14. 穏やかだった日常にスパイスが……
数日の滞在を終えて、ティアラローズたちはマリンフォレストへ帰ってきた。
お菓子屋計画に関しては書類でのやり取りを進めることになっているし、アランの意気込みを見ているときっと成功間違いなしだと思えるほど。
そもそも、ティアラローズが後ろについているという触れ込みだけでも十分な客が来るだろう。
ちなみに、フィリーネとエリオットは婚約をしていない。
エリオットが貴族位を手に入れてから……ということらしい。ティアラローズとしてはとっとと結婚してしまえばいいのにと思ったけれど、エリオットは自分の言葉を曲げたりはしないようだ。
真面目過ぎるのも……と思ったけれど、あまり口を出すのもよくないだろう。ということで、ティアラローズはアクアスティードと一緒に見守るだけだ。
ティアラローズは自室のソファに座って本を読んでいたが、それを閉じて机の上へ置く。紅茶に手を伸ばして、ふうと一息ついた。
「お疲れですか? ティアラローズ様」
「フィリーネ。そうね、ずっと本を読んでいたから、体が固まってしまったわ」
くすくす笑いながらそう告げると、フィリーネは「散歩でもしますか?」と提案をしてくれた。
少し考えて、部屋にばかりいるよりも……とティアラローズは頷く。
「外は寒いですから、羽織るものを持ってきますね」
「ありがとう」
フィリーネに準備をしてもらって、散歩のために庭園へと出た。
忙しい毎日を過ごしていたためだろうか。もう冬も終わりに近づき、春が近い。まだ花は咲いていないけれど、満開の色を見るのもそう遠くはないだろう。
今日は、庭園に妖精たちの姿はない。
「冬だから、家でゆっくりしているのかしら?」
「妖精たちも、寒さを感じるのかもしれませんね」
「確かにそうね。今度、温かい紅茶をプレゼントしようかしら」
妖精のことを話して、それからティアラローズはフィリーネの話題へ移る。
「それで、エリオットとはどうなの?」
「どうって……どうもいたしません。わたくしは待つと決めたのですから、待つだけです」
こちらも頑固だったと、ティアラローズは苦笑する。
けれどフィリーネの表情は嬉しそうで、このまま上手くいってくれたらいいなと思う。
「わたくしは、幸せですね。ルーカスと結婚しなくていいだけではなくて、家のことまで援助していただいて。エリオットには、感謝してもしきれません」
だから、彼のことは何があっても信じるのだとフィリーネは微笑む。
――そうね。エリオットには、頑張ってもらわないといけないわね。
なんといっても、ティアラローズの大切な侍女を手に入れるのだから。生半可な覚悟ではなく、最上級に幸せにしてほしい。
フィリーネのことをないがしろにしたら許さないぞと、今はここにいないエリオットの姿を思い浮かべる。
「……これからが楽しみね。もし困ったことがあったら、絶対わたくしに相談してね? 今までフィリーネにたくさん助けてもらったから、今度はわたくしが助けるわ」
「はい、ティアラローズ様。何かありましたら、最初に相談しますね。でも、エリオットに限ってそんな心配はないように思います」
「それもそうね……」
エリオットは、第一印象からして〝いい人〟だった。それは数年経った今でも変わらずで、きっとこれから先もそうなのだろう。
のんびり庭園を歩いていると、少しざわついた声がティアラローズたちの耳へと届いた。
それは王城に勤めているメイドと騎士たちのもので、何かあったのだろうかと心配になる。
フィリーネは不安そうな表情を浮かべ、様子を見に行こうとして、けれどやめてティアラローズに顔を向ける。
「一度、お部屋へ戻りましょう。気になるようでしたら、わたくしが確認してきますから」
「そうね。何かあったのであれば、騎士たちの邪魔になってもいけないでしょうし」
しかし、部屋へ戻るよりも早く呼び止める声が聞こえてきた。
「子猫ちゃん!」
「えっ、サラヴィア陛下!? な、なぜここに……」
騎士とメイドがどうにかしてサラヴィアを止めようとしていたらしいが、自由奔放な彼は庭園まで来てしまったようだ。
さすがに、騎士たちも他国の王族へ強く出ることは出来なかったのだろう。
ティアラローズは苦笑しつつ、「大丈夫よ」と騎士たちに微笑む。
自分がサラヴィアの相手をするため、フィリーネにお茶の用意を頼み、騎士の一人にはアクアスティードを呼びに行ってもらう。
「あまり我が国の騎士たちを困らせないでください、サラヴィア陛下」
「ごめんねぇ、どうしても子猫ちゃんに会いたかったから。でも、ここで会えてよかったよ」
少し無茶をした甲斐があったと、サラヴィアは微笑む。
にこにこと楽しそうに見つめられて、ティアラローズは嫌な予感しかしない。
いったい何をしに来たのか、目的は何なのか? 他国の皇帝なんて、厄介以外の何者でもないのでは……とすら思う。
「ひとまず、場所を移動しましょう。ここは寒いですから……」
「ああ、そうだね。サンドローズはここまで寒くはならないから、凍えそうだったんだ」
サラヴィアの言葉に苦笑して、ティアラローズは王城内にあるおもてなし用の部屋へと移動する。
室内は温かく、外の気温を忘れてしまうほど心地よい。
サラヴィアはソファへ座り、出された紅茶に口を付けてほっと一息ついた。とても楽しそうな様子に、ティアラローズは嫌な予感しかしないけれど。
とりあえず、アクアスティードが来るまでは本題に入らず雑談をしているのがいいだろうか。
ティアラローズがちらりと視線を向けてサラヴィアの様子を探ろうとすると、残念なことに目が合ってしまった。
すると、とたんに笑顔を浮かべてこちらを見てくる。
「どうしたの、子猫ちゃん。あ、もしかして見惚れちゃった?」
「違います。あまりからかわないでくださいませ、サラヴィア陛下」
「ええぇ、いいじゃないか。かしこまりながら話をしたって、楽しくないだろう? ほら、可愛いんだからもっと笑ってよ」
にこにこーっと笑みを浮かべるサラヴィアに、ティアラローズも苦笑しつつ笑顔を返す。
「サラヴィア陛下、ぜひお菓子も召しあがってください。料理人が腕によりをかけて作っていますから、とても美味しいですよ」
「ありがとう。仮面舞踏会のときも思ったけれど、マリンフォレストのデザートやお菓子は見た目も美しい。我が国も見習いたいよ」
「そう言っていただけると、とても嬉しいです。ありがとうございます」
お菓子関係は、ティアラローズが率先して動いているので料理人の腕がめきめき上がっているのだ。
国内は疎か、どこの国へ出しても恥ずかしくないだろう。今ではもう、マリンフォレストを代表する一つの事業と言ってもいいほどに。
自分の好きなスイーツを褒められて、ティアラローズはそうでしょうと頷く。
「わたくしもお菓子が大好きで、料理人と話をすることも多いんです」
「へぇ、作れたりするの?」
「料理人には負けてしまいますが、嗜む程度には」
サラヴィアは少し驚き、「すごいな」と口にする。
「普通、王族は自分で料理をしたりしないのに。ぜひ、俺にも手作りのお菓子を振る舞ってほしいな」
「いえ、さすがにサラヴィア陛下へお出しできるほどの腕ではありませんから」
「えぇぇ~? 子猫ちゃんの手料理っていうだけで、美味しそうなのに」
本当に駄目? と、サラヴィアが見つめてくる。
いくらなんでも他国の王族へ振る舞うことは出来ないので、ティアラローズも首を振る。仲の良いアカリたちであれば別だけれど、さすがにサラヴィアは無理だ。
振る舞ったが最後、何か仕掛けられるかもしれない。
スイーツの話題になると口が軽くなってしまうので、気を付けなければとティアラローズは気合いを入れなおす。
すると、その様子を見ていたサラヴィアがくつくつ笑う。
「いいね、本当に」
「……?」
「普段は凛として美しいのに、こうやって少し油断した姿を見るとすごく可愛いって思う。俺にも物おじしないし、媚も売ってこないし、ますますほしくなる」
サラヴィアの瞳が細められて、ティアラローズを見つめる視線に熱が込められる。思わず一歩後ずさりたくなるも、他国の皇帝相手にそれは出来ない。
愛想笑いを浮かべつつ、どうにか言葉を躱そう。そう考えたティアラローズだったが、続けられたサラヴィアの言葉に自分の耳を疑った。
「子猫ちゃんを手に入れるために、側室全員と別れてきたんだ」
「え……?」
「これからは子猫ちゃん……いや、ティアラローズだけを愛すると誓うよ。だから俺の妻になって、サンドローズへおいで」
いやいやいやいや、いったい何を言っているのだこの男は。
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだろう。
ティアラローズを娶るために側室全員と別れた? そもそも、ティアラローズはアクアスティードという大切な夫がいるというのに。
奪ってこようとする気満々のサラヴィアに、頭を抱えたくなる。
「もちろん、俺の妻になってくれるだろう?」
「いやいやいやいや、わたくしはアクアスティード陛下の妻ですから!!」
サラヴィアがぱちんとウィンクするのを見て、思わず声を荒らげてしまい、ティアラローズは慌てて口元を押さえる。
いくら失礼な物言いだとはいえ、サラヴィアは他国の皇帝だ。断るにしても、もっと違う言葉があるだろうと心の中で自分を叱咤する。
けれど、サラヴィアはそんなティアラローズの仕草を気にするような男ではない。
「いいよ、楽にして。素の雰囲気の方が好きだし」
「……いえ。わたくしはマリンフォレストの王妃ですから」
失礼しましたと、ティアラローズ口調を正す。
――というか、サラヴィア様は不真面目すぎるのがいけないのに。
王族同士が顔を合わせているのだから、もっと緊張感を持ってほしいとティアラローズは思う。
「サラヴィア陛下のお気持ちは嬉しく思いますが、わたくしはアクアスティード陛下の下を離れるつもりはありません」
「長期戦は覚悟の上だよ」
「そういう問題ではありません……」
どうしたものかとティアラローズが焦ったところで、アクアスティードがやってきた。
「お待たせしました、サラヴィア陛下。本日はどうなさいましたか?」
「ああ、アクアスティード陛下。いやあ、実はあなたの妃と話をしたくてね」
「ティアラとですか……?」
笑みを崩さないまま、アクアスティードはティアラローズの隣へと腰かける。
「どういった話ですか? ぜひ、私もご一緒させていただきたいですね」
「まあ、陛下の了承が必要になる話でもあるからな。いい返事はもらえなかったが、ぜひ、ティアラローズを私の妻に迎えたいと思っているんだ」
側室とも別れたことを告げるサラヴィアに、アクアスティードは面倒な……と、心の中でため息をつく。
「アクアスティード陛下、わたくしは……」
「わかっているよ、ティアラ」
ティアラローズは申し訳なさそうにしながらも、断固拒否という思いを込めてアクアスティードを見つめる。
もちろんそれはアクアスティードも同じ気持ちなので、サラヴィアの返事に頷くようなことはしない。
「たとえサンドローズを敵に回したとしても、ティアラローズを渡そうとは思いません。お引き取り願えますか? サラヴィア陛下」
「いい目をするなぁ、アクアスティード陛下は。でも、私だって諦めたくはない。だから、しばらくマリンフォレストに滞在させてもらおうと思う。もちろん、野蛮なことは一切しないと誓おう」
加えて、サラヴィアが滞在している期間はサンドローズからの流通も融通すると申し出をされる。ティアラローズが目的ということを除けば、悪い条件ではなく、むしろ好条件と言ってもいいだろう。
アクアスティードは露骨にため息をついて、サラヴィアを見る。
「断る……と言ったら、どうするのですか?」
「そうだなぁ。どこかの宿にでも泊まりながら、子猫ちゃんにアプローチを続けるよ」
「……わかりました、部屋を用意します」
どうあがいてもサンドローズに帰る様子のないサラヴィアに、それならいっそ目の届くところにいてもらった方がいいと許可を出す。
王城内に滞在するのであれば、護衛と称してこちらからも見張りの騎士を配置することが出来る。
しばらく落ち着いた日々を過ごすのは無理そうだ。
先週はお休みしてしまいました、すみません!
北海道旅行をしてました。
楽しかった~!
次で7章の最終話です。
頑張るぞ~!