2. サンドローズへの招待状
太陽に照らされた砂が熱を持ち、国土の半分が砂漠のサンドローズ帝国。
日中にはギラつくような暑さ、夜中は凍えるような寒さが訪れる。正直に言えば、生活しやすい環境ではないかもしれない。
しかしそこに咲く砂漠の薔薇はとても美しく、死ぬまでに一度は見てみたいと言う令嬢たちも少なくはない。
各家庭に水を引くということはほとんどないため、毎朝その日に使う水をオアシスに汲みに行って生活をしている。
今日も少女が水を汲むためオアシスへ行ったのだけれど、ふと……いつもと様子が違うことに気付く。
近くにいる大人たちも、怪訝そうにしたり不安な表情を覗かせていた。いったいなんだろうか? そう思ってオアシスを見てみると――昨日よりも水が少なくなっていた。
「オアシスの水が減るなんて、どうなってるんだ……!」
「生まれて六十年、こんなことは初めてだぞ」
「まさか……枯れちゃうなんてことはない!?」
人々の不安は一気に大きくなり、口々に思うことを言い放った。
勘違いならいいけれど、毎日オアシスの水を恵として使っているのだ。見間違うなんて、あり得ない。人々のざわめきはどんどん大きくなって、その不安は広がっていく――。
***
「サラヴィア陛下、サンドローズのオアシスの水が減ってきています……っ!」
「……そうか。報告は以上か?」
「え? は、はい……」
「もう下がって休むといい」
マリンフォレストの王城、サラヴィアのために用意された一室。
オレンジ色の鮮やかなカーテンと、それに重ねられたレース。明るい色合いで整えられた部屋は、ティアラローズがチャラいと告げるサラヴィアにぴったりかもしれない。
けれど今のサラヴィアは、そんなチャラい様子は微塵も感じさせていない。
サンドローズ帝国の皇帝、サラヴィア・サンドローズ。
褐色の肌に、短めの金髪。赤色の瞳は細められて、何を考えているのか一見してわからない。
今まで、ほしいものは全てを手に入れてきた。今は自分に物怖じしない勝気なティアラローズに惚れ、手に入れるためと言ってマリンフォレストに滞在している。
今この部屋にいるのは、主であるサラヴィア、側近のイゼット、そして報告をしていた伝令の騎士だ。
騎士はサンドローズの異変をサラヴィアに知らせるために、早馬にのって駆けつけてきた。まだ呼吸が少し乱れたままで、少しでも早く報告しなければという気概を受ける。
オアシスが枯れてしまうかもしれない……そんな焦りがあった騎士は、ひどく落ち着いている様子のサラヴィアに戸惑う。もっとことを重大に受け止めてくれと、そう思っているのだろう。
しかしサラヴィアに下がれと言われてしまったからには、下がるしかない。騎士が礼をして部屋を後にすると、サラヴィアは小さく息をついた。
「国へは近く戻るが、そのための準備も進めないといけないか……」
「そうですね。さすがに、この状態の国を空けておくわけにはいかないでしょう」
サラヴィアの言葉に、イゼットがこめかみを押さえながら返事をする。かなり大変なことになりそうだと、これからの未来に頭を悩ませているのだろう。
サラヴィアの側近、イゼット。
砂漠の民である褐色の肌に、銀色の髪。真面目な性格ゆえ、自由奔放なサラヴィアに振り回されるということも多い。
ひとまずもろもろの手配はイゼットが行うとして――気になることが一つ。
「ティアラローズ様にお渡しした宝石は、結局どうなったんですか? この現状をどうにかするための布石だったんでしょう?」
「ああ、ローズに渡した宝石か」
イゼットが告げたのは、サラヴィアが商人のふりをしてティアラローズに会いに行ったときのことだ。
以前ティアラローズに贈った赤の宝石は、正式名称を『サラマンダーの涙』という。火の精霊サラマンダーの流した涙が宝石になったと伝えられているけれど、本当に涙であったかは定かではない。
「上手くいけば、サラマンダーの涙に力が溜まるが……どうだろうな」
まだわからないと、サラヴィアはため息をつく。
「俺の力じゃサラマンダーを救うことは出来ない。……黙ってローズに宝石を送ったのは悪かったが、上手くいく保証だってない」
「先ほどの騎士の様子を見る限り、かなり深刻そうでしたからね。下手をしたら、暴動が起こりますよ?」
「そうさせないために、俺がいる」
「サラヴィア様……」
大きく深呼吸をして、サラヴィアは目を閉じる。
遥か太古より、サンドローズ帝国の地下にはサラマンダーが眠っている。
……いや、サラマンダーが眠っていた地にサンドローズが建国されたと言った方がいいだろうか。以降、サラマンダーとサンドローズの王族は盟約を結んだ。
サラマンダーは普段眠っているが、数百年周期でお腹を空かせ目を覚ます。王族は、サラマンダーへ食糧という名の魔力を与えるということが役目になっている。
今までは、王族がサラマンダーに魔力を与えてきたため、なんの問題も起こってはいない。しかし今回は、それが出来ないため違う手段を選んだ。
サラヴィアの代わりにサラマンダーへ魔力を与えられる人間として選んだ相手は、ティアラローズ。
「妖精王の祝福を得ているから、もしかしたら――と思ったが、まさかドンピシャだとはな。最初は利用するだけ利用しようと考えてたっていうのにな」
今ではすっかりティアラローズに夢中になってしまったと、サラヴィアは笑う。
「サラマンダー様の波長に合う魔力を持つ人間が、サンドローズの王族以外にいるとは思いませんでしたよ」
「俺たちも、駄目元で調べたからな。普通の人間じゃ絶対に合わないのに、いったい何者なんだろうな。ローズは」
サラマンダーには、誰でも魔力を与えられるわけではない。
サラヴィアが告げた通り、波長の合う魔力でなければ無理なのだ。そんな人間を見つけるのは、砂漠から砂金粒を見つける程度の可能性だろうか。
いや、もしかしたら存在すらしないかもしれない。そう思っていたが、サラマンダーに魔力を与えなければならないので一応は調べてみたのだ。
そのなかでも力を入れたのが、妖精の祝福があるマリンフォレストに住む人々。多少魔力に変化があるのでは? と、秘密裏に調査を行った。
多くの妖精に祝福されている人……いたって普通の魔力だった。
ならば妖精王に祝福されているアクアスティードは? 通常よりも魔力の質がよかったけれど、波長が合うほどではなかった。
そうあきらめかけたとき、一応……と、ティアラローズの魔力波長を調べた結果サラマンダーに適しているということがわかったのだ。
それは転生者として持つ異質な魂と、悪役令嬢というゲームのメインキャラクターであったための元々のスペックの高さもあってなのだが……そんなことは、サラヴィアが知るはずもない。
「ティアラローズ様の魔力をサラマンダー様に分け与えてもらうのですから、サンドローズに招待しなければいけませんね。……というか、事情は説明されるんですか?」
「祭典への招待状を送るから、問題はないだろう。さすがに、交流がある俺の招待を断ったりはしないはずだ」
アクアスティードの溺愛具合を見ると離さなそうにも見えるけれど、あの男はきっちり公私はわけて考える。
「事情は……ひとまずサラマンダーの様子を見てからだな。サラマンダーの涙から、魔力だけを上手く取り出して与えられたらそれが一番いい」
「そうですね。危険な場所かもしれないとアクアスティード陛下が判断すれば、ティアラローズ様を連れて行くことは難しいでしょう」
「ああ」
これから目覚めるサラマンダーを、無事に魔力で満たせるだろうか――と。サラヴィアは、普段より自信なさげに頷いた。
***
数日後――。
「アクアスティード様、招待状が届いていますよ」
「ん?」
執務室で仕事をしているアクアスティードの下へ、一通の手紙を持ったエリオットがやってきた。
黒い革張りの椅子に座り、目を通していた書類をひとまず机の上に置く。
アクアスティードの執務室は、黒を基調に落ちついた雰囲気でまとめられている。少しだけ開いた窓からは穏やかな風が入り、心地よい。
「これは……サンドローズからの招待状か。差出人は、もちろんサラヴィア陛下か」
ペーパーナイフを使って手紙を取り出し読んでみると、そこにはサンドローズで行われる式典『炎と水の祭典』へ招待するというものだった。
これは年に一度行われているサンドローズの祭典なのだが、普段は他国の王族を招くことはしていなかったはずだ。
アクアスティードは訝しむように手紙を見て、小さくため息をつく。
「さすがに正式な招待を断るわけにはいかない……か」
「そうですね。なんでも、今年はかなり盛大に行うらしいですよ」
「……なるほど」
クレイルたちから聞いた、サラマンダーの件が関係しているのだろうということは、容易に想像することが出来た。
厄介ごとにならなければいいのだがと、アクアスティードはもう一度ため息をつく。
「そんなにため息ばかりついては、幸せが逃げてしまいますよ?」
「エリオット……そんなのは迷信だろう」
「どうでしょうね」
優しい笑みを浮かべながら告げたのは、側近のエリオット。
ほんのりオレンジを含む、柔らかな茶色の髪。普段から穏やかにしているのだが、仕事はきっちりとこなす出来る男だ。
今はフィリーネに求婚するため、貴族位を得るためよりいっそう励んでいる。
紅茶を一口飲んで、アクアスティードはさてどうしようか……と、頭を悩ませる。
「式典への参加は、私とティアラの二人。サンドローズの気候は厳しいから、行程は余裕をもってスケジュールを組んでおいてくれ」
「わかりました。ティアラローズ様には、フィリーネとタルモのほかにも、護衛として数人の騎士をつけますね」
「ああ、よろしく頼む」
それから土産も必要だろうから、何か考えなければいけない。
招待状を見ると、式典の日取りは三ヶ月後と余裕がある。とはいえ、サンドローズまでは馬車で十五日ほど。あまりのんびりしている時間はないだろう。
「しかしサンドローズとなると、暑そうですね。服装も、暑さ対策が必要かもしれませんね……」
「そうだな。特にティアラは私やエリオットのように鍛えているわけでもないから、辛いかもしれない。フィリーネに言って、早めにドレスを用意するようにしてくれ」
「わかりました」
エリオットは頷いて、フィリーネとスケジュールなどを調整するため執務室を後にした。
アクアスティードは止めていた手を再び動かして、書類に目を走らせる。
サンドローズへ行くのであれば、一ヶ月以上は王城を空けることになるだろう。しばらくは忙しい日が続きそうだなと、やっぱりもう一度ため息をつくのだった。
8章の更新を始めたら、日刊ランキングに入ってました。
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