3. 土下座事件
ラピスラズリへ久しぶりの帰省はとても晴れやかな気持ちだったのだが、馬車の窓から実家の玄関を見た瞬間……ティアラローズは口元をひきつらせた。
「ごめんなさい! でも、私はこれからずっとティアラ様の親友でいたいんです!」
「…………」
いったい何をしているのかと、誰もが頭を抱えたくなっただろう。
玄関先で――アカリが土下座をしていたのだ。
土下座をするアカリと、戸惑いつつも帰るように促している母親が見えた。後ろに控えた使用人たちは、全員が困り顔をしている。
「ええと、アカリ様、そのような……あら、ティアラ?」
「え? あ、ティアラ様~!」
ティアラローズの母、イルティアーナがティアラローズの馬車に気付くと、すぐにアカリが嬉しそうに振り向いた。
さっきまで土下座をしていたとは思えないほどの満面の笑みだ。
これはどうするべきなのかと、ティアラローズは向かいに座っているアクアスティードに視線を向ける。同じように、苦笑している。
「……前に、ティアラを襲ったときのことを謝りにきたんだろう」
「え? それは……すごく今更ですね」
アクアスティードの言葉になるほどと頷く。確かに、それであればアカリが土下座で謝罪に来ていることもわからなくもない。
この乙女ゲームのヒロイン、アカリ・ラピスラズリ・ラクトムート。
艶のあるストレートの美しい黒髪と、黒の瞳。桃色を基調としたレースのドレスは愛らしく、その存在を引き立てる。
乙女ゲームが大好きで、行動力でいえばきっと誰にも負けないだろう。今ではティアラローズの親友を自ら名乗っており、実際に仲もいい。
ティアラローズはため息をつきたいのを我慢しつつ、アクアスティードにエスコートしてもらって馬車から下りる。
「お久しぶりです、アカリ様。久しぶりに帰省したらこのような場面を見せられて、とてもびっくりいたしましたよ……」
「あはは。お久しぶりです、ティアラ様、アクア様」
アカリはドレスの汚れを手で払いながら、「仕方なかったんですよ」と口にする。
「だって、ティアラ様のお父様に許してほしかったんです。……ティアラ様を襲って、怪我をさせてしまったこと。まあ、会ってすらもらえないんですけど」
「アカリ様……」
父親に面会の申し込みはしたけれど、会ってもらえなかったようだ。だからこんな強硬手段を取っていたのかと、ティアラローズは今度こそため息をついた。
「それでしたら、先に私に連絡をくださればいいものを」
「これは私とお父様の問題ですから、ティアラ様に迷惑はかけません。……すぐに仲直りできると思ったんですけどね……私、ヒロインですし」
――さすがのヒロインでも、非攻略対象者では無理ね。
父親のシュナウスは愛妻家であり親ばかだ。ほかの女に靡くようなことは絶対にないし、ティアラローズ関連であれば王命にも逆らうだろう。
ティアラローズとアカリがやりとりをしていると、「おかえりなさい」という心地よい声が耳に届く。
「元気そうで安心しました、ティアラ。いらっしゃい」
「お母様もお元気そうで何よりです。ごめんなさい、アカリ様が迷惑を……」
「それはティアラが謝ることではありませんよ。……わたくしが一度アカリ様にお会いしたらと、そうシュナウス様に伝えているのですけれど、頑固でしょう?」
イルティアーナの言葉に、ティアラローズは頷く以外はできない。
「……ひとまず、屋敷に入りましょう。わたくしとアクア様はお父様にもご挨拶しないとですし」
「それがいいですね。申し訳ございません、アクアスティード陛下。お見苦しいところをお見せしてしまいまして」
イルティアーナが頭を下げて謝罪するのを見て、アクアスティードはすぐに首を振る。すべてアカリが独断でしたことであって、クラメンティール家に非はない。
「いいえ、お義母様のせいではありませんから。久しぶりにお会い出来て、嬉しいです」
「まあ、ありがとうございます。では、部屋に案内いたしますね」
そう言ったイルティアーナに続き、ティアラローズは久しぶりに実家へ足を踏み入れた。
***
「アカリ様、何日も通っていたんですか!?」
「だって、そうしないと許してもらえないじゃないですか!!」
シュナウスが来るのを待ちながら、ティアラローズたちは応接室で話をする。その内容は、もちろんアカリがしていた土下座のことだ。
どうやら、許してもらうために土下座を続けていたらしい。
ティアラローズは「アカリ様の気持ちは嬉しいですが」と前置きをして、口を開く。
「お父様が謝罪を受け入れるのは、難しいかもしれません。娘のわたくしだって、はっきり重度の親ばかだと言い切れますから」
それこそ、最初に起きた悪役令嬢の断罪イベントではいつ父親が飛び出してこないかとハラハラしたものだ。
ティアラローズの言葉に、アクアスティードも同意する。
「私だって、アカリ嬢を許すつもりはなかったからね」
「えっ、そうなんですか!? でも、アクア様は普通に接してくれているじゃないですか……」
「被害者のはずのティアラがすべて許しているし、アカリ嬢と仲良くしているからね。私が何を言っても無駄だろう?」
アクアスティードが何かを言い、ティアラローズが望まない方向に話が進んでしまうことは嫌なのだ。
「ありがとうございます、アクア様」
「まったく。私はそのせいでハラハラさせられっぱなしだよ」
「う……それは、すみません」
確かにアカリと一緒にいると、テンションが上がって何でも出来るという気持ちになってしまうので困る。ただ、そのポジティブな性格に救われることも多い。
口では難しいことを言うティアラローズだが、アカリとシュナウスが和解してくれたらそれが一番いいとも思っている。
どうしたものかと考えたところで、シュナウスとイルティアーナがやってきた。
「ティアラ、元気そうでよかった! アクアスティード陛下も、遠いところ足を運んでいただきましてありがとうございます」
「お父様もお変わりなくて安心いたしました」
「お久しぶりです。今回も、滞在の間お世話になります」
久しぶりに娘に会えたため、シュナウスはご機嫌だ。背景に花でも飛ばしていそうな雰囲気で、「夕食は豪華にしなければ」と嬉しそうだ。
しかしふと、視界の端にアカリを捉えてしまいその表情が崩れる。
「なぜアカリ様が? 私は屋敷に入れる許可を出してはいないが……」
暗に出ていけと言っているシュナウスに、部屋の温度が下がった気がした。一応現在のアカリは、王位継承権のない第一王子とはいえ、ハルトナイツの妃だ。
ティアラローズはどうにかシュナウスの機嫌を直さなければと思ったのだが、それより先にアカリが動いた。
「ごめんなさい、ティアラ様のお父様! 私とティアラ様はもう仲直りして、親友なんです!」
「し、しんゆう……っ!?」
アカリの言葉を聞いて、シュナウスは雷が落ちたような感覚に襲われる。自分の可愛い娘がこんな凶暴な人間の親友? ありえない、と。
シュナウスは自分の額に手を当てて、ふうと息をつく。
「幻聴が聞こえてくるなんて、私も疲れているようだ。ここ最近は、仕事が忙しかったからな……」
どうやらアカリの言葉は聞かなかったことにしたらしい。その様子を後ろで見ていたイルティアーナは、困った顔だ。
「……お父様」
「ん? なんだい、ティアラ。すぐとっておきのお菓子も運ばせるから、夕食までゆっくりお茶にしよう」
「まあ、お菓子! ……ではなく」
思わず舞い上がりそうになってしまった心を落ちつかせて、ティアラローズはコホンと咳払いをしてからもう一度シュナウスを呼ぶ。
「わたくしとアカリ様は、もう本当に仲直りしたんです。どうか、もうアカリ様を許してはくれませんか?」
「ティアラ……」
ティアラローズはアカリの横まで行って、シュナウスに微笑んで見せる。
確かに婚約者を奪われ、傷を負わされ、ティアラローズはアカリにたくさん酷いことをされてきただろう。けれど、今までいろいろと助けてもらったことも事実なわけで。
「それに、アカリ様はラピスラズリへの貢献も大きいです。新しいアクセサリーの普及や、お菓子など、女性が喜ぶ流行をたくさん作られているではありませんか」
第一王子の妃としての仕事も、きちんとこなしている。
可愛い娘にそう言われて、シュナウスはむむむと唸る。もちろん、この国の宰相としてアカリのしていることはシュナウスも把握しているのだ。
だからといって、それとこれとは別問題なわけで。
アカリはシュナウスをちらりと見て、やっぱり許してもらうのは難しそうだと小さくため息をつく。
そう簡単に許してもらえるとは思っていなかったけど、予想以上だ。今日も、もう帰った方がよさそうだなと考えティアラローズを見る。
「ありがとうございます、ティアラ様。そう言ってもらえるだけで、私はとても嬉しいです。私はただ、大好きなこの(ゲームの)世界が平和で、幸せであればいいと思って頑張っているだけですから」
「本当に、アカリ様はこの国が大好きですね」
「そりゃあもう、大好きですよ。嫌いになるなんて、あり得ませんから!」
もっともっと発展したらいいと、アカリは笑顔で言う。
「…………そうか、そんなにこの国のことを考えているのか」
「お父様……」
「ずっと駄々をこねていたのは、私だったのかもしれないな」
アカリの乙女ゲーム好きの気持ちが、少し捩れつつもシュナウスに伝わったようだ。先ほどまでの眉間にしわを寄せた表情が消えて、どことなく優しさをにじませている。
「アクアスティード陛下も、アカリ様のことを許しているのですね?」
「……そうですね。彼女がティアラにしたことは許容出来るものではありませんが、それ以上のものを、ティアラに与えてくれているようにも思いますよ」
「なるほど、そのようなことが……」
いやはや、娘というのは親の知らない内に成長しているものだなと、シュナウスがどこか寂しさを瞳に浮かべる。
「大丈夫です、お父様! ティアラ様は私がちゃんと幸せにしますから!!」
「アカリ様それじゃあプロポーズみたいです!!」
変な言い回しにするなと、啖呵を切るようなアカリをすかさずティアラローズが止める。
「おっと、そうでした。お友達として、一生裏切りませんよ。私はいつだって、ティアラ様の味方でいるって決めたんです」
「なら、わたくしもアカリ様の味方ですね」
「はい! 何かあれば助けに飛んでいきますから、ティアラ様も私に何かあったら助けてくださいね?」
私がいれば百人力ですねというアカリに、ティアラローズは笑う。そして同時に、アカリがピンチになる場面なんて浮かばない。
「シュナウス様、もう許して差し上げましょう? アカリ様はこの一週間ほどは毎日、それこそ風が強くても雨でも、謝罪に来てくれたではありませんか」
「イルティアーナ……それは、そうだが……」
口ごもるシュナウスに、ティアラローズがぽんと手を打つ。
「アカリ様はよく遊びに来てくれるので、アカリ様からわたくしの話を聞くところから始めてみてはどうですか? ……お父様にすぐ気持ちを切り替えろというのも、酷でしょうから……」
「あ、それはいいですね! 私、ティアラ様の可愛い話とかいっぱい知ってるんですよ! この前なんて、お菓子作りに夢中になりすぎて、みんなが休憩してるのにも気づかず話しかけてきたんですから」
「ちょ、アカリ様!?」
それは言わないでって言ったじゃないですかと、ティアラローズが取り乱す。
「……ティアラ、お菓子作りばかりに夢中になってはいけないぞ。お前はもう、マリンフォレストの王妃なのだからな」
「わかっています、お父様。今のはアカリ様がちょっと大袈裟に言っただけです……」
「なら、そういうことにしておこう。………………まだアカリ様を許せるかはわからないが、こうしてティアラの話を聞くくらいであれば、耳を貸そう」
少し照れながら言うシュナウスに、ティアラローズは恥ずかしくなりつつよかったと安堵した。
アカリを誘い、実家でお茶会をする日も、もしかしたら思いのほか早く実現するかもしれない。
ビーズログ文庫さんのホームページで、8巻の表紙イラストが公開されました。ラブラブで、ティアラのドレスがとっても可愛くておへそです。