4. オアシスの恵み
うららかな日差しのなか、馬車は何の問題が起きることなくサンドローズへ向けて進んで行く。最初のうちは景色を楽しんでいたからいいが、何日も過ごすとさすがに飽きるというもの。
「馬車での移動とは、人間も大変じゃの」
パールはつまらなさそうに告げて、扇をたたむ。
その様子を見たティアラローズは苦笑しつつ、「もうすぐサンドローズの国境ですよ」と窓から顔を出して行く先を見る。
そこにあるのは、サンドローズへ続く国境。ここを超えたら、待っているのは灼熱の大帝国サンドローズだ。
「王宮のある街までは、いくつかオアシスのある街を経由していきますよ。そうすれば珍しいものもあるでしょうし、パール様も楽しめると思います」
「俺たちはずっとマリンフォレストにいたからな」
ティアラローズの言葉に、キースも頷く。
「留守番させてるクレイルへの土産でも買えばいいだろ。つーか、あいつは女装してるとよく喋るよな」
「わらわがクレイルにか? ふん、女装しているあやつにいったい何を買えと言うのじゃ。女物か? それとも男物か?」
「ま、どっちでもいーんじゃね?」
キースは笑いながら、クレイルの担当はパールだと言う。
もちろんパールとしては嫌なのだが……クレイルにもちょっとした恩がある。それは、彼女が眠りについているとき、パールの宮を手入れしてくれていたこと。
パールは眉を寄せながらも、「仕方がないのぅ」と告げるのだった。
それからしばらくして、ティアラローズたちを乗せた馬車が国境をくぐり抜けてサンドローズ帝国へと入った。
マリンフォレストよりも、体感で気温が十度以上は高いだろう。
「覚悟はしていたけれど……予想以上に暑いですね」
……と、ティアラローズが思わずこぼしてしまうほど。
この気温には、さすがにキース、パール、フィリーネも頷かざるを得ない。
「普段は海の中にいるから、陸地の暑さは理解出来ぬ。……水よ、この空間の温度を下げよ」
「わぁ……っ! すごい……!」
パールが魔法を使って扇で空を仰ぐと、馬車の中が一瞬で涼しくなる。空調設備の整っていない馬車の中を快適に過ごせるのは、かなりありがたい。
「ありがとうございます、パール様」
「ふん、これくらいはどうということもない。狭い馬車だというに、そのうえ暑いとなってはたまらないからの」
「そうですね」
確かに妖精王である彼女たちに、辛い環境にいてもらうのは申し訳ない。パールに頼ってしまう形になったので、何かお返しをしよう……とティアラローズは考えるのだった。
***
湿度が低く、日が当たっている場所はとても気温が高い。けれどその分、日陰になっている場所は比較的快適に過ごすことが出来るようだ。
泊まるのは、オアシスを中心に栄えている小さな街だ。
サンドローズでは、オアシスが生活の拠点となっているため、一つ一つの街の規模自体は小さい。そのかわり、街の数が多いのだ。
赤茶色のレンガで作られた建物と、オアシスの恵みである水が街をぐるっと囲むように流れているのだが――あいにく、オアシスはあるが街へ流れる水は涸れてしまっているようだ。
ティアラローズは馬車を降りて、ぐぐーっと背伸びをする。とたんに襲いくるむわっとした熱気に、思わず息を呑んでしまうほど。
落ち着くように、何度か浅く深呼吸を行った。
「……ふぅ。ここがサンドローズね」
ティアラローズはハニーピンクの髪を低い位置でまとめ、つばの広い帽子をかぶる。着ているのは、薄手の長袖で、レースがあしらわれたストライプの落ち着いたワンピースドレスだ。
「マリンフォレストとはまったく違うのね。すごい」
前世でも砂漠を有する国はあったけれど、実際に訪れたことはない。そのため、ティアラローズにとってサンドローズはとても新鮮だった。
オアシスはもちろんだが、実際に砂漠の薔薇と呼ばれている鉱石も見てみたい。
「ローズ、宿泊地へ行く前に観光でもする?」
「サラヴィア陛下……それは嬉しいのですが、いいのですか?」
「もちろん」
にこにこ近づいてきたサラヴィアは、ティアラローズにとって魅力的な提案をしてきた。もちろん観光はしたいが、オアシスが涸れ始めているこの緊急時に王族がそんなことをしていていいのだろうか?
――まあ、サラヴィア陛下が気にしないのであればいいのかしら?
他国の王族のすることに、口出しする必要はない。もしティアラローズを気遣っての提案であるのならば、少しだけ見て切り上げてしまえばいいだろう。
「では、お願いします」
「喜んで」
「……ですが、ローズ呼びは駄目ですよ」
「それは残念」
フィリーネとエリオットが宿泊のための準備を行なっている間、ティアラローズ、キース、パール、サラヴィアの四人で観光をすることにした。
サラヴィアの側近のイゼットは、フィリーネたちについて説明などを行なってくれている。
やってきたのは、ティアラローズが見てみたいと思っていたオアシスだ。
街の中心にあって、水が湧き出て周囲には植物が芽吹いている。まさに、砂漠にある恵みという言葉がぴったり当てはまるだろう。
しかし今は、サラマンダーの影響でオアシスの水が減ってしまっている状況だ。
確かに見てみると、水路になっている箇所までは水がないので、普段より少ない水位だということが一目でわかる。
植物も心なしか、元気がない。
「ほう、これがオアシスかえ。マリンフォレストにはないが、これもなかなか美しくてよいの」
パールが一歩前に出ると、オアシスの周囲にいた人たちが何事かとざわめく。
透き通るような白い肌に白銀の髪という姿は、とても目立つ。さらにはキースとティアラローズも一緒にいるのだから、なおさらに。
乙女ゲームのメインキャラなので、全員が見目麗しいのだ。
キースがパールの横へやってきて、どうするのだと問いかける。
「なんだ、マリンフォレストにも作るつもりか? でも、俺の領域は自然に溢れてるから砂漠なんてないぞ?」
「作るとは言っておらぬ。……まあ、珍しいものを見た礼くらいはしてもいいかの」
「ん?」
二人の様子を見ていたティアラローズとサラヴィアも、いったい何をするつもりなのだとパールの下へ行く。
すると、オアシスの水へちゃぷんと音を立てて手を入れた。
「ふむ。少し水温が高いようじゃが、影響があるのだから仕方がないか……」
「ああ、サラマンダーの熱で水の温度も上がってるのか」
「そのようじゃ」
どうやら、パールは水質の確認をしているらしい。さすがは水を司る海の妖精王だと、ティアラローズは感心する。
「パール様には、オアシスの状態がわかるのですか?」
気になったティアラローズが話しかけると、パールは「水だけじゃ」と言う。
「美しいものが涸れゆくのは、見ていて気分のよいものではないからの……」
そう告げて、パールが己の力をそっとオアシスの水に含ませる。すると、湧き出ていたオアシスの水量が一気に増えた。
みるみるうちに水位が上昇し、あっという間にオアシスが澄んだ水で満ち溢れて街へ続く水路まで水が流れていく。
「わ、すごい……っ!」
妖精王の力の片鱗を見せられて、ティアラローズは息を呑む。
しかしそれを見たからには、キースも黙ってはいない。
「この街には宿泊する予定だし、何よりパールにだけいい格好させるわけにもいかないしな……そらっ!」
「キース! ?」
キースが腰にさしていた扇を手にして、風を起こす。すると、今度はオアシスの周辺に生えていた植物たちが元気を取り戻して花を咲かせた。
青々と力強く伸びた植物は、数センチほど大きくなったのではないだろうか。
「これが妖精王の力か……すさまじいな」
「ええ、とても……」
ひゅうっと口笛を吹いたサラヴィアが、目を見開いてキースとパールの二人を見ている。まさかこんな簡単に、涸れ始めたオアシスを復活させてしまうなんて思わなかった。
この光景を目にしたのは、もちろんティアラローズたちだけではない。
周囲にいた人たちも同じように驚いて、奇跡のような現象に腰を抜かしそうになっている。
「オアシスの水が元に戻った!?」
「いったいどういう仕掛けなんだい!?」
「あの方たちは、いったい誰だ?」
「高貴なお方だということはわかるけれど……肌が白い、他国の人か?」
このままではどんどん大事になってしまう。そう考えて、ティアラローズは場を収める相談をするためにサラヴィアへ声をかけようとして――しかしそれより先に、キースとパールが集まってきた人たちの前へ一歩でた。
――え、一体どうするつもりなの!?
まさか妖精王だと告げて、場を収めるのだろうか。それはそれで混乱してしまうのではと、ティアラローズは焦る。
しかし実際は、ティアラローズが予期していたものと違う言葉が二人から発せられた。
「この恵みは、マリンフォレストの王妃ティアラローズによってもたらされたものだ」
「慈悲深き彼女に、感謝の念を忘れるでないぞ?」
そう言った二人はティアラローズの両サイドへ行き、彼女の手を取り崇めるかのようにティアラローズを讃える言葉を口にした。
――えええええぇぇぇ!?
まったく予期せぬ展開に、否定したいがしかし王妃として取り乱すことが出来ず……ティアラローズはキースとパールに文句を言いたいのを我慢してにっこりと微笑む。
するとすぐに、わああぁっ! と盛りあがる声があたり一帯に響く。
「ティアラローズ様の噂なら聞いたことがあるわ! 噂通り、美しくて素敵な方ね」
「オアシスを復活させるなんて、何か特別な魔力でも持っているのか!?」
「すごいすごい!」
住民たちが口々に告げていると、そのうちの一人が「あっ!」と声を荒らげた。
「サラヴィア陛下もいらっしゃるぞ!」
「本当だ! てっきり女を追いかけて出かけてるのかと思ってたのに……もしかして、オアシスのために奔走してくれていたんじゃないか?」
「そうだったのか……!」
なにやら勝手にサラヴィアの株まで上がっている。
ざわめきはさらに大きくなって、人だかりも増えてきた。すると、今度はサラヴィアが一歩前に出て静かにするようにと手で合図をする。
「見ての通り、オアシスはティアラローズ様の慈悲で復活した。彼女は炎と水の祭典に出席するため、はるばるマリンフォレストから来てくれた。祭典が終わればすべてのオアシスに恵みが戻るので、安心して待っていてほしい」
サラヴィアのせいで、今回の出来事が完全にティアラローズの行いだと思われてしまった。
集まった人々は口々にお礼を述べているし、今後も安泰だと喜んでいる。ティアラローズ自身にそんな力はないというのに、なんてことを言ってくれるのか。
「キース、パール様、どうしてわたくしの名前を出したんですか……」
疲れ切ったようにティアラローズが問いかけると、キースはくつくつと笑う。
「妖精王である俺たちを従えているのは、ティアラだ。胸を張って堂々としてればいい」
「んむ。おぬしにはわらわが祝福を与えているのだから、構わぬ」
「……わかりました」
さすがに妖精王二人にこう言われてしまっては、ティアラローズも反論することは出来ない。仕方がなく受け入れて、笑顔を作って集まった住民に手を振るのだった。
***
「うぅぅ、疲れた……っ!」
夜になって、宿泊地で一息ついたティアラローズは昼間のことを思いながらも無心で袋をシャカシャカと振っていた。
二重になっていて、大きな袋には氷と塩がたっぷり入っていて、その中に小さな違う袋がいれられている。
それをどこか不憫そうな目で見つめているのは、ソファで休んでいたパールだ。
「フィリーネ、あやつは何をしているのじゃ?」
「お菓子作り……と、伺っております」
「あれが菓子か?」
今度は目が怪訝になり、「わけがわからぬ」と告げる。
しかしすぐさま、その声にティアラローズが反応した。
「パール様、ちょうど出来上がりましたから一緒に召し上がりましょう。フィリーネ、キースとエリオットも呼んできてくれるかしら?」
「その必要はない」
「キース!」
全員で食べるために呼びにいってもらおうとしたら、ちょうどキースが転移でやってきた。その傍らにはエリオットもいるので、ちょうど二人で打ち合わせをしていたところだったのだろう。
「んで、その袋がスイーツなのか……? なんつうか、ぐろい見た目だな」
「これは違います、さらに中の袋の中に入ってるのがスイーツなんです!」
勘違いしないでほしいと、ティアラローズはキースに怒る。
そして袋から取り出し、作っていたお菓子――塩ジェラートをお皿に盛りつけてテーブルに並べていく。
「ほう、これは不思議なものよの。冷たいみたいじゃな」
パールがまじまじと見て、振るとこんなものが出来るのか……と興味深そうにしている。
「塩ジェラートです。塩分も取れるので、砂漠の国のスイーツにとしてはぴったりだと思いますよ。フィリーネも一緒に食べましょう」
「はい!」
全員で塩ジェラートを口に含むと、口内にひんやりとした冷たさと甘みが広がる。塩の味はほとんどしないので、食べやすい。
特にパールがお気に召してくれたようで、「これはよいの!」と目を輝かせている。
「気に入っていただけてよかったです。サンドローズは暑いですから、水分や塩分も摂取しないといけないわね」
「おー、これなら無限に食べれそうだな」
あっという間に平らげてしまったキースが笑い、おかわりを要求してくる。しかしもう作った分は食べてしまったので、また今度だ。
「なんだ、もうないのか」
「マリンフォレストでも作りますね。夏になったら、人気がでると思いますよ」
「確かに暑い日に食いたいな。楽しみにしてるから、作ったら真っ先に俺を呼べよ?」
「わらわも呼んでよいぞ」
ティアラローズがマリンフォレストでのジェラート計画を口にすると、キースだけではなくパールも話に加わってきた。
妖精王の御用達とあれば、爆発的な人気間違いなしだ。妖精たちにも振舞ってあげようかなと、ティアラローズは微笑みながら了承の返事をする。
「それじゃあ、食べ終わりましたし今日は休みましょうか。サンドローズの王宮までは、馬車であと五日ほどかかる予定ですから」
「そうだな。俺やパールはいいが、ティアラは休まないと暑さで倒れそうだしな」
「十分注意しないといけませんね」
他国で倒れてしまうなんて、王妃としてもってのほか。
各所に迷惑をかけてしまうので、自国以上に体調管理には気を付けている。そのため日程のスケジュールもかなり余裕を持っているのだ。
――塩ジェラートで元気になったし、大丈夫。
「今回は体調を崩したり、勝手をしてアクア様に迷惑をかけたりしないわ」
ぐっとティアラローズが気合十分に返事をすると、キースたちが呆れたように笑う。
「お前はいつも何をするかわからないからな……」
「大人しくしているのが一番じゃ」
なんとなく、不安を感じる妖精王二人だった。