12. 王の顔
サラヴィアの父親は複数の妻をとらず、生涯たった一人だけを愛し抜いた。
その女性は下位貴族の令嬢で、幸せな結婚生活を送ったのだが――体が弱く、サラヴィアが十歳のときに亡くなってしまった。
しばらくして、あとを追うように父親もこの世を去った。
そのため、サラヴィアに兄弟がいないのだ。
季節が冬から春に移り変ろうとしていたころ、サラヴィアは母親の体調が一向に回復しないことを懸念していた。
砂漠の国ということもあり、この時期でもサンドローズはあまり寒くはない。けれど、病人にとって過ごしやすいとは言えない季節でもある。
サラヴィアは庭園へとやってきて、水辺で座っている母親を見つけた。
「母様、こんなところで何をしているんですか」
「サラじゃない。もう午前中のお勉強は終わったの?」
「……終わりました。って、母様は朝から体調が悪かったじゃないですか。寝てないと……」
悪化したらどうするのですかと、サラヴィアは母に問う。
心配してくれている息子に苦笑して、「ごめんなさいね」と頭を撫でる。
「ちょっと落ち着いたから、大丈夫かなと思ってしまったのよ」
「もう……。手が、とても冷たいですよ」
「ちょっと冷えてしまったみたい」
呑気な様子の母に、サラヴィアはため息をつく。
「早く部屋へ戻りましょう。遠くに雨雲が見えますから、午後はもっと寒くなりますよ」
「まぁ、それは大変だわ。サラも、午後は舞のお稽古があったのに……」
「俺の心配はいいですから、自分の体を気遣ってください」
「はいはい。サラは気にしいなんだから」
サラヴィアは母親の手を取って、宮殿の中へと戻る。
しかしその途中で、母親が咳き込んで足を止めた。すぐに辛そうにしている母の背中をさすって、「大丈夫ですか?」と声をかける。
「母様が辛そうだから、誰か手を貸してくれ!」
「かしこまりました、すぐにっ!」
近くを通りかかった使用人が焦るサラヴィアの声に気付き、すぐにやってきた。母親を抱きかかえるように部屋へと運び、医師を手配する。
寝台で寝かしたけれど、呼吸が乱れ苦しそうにしている。
「……っ、だから、だから部屋でゆっくりしててほしかったのに……」
どうして庭園なんかに出たのだと、サラヴィアは顔を歪める。
しばらく咳き込んでいた母親は、呼吸が落ち着くとゆっくり目を開けてサラヴィアの方を見た。さっきまで苦しんでいたことが嘘のような笑顔だ。
「ごめんなさいね、サラ。驚かせてしまったわね」
「……大丈夫です。でも、今日はもう寝てないと駄目ですからね!」
「ええ、そうね。ちょっとなら大丈夫だと思ったのだけれど……わたくしの体はなかなか言うことを聞いてくれなくて困ってしまうわ」
つい今しがた倒れかけた人間の言葉なのかと、サラヴィアは呆れてため息をつく。もう少し危機感を持って欲しいと、切に願う。
サラヴィアは寝台の横に置かれている椅子に腰掛けて、横になっている母をじっと見つめる。
透き通るような金色の髪は艶のあるストレートで、腰までの長さがある。褐色の肌に、赤色の瞳。サラヴィアの容姿は、母親のものを色濃く受け継いでいる。
皇帝である父親に似ているところは、勝気な瞳と負けん気の性格だろうか。
サラヴィアが座っている姿を見て、母親はくすくす笑う。
「……なんですか」
「いいえ。小さなころはわたくしに瓜二つだったのに、サラは成長して男らしくなったらちょっとあの人に似てきたと思ったのよ」
いつかサラヴィアが皇帝の地位を継ぐのだから、その姿を見てみたいなぁと、母親が呟く。
「父様がいつ退位するのかは知りませんが、母様は王妃なんですから見られるに決まっているじゃないですか」
「ふふ、そうだといいわね」
必ず見ることが出来ると、確信の言葉で母親が言わなかったのは……おそらく自分の死期に薄々気付いていたからだろう。
まだ幼かったサラヴィアがそのことに気付いたのは、惜しくも自分が皇帝へ即位するときだった。
「……わたくしはね、サラには長生きをしてもらって、この国のことをしっかり見ていてほしいと思っているのよ」
「また突然ですね……」
「そうねぇ。強いて言うなら、あなたに弟妹を作ってあげることが出来なかったからかしら」
サンドローズの王族は、代々複数の側室をとり、多くの子をなしてきた。けれど、体の弱い彼女にはこれ以上子供を産むことは厳しく、皇帝である父も新しく側室を迎えることは微塵も考えていない。
けれど、サラヴィアにはそれが誇りでもあった。
自分の両親は、生涯においてただ一人だけを愛し抜くのだ――と。
歴代の皇帝たちは、何人も側室を持ち誠実ではないとすら考えてたほどだ。将来は、自分もそんな風になりたいなと……幼いながらに思っていた。
「私やあの人は、サラよりも先にこの世を去るわ。だからサラ、あなたには私の分も、この国をずっと見ていてほしいのよ」
「まるで自分が死ぬみたいに言わないでください」
「だって人間、何があるかわからないもの。……なんてね、ちょっとセンチメンタルすぎたかしら?」
くすくす笑いながら、母親がサラヴィアの手を握る。
「ちょっとだけ、これからのことを考えてしまったのよ。サラ、ねぇサラ……わたくしが貴方に与えられたものは、きっとあなたの命をこの世に産み落とすことくらいだったわ」
「バカなことを言わないでください。俺はもっと、たくさんのものを母様にもらっています」
喜しいこと、怒ること、哀しいことや楽しいこと。それから、誰かを愛おしく思うこと。サラヴィアが両親やこの国の人たちを大好きだという気持ちは、母親の愛情から生まれたものだろう。
「俺もいつか、誰かたった一人の大切な人をみつけたいです」
「ふふ、いいわねぇ。きっとその子は、サラに愛されてとっても幸せになるわね。わたくしがあの人に愛されて、サラを産んで、こうして幸せなように」
「はい!」
十歳のサラヴィアは、母親の言葉に元気よく返事をした。そう、このときはとっても幸せで、いつか自分が皇帝になったこの国を――一緒に見よう。
しかし母親の死とともに、そのすべてが覆されてしまった。
「……ア様、サラヴィア様! 朝ですよ」
ひゅっと息を吸い込んで、ハッと目が覚めた。
窓からは朝日が差し込んでいて、どうやらいつもより起きるのが遅くなってしまったらしい。いつもなら、イゼットが起こしにくる前に目が覚めるというのに。
サラヴィアは体を起こして、ため息を一つ。
「おはよう、イゼット」
「おはようございます、サラヴィア様。……魘されていたみたいですけど、夢見でも悪かったんですか?」
目覚めのジンジャーティーを差し出されて、サラヴィアは疲れ切った表情を隠すことなくイゼットを見る。
「……母が、死んだときの夢だ」
「それは……」
なんと答えたらいいかわからずに、イゼットは口を噤む。
「最近は、すべきことが多かったですからね。きっと、疲れて、心が弱っているんですよ。少し落ち着いて休息をとってください」
イゼットが空気を入れ替えるために窓を開けると、その風がサラヴィアの金髪を撫でる。
ジンジャーティーを飲みながら窓の外へ視線を向けて景色を眺め、「上手くいかねぇなぁ」とぼやく。
「まさか妖精王が一緒だとは思いませんでしたからね」
「そうだな。ローズが入ってくると、計画が狂う」
「それは確かに同意します」
ははっと笑って、サラヴィアは一気にジンジャーティーを飲み干した。
「最初はこっそり足りない分の魔力をローズからもらおうと考えてたんだけど、駄目だな。そんなせこい考えの人間になんて、なりたくなかった」
「サラヴィア様」
「きっと母も、そんな俺の姿を望みはしない」
「ですがそれ以上に、貴方が死ぬことを悲しまれます!」
サラヴィアの言葉に被せるように、イゼットが簡単に死を選ぶなと声を荒らげる。
確かに、目覚めたサラマンダーへ魔力を与えるのは王族の役目だった。けれどそれを何百年も前のことだからと、軽んじて一人しか妃をとらなかったのは前皇帝の責任だ。
「サラマンダーが目覚めて、俺がその責務を果たさなければいけないと知ったのは……母が死んだときだ。サラマンダーの意思が俺の中に流れてきて、自分がやるべきことを自覚したよ」
そして同時に――
「絶望した。だってそうだろ、俺の魔力だけじゃサラマンダーへ与えるための魔力が足りなかったんだ。そもそも、たった一人の人間がサラマンダーの腹を満たせるわけがないのに」
だからすぐに、サラヴィアは父親に新しい側室をとるよう進言した。このままでは、サラマンダーが目覚めたときに対処出来なくなってしまうからだ。とにかくサラマンダーに魔力を与えられるように、子供を増やせと。
しかしその意見が受け入れられることはなかった。
そして同時に、サラヴィアも父親の拒絶を否定することが出来なかった。
どうしても、自分の妻たった一人を愛していた姿が忘れられなかったからだ。
ならば、自分が父親の代わりにたくさん側室をとり、王族を繁栄させればいいと……そう思った。
これが、今までサラヴィアのしてきた行動理由のすべてだ。
「今までだって、皇帝の命と引き換えにサラマンダーの腹を満たしたことがあったんだ。俺が死ぬと決まったわけじゃないし、試してみるのも悪くない」
「悪いに決まってます。貴方が死んだら、サンドローズの王族はいなくなるんですよ」
「……それもそうだな」
しかしそれは、楽観的に見ている部分がある。
サンドローズには、歴史を振り返ると多くの王族がいた。おそらくそれは、秘密裏に平民の中にもその血を紛れ込ませているだろう。
つまり、今のような事態に備えて――遥か昔の皇帝が布石を置いているのではないかということだ。
いや、十中八九そうしているはずだろう。
それは皇帝として、確信めいたものがある。なぜなら、間違いなくサラヴィアもそれを行うからだ。同じ考えをもつ者がいたとして、なんの不思議もない。いや、いなければおかしいだろう。
だからこそ、こうして大胆に動けた部分もあった。
「ああ、そういえば……アクアスティード陛下からすべての図書館への立ち入りを許可してほしいと願い出がありましたよ」
「図書館?」
ふいに話題が変わって、サラヴィアは思わず素っ頓狂な声をあげる。
「なんだってそんなところに……ああ、そうか。体を元に戻すための手がかりを探すのか」
「おそらくそうでしょうね。けれど、地下書庫は立ち入りが厳しく管理されています。この国の者でもそう簡単に入ることは出来ないのに、他国の、ましてや王族となると――」
「いや、構わないから許可を出せ」
イゼットが断った方がいいと告げるよりも前に、サラヴィアがあっさり承諾を口にする。
確かに今回の件を考えると、了承するのもやむなしだが……本当にいいのだろうか。元に戻る方法だけではなく、この国に関する軍事機密関係の資料だって揃っているのだ。
しかしサラヴィアが一度決めたらその考えはそう覆られることはない。イゼットは仕方なく、「御意」とだけ返事をする。
「それでは、アクアスティード陛下にはわたしから伝えておきますね」
「ああ、頼む。しかし、祭典は明後日だ。それまでに戻る方法を見つけられるとは思えないが……なんとなく、ローズならどうにかしそうな気がするな」
ははっと笑ったサラヴィアは寝台から起き上がり、イゼットの用意した服の袖に腕を通した。
***
ティアラローズとアクアスティードは魔力を取り戻せる方法を探し、サラヴィアは式典の準備。各々がやるべきことをしているうちに、あっという間に炎と水の式典の当日がやってきた。
いい案が何も浮かび上がらないまま――。