9. 女の戦い
翌日のお昼に近い時間、ティアラローズはやっとサラヴィアと話をすることが出来た。
場所は来賓用のゲストルームで、向かい合ってソファに腰掛ける。ティアラローズの後ろにはキースとパールが、サラヴィアの後ろにはイゼットが控えている。
「いやぁ、しかし本当に可愛いね。大人の子猫ちゃんも美人だったけど、子供の姿も愛らしい」
「……わたくしのことはいいですから、サラマンダー様のことを教えてくださいませ。この姿のままいるわけにはいきませんから、元に戻りたいのです」
ティアラローズがそう言うと、サラヴィアは苦笑する。
「そうだね……。確かに、俺の妻になるなら大人の姿の方がいい」
「サラヴィア陛下、わたくしは真面目に言っているのです!」
これ以上ふざけるのなら、許しませんよとティアラローズが睨みつける。
「ごめんごめん。サラマンダーに会わせることは出来るんだが、魔力を返すように交渉するのはかなり難しいかもしれないな」
「それは……」
「俺だって、子猫ちゃんの魔力を返すように掛け合ったんだ。……が、あいつの返事はどうにも色よくない」
まだ交渉は続けるけれど、かなり厳しい状況だという。
ティアラローズは何か方法はないものかと、思案するが……いい考えは浮かばない。足りない魔力を一気にではなく、少しずつ与える方法では駄目なのだろうか。
そうすれば、サラヴィアにも対応出来るしティアラローズが小さいままでいる必要はない。
「とりあえず、サラマンダーを呼ぶか?」
「そうですね……。お願いしていいですか?」
「ああ」
サラヴィアの提案にティアラローズが頷くと、ちょうどタイミングを見計らったかのようにノックの音が響いた。
「ん? 誰にも邪魔はするなと言ったはずだが……」
「緊急の要件かもしれませんよ?」
サラヴィアが扉に目をやり、イゼットが対応すると……顔を覗かせたのは二日後に到着する予定だったアクアスティードだ。
「えっ!?」
それに一番驚いたのは、もちろんティアラローズだ。
キースとパールは気配で知っていたようで、アクアスティードが姿を見せても平然としている。
「随分早いじゃねーか」
「どうにか、ね。……ティアラは?」
アクアスティードは挨拶よりも先に、目当ての人物がいないことに気付く。キースとパール、さらにサラヴィアまでいてティアラローズがいないはずがないと考えた。
その様子に、サラヴィアが笑う。
「アクアは本当に子猫ちゃんが好きなんだな」
「私の妻ですから。サラヴィア陛下は、相変わらずご機嫌がいいようで……ん?」
ソファの上でカチコチに固まっているティアラローズが、アクアスティードの目に映った。
「…………」
なるほどと頭を抱えたくなるが、そこはぐっと我慢する。
「これはまた、可愛らしいお嬢さんですね」
「――っ!」
――ひえっ、アクア様に話しかけられてしまった!!
どうしようと、ティアラローズの頭の中は大混乱だ。あまり話をしたことはなかったけれど、アクアスティードは子供が好きだろうか?
それとも、こんな勝手をした自分は嫌われてしまうだろうか。
思い描いていた不安が、一気に押し寄せてくる。
ティアラローズが答えかねていると、サラヴィアがからかうようにアクアスティードを見た。
「俺と子猫ちゃんの娘」
「馬鹿な冗談を言わないでください」
「ノリが悪いなぁ」
アクアスティードは小さなティアラローズの下まで行って、その体を優しく抱き上げる。
「あの人はふざけたことしか言わないから、相手にしない方がいい」
「ふぁっ!」
「うん? 抱き上げられるのは、嫌いだった?」
「い、いいえっ! 大好きです……!」
抱き上げられたせいで、すぐ近くでアクアスティードを感じる。心地いい匂いはとても安心して、ティアラローズはぶんぶん首を振ってからぎゅうっとその首に抱きついた。
つい先ほどまではこの状況をどう乗り越えようか考えていたけれど、触れられてしまってはもう駄目だ。だって、アクアスティードに会いたくて会いたくて仕方がなかったのだから。
「それはよかった」
アクアスティードは微笑んで、ティアラローズの頭を優しく撫でる。
「可愛いね、ツインテール。髪も綺麗だ」
「え? ……あ、ありがとうございます」
ふいに褒められて、ティアラローズは思わず顔が熱を持つ。
そして、脳裏にもしかして……という言葉が浮かび上がる。
――アクア様、わたくしだって気付いていない?
もしかして、どこかの子供だと思っているのではないだろうか。
――そうよね、普通に考えたら人の体が小さくなるなんて、ありえないもの。
ティアラローズは別のところにいると、そう思っているのだろうと結論付ける。すぐにばれて怒られなかったことにほっとしつつも、ティアラローズはアクアスティードに抱きついたまま彼を堪能する。
――子供の姿だから、少しくらいなら平気よね?
大人の姿であれば恥ずかしくて出来ないが、子供であればギリギリ許されるだろう。……まあ、アクアスティード以外にはティアラローズだとバレているのだけれど。
「甘えたがりなのかな? 何歳?」
「ええと、六歳……です」
「そうか。なら、もう立派なレディかな?」
「は、はい! もちろんです」
くすくす笑うアクアスティードの言葉に、ティアラローズは即座に頷く。レディだと言われて、まだ子供ですと駄々をこねるなんてとんでもない。
その反応を見ていたキースは、くつくつ笑う。ティアラローズはといえば、笑われたら自分だとばれてしまうかもしれないと、口元に指をあてて『しー』というジェスチャーを送る。
「うん? どうしたの、ティアラ」
「いえ、なんでもありませ……って、え!? わたくしだって、気付いていたんですか!?」
あっさりアクアスティードに名前を呼ばれて、とっくにバレていたことに顔を青くする。今しがたまで幸せでぎゅーっと抱きついていたのに、一瞬でそれが崩れ落ちてしまったような気がする。
「い、いつから……」
ティアラローズが震える声でアクアスティードに問いかけると、さらっと答えが。
「最初から」
「さいしょ!?」
「ティアラのことならわかるって、そう言っただろう?」
「うぅ……」
そういえば確かに、朝方庭園の散歩をしたときに、『ティアラのことなら大抵わかる』と言われたことを思い出す。
まさか思考だけではなく、外見が違ってもわかってしまうなんて……! と。
しかしそうとわかれば、ティアラローズのとる行動は一つだ。
「ああぁぁ、恥ずかしい……下ります、下ろしてください……」
「えぇ? あんなに甘えていたのに」
「アクア様が子供だと思ってるなら、まぁいいかな……なんて思ってしまったんです。今はとても恥ずかしいです、みんなが見ています!」
アクアスティードの腕の中で暴れて、ティアラローズはどうにか脱出して床へ下りる。
「アクア様も気付いていたなら、紛らわしいことをしないでくださいませ……」
「ごめんごめん、なんだかティアラが可愛くてね」
そう言って、アクアスティードはソファへ座ったティアラローズの横に腰掛ける。
「それで? どうしてこんなことになってるのか……もちろん説明はあるんだろう? キース、サラヴィア陛下」
にこりと微笑んだアクアスティードの背後には、ブリザードが吹いているかのようだった。
ため息と一緒に、室内に「なるほどね」という呆れが含まれた声が響いた。
もしや一方的にティアラローズが被害にあって、体が小さくなってしまったのでは……という淡い望みを持っていたアクアスティードだが、話を聞く限りやはりティアラローズの暴走が含まれていた。
何かやらかすのではないかと思っていたが、やっぱりだとアクアスティードは苦笑する。
「キースも、ティアラの行動にはもう少し注意してくれ……無理やり止めてくれた方がよかった」
「そうは言うが、ティアラは言って聞くような女じゃないぞ? 淑やかに見えて、実は結構頑固だしな。もし止めて、ティアラが無断でいったら魔力を吸い尽くされて死んでたかもしれないぞ?」
「そうだな……」
夜中にこっそり抜け出すことなんて、ティアラローズにはきっとお手の物だろう。なんといっても、前科があるのだから。
確かにキースが寸でのところでサラマンダーからティアラローズを助けなければ、今よりもっと悲惨な状況になっていたのは間違いないだろう。
次に隣に座っているティアラローズへ視線を移し、その頭にぽんと手を置く。
「ティアラはどうして私が来るのを待たないの」
「も、申し訳ございません……。サラヴィア陛下が倒れられていましたし、サラマンダー様も空腹で大変そうでしたので……少しなら、と」
「まったく、これじゃあ私の心臓がいくつあっても持たないよ」
そう言って、アクアスティードはティアラローズを抱き上げて自分の膝へと座らせる。
「えっ!? アクア様!?」
「好き勝手したんだから、しばらくここで大人しくしていること」
「……は、はい」
アクアスティードの有無をいわさない迫力の笑顔に、ティアラローズは頬を引きつらせながらこくこくと頷く。
そして本題は、ティアラローズの体を元に戻す……ということに移る。
「サラマンダー様に魔力を返してもらう、か。だが、それはサラヴィア陛下が伝えて色よい返事をもらえていないのでしょう?」
「ああ」
「その理由に心当たりはないのですか?」
「……難しい質問だな」
「?」
アクアスティードの言葉を聞き、サラヴィアは悩むように考え込む。
それに怪訝な表情をしたところで、ふいに――アクアスティードの肩に褐色の指先が触れた。
『あらぁ、いい男じゃない。貴方がわれに魔力をくれるというのなら、その子に魔力を返してもいいわよ』「――っ!?」
「サラマンダー様!!」
気配をさせずに一瞬で現れたサラマンダーは、その体を宙に浮かせたまま、するりと両腕をアクアスティードの腕に回して抱きついた。
さすがに、これにはアクアスティードも驚いて息を呑む。
すぐに反応したのは、ティアラローズだ。魔力を返してと、そう言いたいのだが――それよりも先に、言わなければならないことがある。
「ちょっと、アクア様から離れてください!!」
火の精霊サラマンダーとはいえ、自分からアクアスティードを奪おうとするのであれば許さない。そんな気持ちを込めて、アクアスティードに回された手を剥がそうと試みる。
『なによ、われが気に入ったのだから譲りなさい人間』
「いやです、アクア様はわたくしの旦那様です!」
睨み合う二人を見て、サラヴィアがぷっと噴き出して笑う。
「そんな独占欲の強い子猫ちゃん、初めて見たな」
「笑ってる場合ではありません、サラヴィア陛下! 陛下からもサラマンダー様に止めるように言ってくださいませ!」
「そうは言っても、サラマンダーは俺の言うことなんて聞いてくれないからなぁ……。サラマンダー、ひとまず話をしたいから落ち着いてくれ」
駄目で元々とでも言うようにサラヴィアが声をかけるが、サラマンダーはよほどアクアスティードを気に入ったのかサラヴィアからそっぽを向く。
それを見て、わたくしのアクア様なのに……と、ティアラローズの顔がどんどん般若のようになっていく。どうやら子供になってしまった分、大人のときより感情の起伏が激しくなってしまっているようだ。
「離れてください、サラマンダー様!」
『いやよ!』
二人の応酬が続いたのを見かね、アクアスティードが「やめてください」と冷静に告げる。
するとどうだろうか、あれだけ駄々をこねていたサラマンダーが、あっさりとアクアスティードから離れたのだ。
『仕方ないわね、続きはまたあとで……』
そう言ったサラマンダーに、アクアスティードは聞いていなかったかのように話を進める。今はサラマンダーのおふざけに付き合うつもりはないということだろう。
「ティアラローズに魔力を返していただきたいのですが」
『嫌よ。そんなことをしたら、われが腹ペコで倒れてしまうではないですか。それでもいいと言いますの? 冷たい人ね』
「少しだけ魔力を分け与える……という話だったはずでは?」
サラマンダーはアクアスティードの唇に指先で触れて、『女の扱いがなっていませんわよ?』と艶のある笑みを浮かべる。
どうやら、話しても平行線になってしまうようだ。
これは交渉材料を見つけて、改めて話し合いの場を設けた方がいいだろうとアクアスティードは判断する。
「ひとまず、祭典のときにはお返しいただきたいと考えます。そのときに、サラヴィア陛下からサラマンダー様に魔力を与えられるのでしょう?」
『そうですけど、われはもう魔力十分。祭典は見守りますけど、このまま眠りにつくことだって出来ますのよ?』
どうしようかなぁ? と、サラマンダーはアクアスティードを試すように告げる。
『それとも、貴方がわれの相手をしてくださるのなら……サラヴィアの魔力で手を打ってもいいですわよ?』
そうすれば、ティアラローズに魔力が戻り、アクアスティードから魔力をもらうことなく一石二鳥。という計算が、サラマンダーの中で成り立つ。
アクアスティードは「ふむ……」としばし考えるそぶりを見せる。
ティアラローズの魔力を取り返さなければいけないので、サラマンダーが交渉に了承しない最悪の場合は彼女の言いなりにならなければいけないかもしれない。
それを見たティアラローズは、もしやアクアスティードが自分のために手篭めにされてしまうことを選んでしまうのでは……と焦る。
「駄目です、アクア様! わたくしのために、自分を犠牲にするなんて絶対に許しませんから!!」
「ティアラ……」
アクアスティードの膝に座っていたティアラローズは、その向きをアクアスティードの方に変えて、ジャケットの胸元をぎゅっと掴んでいやいやと首を振る。
まさかここまで嫌がって貰えるとは思わず、アクアスティードの頬が自然と緩む。
「大丈夫だよ、ティアラ」
優しく背中を撫でて、安心させるように声をかけた。
それからサラマンダーとサラヴィアを交互に見て、アクアスティードは提案を告げる。
「サラマンダー様も、こちらも、納得するような案を探そう。祭典の日に提示しますから、もう一度話し合いの場をもうけていただけますか?」
「俺は構わないよ」
『ふむ……まぁ、われが納得するようなことがあるとは思えないが、よいだろう』
「ありがとうございます」
どうにかアクアスティードがこの場を納めたことにほっとしたが、ティアラローズはサラマンダーへの取引材料がまったく思い浮かばない。
『なら、話はまとまったから……われは貴方とワインでもいただこうかしら?』
まったく懲りていないサラマンダーが、アクアスティードの腕をとって豊満な胸を押し付けた。
アクアスティードは顔色ひとつ変えないが、ティアラローズはぎょっとする。そしてすぐに、「おやめください!」とサラマンダーをアクアスティードから剥がす。
そのまま腕をがしっと掴み、ティアラローズはにーっこりと微笑む。
「アクア様、わたくしサラマンダー様と女同士のお話がありますので、少し席をはずします」
「ティアラ、それは」
「はずします」
「……わかった。だが、私が同席してはいけないならパール様と一緒に。さすがにそれくらいなら許容してくれるだろう?」
さすがに勝手をしてしまった自覚はあるので、ティアラローズはアクアスティードの提案をしぶしぶながら受け入れた。
ティアラローズ、サラマンダー、パールの三人で、女同士の話し合いを行うために別室へとやってきた。
使用人の用意したタピオカココナッツミルク を飲みながら、しばし睨み合い。
最初に言葉を発したのは、ティアラローズだ。
「サラマンダー様。アクアスティード陛下はわたくしの夫ですから、お戯れはおやめください」
『あら、あなたは子供なんだから……大人のわれが相手をした方がいいのではない? そんな体じゃ、キス一つしてもらえないのではなくて?』
「そんなことはありませんので、ご心配は無用です」
小さくなったとしても、アクアスティードは変わらずティアラローズのことを愛してくれている。それがわからないティアラローズではない。
そのため、かなり強気な発言だ。
火の精霊サラマンダーといえど、アクアスティードを奪おうとするならさすがに許容することは出来ない。
「……まったく。おぬしらは子供よの。まぁ、今は本当に子供の姿か。サラマンダーもアクアスティードに執着するようなことを言わず、素直に吐いてしまえばいいものを」
「パール様? 何かご存知なんですか?」
どうやら、サラマンダーが頑なに拒んでいるのは理由があるらしい。
ティアラローズがじっとサラマンダーを見つめると、彼女は視線をパールに移し、理由を知られているのなら隠しても仕方がないと話し始めた。
『まったく、二人の妖精王から祝福されているなんて。……われが魔力を貴女に返したら、サラヴィアは死ぬわよ?』
「え……?」
つい先ほどまでは言い合いでうるさかった室内が、水を打ったように静かになった。