いの言葉と、叙爵式が遅くなってしまったことを詫びるアクアスティードに、エリオットが笑いながら答える。
それに、ティアラローズの妊娠ということもあって、いつもよりバタバタしていることも多かった。
というか――
「ティアラローズ様がご出産されて、落ち着いてからでもよかったのでは……と」
忙しい時期とぶつかってしまったことが、エリオットは気がかりだったようだ。しかしそれには、すぐアクアスティードが首を振る。
「これ以上フィリーネを待たせるつもりか?」
「それは……」
エリオットもこれ以上フィリーネの婚期を遅らせたくはないと思っていたようで、アクアスティードの問いに言葉を詰まらせる。
そんな二人のやり取りを横から見ていたティアラローズは、くすくす笑う。
「お祝いですから、それくらいにしてくださいませ」
「そうだったね。……エリオット、私とティアラからの祝いの品だ」
すぐに話を切り上げたアクアスティードが、一枚の書類を手渡した。
「ありがとうございます。これは……って、なんですかこれは!!」
お礼を言いつつ書類に目を通したエリオットが、驚いて声をあげた。予想していなかったようで、焦っている。
「必要だろう?」
「そ……っ、それは、必要ですけど……ですが、さすがにこれはいただきすぎです」
書類を返そうとするエリオットを見て、フィリーネとタルモが隣にやってきた。
「いったい何をいただいたのですか?」
「アクアスティード様にいただいたのであれば、受け取ればいいのではないか?」
「……王城近くの、屋敷です」
エリオットが少し沈黙して、口を開いた。
さすがのフィリーネとタルモもその返答は想定していなかったようで、ぽかんと口を開けた。
「さ、さすがにこれは……」
「屋敷とは、そう簡単に贈れるものなのか……?」
フィリーネが焦り、タルモは困惑気味だ。
そんな三人をフォローするように、アクアスティードが口を開く。
「王城から近い土地は、なかなか手に入れるのが難しいだろう? でも、エリオットは私の側近で、フィリーネはティアラローズの侍女だ。何かあったときのためにも、近くに屋敷があった方がいいだろう」
「アクアスティード様……」
その気遣いに、エリオットがじんとする。
「ありがとうございます。では、ありがたくいただきます。何かあった際、すぐに駆けつけられるように……」
「頼りにしてる」
綺麗に話がまとまったので、ティアラローズが「さあ」と手を叩く。
「冷めてしまいますから、食事にしましょう」
「ああ、そうだね。料理長が、エリオットのために腕を振るってくれたんだ」
ティアラローズの言葉にアクアスティードが頷いて、お祝いの食事が始まった。
エリオットとフィリーネの結婚式はいつにするんだとか、領地には一度いかないといけないだとか、むしろ領地でスイーツ店を開いては? なんて、ティアラローズが喜んでしまうような話をして、みんなでエリオットの叙爵を祝った。
結婚式は可能な限り早くするように……と、アクアスティードに笑顔で言われてしまったため、最短の日程で行うことになった。
小説最新刊の9巻が明日発売!です。
せっかくの発売日なので、次の更新は明日の朝7時にします。
どうぞよろしくお願いします。
今回はエリオットとフィリーネ回でした。
この二人はなんだか初々しくて、もっと書きたいぞ……ってなります。
しかし書きすぎるとティアラの出番が減ってしまうので、なかなか書けないというもどかしさ……。